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「刑場の公開」の前に外国人特派員協会で記者会見
死刑制度
/
2010年08月20日
今日(8月20日)の午後3時から、日本外国人特派員協会で記者会見を行なった。来週以降、月末までに予定されている死刑執行の「刑場の公開」に対して、海外プレスの関心も高く、死刑廃止議員連盟前事務局長として、衆議院議員として過去2回にわたって東京拘置所の刑場を見た経験から、どんて構造になっているのかをお話した。「千葉大臣が処刑に踏み切ったことに対して個人的にどんな感想を持ったか」「なぜ、日本は死刑執行の場をこんなに秘密扱いしているのか」「死刑の問題がなぜ大きな議論にならないのか」など様々な質問が飛び出した。今日は、本日の記者会見で使用したメモを『どこどこ日記』読者のために掲載することにする。
〔8月20日 日本外国人特派員協会説明資料〕
東京拘置所で見た「刑場」と「公開」について
(保坂展人 前衆議院議員・前死刑廃止議員連盟事務局長)
東京拘置所は、古い建物から2003年には、刑場(死刑執行の場)も建て替えられた。死刑が確定した死刑囚の処刑が行なわれる「刑場」もこの建物にある。東京拘置所にある刑場を私は、過去に2回視察している。国会議員として、2回連続して見ているのは私だけだ。
法務省は、長い間、超党派の死刑廃止議員連盟などの国会議員がたとえ10人以上集まっても「不許可」としてきた。ただし、国会の法務委員会の決定であれば従うとのことだった。しかし、何回も視察を提案しても与党自民党が反対、実現しなかった。
刑場の視察は、2003年刑務所の中の「不審死」「暴行」など不祥事を受けて続発を受けて始まった行刑施設の「集中審議」を経た結果、与野党一致して衆議院法務委員会でようやく実現した。
このように「刑場の実態」が秘密にされるのは、1970年代に入ってからだ。以前は、司法修習生も刑場を見ていた。また、確定死刑囚と国会議員が面会することもあった。そして、長いこと死刑の刑場は秘密のベールにくるまれてきた。
2003年23 日には東京拘置所新築のために未使用の「刑場」を、2007年11月26日には既に使われた「刑場」をそれぞれ見た。いずれも、衆議院法務委員会に所属する議員として見たものだ。視察時間は15分~20分程度だったと記憶する。
法務省は、国会議員の視察団であっても写真撮影などを認めなかったので、私は2回にわたって手帳大のミニスケッチブックを片手に、「刑場」の構造を描いた。1回目だけでは、どうしても全体の構造を把握しがたいこともあり、2回見たことでほぼ理解した。
〔参考図→
死刑廃止と死刑存置の考察
〕(立体的に出来ているため引用します。このサイトにもあるように想像で補強したところもあり細部は異なります。あくまでも、以下の文章を理解していただくために見て下さい)
まず「刑場」へと向かう道は、何の変哲もないような廊下だ。私たちを案内する刑務官が立ち止まり、灰色の扉を開くと、そこが刑場の入口だった。ドアを開くと、一回目は「観音像」が、二回目は「仏画」が目に飛び込んできた。広さ12畳ほどのこの控室の片隅に現場責任者である拘置所長が立って「ただ今から死刑執行をする」と死刑囚に対して宣告をする。
それから、執行までは「数分間」(拘置所長証言07年)のようだ。死刑執行宣告の後で、教かい師が読経するなど最後の祈りを捧げる。映画やドラマにあるような最後のお別れを告げる手紙を書いたり、タバコを吸ったり、湯茶やお菓子を食べるひとときは与えられていない。
死刑執行宣告が終わると、死刑囚は目隠しをされる。控室と刑場を隔てていたカーテンが開かれ、左右と後ろに3人の刑務官が天井からつり下がっているロープの下に死刑囚を連行する。死刑囚の進む方向の左手に、執行時に開く踏み板のスイッチがある「ボタン室」がある。
ボタンは壁際に3つ並んでいる。このうち、ひとつのボタンが踏み板を開く信号を送るとされている。だが、実際にはすべてがつながっているのだという説もある。拘置所によっては、ボタンは5つある所もあるが、いずれも刑務官の心理的負担軽減のためだ。
このボタン室には、もうひとつ「自動・手動切り換えボタン」も取り付けられている。刑務官の誰もがボタンを押さない、押しているが開かないなどのトラブル時に、幹部刑務官が「手動」に切り替えた上で、3つのボタンの下に設置されている木箱を開くと、金属製の大きなレバーが収納してある。これを力強く引き上げると踏み板が開くという仕組みだ。
観音像の前から刑場には藤色の絨毯が続いて敷きつめられている。正面にはよく磨かれたガラスがはめこんであり、その向こう側には、バルコニーごしに死刑執行を見届ける役割の人々が立つことになっている。千葉法務大臣も、ここで死刑執行を見届けたはずだ。
刑場の中央には長方形の板がはめ込まれて、その上に藤色の絨毯が敷いてある。未使用の2003年の視察時には、同色の絨毯なので気がつかなかったが、2007年に行った時には靴底の泥が油の染みのようになって、くっきりと長方形を描いていた。死刑囚が「最後の抵抗」を試みた時の跡だろうか。生々しく感じた。この長方形のはめ込み板とは、踏み板の開閉装置が中央に取り付けられた死刑執行の心臓部である。万が一の故障や点検が必要な時には取り外しが出来る状態となっているように見えた。
ロープは床から壁沿いに4カ所のリングを通して、天井部の滑車を通して刑場の中央部に降りてくる。死刑囚は、1・5m四方の四角く表示された戸板の上に立ち、刑務官がロープを首にかける。その様子をボタン部屋の入口から見ている幹部刑務官が確認して、3つのボタンの前の刑務官にサインを出す。すると、踏み板が勢いよく開いて、死刑囚は落下する。
その一部始終を立会人席から見届けることの出来る構造になっている。手すりの下もガラスで出来ていて、死刑囚が落下した後で宙づり状態になっている姿も確認することが出来る。この立会人席から22段の階段を降りていくと、死刑囚が絶命する地下室につながっている。藤色の絨毯の部屋とは打って変わって、コンクリートが剥き出しの処置室という空気が漂っている。
この地下室で死刑囚は一定の時間が経過した後でロープから外されて横たわる。拘置所の医務官が「検死」を行い、死亡が確認されると死刑執行が終わるということになる。地下室の床には、鉄格子状の排水口があり、死刑執行に伴う汚物などはここから流される。
地下室の高さは約5mで、上から見上げる戸板の開閉をコントロールしている蝶番は、堅牢、頑丈そのものだ。踏み板が勢いよく開いて戻ってしまわないような「踏み板ストッパー」もあるなど、死刑執行を続けるための意志を感じさせる機械装置だった。開閉は油圧によって行なわれるそうだ。
この地下室の奥には「遺体搬出用のエレベーター」までもが設置してある。死刑執行の入口から出口までが、この刑場にそなわっているということになる。
今回の刑場の公開にあたって法務省は「記者クラブ」にさえ多くの制約を課そうとしている。私は、海外メディアやフリーの記者にも公開すべきだと考えている。今回の「刑場の公開」は、これから最低でも10年、長い場合は20年かち30年にわたって日本の死刑制度を固定化する役割を果たすことになるか、または死刑のあり方を存廃を含む根源にいたるまで議論することが出来るのかどうかの分水嶺である。「刑場の公開」というからには、事実を包み隠すことなく開示する必要がある。その上で、しっかりとした土台に立った議論が行なわれるべきだ。
例えば、地下室の取材を認めず、踏み板の開閉もさせず、ロープもない刑場を見せるとする。私の印象では、死刑執行前に入る刑場は多くの人が想像するほど、見るからに怖い空間ではなく、無味乾燥な公共施設か役所の一角のような映像で見せることも可能な施設だ。また、「重要な施設・装置」の撮影を禁止してしまえば、刑場の中に潜んでいる「死刑執行」という残虐性や生命を奪うという究極の刑罰であるという要素が薄らいでしまう。
さすがに死刑執行後、死刑囚の絶命を確認する地下室は絨毯どころかコンクリート打ちっぱなしの冷たい空気が漂っていて、「死」を感じさせる空間である。この部屋に入ってみると「生と死」を隔てているのが、天井にあるたった一枚の踏み板であることを実感する。
法務省は8月末までには「刑場の公開」に踏み切るというが、まずは事実を率直に示すことで、幅広く深い議論が出来る土台が確認されることを望んでいる。来週か、月末ぎりぎりに行なわれる「刑場の公開」について注目していきたい。
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