こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

いろいろあるなあ~

2015年11月30日 00時28分02秒 | Weblog
風呂の工事が始まった。

まず解体工事。

^「ガンガンゴンゴン」

うるさいことうるさいこと。

とはいえ、留守にするわけにもいかない。

我が家の大黒柱なのだ、私は。

いくら甲斐性なしでも、その事実は不変だ。

工事が終わった後、覗いてみた。

きれいさっぱり空っぽになっている。

30年前に、自分も手伝って出来上がった風呂は跡形もない。

石やセメントを運んだ、あの暑い日。

記憶はちゃんと残っている。

でも……?

ちょっと悲しいね。わびしいね。

でも、家族はたらしいお風呂を待っている。

システムバスだとか…快適なんだろうな。

でも、私にはあのタイル張りの風呂に愛着を感じる。

私の時代は、こうやって終わっていくのだろうか。




そんな時に郵送されてきたのは、公募入選作が掲載された冊子。

夫婦の手紙全国コンクール優秀作品集である。

自分のページを見つけて読む。

さっき味わった悲しさわびしさが、少し癒される。

人生、悪いことだけじゃないのだ。

生きているって、こういうことなんだろうな。

自分で自分を励ましている。

年を取ったら、こういう感じになってしまうのだ。ハァ~~。







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わ~~い!温泉だ

2015年11月29日 05時18分54秒 | 文芸

 夜遅く近くの銭湯に向かった。

わが家の風呂は、システムバスへ衣替えと着手したのだ。

工事は2週間近い。

近くの銭湯を探したが、いやはや大変だ。

何回か行ったことのある銭湯はつぶれてもうないではないか。

入浴料600円、経営は難しかったのかな。

ネットを駆使して探し当てたこの銭湯も、出来てまだ1年たっていない。

高齢者専用賃貸マンションが併設されてあるぞ。

たぶんメインはこっちだろう。

入浴料800円(税金50円)、少し高くなったが、背に腹は代えられない。

家族3人時間を調節したら、夜8時過ぎ。

着いたのは9時。

営業は10時まで。気が焦る。

入ってビックリ。ガラーンだった。

貸しきり状態で温泉?にゆったりヌクヌク。

うん、満足じゃ!

しかし、こんな状態じゃ営業も大変だよなといらぬ心配。

こちらとしては、工事の間だけだから、その間はまず大丈夫だとは思うけど。

とにかく頑張ってください。
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なんだ?これ

2015年11月28日 00時10分06秒 | 文芸


今日思わぬ荷物が届いた。

両手で何とか抱えられる大きさの段ボール。

差出人名は思い当たらない。

重量欄には80の数字がまるで囲まれている。

(いったいなんだ?)

かすれた品名を何とか読み取ると、

表彰状&トロフィーとある。

恐る恐る開封だ。

一番上にあったチラシで、ようやく解明。

『平成27年度家族や地域の大切さに関する作品コンクール』に優秀賞をゲットしたのだ。

主催は内閣府……おお、やったーやん!と内心快哉をあげたのだった。

たぶん、これが今年最後の入選作品になるのだろう。

以下、拙作をコピーしてみました。



.


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お葉つきイチョウ絶景!

2015年11月27日 00時40分04秒 | 文芸
ウォーキングの続きです。

山の中にある庚申堂脇に、イチョウの大木がある。

ただのイチョウじゃないのだ。

お葉つきイチョウとして有名である。

不思議不思議、葉っぱに実がついている。

「下見に来て初めて見たんですが、キモいってのが第1印象でしたわ」

観光課の若い職員の言葉。

おいおい、しっかりしてよ。

案内する立場がそれじゃサマになんないよ。

暖冬続きで紅葉が遅れている山中で、黄色いイチョウの葉の乱舞は目を瞠ったなあ。

結局、今回のウォーキングの見ものは、このイチョウだったのだ。

皇塚古墳という小高い丘のてっぺんに築かれた古代の墳墓も、

そこはかとなく歴史のにおいを感じたけど、

一応、丘の上の丘。

埴輪があるわけでもなく、裏山の散策に近い思いでしたわ。

約3時間20分の行程の終着点に無事ゴール!

12キロのコースは、山登りが2か所あり、健脚向きだったぞ。

ともあれ、へばらず完歩できたので、ちょっと自信回復だ。

これからは、年齢との駆け引きで、

挑戦することになりますね。

まあ無理せず、ゆっくりと余生を歩いていきますか。





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疲れ気味です

2015年11月26日 01時46分50秒 | 絵手紙
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歩こうよ

2015年11月25日 00時02分33秒 | 文芸
今日は久しぶりのウォーキングだ。

第8回加西風土記1300年記念ハイキングはマップ片手のフリーハイキング。

コースは『お葉つきイチョウ・石部の森コース』12キロの健脚コース。

所用予定時間3時間20分と、かなり本気度を要するぞ。

10時40分にスタート!

中途半端な時間は北条鉄道の到着時間に合わせてある。

田舎だから、仕方ないのだ。

しかも

フリーハイキングなのに、加西市役所観光課の職員が数人同行してくれる。

マップで確認したコースは、どうもわかりにくい。

純粋な加西っこの私がそうなのだから、他市からの参加者はちんぷんかんぷんに違いない。

だから観光課職員の同行は、実に心強い。

表通りから旧道になる路地を進む。大信寺と西岸寺の古刹に挟まれた参道を進む。

この界隈は寺や神社が競うように多くある。

少し離れた位置に、あの有名な500羅漢がある。

今回は、ただただ通過するだけなのだ。

そして坂道を上る。

オークタウンと加西市の葬祭場がある、峠道を超すのだ。

かなりきついぞ。

数か月のブランクはこの年齢になると、すぐに取り返せない。

はたして、無事にゴールまで行き着けるかな。

神のみぞ知ることである。





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カサコソ

2015年11月24日 01時01分47秒 | 文芸
 夜中に目が覚めた。

「カサコソ、カサコソ」

 枕もとでする変な音。

慌てて部屋の明かりをつけると、変な音も消えた。

辺りをさぐっても別に何もいない。

しかし、眠るとまた、

「カサコソカサコソ」

 急いで明るくしても、やはり変わりない。

そこで今度は明りをつけたまま寝た。

「カサコソカサコソ」

 また音が。

寝た姿勢で顔を向けると、むこうもこっちを見ていた。

食べ残しのお菓子の袋から顔を覗かせたのは、小さな小さなネズミ。

キョトンとした目が可愛い。

どうやらお菓子の食べ残しにつられて来たらしい。

 翌日から、枕もとにわざわざお菓子の袋を開けて置いた。

そして、あの音で可愛いネズミを思い浮かべて、ひとり幸せを感じた。 

 社会に出て、狭いアパート暮らしの孤独な私を癒してくれたネズミ。

おとぎ話の主人公気分を味わった日々が、時々懐かしくなる。
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しんど~~

2015年11月23日 00時30分37秒 | 文芸
娘が中学の時に乗り回していた自転車を引っ張り出した。

自転車屋でチューンナップ。

さっそく近くのスーパーまで走った。

 四年ぶりに人を乗せた自転車と十数年ぶりにペダルを踏む私。

相性がいいのか、快調そのもの……でもない。

家に戻ると、すっかり息切れ状態。

ただ気分は最高だ。

この自転車は、これから私の足になる。

免許を手にした娘に愛車を取られたのを契機に、車断ちを考えた。高齢者の交通事故をニュースで見る度に、(オレも高齢者……!)いつか車断ちをしなければとの思いが頭をよぎった。

車断ちした後の足代わりを考えれば、足腰が丈夫なうちでなければ。

それに走れば嫌でも運動出来る。

これは一石二鳥だ。

だから抵抗なく前倒しで自転車を走らせた。

 ただ交通事情は、昔とは雲泥の差だ。

行き交う車に自転車への思いやりは望めない。

自分で自分を守る自転車通行を心がけるしかない。

ともかく安全運転を肝に銘じて走ろう。

 
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みどりの文・絵手紙部門入選作品だよ

2015年11月22日 00時08分09秒 | 絵手紙
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夢見心地

2015年11月21日 00時20分36秒 | 文芸


なんと25年も前に賞を頂いて雑誌上に掲載されたエッセーが再掲載したいとの依頼がありました。もう夢見心地ですね。

掲載許可依頼の書類と活字になった作品の校正刷りが同封されて手元に届きました。

またまた、なんと!原稿料までいただけるそうです。

25年の間に3度掲載されるなんて、なんとも不思議な感じ。

原稿は次の通りです。。

私の半生で最も痛烈な打撃だった。当時30歳、それまでは多少の波はあれこそ、幸運に恵まれトントン拍子にきていたせいもあって、失意のどん底を味わうこととなった。
 独立の夢を描き脱サラ、調理師学校を経てレストラン・喫茶店で修業を積み、ついに一軒の店を任されるまで7年がかり。兎より亀になるんだと、慌てず騒がず、じっくりと取り組んできた。しかし開店二年目、不景気風もあり、売り上げがジリ貧状態になった。
 いろんな対策を講じてはみたものの、悪い時には悪いことが重なるもので、売り上げが回復しないうちに体調を崩してしまったのである。店のオープン以来、年中無休の長時間労働に堪えてきたきたツケが回ってきたのだ。健康だけには自信があったのに……。
 オーナーは慰留してくれたが、自信をなくした私は結局辞めることにした。
 無職となり、失意にかまけてぶらぶらする毎日を送る私の唯一の希望は、結婚を前提に付き合っていたK子の存在である。
「まだ若いし、体さえ治せば必ず独立の夢がかなうわ。一緒に頑張ろうよ」
 そう励ましてくれたK子さえも、二か月後には、もう心変わりしていた。無理もない。まだ学生で将来の夢もいっぱいのK子に、デートするたびグチってばかりいる私の姿は、きっと耐えきれなかったのだろう。
「私、先生になるの。齋藤さんも頑張ってね。今までありがとう。……さようなら」
 K子は明るく笑って別れを言って去った。
 この失恋はとどめの一発となった。私の生活はどんどん乱れていった。働きもしないで毎晩のごとく飲み歩いた。
 父も母も呆れてはいたが、ただ黙って見ていた。病気と失職、失恋……これらの事情を知っていただけに何も言えずにいたらしい。
 しかし、僻み根性に染まっていた私には、両親の思いやりは逆に負担になった。(もう、どうにでもなれ!)と捨て鉢な気持ちで家に閉じこもる日が多くなり始めた。
 そんな時、調理師学校で得られた友人のO君から連絡があって、何年ぶりかの旧交を温めた。O君は6歳年下だったが、、調理のキャリアは私の倍以上だった。中学校を卒業した頃から喫茶店や食堂で働いていたらしい。そんな彼と出会ったのは調理師学校だった。
「齋藤さんが店長をやってた店に連絡したら、辞めたって聞いたんやけど、今どないしとんのや?」
 人の好いO君は、自分のことのように、心配げにあれこれ私の話を訊いてくれた。
 O君と会った時から不思議に素直な気持ちになっていた私は、堰を切ったように話していた。
「俺といっしょやな」
 笑顔そのままでO君はボソッと言った。
 O君は先手的な心臓障害を持っていて、これまでに数回手術を受けたことを話した。
「しゃあない、これも運命や思ってる。
 アッサリ言ってのけたO君は、脇の下の切開跡まで見せてくれた。
「こんなんあったら、女の子なんか誰も相手になってくれへんわ。無理あらへんけど……」
 若いのに悟りきった感じのO君。心臓障害と長年付き合って来たせいだったのだろう。
「いかん、いかん。こんな暗い話やめとこか。久しぶりやからパッと行こうぜ」
 O君は本当に嬉しそうな表情をつくった。
 その日、私とO君は一日中遊びまわった。パチンコ、打ちっ放しゴルフ、喫茶店、レストラン……夜になると酒を飲みに出た。
 もう楽しくてたまらなかった。一人で飲んでいた時の、あのクサクサしていた気分が嘘みたいに思えた。自分を取り巻く状況はまるっきり変わっていないのに、とにかく楽しかった。
「お互い頑張ろうや。俺、今、Yホテルのコックやっとるけど、来月から東京のホテルに移るつもりや。一流の腕、みがき上げるまで帰ってきやへんで」
「心臓の方、大丈夫なんか?」
「なんとかなるわ。今までもそないしてやってきたんやから。負けとったてしゃあない」
 O君と再会を固く約束し別れた。
 一週間後、私は経理学校に通い始めた。独立して店を持つ際に、必要な経理知識を身につけようと思い立ったからだ。体が少々本調子でなくても出来る勉強だった。
(負けてられないのだ!)O君と出会い語らったのが発奮材料になった。悪い状況でも、それなりに対応して前向きに生きているO君の姿を見せられては、私も甘えているわけにいかないと思ったのだ。
 東京に行ったO君からも電話が度々あった。
「負けんなよ。お互いの夢、実現させようぜ」
 自分でもビックリするぐらい力強い言葉が出た。それは私が自分に言い聞かせる言葉でもあったと思う。
 経理学校に通いだして体の回復は急テンポになった。健康を取り戻すと独立の夢にまっしぐらとなった。そして2年後、ついに喫茶店で独立!
 開店準備も兼ねての東京行きで、私はO君の勤めるホテルに宿泊した。もちろん、独立の報告は上京する前にしていたが、O君は大歓迎してくれた。夜の東京を案内してもらいながら、私は(ありがとう!)と呟き続けていた。(1990年作文)
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