こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

やばい体調です。

2023年04月14日 02時13分49秒 | 日記
きのうは麦畑のラジコンヘリによる農薬散布と、
黄砂が重なる日。
思い切って「畑DEラジオ体操」を中止にした。
周囲が麦畑だから、危機意識が募ったからだ。
そのせいかどうか、
体調を崩してしまった。
こんな時は寝るに限ると、
一日中横になっていた。
深夜に目が冴えるのはいつものことだが、
今はとにかく休息を取るのが一番だ。
またまた昔の原稿の出番である。(苦笑)


「お前、家から通わんかいな。片道一時間半ぐらいやったら通えるやろが」

 母は何度も私を諭した。

「向こうで住む方が楽や。仕事かて遅れる心配ないからなあ。それに田舎は不便やろ」

 私の気持ちは変わらなかった。

 高校を卒業して最初に着いた仕事は、加古川駅前にあるG書店だった。家のある加西から自転車で一時間四十五分近くかかった。二ヶ月ほど自転車で通ったが、加古川で住めば通勤が格段に楽になると考えた。書店の社長が、店の倉庫の二階に住んでもいいと言い出したからだ。家賃は要らない。しかも職住接近と言う好条件だった。

 加古川での生活が始まった。朝起きるのが楽になった。しかも仕事場は隣だ。ぎりぎりまで寝ていても間に合う。それに何をするにも町は便利だ。自分の決断が正解だと思った。

 以来、私は故郷から離れた暮らしを続けた。加古川で三年。姫路で二十七年。結婚したのは三十一歳の時。それでも、私は故郷をめったに思い出さなくなった。帰るのは年に一度くらい。それも母が繰り返し電話をかけて来たのに根負けしてだ。田舎より町の生活は快適である。とうとう帰郷は皆無になった。

「今年も帰って来いへんのか?お前の家はここにあるんやで、気兼ねせんと帰ってきたらええが。生まれたとこが一番なんや」

 母は諦めることなく毎日一度は電話をくれた。他愛もない話でも母は楽しそうに喋った。迷惑だと思いもした親不孝な私だった。

 その母が体調を崩して入院した。母の電話はピタリと止まった。それでも仕事にかまけて家には帰らなかった。母も「大丈夫だから心配せんと仕事頑張りや」と、父に電話を掛けさせた。私は母の伝言に甘えた。

 落ち着かなくなったのは、母の電話が止まってまだ二週間も経っていない頃だった。

「お母さんをお見舞いに帰ったらどう?」

 妻は私の心の内を見抜いていた。

田舎に着くと急いで母を見舞った。私の顔を見た母はぼろぼろと涙を流した。

「お前、ちょっとやつれたんやないか。近くにおったら栄養のあるもん作ったるのに」

 お見舞いに来ているのは息子の方なのに。逆に母が心配してくれた。

「お前の生まれたとこを忘れたらあかんで。どないなったかて、いつでも暖かく迎えてくれるんは、ここしかあらへん。忘れなや」」

「ああ、分かった。分かったから」

 母にそう返事したが、母の言葉に納得したわけではなかった。いま住んでいる所が私のふるさとなのだ。その思いは揺るがなかった。

 やっていた喫茶店が不振になって閉店したのは四十過ぎだった。町のハローワークで仕事を探したが、なかなか決まらない。挫折感に苛まれる日々が続いた。家計のために働きに出た妻にも申し訳なかった。

 母から電話が入った。

「とにかく帰っておいで。待ってるさかいに」

 事情を知った上で母はそう繰り返した。結局、母の言葉に従った。私は家族を連れて田舎にUターンを実行した。町に住み続けるには、家計が悲惨な状態だった。

 帰郷した私と家族を母は何も言わず迎えてくれた。両親の支援を受けて新しい生活が始まった。ようやく落ち着いた時、私は周囲の自然に気付いた。懐が深い山並み。緑が広がる田畑。カエルの鳴き声に不思議と心が解放されていった。街での気張っていた肩ひじの力が緩んだ。なんともいいようのない優しい気持ちが戻ってきた。

「よう帰って来たのう。わしもいっしょなんじゃ。誰も気兼ねするもんおらんけえ、言いたい事言うてやりたい事やったらええんや」

 そう助言してくれたのは、私と同じUターン組の一人だった。

 田舎での求職は、案外すんなりと決まった。焦燥感でピリピリしていたものが田舎の空気が解きほぐしてくれたせいだと感じた。

 秋祭りの日。出戻りの引け目を感じながら参加した。幼馴染みの多くが、何のこだわりもなく仲間に迎え入れてくれた。村中を祭り屋台で練りまわるうちに、私の引け目は綺麗サッパリと消えていた。

 神社に宮入した後、拝殿前での差し上げ。三トン近い祭り屋台は、村の男衆の気合いが一つになって見事に差し上がった。拍手の渦の中、仲間と抱き合った。私にふるさとの記憶が克明に蘇った瞬間だった。小さい頃から走り回った森と野山。祭り太鼓の乗り子でバチを振ったあの日。捨てたはずのふるさとはちゃんと私の意識に刻まれたままだった。

「うちのタイコ、きれいに差せたのう。ワシの息子がそこにおった。そら嬉しいての」

 顔をクシャクシャにした母が迎えた。手作りの鯖寿司が待っていた。旨い。母の味は健在だ。私も忘れなかった味が目の前にあった。 

 わがふるさとは遠きにありて思うものじゃない。母を通して身近に感じるものなのだ。


ああ~、やっぱり頭が痛くなってきた。
布団にもぐるしかなさそうだ。
明日の回復を願いながら、
夜の闇に眼が冴えるのを押さえて、寝ようと試みるわたしである。(ウン)
コメント
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