hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「いまどきの常識」を読んで

2007年02月10日 | 読書

心理学者の香山リカが今時の若者の病理を解析する岩波新書だ。 (  )は私のコメント

● 世界の中心は自分だと思う
講義に対して質問があるかを聞いたのに、長い「自分物語」を語る学生がいる。自分から少し離れた問題には想像が及ばないのだ。特に余裕のない生活を強いられているわけでもないのに、自分の苦しみにしか関心を持てなくなっている人が多い。
(そういえば、なんでも「わたし的には」で話を始める人がいる。)

● 解離性障害
生命の危機にかかわるようなできごとに直面すると、精神が崩壊するのを避けるため人間がとる究極の自己防衛の結果として起こるもの。記憶や感情の連続性やまとまりが失われ、その結果、健忘や多重人格の症状を呈する。例えば、激しい児童虐待にあった子どもが、虐待を受けた記憶を自分から切り離し、「親に殴られたのは自分ではなく、かわいそうなシンジくんなのだ」と解釈し直す。ところがここ数年、どう考えても「生命の危機」とまでは言えないような、失恋、親からの叱責、大学の単位を落とすなどで簡単に解離性障害を起こすケースが多い。「友達と喧嘩して殴ったのは私じゃない。もうひとりの自分であるマサキくんだ」といったぐあいだ。
(私も子供の頃はひどいこと(子供としては)が起こったとき、「きっとこれは夢だ」と思い込もうとして、いや半分思い込んでいた。これは解離性障害ではなく、現実逃避?)

● 泣ける映画特集
「涙絶対主義」が蔓延している。TVなどでどこにでもある話なのに、涙を流すタレントがいて、すぐ大写しになる。涙が出現するとほかのあらゆる意見や議論が無効になってしまう。
(「思いっきり泣けます」という映画の宣伝が多い。この文句はアメリカではジョークとして否定的に使うらしい。)

●理念なし
理念が現実にもはやそぐわないなら、現実の方を理念にあわせて変えるべきと考える人は少なくなった。
(あらゆる議論を無視して、「そんなこと言ったって、現実は○○なんだから、しょうがない」でおしまいになる。既に現実が憲法に合っていないから、憲法を改正するのは順序が逆だ。)

●自分を客観的に見つめない
自分らしく働ける仕事こそがやりがいを持って生き生きと働ける仕事につながると言われることが多い。しかし、若者が自己分析で見つけたつもりになる自分らしさとは、客観的なものからは程遠い、こうありたい自分である場合も多い。
誰も彼もが創造的であるはずがない。「創造力を生かすより、決められたことをきちんとできるのがあなたらしさだから、事務職が向いている」とは相談された人は言いにくい。
(最初からぴったりの理想の職場があるわけない。すべて我慢しろとはいわないが、限られた自由度の中で、少しでもやりがいのあるように自分なりのやり方を作っていく苦労が必要だと思う。)

●ラクしたい
「ゆっくりしたい、ラクしたい」という若者は心理的にはいつも追いたてられて、自信を失い、すこしもくつろいでいないのだろう。「キミが本当に望んでいるのは、ゆっくりすることではなくて自分が肯定され、必要とされることなんだよね」と言っても理解されない。
(自分の居場所が見つからない感じがするのだろう。私も変わり者なので、若い頃はどこにいても殻を被って落ち着かなかったが、それでも演技しながらそれなりに楽しんでいたと思う。)

自分の周りはバカばかり。お金は万能。男女平等が国を滅ぼす。痛い目にあうのは「自己責任」。テレビで言っていたから正しい。国を愛さなければ国民にあらず。 「反戦・平和は野暮」。「お金は万能」。「世の中すべて自己責任」…。身も蓋もない「現実主義」が横行し、理想を語ることは忌避される。心の余裕が失われ、どこか息苦しい現代のなかで、世間の「常識」が大きく変わりつつある。
(若い人の中には「情けは人のためならず」の本来の意味を逆にとる人が多くなっているとの話があった。飛行機や新幹線、携帯電話、パソコンや、インターネットなどで便利になり、世の中が余裕をもてるどころか、どんどん忙しくなっていく。人間の心が追いついていかないし、日本人特有の相手を思いやる心の余裕がなくなっているのだろうか)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする