古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

遺族の気持ちを思うと平静ではいられません。

2012年02月08日 06時19分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 去年の12月中旬になってから播いた「六条大麦」が、寒くてカラカラの天気にも負けず伸びてきました。小鳥に食べられないようにかぶせていた枯れ草をとって、三回麦踏みをします。どんなに寒くてもしっかり芽を出して、伸びる。えらいですね。
 ぼくのなかの「ノモンハンは封じる」と書きました。しかし夜中に目覚めたりすると、辻政信に自決を迫られた指揮官たちの遺族の「無念さ・恨み」に思いがとびます。
「夫は、息子は、激しい戦闘で負傷して病院に収容された。立派に戦った。そして生き抜いてくれてよかった」と家族は思ったでしょう。そこに辻参謀がやってきて「部下は戦死したのに、戦闘には負け、指揮官はのうのうと生き残っている」と責め、ピストルを置いて席をはずす。 …… 自決。
 戦争をしたくてしたくてうずうずし、なんでもない国境の紛争を戦争に拡大し、相手のソ連をバカにして「ウスノロ相手の戦争だ。すぐに勝てる」とあおり、敵陣に攻め込ませろと上官に迫り、独りよがりの作戦を押しつけ……。しかも二年後の『大東亜戦争』開戦のときは東京の参謀本部に舞い戻って作戦を立て、「作戦の神様」と呼ばれたりして失敗は現場に押しつけ……。敗戦後ものうのうと生きて、潜行して戦犯を逃れ、みっともないいいわけをしたり、大ぼらを吹いたり、ベストセラーを書き、国会議員にもなり ……。
『2ちゃんねる』を見るといまでも読みきれないほど圧倒的な量の辻政信に関する書き込みがありますが、こんな男の存在を許したのは、やっぱりエリート慣れ合いの参謀本部だったからです。牟田口廉也の馬鹿げたインパール作戦がまかり通ったのだって、辻参謀の無茶苦茶が通ったのだって、「まーまーまーまー……」と内部ではエリート同士が事なかれ主義でやってきたからです。しかもその精神はいまの官僚組織のなかに脈々と生きています。
 辻は、人の命をなんと考えたのでしょう。生まれ、時間をかけて育ち、一人前になっていく人間の命を。そしてその命につながる人たちの心を。とても正常とは思えないのに、彼がまかり通った。なんともやるせない。
 もうじき彼も歴史に送り込まれ、忘れられていくでしょう。後世の人は、なんの感情の波立ちもなく彼を看過していくでしょう。ぼくも、こころの波風を、「封じる」しかありません。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする