八月は心が波立つ月であり、鎮魂の月でもある。
ヒロシマ、ナガサキの原爆の日であり、十五日はポツダム宣言を受諾し、敗戦を世界に宣言した日であった。
まったくひどい戦争をしたもんだ。
当時小学五年生だった私は、否も応もなく、歴とした軍国少年だった。
「しっかり勉強して、特攻隊に入るんだ!」と、イノチガケで思っていた。教育とは恐ろしいものだ。
あれから70年が経った。
瓦礫の中での食糧難時代は、空きっ腹を抱えて、親たちの背中見て育った。
「安保改定反対」の頃は、よく理解もせずに、デモ行進に参加していた。タダで貰えるお弁当に魅力があった。
東京オリンピック以降の高度成長時代は、厭も応もなく、産業戦士の一員だった。
今は一介の高齢者。
先の戦争では叔父二人が戦死した。遺骨は帰って来なかったそうだ。
その娘たち(つまり、私の従妹たち)は、孫たちに囲まれ、静かな余生を送っている。
憲法九条を堅持すれば、国を守れると思っている人たちがいる。
果たしてそうなのだろうか?
明日はまた、八月十五日がやってくる。
八月や未帰還兵に叔父ふたり ひよどり