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多神社へ

2019-01-14 | 日記
  
  1月13日(日)
日本最古の歴史書と言われる「古事記」編纂でその名を知る太安万侶は奈良県磯城郡田原本町大字多の古代氏族・多氏一族の出身だそうである。笠縫駅から約1.5kmの多神社に祀られているというので出かけた。
「古事記」の口語訳本を自ら手に取った事もなく、日本の国造りがイザナギ(男神)とイザナミ(女神)に始まった話、因幡の白兎の話、山幸彦と海幸彦の話、そして神武天皇の東征の話等聞き覚えて楽しんだ神話と思い込んでいる次第。(笑)

時代については天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に暗唱させた話を元明天皇の時代に太安万侶が書物として712年(和銅5)に完成させたという。
天皇の名前が覚えられない私でこういうのは困るのだが、よく耳にする天武天皇の次は持統天皇、そして文武天皇となり元明天皇となるんだよな。
ついでながら、ネットの「5分でわかる壬申の乱」のページに次の様に書いていた。【中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)こと天智天皇(てんじてんのう)が崩御した672年。皇位継承をめぐって、天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と、天皇の長子である大友皇子(おおとものおうじ)が争いました。結果的に大友皇子は敗北して自殺し、翌年、大海人皇子は即位して天武天皇(てんむてんのう)となります。】


    (画像はクリックすると拡大する)

拝殿の向こうに一間社春日造りの社殿が4棟並んでいた。向かって左から神武天皇、神八井耳尊(かむやいみみのみこと)、綏靖天皇(すいぜい天皇)、姫御神(玉依姫)が祀られていているそうだ。2番目の神八井耳尊が太安万侶ら多氏一族の祖だとか。〈 cf.八井耳尊は神武天皇の第2皇子で、綏靖天皇は神武天皇の第3皇子で第二代天皇、玉依姫は神武天皇のお母さん 〉

幸い今日は多村の“大とんど”の日で午後の2時から色んな催しがあった。結果として私もどっぷりと行事に参加していろいろ楽しませてもらった。
なんと奈良のマスコットキャラクター、鹿の角が生えた童子・「せんとくん」と田原本町のゆるキャラ「ももたん」(法楽寺が桃太郎伝説発祥の地となっている)がお目見えで、会場は大いに盛り上がった。

            

広い境内で色んな行事が次々と進んでいく内、私はピザづくり体験に参加させてもらった。レンガ竈で焼いた焼きたてのピザのなんと美味しかった事!半分は彼にお土産、と体裁の良い事を言ったものの、1枚はさすが食べられなかった。(笑)
夕方近くなって餅入りのお雑煮 “大とんど汁” のふるまいがあって、これ又なんと美味しかった事!ごちそうさまでした。

          

『灯の路』と称して、子供達がイノシシや好きな字を描いた紙袋灯籠が境内に並べられ、点火のお手伝いをさせてもらった。
紙袋の底に少しの砂を入れて安定させ、そこにカップキャンドルを置いた世界に1つしかない素敵な灯籠が境内いっぱいに並んだ。親御さんと一緒に子供達が自分の描いた絵の紙袋を探す姿が可愛くほほえましかった。
皆んなの夢が実現します様にと祈りながら数人で手分けして粛々とローソクに灯を点けていくと、何やら清々しい気持ちになれた。
暗闇に灯の路が綺麗に完成すると感動の溜息が出てじっと見つめる。「きれいやなぁ~」あちこちで聞こえた。

              

盛りだくさんなプログラムは進行役さんの見事な手腕で全て時間通りに運び、午後6時、田んぼの中で「大とんど」が点火された。実に壮観!これ程うず高く勢い良く燃え上がるとんどは見たことがなかった。炎の先を延長して天を仰ぐと三日月がくっきりと出ていた。
燃え上がる炎をじっと見つめていると私の頭の中は色んな事柄が行き来した。家族の顔が次々に浮かんだ。人生を振り返った。そして現在に感謝して未来にお祈りをした。

          
  
6時30分、炎の勢いが随分静まり我に返ると、私は家路に向わねばならない限界の時間だった。大とんどに大きなパワーをもらって多村を後にした。よそ者を温かく迎えて下さった多村の皆様にありがとうございました。






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