僕はこの本で現代矢倉の定跡を勉強しました。それで『下巻』が出るのを待っていましたが、一向に出版される気配がなく、そのままです。 売れなかったか。
(追記:この本、古棋書店で8000円の値段がついていました! ほんの10年程前の本なのですが。)
初手より▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5五歩 ▲2四歩 △同歩
▲同飛 △3二金 ▲3四飛 △5二飛 ▲2四飛 △5六歩 ▲同歩 △同飛 ▲5八金右(森内新手)
「後手5五歩位取りvs先手横歩取り」の戦型をスタディしています。
16手目「5六同飛」が、1936年に平野信助が指した“平野流”で、1977年になって真部一男がプロ将棋の舞台によみがえらせた手。80年代には木村嘉孝が数局指し、そして1988年、「森内俊之四段vs森けい二王位戦」でまた登場しました。
これまでの前例では“平野流5六飛”に対しては、全て「5八歩」としています。
それを「5八金右」としたのが、18歳森内俊之の“新手”。
(森内俊之とは、もちろん現名人の森内俊之です。念のため。)
△5七歩 ▲6八金寄
16手目で従来のように「5八歩」とするのはいわば“安全運転”で、アマ大会のような持ち時間の少ない将棋では、こういう手が無難。しかし森内俊之はそこを「5八金右」と踏み込んだ。これですぐさまの“負け”がないのならこの方がよい。5筋の歩を手に持っていた方が攻めに使えるし、従来の「5八歩」では駒組みが窮屈だ。
ただ、「5八金右」は後手の「5七歩」が怖い。これがあるから「5八歩」とこれまでは“安全運転”をしていたわけだ。プロで、持ち時間が何時間もあったって、読み切るのは難しい。“生活”も懸っている。
そして、さあ、森王位(当時)はやはり「5七歩」と来た!!
5七歩に、森内四段は、「6八金寄」。
△8八角成 ▲同銀 △3三角
森内は「6八金寄」で大丈夫、とみたんですね。
ここ、4八金とするのは、8八角成、同銀、3三角、2一飛成、8八角成で次に5八銀と打たれる手があって危険。本譜の「6八金寄」なら、5八銀に、4八玉と逃げる手があるというわけ。
「5七歩、6八金寄」となった以上、後手は攻めないといけません。先手から4八銀~5七銀と歩を取られると、後手終了です。
▲2一飛成 △8八角成 ▲4五角
ということで、角を換えて3三角で激しい攻め合いに。まさに“超急戦”。
森内俊之四段はこの時、プロ2年目。初年度の1987年度は、新人王戦で優勝しています。
森内、「 4五角 」。
△5二飛 ▲5三歩 △同飛 ▲5四歩 △5二飛 ▲7七桂
「 4五角 」、これで先手勝てる、というのが森内の読みだったのでしょう。
▲7七桂がまたいい感じ。
△9九馬 ▲2四桂 △4四香 ▲3二桂成
そして「2四桂」。 これが間に合う将棋になれば、この手の戦いは先手ペース。
△6二玉 ▲3一龍 △4五香 ▲5三銀
森王位は△4四香~△4五香で反撃。
△7二玉 ▲5二銀成 △同金 ▲4二成桂 △5一銀 ▲5二成桂 △4七香成 ▲6二飛
しかし▲5三銀が速い。
△6二同銀右 ▲同成桂 △同玉 ▲5一龍 △同玉 ▲5二金 まで53手で先手森内の勝ち
一気の寄せ!
投了図
シンプルで奇麗な投了図。
この将棋で、“平野流(真部流)”に対しては、「5八金右でよい」ということが証明されました。
こういうところをプロがしっかり解明してくれると、1秒で「5八金右」と僕らでも指せるようになるわけです。ありがたい。
ただし、森内新手「5八金右」で先手優勢ということではありません。(勘違いなされぬように。)
本譜では、後手の森さんが「5七歩」から過激な攻めを選んだので、先手森内が勝ちましたが、この“平野流”には、まだ他に有力な指し方があるのです。
森内新手「5八金右」の価値は、「後手の“平野流”に対して、先手が持ち歩を温存して指せるようになった」ということであり、その局面の評価はまだ「優劣不明」です。
この将棋は1988年12月19日に行われた対局ですが、棋戦は全日本プロトーナメント(朝日オープン選手権)でした。森けい二を破った森内俊之は、このトーナメントを勝ち進み、ついに決勝まで進出します。決勝の相手は谷川浩司名人で、その谷川との三番勝負を2-1で制して森内は優勝したのでした。全棋士参加棋戦での初優勝です。
1989年全日本プロトーナメント決勝三番勝負第3局
これがその三番勝負の第3局の終盤。この図を見ると後手谷川名人が「右玉」だったのかと思いそうだがそうではない。これは「角換わり相腰掛銀」の戦型で、先手の森内の猛攻をしのいで後手谷川の玉が逃げてあそこまで行ったのです。で、こんどは谷川さんが猛攻中。
図は、森内が7七金打と受けたところ。森内さんは、「金」の受けや攻めがよく似合う。(中原は「桂」、羽生、加藤は「銀」のイメージ。升田は「角」で、大山は「金」。)
7七金打、7八銀不成、同金、6七金、8七金、6九竜、8八玉、6八竜、9七玉、までで後手の攻めが止まり、以下8四金に、6三と、同角、6一銀から谷川玉を詰めて森内俊之の勝ち。
さて、1989年昭和天皇が崩御なされたので、1月に元号が「平成」になりました。
この年の夏、王位戦。森けい二王位に挑戦したのは谷川浩司名人でした。2年連続の森・谷川七番勝負です。
この王位戦七番勝負第3局でまたしても森けい二は「後手5五歩位取りvs先手横歩取り」を誘い、谷川浩司はそれに乗って‘横歩’を取ったのです。谷川は13手目、今度は1年前のように「3六飛」ではなく、「2四飛」。それで森は「5六歩、同歩、同飛」。やはり“平野流”です! 谷川はそこで「5八金右」の“森内新手”を採用しました。
さあ、どんな戦いになるでしょうか。次回はこの将棋を見ていきます。
・森けい二の中飛車関連記事
『森vs谷川 1988王位戦の横歩取り』
『平野流(真部流)』
『2012.12.2記事補足(加藤‐真部戦の解説)』
『森内新手、5八金右』
『谷川vs森 ふたたびの横歩取り 1989王位戦』
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『横歩を取らない男、羽生善治 2』
『戦術は伝播する 「5筋位取り」のプチ・ブーム』
(追記:この本、古棋書店で8000円の値段がついていました! ほんの10年程前の本なのですが。)
初手より▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5五歩 ▲2四歩 △同歩
▲同飛 △3二金 ▲3四飛 △5二飛 ▲2四飛 △5六歩 ▲同歩 △同飛 ▲5八金右(森内新手)
「後手5五歩位取りvs先手横歩取り」の戦型をスタディしています。
16手目「5六同飛」が、1936年に平野信助が指した“平野流”で、1977年になって真部一男がプロ将棋の舞台によみがえらせた手。80年代には木村嘉孝が数局指し、そして1988年、「森内俊之四段vs森けい二王位戦」でまた登場しました。
これまでの前例では“平野流5六飛”に対しては、全て「5八歩」としています。
それを「5八金右」としたのが、18歳森内俊之の“新手”。
(森内俊之とは、もちろん現名人の森内俊之です。念のため。)
△5七歩 ▲6八金寄
16手目で従来のように「5八歩」とするのはいわば“安全運転”で、アマ大会のような持ち時間の少ない将棋では、こういう手が無難。しかし森内俊之はそこを「5八金右」と踏み込んだ。これですぐさまの“負け”がないのならこの方がよい。5筋の歩を手に持っていた方が攻めに使えるし、従来の「5八歩」では駒組みが窮屈だ。
ただ、「5八金右」は後手の「5七歩」が怖い。これがあるから「5八歩」とこれまでは“安全運転”をしていたわけだ。プロで、持ち時間が何時間もあったって、読み切るのは難しい。“生活”も懸っている。
そして、さあ、森王位(当時)はやはり「5七歩」と来た!!
5七歩に、森内四段は、「6八金寄」。
△8八角成 ▲同銀 △3三角
森内は「6八金寄」で大丈夫、とみたんですね。
ここ、4八金とするのは、8八角成、同銀、3三角、2一飛成、8八角成で次に5八銀と打たれる手があって危険。本譜の「6八金寄」なら、5八銀に、4八玉と逃げる手があるというわけ。
「5七歩、6八金寄」となった以上、後手は攻めないといけません。先手から4八銀~5七銀と歩を取られると、後手終了です。
▲2一飛成 △8八角成 ▲4五角
ということで、角を換えて3三角で激しい攻め合いに。まさに“超急戦”。
森内俊之四段はこの時、プロ2年目。初年度の1987年度は、新人王戦で優勝しています。
森内、「 4五角 」。
△5二飛 ▲5三歩 △同飛 ▲5四歩 △5二飛 ▲7七桂
「 4五角 」、これで先手勝てる、というのが森内の読みだったのでしょう。
▲7七桂がまたいい感じ。
△9九馬 ▲2四桂 △4四香 ▲3二桂成
そして「2四桂」。 これが間に合う将棋になれば、この手の戦いは先手ペース。
△6二玉 ▲3一龍 △4五香 ▲5三銀
森王位は△4四香~△4五香で反撃。
△7二玉 ▲5二銀成 △同金 ▲4二成桂 △5一銀 ▲5二成桂 △4七香成 ▲6二飛
しかし▲5三銀が速い。
△6二同銀右 ▲同成桂 △同玉 ▲5一龍 △同玉 ▲5二金 まで53手で先手森内の勝ち
一気の寄せ!
投了図
シンプルで奇麗な投了図。
この将棋で、“平野流(真部流)”に対しては、「5八金右でよい」ということが証明されました。
こういうところをプロがしっかり解明してくれると、1秒で「5八金右」と僕らでも指せるようになるわけです。ありがたい。
ただし、森内新手「5八金右」で先手優勢ということではありません。(勘違いなされぬように。)
本譜では、後手の森さんが「5七歩」から過激な攻めを選んだので、先手森内が勝ちましたが、この“平野流”には、まだ他に有力な指し方があるのです。
森内新手「5八金右」の価値は、「後手の“平野流”に対して、先手が持ち歩を温存して指せるようになった」ということであり、その局面の評価はまだ「優劣不明」です。
この将棋は1988年12月19日に行われた対局ですが、棋戦は全日本プロトーナメント(朝日オープン選手権)でした。森けい二を破った森内俊之は、このトーナメントを勝ち進み、ついに決勝まで進出します。決勝の相手は谷川浩司名人で、その谷川との三番勝負を2-1で制して森内は優勝したのでした。全棋士参加棋戦での初優勝です。
1989年全日本プロトーナメント決勝三番勝負第3局
これがその三番勝負の第3局の終盤。この図を見ると後手谷川名人が「右玉」だったのかと思いそうだがそうではない。これは「角換わり相腰掛銀」の戦型で、先手の森内の猛攻をしのいで後手谷川の玉が逃げてあそこまで行ったのです。で、こんどは谷川さんが猛攻中。
図は、森内が7七金打と受けたところ。森内さんは、「金」の受けや攻めがよく似合う。(中原は「桂」、羽生、加藤は「銀」のイメージ。升田は「角」で、大山は「金」。)
7七金打、7八銀不成、同金、6七金、8七金、6九竜、8八玉、6八竜、9七玉、までで後手の攻めが止まり、以下8四金に、6三と、同角、6一銀から谷川玉を詰めて森内俊之の勝ち。
さて、1989年昭和天皇が崩御なされたので、1月に元号が「平成」になりました。
この年の夏、王位戦。森けい二王位に挑戦したのは谷川浩司名人でした。2年連続の森・谷川七番勝負です。
この王位戦七番勝負第3局でまたしても森けい二は「後手5五歩位取りvs先手横歩取り」を誘い、谷川浩司はそれに乗って‘横歩’を取ったのです。谷川は13手目、今度は1年前のように「3六飛」ではなく、「2四飛」。それで森は「5六歩、同歩、同飛」。やはり“平野流”です! 谷川はそこで「5八金右」の“森内新手”を採用しました。
さあ、どんな戦いになるでしょうか。次回はこの将棋を見ていきます。
・森けい二の中飛車関連記事
『森vs谷川 1988王位戦の横歩取り』
『平野流(真部流)』
『2012.12.2記事補足(加藤‐真部戦の解説)』
『森内新手、5八金右』
『谷川vs森 ふたたびの横歩取り 1989王位戦』
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『横歩を取らない男、羽生善治 2』
『戦術は伝播する 「5筋位取り」のプチ・ブーム』
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