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昨日は、伊藤塾東京校の「あすの法律家養成講座」に弁護士の海渡雄一さんと『共謀罪』をテーマとして講演とトークセッションを行った。広い教室に集まった受講生(一般公開もされた)は、決して多くはなかったけれど、ビデオカメラで収録されて中継で、あるいは事後的に見る人の数はけっこう多いと聞いた。『共謀罪』と言えば、あれから2年となる。05年から06年までの1年半、まさに綱渡りのような日々が続いた。その日々を共に過ごして、『共謀罪とは何か』(岩波ブックレット)を書いた海渡雄一さんと話は弾んで、講演と対談、そして質疑応答も含めて120分にわたるロングショーになった。

私は自己紹介から始めた。法曹をめざす人で「麹町中学事件・内申書裁判」を知る人は多い。憲法19条「思想・良心の自由」(※憲法19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない)のところで判例として紹介されることが多いようで、かつて司法試験にも出題されたことがある。若い弁護士さんに会うと、「判例に出てくる事件の当事者の人と会えるなんて」と驚く人もいるぐらいだ。

「憲法の判例」と言われて思い起こしてみると、たしかに14歳の私は「憲法」と向き合っていた。中学生3年の時に、社会科学の本を読みあさり、「ベトナム戦争反対」「沖縄問題」についての自作新聞を発行しようとした。ところが、その新聞は「発禁」となり、生徒会その他の場で私が発言することも禁止となった。職員室の一角でこんな話をしていた。

(教師)君がどんな考えを持つのも自由だ。ただし、心身ともに未熟な中学生なんだから、君の書いたチラシを渡したり、生徒会で演説はするな。
(保坂)「思想・信条の自由」とは、自分の頭で考えたことをただ黙ってしまっておくことではない。他者に伝えてこそ、思想・信条の意味があるのではないか。

 こんな話を4時間も5時間も、ぶっ続けでしていたことを思い出す。そして、中学校から高等学校へ進学する際の内申書に、「学校の制止にかかわらず政治活動を続けていて現在手を焼いている」と記載された。中学校3年間の無数の事実の中から、内申書に「思想・信条」「政治活動」に関わることだけをことさら抽出して記述された。これが、東京都教育委員会の関与のもとに、千代田区教育委員会から組織的・系統的に作成されたことが後に判明する。その意図は、「みせしめ」であり異議申し立てをやめなかった生徒に対しての社会的制裁だった。

 今、ふりかえってみれば未熟で背伸びをした少年だった私に、教育行政が総力を挙げて「内申書」を使用して「問題児の烙印」を押す事で「毅然とした姿勢」を見せようという一幕だったのだろう。こうした体験があっただけに、心の中を覗かれる、心の中を評価される……ことにひときわ敏感な少年時代を過ごした。

15歳の私は、数十人もの人々が関与した内申書によって、その意図通りに高校受験に不合格となり、定時制高校に通うがそこも故あって中退してしまう。「学歴」や「資格」なるものに一切依存しないで、学校から遠く離れて自力で生きてみたいと考えた。今、ふりかえれば強烈な自己意識にもとづく「意地」と「自己過信」だった。ありていに言えば、学校社会のレールから突き落とされたことが、悔しかったのだろう。

20数種類の仕事を転々としながら、文章や言葉にこだわる時間を過ごした。大学ノートを喫茶店に持っていき、自分の文体を探すために、2時間3時間と粘って、自分の言葉を紡ぎだそうとした。そして、20代のはじめに内申書裁判の判決(1979年東京地裁判決)があり、突然にメディアの取材対象となった。判決の新聞記事を見た当時の中学生・高校生からの手紙(「いじめ」「管理教育」を訴えていた)をヒントに、『明星』『セブンティーン』に連載を始めることとなった。子どもにわかる言葉で語り伝えることを10年間続けた。

05年9月11日の郵政選挙で、2年弱の浪人生活から法務委員会に復帰した。民主党が7人、社民党が1人という少数野党で、まず目の前に現れてきたのが「共謀罪」だった。突然の衆議院解散・総選挙で廃案となっていた「郵政民営化法案」「障害者自立支援法」等が次々と可決・成立していく中で「共謀罪成立」も時間の問題かとも思われた。

 強行採決をされたらひとたまりもない。ここは、論理で正面勝負をかけるしかないと頭をひねった。当時の法務省はホームページなどで説明する。「居酒屋で盛り上がって会社の社長を槍玉にあげたら共謀罪か」という弁護士や市民団体の事例を全面否定して、「共謀は特定の犯罪を実行しようという具体的かつ現実的な合意をすること」で漠然とした居酒屋の話は対象外としていた。

 手あたり次第に刑法学者や弁護士の書いた論考を読んでいくと、共謀共同正犯の「共謀」解釈が近年の最高裁判所の判例で大幅に拡張され、「沈黙の共謀」まで認められるようになって議論を呼んでいるという。元来は、「共謀共同正犯」適用の積極論者だった西原春男(元早稲田大学総長)までも、疑問を投げかけるような「新判例」が話題になっていることを知った。

そこで共謀罪の「共謀」と、共謀共同正犯で言う「共謀」は同じ意味内容なのかを法務省刑事局長に問い詰めた時に、「同一だ」という答弁が返ってきた。だとすれば、最高裁判決で「暗黙の共謀」が認定されていることを紹介。言語伝達はなくて、「目配せ」だけでも共謀罪は成立するのかと問うと「条件がそろえば、成立します」という答弁を引き出した。当時の南野法務大臣も微笑しながら「目配せでも成立します」と答弁し、「共謀罪は目配せでも成立する」という議論の糸口、わかりやすい切り口を開いたという話をした。

後はふたりのトークセッションとなった。共謀罪はいま「凍結中」であり、廃案となったわけではない。いつでも息を吹き返す要素があり、しっかりと議論をしていこうと呼びかけた。


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