東京五輪、政治利用に懸念 改憲・「共謀罪」・国威発揚・弱者排斥(2017年5月27日中日新聞)

2017-05-27 09:07:19 | 桜ヶ丘9条の会
東京五輪、政治利用に懸念 改憲・「共謀罪」・国威発揚・弱者排斥 

2017/5/27 中日新聞

 安倍政権は二〇二〇年東京五輪を日本の「生まれ変わり」の機会とし、改憲、「共謀罪」法案、東京電力福島第一原発事故の決着などと結びつけている。ただ、五輪憲章は大会の政治利用を禁じている。かつてベルリン五輪(一九三六年)がナチス・ドイツの国威発揚に利用されたことを省みて、一段と強調された原則だ。そんな歴史的教訓が軽んじられていないか。

 ヒトラーの開会宣言とともに、ハトが上空を舞い、聖火が点灯される。三六年八月一日、ベルリン。リーフェンシュタール監督のドキュメント映画「オリンピア」の開会式シーンだ。

 東京大の石田勇治教授(ドイツ近現代史)は「聖火リレーが初めて採用され、開会式で大規模にハトを飛ばす演出も、後の五輪の基本形となった」と語る。

 ドイツは第一次世界大戦で敗戦国となり、ベルサイユ条約で領土割譲や軍備制限、巨額の賠償を負った。五輪への参加も二〇年のアントワープ(ベルギー)と二四年のパリの二大会では拒否された。この低迷期、ドイツでは少数政党が乱立し、政治は混迷。世界恐慌は国民不満に拍車をかけた。そうした状況下「誇りあるドイツを取り戻す」ことを掲げたナチスが急伸。指導者のヒトラーは三三年、政権の座に就いた。

 当初、ヒトラーは五輪開催に乗り気でなかったという。諸民族の融合を訴える五輪の理念が、ドイツ民族を優性人種とするナチスのイデオロギーと矛盾したためだ。だが、側近から「ドイツ再生を世界にアピールできる機会」と説得され、開催を決定。巨大スタジアムや豪華な選手村の公共工事で、景気も浮揚した。

 一方、国内では職業官吏再建法により、ユダヤ人の公務員からの排除が始まっていた。国際オリンピック委員会(IOC)は懸念を伝えたが、ナチス政権は五輪でユダヤ人選手を原則、排除しないと明言。それ以上は干渉できなかった。

 ナチス政権は三五年三月、ベルサイユ条約を無視し再軍備と徴兵制を始め、同年九月にユダヤ人の公民権を剥奪。翌年三月に、フランス国境のラインラントに軍を進駐させた。「ヒトラーは平和愛好家を自称したが、その平和は『ドイツが列強と平等に軍備を整えて達成される』と考えていた。偉大なドイツを取り戻すことを掲げ、国民もその対外政策を歓迎した」と石田氏。

 五輪が始まってみると、国内でユダヤ人迫害をうかがわせるものは何もなく、ホームレスも一人もいなかった。しかし、それも「演出」の産物だった。

 石田氏は「五輪の期間中だけ、国内でユダヤ人排斥の看板が取り外された。移動民族のロマ人は、治安強化を名目に郊外の収容所に移され、やがてアウシュビッツ(強制収容所)に送られた」と解説する。

 五輪初の聖火リレーの出発点がギリシャだったことも、ドイツ民族こそが古代ギリシャ文明を最も純粋に現代に受け継いでいると印象づけるためだった。

 競技の模様は三十七カ国にラジオなどで実況中継され、冒頭の映画も宣伝に大きな役割を果たした。石田氏は「当時、ヒトラーは人気絶頂期。五輪はユダヤ人迫害などはうそだと、世界に向けて宣伝する絶好の機会となった」と話す。

 こうしたベルリン五輪での苦い経験からIOCは五輪の政治利用を禁じ、あくまで都市とアスリートの祭典と位置付けた。

 だが、その原則に触れかねない事態が起きた。昨年八月、リオデジャネイロ五輪の閉会式で安倍晋三首相が人気キャラクター「マリオ」にふんして登場した一幕だ。スポーツライターの玉木正之氏は「五輪式典のパフォーマンスに国家の首脳自らが登場するなど、知る限り過去にはなかったこと」と批判する。


 だが、安倍首相は五輪と反発の強い諸政策を結びつけ、強引に押し通そうとしている。

 代表格が改憲だ。首相は三日、「夏季のオリンピック、パラリンピックが開催される二〇二〇年を日本が新しく生まれ変わる大きなきっかけ」とし、「新しい憲法が施行される年にしたい」と宣言、自民党内の改憲案作りを加速している。

 「共謀罪」法案も五輪と結び付けた。与党は国連の国際組織犯罪防止条約の締結に不可欠とするが、首相は今年一月、衆院本会議でテロ対策の観点から「(同条約を)締結できなければ、東京五輪・パラリンピックを開催できないと言っても過言ではない」と発言している。

 福島原発事故も、五輪を機に「過去」のものにしたいようだ。そもそも五輪招致段階のIOC総会で「汚染水は完全にコントロールされている」と事実に反するアピールをし、現在も続く被災者たちの苦悩も「復興五輪」の名目によって、打ち消そうとしている。

 さらには天皇の代替わりも、五輪と同時に演出されようとしている。現在のところ、一八年十二月に皇位継承する案が有力視されている。その後、多くの重要儀式が続き、それらの終わるのが一九年末。五輪は新天皇の登場と交錯する。

 こうした国民的議論のある複数の大きな問題を、自らの路線で決着させていく推進力として、五輪は利用されようとしている。メディアの一部もそれに乗っている。昨年八月、NHKの解説委員が番組で、五輪開催のメリットに「国威発揚」を掲げたのが好例だ。

 「反東京オリンピック宣言」の共著者の文芸評論家の石川義正氏は「一九六四年の東京五輪は、いまも高度経済成長神話の象徴だ。政府はその印象を利用して五輪をアピールし、社会の側も錯覚する空気が広がっている。それに対し、大手メディアは五輪のスポンサーシップ契約があり、批判しづらい」と指摘する。

 五輪の主会場などとなる新国立競技場予定地の明治公園は昨年閉鎖され、野宿者らが排除された。だが、それへの抗議の声も大きく広がることはなかった。

 石田氏はベルリン五輪当時のドイツと、東京五輪を控えた日本の現状に、相似点があると話す。「取り戻す」という国威発揚の気分のみならず、公園から排除された野宿者とロマの人びと、ナチスの力による平和主義と安倍政権が掲げる積極的平和主義などだ。

 「ヒトラーは少数者を敵として排除することで『安心・安全な秩序』をつくった。当時のドイツ人の大多数は治安管理の強化も『私には関係ない』と考えた。いまの日本とそっくりだ」

 石田氏はベルリン五輪の「罪」をこう語った。

 「ヒトラーはその後、第一次大戦で失った領土の回復と新たな領土の獲得に乗り出していった。彼は戦争をしつつ、それを『平和』という言葉で正当化し続けた。そうした彼の強引さを支えた一因が、ベルリン五輪によって世界的評価を得たという自信だった」

 (白名正和、三沢典丈)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿