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 小豆島のダム問題をルポした『週刊朝日』の記事や後援会ニュースの原稿執筆などで書くのが遅れてしまったが、裁判員裁判と死刑の関係は2回目の死刑判決が「犯行時18歳少年」の事件となり、「日常的ニュース」になろうとしている。一方で、裁判員をつとめた人の記者会見は苦悩に満ちていて、「死刑か、無期か」という究極の選択が私たちが2年前に予期した通り、市民にとって生涯背負っていくような重いものであることも伝わってくる。

11月25日、早稲田大学で死刑をめぐるシンポジウムが行なわれた。イギリス大使館とオランダ大使館、そしてEUIJ早稲田の共催だったが、『死刑制度・世界から見た日本』というセミナーには、イギリスの死刑問題の大家であるロジャー・フッド教授を招いて、ディスペナルティプロジェクトの弁護士や、オランダのアムネスティインターナショナルの元代表などが参加して。私は、死刑廃止議員連盟で事務局長をしてきた関係で、冒頭の挨拶・問題提起を行なった。

スピーカー

保坂展人、前衆議院議員、元死刑廃止議連事務局長
ロジャー・フッド(オックスフォード大学名誉教授) 
ソール・レフロインド
(弁護士、英国NGO「ザ・デス・ペナルティー・プロジェクト」)
パーベイス・ジャバー
(弁護士、英国NGO「ザ・デス・ペナルティー・プロジェクト」)
バート・ステパー
(オランダアムネスティー・インターナショナル・オランダ元代表)
布施勇如(研究者)

司会:
ドミニク・アルバドリ(政治分析官、駐日欧州連合代表部)

その際に私は、日本の「裁判員制度と死刑」をテーマとして次のような問題提起を行なった。ここで紹介したい。

 昨年発足した新しい内閣には、千葉景子法務大臣が就任しました。死刑廃止論者であり、死刑廃止議員連盟の仲間だったのです。彼女が、7月の参議院選挙後に2名に対しての死刑執行をしてしまったのは大変残念です。自分自身で執行の様子を見るという行動をはさんで、8月には死刑の刑場公開を行ないました。ただ、日本の死刑の情報公開はまだまだ不十分です。

 私は44年前の事件で冤罪を訴えてきた死刑囚、袴田巌氏に面会したが、彼は司法に希望を託することが出来なくなり、弁護士とも肉親とも誰とも会わなくなっていました。法務省を通して交渉して会った袴田氏は「もうハカマダはいない。私が飲み込んだ。私は全能の神だ」と妄想の世界から一歩も出てこれませんでした。事実、再審決定の可能性があった時にも弁護士の面会も拒み、裁判関係書類も房に入れることを拒んだので打ち合わせをすることも出来なかった。毎日のように死の恐怖と直面しているのが死刑囚の生活です。
 
死刑をめぐる日本の状況はけっして楽観出来るものではありません。
裁判員制度が導入されたのが昨年5月。今年の11月から、死刑求刑事件の裁判員裁判の判決が続いています。1回目の判決は「無期懲役」、2回目の判決は「死刑」でした。そして、今日にも18歳の少年に対して「死刑判決」が出る可能性があります。また12月上旬には、初の否認事件で「死刑求刑」を受けた裁判員裁判の判決があります。

「裁判員裁判の対象事件を死刑相当の重大事件とする」「死刑か、無期懲役かを多数決で判断する」というスキームは、否が応でも「死刑制度への市民参加」の道を開きました。恐ろしい扉が開いたと感じます。制度設計の明らかな過ちです。

対象事件を重大な刑事事件とするなら、死刑を廃止、あるいは執行停止してこの制度を始めるべきでした。また、多数決で「死刑か、無期か」を判断するのはあまりにも乱暴な制度です。

私たち死刑廃止推進議員連盟は、昨年5月の裁判員制度の発足を前に緊急に修正法案を作成しました。ひとつは、「死刑」と「無期」の間に仮釈放のない「終身刑」を創設するという案です。「終身刑」自体が持つ問題点もありますが、生命を奪う「死刑」とは決定的に違います。さらにもうひとつは「死刑判決全員一致制度」の提案です。「死刑」が比較多数になっても全員一致でない限りは、罪一等減じて「終身刑」とするというものです。

お気づきのようにこの法案は「死刑廃止」でも「執行停止」ですらありません。「全員一致」のハードルをくぐって死刑判決を出すことも出来ます。また「死刑」と「無期」の間に「終身刑」を創設することで、裁判員裁判に選択肢を与えます。いずれも、死刑判断の慎重化と呼ぶべき仕組みです。

 国会では超党派で大きな議論を得ることが出来ましたが、現在政権与党となった民主党内で「裁判員制度は設計を終えた。直前の変更は避けるべき」という法曹出身議員の慎重論の壁に阻まれました。

 裁判員制度は施行から必要があれば「3年後の見直し」が出来るとしています。死刑廃止議員連盟では、もう一度来春に向けてこの法案を提出する準備を始めています。

 市民が参加する裁判員裁判で死刑判断が続くと、政府・法務省がこだわり続ける死刑執行は、「市民の要求と判断」を大義名分としてブレーキがかからなくなります。

 裁判員となった国民の「思想・信条の自由」「人間としての尊厳」を「死刑多数決制度」は、蹂躙します。なぜなら、死刑求刑の否認事件などで、「有罪・無罪」の判断で「無罪」の評価をした裁判員が
次の段階の「量刑判断」に強制的に同席しなければならないことです。「無罪」と評価した裁判員に「量刑」を判断せよという制度の欠陥です。しかも多数決で「死刑判断」をすれば、無罪と信じる裁判員も死刑判決を出した当事者になり、その苦痛は計り知れません。生命ある限り、生涯「評決の秘密」は外部に漏らしてはならないというのが、刑事罰付きの守秘義務として裁判員を縛っています。

 議論が出来るかどうか、まだ予断を許しません。このまま、あと半世紀、「多数決で市民が死刑をつくる国」に日本がなるかどうか分水嶺は目の前にあります。

〔終了〕

 夕方、イギリス大使館で行なわれたレセプションには、亀井静香会長ら国会議員や、各界の人々が集って懇談した。私は、宇都宮健児日弁連会長とこの「裁判員制度と死刑」について話し込み、上記の問題意識をもって、裁判員法の改正を視野に入れた議論をぜひするべきと提案しておいた。「市民の多数決による死刑判決」が日常の光景になりつつある時に一刻も早く動きをつくるべきだと考える。





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