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昨日の東京地裁の「日の丸・君が代」訴訟で画期的な勝訴判決が出た。石原都政の下で、憲法も教育基本法もなきが如しと権勢をふるってきた東京都教育委員会の主張は退けられ、東京都が乱発してきた教職員に対しての処分と強制は、憲法19条の保証する「内心の自由」を踏みにじるものであり、また教育基本法10条が禁じている「不当な支配」に相当するものだという完全勝訴の判決だった。安倍政権が秋の臨時国会の最優先課題を「教育基本法」だとして、「不当な支配」を合法化しようと力んでいる状況の中で、憲法と教育基本法が持つ力を改めて感じさせてくれる判決だった。

我が国で日の丸、君が代は明治時代以降、第二次世界大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定し難い歴史的事実で、国旗、国歌と想定された現在においても、なお国民の間で宗教的、政治的にみて価値中立的なものと認められるまでには至っていない。国民の間には公立学校の入学式、卒業式で国旗掲揚、国歌斉唱をすることに反対する者も少なからずおり、このような世界観、主義、主張を持つ者の思想・良心の自由も公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利というべきだ。(判決要旨)

1999年夏の通常国会で「教育現場に影響は与えない」という答弁をさんざん繰り返しておきながら、国旗国歌法が成立すると現場は激変した。とりわけ、都教委の「職務命令」で、教職員に強制をして、これに従わない教員は情け容赦なく処分するという姿は際立っていた。この問題をめぐって、都教委に異議を唱えることは職を賭けての闘いとなり、精神的に追い詰められて退職する教職員も少なくない。しかも、頑強に抵抗する教職員に対しては「再発防止研修」なるものを義務づけて、学校現場から引き剥がし、処分と人事異動を乱発して追い込んできたのが石原都政であり、都教委だ。東京では「憲法」も「教育基本法」もあってない状態を既成事実としてきたのだ。その状態が異常なのであって、判決はその点をズバリ指摘している。

「教職員に対して、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱をさせることは、いわば少数者の思想・自由の自由を侵害し、行き過ぎた措置だ。国旗・国歌は自然のうちに国民の間に定着させるというのが、国旗国歌法の制度趣旨であり、学習指導要領の国旗・国歌条項の理念と考えられる。通達と職務命令は違法だと判断した」

教育基本法が捨てられて「愛国心」が明記され、国家権力を縛る憲法から国民を縛る国家主義憲法へと改憲されれば、学校で起きていることは社会の隅々問題になるのは火を見るよりも明らかだ。社民党では、来週25日、文教科学部会を開いて訴訟を闘った皆さんと意見交換をし、エールを送るつもりだ。

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