ステージの写真は撮れなかったのでロビーの様子です。楽器店がクラリネットを展示販売しています。きのう日曜日は、コスミックホールでクラリネット・アンサンブルの演奏会があり、聴きに行きました。クラリネットでは高名な演奏家の集りのようで、聴衆は若い人が多く、ぼくらもしばし音楽をたのしみました。
演奏を聴きながら、あらためてこのホールの音を味わいました。
「もしこのホールが『アマデウス・ホール』とでも命名されていて、週に一度か月に二度くらいモーツアルトの曲を演奏する会があったらいいなー。モーツアルトの曲は、500人くらいのこんなホールで聴くのがいちばんしっくりするし、定期的に生の演奏が聴けたらしあわせだろうな」
天井の高さ。音の響き。なんというかシートに座るだけでこのホールの空間は気持ちがいい。
『ノモンハンの夏』(半藤一利 著 文春文庫)を読了しました。気分はよくありません。
1998年・定年退職した翌年、道子さんとぼくは漆芸家で人間国宝の大場松魚さんのツアーに加えてもらってモンゴルを旅しました。日本の4倍の面積の国土に250万人が暮らす国です。どの方向を見ても地平線までなだらかな草原だけが広がっています。道路も家も畑もありません。いま思い出しても、地平線まですーっとまっすぐ視線が伸びてゆく気持ちのよい国でした。
こんな草原だけがあるようなところに「国境」という線を想定して、日本とソ連が戦争をしたのが『ノモンハン事件』です。日本が仕掛けたのですが「戦争」を仕掛けたというと人聞きがわるいので「事件」と言ってごまかしました。
この事件の存在は知っていましたが、日本の「あの戦争」の大筋とは関係ないし、何のつながりも必然性もない出来事なので、ぼくは見ないでおこうと思ってきました。何万という戦傷死者を出す戦争であったとしても、この事件に関する本を読むことは避けてきました。
でもなぜか伊藤桂一の『静かなるノモンハン』を読み、半藤一利の『ノモンハンの夏』を読むことになってしまいました。というかこの本に出会うように、ぼくの人生はなっていたのでしょう。 …… この項つづく。