テレビ番組というのは,流行り廃りがあるものなんですが,流行ってますね,ニュースを解説する番組。一番最初は,池上彰さんの子供向けニュース番組だったと思うんですが,今や,大人向けのニュース解説番組が多いこと多いこと。なぜかくも流行るのか。
メディアがニュースをわかりやすく伝えていないから??
それは違うでしょう。10年,20年前と比べてわかりにくくなっているとは思えない。確かに,どんどん世の中は複雑になってきて,例えば,10年前には「サブプライムローン」なんてのはどこのメディアからも出てこなかった言葉だと思うんですが,今となっては説明なく登場する言葉の一つ。そういった意味で,内容自体は少しずつ難しくなっているかもしれませんが,それに対応してメディアもかなり工夫をするようになって,内容自体の高度化を相殺してあまりあるように思います。
とすると,やっぱり視聴者の理解度が低下した,そういうことなんじゃないかと思います。おそらく,これは想像なんですけど,例えば,20~30年くらい前に遡って同じような番組を放送したら,どうだったんでしょう?たら・ればの話になっちゃうのですが,流行らないんじゃないかと思います。
では,なぜこうなったのか?言うなれば,「多チャンネル化」でしょう。テレビのチャンネルというだけではなく,人々が意識を向けるチャンネルが増えたということなんだと思うんです。ネットもスマホもプレステもない時代を考えてみて,それと比較してみれば一目瞭然。現代の大人がネットやってる時間,スマホと戯れている時間,プレステやってる時間に,昔の人は何もしていなかったわけではなく,新聞・本を読んでいた,あるいはいわゆる主要キー局のテレビを見ていた(BSやCSではなくて)。これが理解度を低下させ,結果,大人向けニュース番組が流行る,こういう図式なのだと思います。テレビ局の番組制作は,実にいいところに気が付いたものです。
ただ,それじゃやっぱり大人として恥ずかしい。
ちょっと昔のことを考えてみてください。例えば,自分が小学生のころ。大人はどんな風に見えました?大学生はどんな風に見えました?もうそりゃ,「なんでも知っている」ような錯覚(笑)を抱いていませんでしたか?大学生って,ものすごく頭のいい人みたいに感じませんでしたか?そして,再び考える。果たして,自分はそういうふうに見えているのかと。
大人向けニュース番組を見て,「ほうわかりやすい」と思う人と,「なんでこんな当たり前のことを解説する番組を放送するんだ」という感想を抱く人の分岐点って,大学生の時期にあるんじゃないかな,なんて思います。高校生と大学生の生活のサイクルを比較すればそれには共感していただけるかと。大学生のうちに,「世の中を追っかける癖」を付けるかどうかだと思うんですよね。
前回の話と同じ趣旨なのですが,やっぱり時間は有意義にうまく使う,これが大事ですよね。
メディアがニュースをわかりやすく伝えていないから??
それは違うでしょう。10年,20年前と比べてわかりにくくなっているとは思えない。確かに,どんどん世の中は複雑になってきて,例えば,10年前には「サブプライムローン」なんてのはどこのメディアからも出てこなかった言葉だと思うんですが,今となっては説明なく登場する言葉の一つ。そういった意味で,内容自体は少しずつ難しくなっているかもしれませんが,それに対応してメディアもかなり工夫をするようになって,内容自体の高度化を相殺してあまりあるように思います。
とすると,やっぱり視聴者の理解度が低下した,そういうことなんじゃないかと思います。おそらく,これは想像なんですけど,例えば,20~30年くらい前に遡って同じような番組を放送したら,どうだったんでしょう?たら・ればの話になっちゃうのですが,流行らないんじゃないかと思います。
では,なぜこうなったのか?言うなれば,「多チャンネル化」でしょう。テレビのチャンネルというだけではなく,人々が意識を向けるチャンネルが増えたということなんだと思うんです。ネットもスマホもプレステもない時代を考えてみて,それと比較してみれば一目瞭然。現代の大人がネットやってる時間,スマホと戯れている時間,プレステやってる時間に,昔の人は何もしていなかったわけではなく,新聞・本を読んでいた,あるいはいわゆる主要キー局のテレビを見ていた(BSやCSではなくて)。これが理解度を低下させ,結果,大人向けニュース番組が流行る,こういう図式なのだと思います。テレビ局の番組制作は,実にいいところに気が付いたものです。
ただ,それじゃやっぱり大人として恥ずかしい。
ちょっと昔のことを考えてみてください。例えば,自分が小学生のころ。大人はどんな風に見えました?大学生はどんな風に見えました?もうそりゃ,「なんでも知っている」ような錯覚(笑)を抱いていませんでしたか?大学生って,ものすごく頭のいい人みたいに感じませんでしたか?そして,再び考える。果たして,自分はそういうふうに見えているのかと。
大人向けニュース番組を見て,「ほうわかりやすい」と思う人と,「なんでこんな当たり前のことを解説する番組を放送するんだ」という感想を抱く人の分岐点って,大学生の時期にあるんじゃないかな,なんて思います。高校生と大学生の生活のサイクルを比較すればそれには共感していただけるかと。大学生のうちに,「世の中を追っかける癖」を付けるかどうかだと思うんですよね。
前回の話と同じ趣旨なのですが,やっぱり時間は有意義にうまく使う,これが大事ですよね。
教師って、やっぱり知識が豊富の方がいいんですかね? 確かに子供のころは、先生は何でも知ってる気がしてましたしね~…(原さんは何でも知ってると思ってました&思ってます(笑))
日本の行く末が心配です…が、私が勉強して日本を救って見せます!!
では!
受け手の理解度が低下したというのも一つの要因かもしれません。しかし、私は発信側の伝え方の問題もあると考えています。
メディアがインパクトを求めるあまり、正確に内容を理解しないまま、大衆に発信する。受け手はその不正確な情報を元に判断しなければならない。その結果、受け手は情報の整理に混乱する。そして、解説番組に頼る。この構図ができているのではないでしょうか?
例えば、福島第一原発事故での報道があるでしょう。放射能が云々という報道をよく聞きますが、放射能と放射性物質、放射線をすべて混同して使っていますよね。放射能は放射性物質が放射線を出す能力のことのはずです。(違っていたら申し訳ありません)だから、放射能が来るなんていう言葉は存在しないはずですよね 。だって、能力が来るなんて意味が通じませんよね。でも、放射能という言葉はインパクトがあるから雑誌の表紙に使ってしまう。そうして、大衆は混乱する。
私は、解説番組というのは毎日のニュースが解説する能力を持っていないため、まとめて能力のあるあの方にフォローしてもらう番組だと思っております。
加えて、メディアの情報を信用するしないといった議論は、新聞やラジオといった最初のメディアが登場した時期から言及されていました。つまり、こうした議論は現代に特異なことではないのです。
そもそも、ニュース解説番組も、他の一般的なニュースと同じテレビ局が発信源ですよ?(笑)放射能などの言葉の問題で批判するならこちらもおなじでしょう。他の批判も然りです。発信源がおなじなのですから(笑)
それに全てのニュースをいちいち解説しまくってたら時間がいくらあっても足りませんよ(笑)テレビのニュースを理解するくらいの知識は日本人だったら持ってて当然ですし、もし解らなければ自分で調べればいい。現代人は与えられることに慣れすぎてるんです。
長くなるのでこれくらいにしますが、要は先生がおっしゃるように、現代の日本人のメディアリテラシーの程度の低さ(もしくは低下)、これが最大の問題です。
うーん,情報(ニュース)の内容が複雑化していることは事実ですが,結局のところ,情報の取捨選択能力なのかなー,と思います。私はやっぱり。ただ,それにも増して,判断能力かな。自己決定の判断能力というか。
ある講師曰く,ただ漠然と「わからなーい」と質問にくる学生が増えているのだそうな。これ,学生に限った問題ではなくて,全体的な傾向かと思います。情報を与えられること,情報に対して受け身になることに慣れすぎてしまっているのでしょうね。結果,振り回される。さらにその結果,短期的視野に立った政策が好まれる。
情報が氾濫する→民主制の過程をなす判断基礎の質の低下→民主主義の劣化。大袈裟に言うならね,こんな構図かなぁ。
あくまで私見ね。