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亥ゆかりの3社参り

2019-01-17 | 日記
昨日の事、今年の干支亥ゆかりの社寺参りツアーに参加するべく近鉄電車に乗って天王寺へ行く途中の話。
目の前に奇妙な吊り革を見て私はビックリしたが、彼は知っていた。それは昨年12月1日から今年3月14日まで 限られた本数だけ取り付けられる “幸せを運ぶ吊り革” だそうだ。
つかめばラッキーがやってくる!?合格祈願(77本)、そして恋愛成就(3本)、金運招福(1本)、開運招福(4本)の4種類があるらしい。
周囲の人にちょっと恥ずかしかったが写真を撮った。(笑)これは合格祈願の物らしい。出会えたのが嬉しくて握りながら鶴橋まで行ったよ。(笑)

  1月16日(水)
天王寺午前8時集合。3社参りのミステリーとは言え、京都の護王神社を含むのではとの予想は的中した。
9時半、京都御所の西側、烏丸通りに面した護王神社鳥居の前では「狛犬」ならぬ「駒猪」が参拝者を迎えてくれる。そして境内の至る所にイノシシ像が置かれていた。来たのは初めてで、イノシシの数にビックリした。
奈良末から平安初期の陰陽師(おんみょうじ)和気清麻呂公(わけのきよまろ公)(733~799年)の像が建っていて猪との関連がパンフに次のように書いてあった。
   【清麻呂公が都より九州の宇佐八幡宮へ向かわれた際、どこからともなく現れた3百頭もの猪が宇佐までの道中を無事に案内しました。その時、不思議にも清麻呂公が悩んでおられた足萎(あしなえ)が治った、という故事により、特に、足腰の健康保持やけが・病気の回復に、格別のご利益があると篤く信仰されています。】
護王神社は足腰の神様として多くの有名スポーツ選手も参拝するらしい。「亥子(いのこ)祭」や「足腰祭」、この神社ならではの祭事があるようだ。

          
                                        (画像はクリックすると拡大する)  

新春の参拝で境内は人人人いっぱいで身動きままならず、取り敢えず見どころの4・5カ所をカメラに収め、日を変えて改めてお参りに来ようと思った。中でも特に印象的だったのはご神木・招魂樹(おがたまのき)の根元に願掛けイノシシが居て願い事を書いた座立亥串(くらたていくじ)が沢山並べられている光景だった。

足形に足を乗せお願いする人、なで猪をなでてお願いする人、私も含め足腰の健康をお願いする人の、なんと多い事!
            

そうそう、今日の参加者30人に護王神社のおみくじが頂けて、添乗員さんが配ってくれた。なんと!大吉だった。“幸せを運ぶ吊り革” つかめば本当にラッキーがやってきたよ。

和気清麻呂公について知った事:奈良時代の末に皇位を奪おうとした僧・道鏡をおさえて皇統を護った人であり、また桓武天皇の時代に平安京遷都を進言して都造りに貢献した人でもあるという。
同じく陰陽師として平安中期の安倍晴明(あべのせいめい)の名もよく聞くが、氏を祀る晴明神社が上京区堀川通り一条戻橋にあるらしい。

次にバスが停まった所は上京区堀川通りに在る日蓮宗の寺院「本法寺」(ほんぽうじ)であった。
こちらは室町時代永享8年(1436年)に日蓮宗の日親上人の創建で本阿弥家の菩提寺だそうだ。光悦作の庭園「三巴の庭」(みつどもえの庭)それに安土桃山時代の絵師・長谷川等伯の筆に依る佛涅槃図(複製)が拝観できた。重文の本物は春の特別寺宝展でご開帳となるらしい。壁に掛けられた、縦約10m、横約6mの絵図は大きくて見易かった。「頭北面西右脇」のお釈迦様の周りに集まった弟子達の絵の中に等伯自身も居て、猫が亀の横に描かれていること等の説明があり、それらを確認できたのでずっと記憶に残りそう。
書院の縁側前の庭については、半円を2つ組み合わせた円形石で「日」を、切り石で十角形にした蓮池で「連」を表現しているのだとか。成程!蓮が咲く季節にはきっと素敵だろうなぁ~。
  
境内に大摩利支尊天(だいまりしそんてん)社もあった。摩利 支天とは、仏教の守護神のひとつで、イノシシに乗った神様なのだそうで、気力・体力・財力を授けて下さるという。陽炎を意味する神様に拝顔はできなかったが、ひび割れて壊れそうな駒猪に何だか不思議な力を感じた。

              
    
12時50分、右京区西京極に在る「八つ橋庵とししゅうやかた」の八つ橋庵で昼食。ししゅうやかたの花鳥風月の京刺繍も見事で美しく見応えがあった。

さて、3つ目のお寺は近江日野の「馬見岡綿向神社」(うまみおかわたむきじんじゃ)で、着いたのは午後3時15分。広々として緑が多く空気もきれいで静かな佇まい、どっしりとした風格のある神社は近江商人の財力を感じさせた。

境内出店の女の子が教えてくれた。
起源は1500年ほど前になる欽明天皇の時代で、蒲生の豪族たち2人が綿向山に狩に来た時、大きな猪の足跡を見つけその跡を追いかけて行くといつしか頂上にたどり着き、そこで綿向大神様のお告げを受け、祠を建てた事に始まるそうである。それでご神紋は「雲と2羽のカリガネ」だとか。。。。

綿向き山に向いているという綿向大神の神使い、大きい白猪像は信徒さん達に大切にされお役目を果たしている様に見えた。又、絵馬堂には日野の豪商中井家の奉納品だと言う一際立派な絵馬が掛かっていた。盛大な祭礼渡御図大絵馬、県の有形民俗文化財になっている。

            

ゆっくり見たかったが、当然ながらツアーにそんな時間はない、でも、今日は沢山のイノシシに会えてツアーに参加して良かったと思えた。
お疲れさま、ありがとうございました。






     
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