さる9月1日、大場啓二世田谷区元区長が享年88歳で御逝去されました。今日の世田谷区政の礎を築いた功績に心からの敬意を表すと共に、安らかな御冥福をお祈りするばかりです。9月4日に通夜、9月5日には告別式が豪徳寺にて行なわれました。私は世田谷区長として「弔辞」を読み上げることになり、大場さんの著書をひもときながら、過去の記憶をたどりながら次のように弔辞を読み上げました。ここに掲載しておきます。
弔辞
世田谷区の名誉区民であり、世田谷区政に大きな功績を残された元世田谷区長、大場啓二さんの突然の悲報を受けて言葉もありません。大先輩のバトンを引き継ぐ志を持つ者として、もっと聞いておきたい、御教示を願いたいことが多くありましたが、今となっては惜別の辞をさしあげるのみになってしまいました。
大場元区長は、昭和五十年、東京二十三区・特別区の区長公選制復活時の選挙で世田谷区長に当選されました。以来、七期二十八年の長きにわたり、世田谷区政の「文化」の発信と「福祉」の充実に尽くしてこられました。すでに34回目を数える『ふるさと区民祭り』を始めとして、
「お祭り区長」と呼ばれるぐらい多彩な区民参加の道をひらいてこられました。
今日の世田谷区政の礎となった大場元区長の仕事は、ほとんど前人未踏の新たな挑戦であり、大胆な試みの連続でした。幾年もの風雪に耐え、時代の変遷の中で揺らぐことなく、しっかりと根付いている輝かしい区政の財産は、試行錯誤を厭わない周到な努力があってこそ実現したものだと実感します。これぞ指揮者としての大場元区長の優しさと、冷静な決断によって生まれたものです。成功の喜びは皆で分かち合い、失敗のリスクは自らが負うリーダーシップが区民と職員を結びつけ、「世田谷モデル」をつくりあげてきたのだと思います。
時代を先取りした5つの総合支所を基軸とした「地域行政制度」の立ち上げや、緑や景観に配慮した「区民参加による手作りのまちづくり」は、全国の自治体をリードするものであり、今もまちづくりのお手本といわれています。年齢や立場を超えて、知恵を出し合い、豊かなプランに組み立てていくスタイルは画期的なものでした。
また、二十八年の間には、二十三区にとって長年の願いであった「特別区制度改革」が実現しました。大場様は、特別区長会会長も務められ、特別区の自治権拡充のため、先頭に立たれました。80万都市にふさわしい自治権拡充への願いは、『世田谷独立』というポスターまで生んだと伺っております。
また、プライベートでも、油絵をたしなまれ、個展を開かれるほどの腕であったと伺っております。私も、駆け出しの議員時代に、何度かお目にかかったことがあり、政治家として、また責任ある自治体のトップとしての姿勢を敬愛しておりました。
そして、私が前熊本哲之区長からバトンを引き継いだばかりの私が、こうして、安らかな眠りにつかれたお別れ御挨拶をすることになりました。 ご家族や近親の皆様の御心痛は察するにあまりあります。
世田谷区役所には、「大場区長」の下で部下として働き、叱咤激励をいただき、成長してきた職員が今も多くおります。「大場区長」の教えを胸に、これからも力を発揮してくれることと思います。
私は、進取の精神に富んで、夢を実現する技量にとんだ大場啓二さん。元世田谷区長の確かな歩みをたどりながら、区民参加の文化福祉都市をめざしてまいります。
ここに、謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈り申しあげます。
平成二十三年九月五日
世田谷区長 保坂展人