ひさしぶりの教育国会論戦を文部科学委員会で行った。先に触れたように「教育再生会議第2次報告」が6月1日に発表された。何度か読みにくい第2次報告の文章を読んでいて、妙に気になったのが「親学」は消えたが、「脳科学」という表記が残っていることだった。「脳科学」とはいったい何か、文部科学省の最新の認識を問いながら質問を開始した。
『教育再生会議第2次報告』
国は、脳科学や社会科学など関連諸科学と教育との関係について基礎的研究を更に進めるとともに、それらの知見も踏まえ、子供の年齢や発達段階に応じて教える徳目の内容と方法について検討、整理し、学校教育に活用することについて検討する。(提言1『全ての子供たちに高い規範意識を身につけさせる』)
国は、脳科学や社会科学などの科学的知見と教育に関する調査研究などを推進し、そこで得られた知見の積極的な普及啓発を図り、今後の子育て支援に活用する。(提言3『親の学びと子育てを緒を円する社会へ』)
「脳科学」についての科学的知見をもとに、子どもの年齢・発達段階に応じた「徳目」の内容と方法を整理し学校教育で使えと『道徳→脳科学的「徳目」指導』を提言し、また国は「脳科学」という科学の到達点を宣伝普及につとめ、国民の子育ての指針とせよと説いているのである。「親学」は隠した再生会議だが、「脳科学」の記述にかれら「教育復古派」の神髄が宿っている。4月16日教育再生会議の第9回規範意識・家族・地域教育再生分科会議事録によると、「親学と脳科学」の提唱者は、明星大学教授の高橋史朗氏である。埼玉県教育委員・親学会副会長をつとめている。
先ほど脳科学のお話がございましたように、胎児期、乳児期、幼児期、児童期、思春期というように子供の脳の発達段階に応じて家庭教育でどうかかわるべきかということは異なるのではないか。つまり、これはいわば家庭教育の不易な原理と申すべきでありまして、親学なんていいますと我が家には我が家の方針があるとか余計のお世話と、政治や行政は口出すなというこういう声が一方であるわけでございますが、子供の脳の発達を保障するというのは不易な観点でございます。その意味で脳科学に基づく親学というものが必要ではないか。(議事録より引用)
5月16日の『サンケイ新聞』では高橋志朗氏は「教育再生会議第2分科会のヒアリングでは脳科学と親学がセットで議論され、筆者は『脳科学に基づく親学』こそが時代の要請であると強調した」と書いている。「脳科学に基づく親学」が提唱されるためには、「脳科学」の到達点が争いのないものとして定まっていなければならない。
私は、今日の委員会質疑で文部科学省に問うた。「脳科学での研究から脳の可塑性、あるいはそれにつながる臨界期の存在などからも支持されている」という事実はあるか。脳科学の最新の知見によれば、前頭連合の感受性期(臨海期)や情動の原型が5歳ごろまでに形成されることが、明らかになったか。
(徳永文科省研究振興局長)
近年、御指摘のように急速に発達をしていて、ネズミ等を使って視覚等がいつ形成されるかということは、最近出てまいりました。正直申しまして、「臨界期」というような脳の変化がいつ起こりやすいのか、あるいはこの時期を過ぎて変化は生じにくくなるけれども、その生じにくさとかの時期が脳の部位のいろいろな所が関与していることがわかってまいりましたが、ただ、今明らかになっているのは動物実験を使った視覚、人の経験を使った視覚野というところです。
一方で3歳、5歳までにということが言われますが、多くの場合、発達心理学などの知見からもたらされたもので、乳幼児期において、感覚、知覚、認知、行動、睡眠、リズム、が学習されると述べられていますが、脳科学研究の立場からは、そういったことはまだ必ずしも解明されていません。
(保坂)OECDのウェブサイトに「神経神話」について説明するページがある。このページでは、①「脳はある種の情報については、臨界期とよばれる特定の期間に限り可塑性を示す。その結果、生後3年間がその後の成長と人生の成功に決定的な役割を果たす」、②「豊かな環境が脳の学習能力を高める」、などの6つの「神経神話」が紹介されている。
①については、「特定の期間に可塑性を示す」が不適当であり、可塑性はある程度続くとするのが正しいとされ、もっと悪いのは、「生後3年間」が人生で決定的に大事だという誤解を与えることだとの指摘がなされている。②については、「豊かな環境を子どもに与えないと取り返しがつかない」とすると問題だと指摘している。さらに動物実験(ラットの実験)の結果を安易に人に一般化することに注意を促している。これについての見解は?
(徳永局長)臨界期の研究は進んでまいりました。しかし、まだそれは「視覚野」というところで研究が進んでいて、その他のところについては解明されていないところが多いのです。従いまして、例えば3年間の人生が決定的に大事だというようなことに結びつけるところまでは進んでおりませんから、決めつけは適当じゃないと思います。
あるいはまた、豊かな環境ということについても、ラットの実験の結果、子をよく育てる親とそうでないラットを比べて云々という実験結果はありますが、そういったことをヒトに対して、安易に一般化することは適切ではないと思います。
というやりとりを行った。この1週間ほど、「親学」の奥に潜んでいた「脳科学」について専門家の論文や議論を漁っていたが、文部科学省の見解は常識的な線を述べていると言っていいだろう。とすると、「未定型な脳科学」を「科学的真実」として「親学」に結合するという議論は、もっと客観的に検証されなければならないはずだ。教育再生会議の議論は、物事の表面をなでるぐらいのレベルでしかないのではないか。
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