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 ここ世田谷には、大きな存在感を持って、私たちの活動を見守り続けてくれた山本政弘さんがいた。11日、突然の逝去の報に接して、言葉がみつからなかった。

 朝日新聞には、早野透さんが追悼記事を書いている。

「この7月の都議選で社民党が唯一、候補者をたてた世田谷選挙区。同党候補が最後の演説をした私鉄の駅前で山本さんは心配そうだった」

 7月2日、経堂駅前の演説会に杖をついて現れた山本さんの姿は目に焼きついている。残念ながら、都議選は敗退した。その後にひらかれた反省会の席で、これからの活動のあり方について、しばらくの間お話させていただいた。つい、一月前のことである。

 山本さんは海軍主計大尉として、多くの戦友を失い、自らも生死の間を彷徨って、フィリピン・ネグロス島のジャングルで極限状態を体験した。そして、戦後に社会党の運動に飛び込んで、かつての社会党委員長の鈴木茂三郎の秘書となった。そして、衆議院議員を「世田谷・目黒」の選挙区で7期つとめた。

 山本政弘さんは、98年に世田谷の東京6区で活動を始めた私の大先輩にあたる。
節目、節目でアドバイスをいただき、また相談に出かけた。世田谷にある山本さんの家で、「政治の心得」を聞くのも、もうかなわなくなった。

 折しも衆議院が解散し、総選挙が迫っている時期の山本さんの訃報である。最後に会った時に山本さんが話していたのは、チラシまきのことだった。

「俺がもうちょっと若ければ、チラシの2千や3千わけないだけど、杖をつきながらそれでもチラシをまくけど30枚ぐらいがやっとなんだよ」

 苦笑する横顔に、心からの敬意をこめて、惜別の時を迎えた。


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