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 昨晩から「戦前の教育」と「個人主義」について、ツイッターで書き込みを重ねた。ブログとツイッターの違いだが、ブログはどうしても「起承転結」を意識して、「思考」と「連関」、そして「展開」を意識して書くが、ツイッターは「思考の断片」をそのまま表示する場合が多く、そこにフォロアーからの反応が返ってくるのでネット状で討論をしているような状態になる。

 今日の『どこどこ日記』はツイッターでの発信をまとめてみることにする。

①かつて教育基本法の審議の頃、「戦前の教育のどこが間違っていたのか」と問うたところ、政府高官は「いきなり問われても即答出来ない」とのことだったので、「自分の力で判断することを捨て、時の政府に何の批判も持てないような子どもたちを育てたことが、一番の失敗ではないか」と私は投げかけた。

②ところが、戦後教育の欠点は「個人主義を増長させて、公の利益を軽んじる子」を育てたことにあると当時の政府・自民党の人々は言っていた。この国の教室を見れば判るが、授業中に生徒は自分の意見など言わない。むしろ、日本では自分の意見を言うことは危険を伴う行為。空気を読みすぎる弊害が目立つ。

③自分の意見を長いこと言わないでいると、人に合わせることしか出来なくなる。「個人主義」などまるで育っていないと私は感じる。メダカのように群れて、無機質で同質的な集団は、急激な変化に弱い。日本経済の未来に暗雲を投げかけているのは、教育の古さ、ぎこちなさにも大きな要因がある。

④大勢の人が「死の淵」に向かって行進しようとしている時に、たとえ罵られ、石を投げられようとも、「こちらに進むのは危険だ」と叫ぶ勇気が必要だ。しかし、戦前の軍国主義教育は、こうした人格を育てることが出来ず、軍部の暴走を止められなかった。特高警察・思想検事などが、戦後も生き残った。

⑤この戦前の「凍てついた空気」と、「言論・表現の自由」が保障されている現在とは大きく違う。しかし、空気のように存在する「自由」ほどもろくて、危ういものはない。過去の戦争を止めようとした特高警察・思想検事の後輩達は、戦後も自民党に大きな影響を与えてきた。教育基本法改正は宿願のひとつ。

⑥おはようございます。昨夜、戦前の日本の「教育」についてあれこれ書き込んだところ、たくさんの方のリツイートをありがとうございました。現在のマスメディアの言説は、こうした基礎的な論議う深めることなく、「好き・嫌い」「どうなる・どうする」の条件反射的な同質情報で溢れている気がします。

⑦このマスメディアの同質化も、やはり「教育の貧困」に起因する。昨年来の、東京地検特捜部に対するする醜悪な迎合も、戦前どころか江戸時代と変わらない「絶対服従」「永遠の真実」に報道機関が拘束されていることを示しています。そんな思いで、『検察が危ない』(郷原信郎著・ベスト新書)を開く。

以上でした。「教育」のどこが問題かは、これから徹底的に考えていきたい。


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