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羽生結弦選手ファンが知っておきたい、フィギュアスケート史上有名な妨害事件と、元・選手たちの意見

2016-05-13 | フィギュアスケート全般について

 

フィギュアスケートという競技の歴史の中では、競争心が過ぎるあまり、あるいは様々な事情により、

特定選手が、ライバル選手から「妨害された」と見られる行為をされて、大議論になった事件が、いくつも実在しています。

 

「意図的に怪我させようとして(傷つけようとして) 自分から本当にぶつかる選手」なんていうのは、確かにいないでしょう。

相手を怪我をさせても、自分が傷ついたら、選手はそこでお終いですから。

 

しかし、ただの「妨害行為」「心理的圧力」「心理攻撃」となったら、話は別です。

ただの心理的かけひきや、心理圧力をかけることそのものは、それこそよくあることだと思われ、過去にも多数報道されてきました。そのやり方や程度が問題になってきます。 

 

羽生選手だって、それは良く分かっていると思います。

今回取りざたされた、「それはねーだろう、お前!」と羽生選手が日本語で叫んだという言葉。

 

これをどう見るかですが、この言葉には、その前に省略されている、重要な言葉がありますよね。さて、何でしょう?

「いくらなんでも、それはないだろう、お前!」というのが、言葉の本来の意味ですね。

すなわち、この日本語から直ちに分かるのは、羽生選手は、ある程度の心理妨害や駆け引きは我慢して受忍してきたものの、「もはやこれだけは許せない!いくら何でも、これは卑怯すぎる!あり得ない!」と怒った状態だったということです。

つまり、「我慢や常識の限界を超えるほどの卑怯さ」だと羽生選手はみなした、少なくとも、羽生選手にそうみなされるようなことがあったのだ、ということが、このセリフだけでわかるのです。

また、これを下品だなんだと非難した人たちがいますが、話はちょっとそれますが、関東以北~東北地方で、標準語で言う「あなたは~」を、「おめーは~、」と言い、「~ではない」という標準語を、「~じゃねえ」「~でねえ」というように、「ない」を「ねえ」と表現するのが正式の「方言」の地域はかなりあり、「それはないだろう」は、「それはねーだろう」になります。

これらは、標準語感覚で初めて聞くと、ちょっと粗野か、あるいはおやじくさいと感じたとしても、地方の方言であり、女性でも正式に使っているような地域も日本には沢山あります。

(他の例:オレ(語尾を下げる)、ワシ、おめえ、お前、アンタ等が、男女ともに使う、正式な一人称や二人称の言葉である地方、等。)

知らない地域の方言を初めて聞くと、ものすごい違和感が生じたり、いらぬ大きな誤解が生じることは、日本では多々あります。同じ地域でも、家庭によって様々です。

羽生選手が、どういう感覚で使ったかはわかりませんし、どういう言語環境で育ったのかわかりませんけれども、怒ってとっさに出た言葉なのですし、羽生選手は日本では仙台以外に定住したことはないのですから、普通の感覚だった可能性もあります。 

私にはどちらであっても、どうでもいいことなのですが、わざわざそこを非難している人たちがいるので、ちょっとご参考までに知っておいてもらえたら、と思って、書かせてもらいました。

 

さて、このように、「かなり卑怯だ」とみなされた場合、周りを巻き込んで大議論になってきたのは、今回だけではありません。

まず、大前提として、今回問題になったのは、ニアミスも多発し、過去に何度も衝突例がある、「6分間練習」ではなく、そんなことは絶対にあってはならない、優先権が明確な、「公式の曲かけ練習」であったということを、押さえておきましょう。

 

まず、この事件の事実関係を、確認してみます。 (以下、このページの翻訳は全て、管理人によるものです。)

この事件が起きた翌日である3月31日の、アイスネットワークの記事の中(→http://web.icenetwork.com/news/2016/03/31/169878518)には、次のように書かれています。

複数の目撃証言によれば、ハニュウがショートプログラム「バラード第一番」の曲かけ練習中、彼のまさに演技軌道上で、テンがキャメル・スピン練習をしているのに気づいた時には、この日本人の五輪王者はトリプル・アクセルを跳ぶための直前ターンを終えたところだった。 羽生は大声で叫び、テンを避けるために本来のパターンを変えてトリプル・アクセルを無理に跳びあがり、そして転落した。そのまま氷の上に座り込みながら、羽生はボード(フェンス)をパンチした。」

これは、日本で日本語で報道されたものと、完全に一致しています。

 

また、ネット上で、勘違いなのか、意図的な一部ねつ造なのか不明ですが、羽生選手に不利となる誤解を拡散させた人たちがいましたが、この記事には正確には、こう書いてあります。

 

ハニュウのコーチである、ブライアン・オーサー氏は、デニス・テンに明らかに責任があったと考えている。

『 誰かがプログラムを滑っている時は、その人に優先権がある。』と、2度の五輪銀メダリスト(=ブライアン・オーサー・コーチ)は言った。

『 それは明快な、暗黙のルールなんだよ。誰もが試合の演技プランがあり、(その演技のための)一定の決められた動作があるんだ。

 だからそれが妨げられたりしたら、誰でも、滅茶苦茶になってしまう。』 

ブライアン・オーサーは続けて言った。

『 何も意図的だったとまでは自分は思わない。(が、)一部のスケーターたちは、特に誰かがソロの曲かけ練習をやっている時には、氷の上でもっと注意を払わなければならない。』」

 

冒頭で明確に、「テン選手に明らかに責任があった」とオーサーコーチが考えていることが強調されており、続けてその理由がオーサーコーチのセリフとして書かれています。最後の言葉は、事実上、今回のテン選手への忠告です。 

これを、部分的にだけ取り上げて拡散して、現場を見ていたオーサーコーチが羽生選手を非難したかのように書き、さらに羽生選手をも非難する手段に使っている人たちがいますが、読めばすぐにわかることです。

意図的かどうかについては否定気味に書かれていますが、どちらに非があるのかについては、オーサーコーチの意見は明らかにされていて、ここで故意かどうかで大きくもめて対立を激化させたら、フリー直前であった羽生選手にとって、プラスになることは何もありません。 

これを読んで、アメリカ人をはじめ、欧米人の多くが羽生選手を誤解するなどという心配も、全くないでしょう。

多くのアメリカ人は、過去の有名な妨害事件の実在を知っていますし、殆どの日本人より、フィギュアスケートを観ている歴史は長いのです。裏でのドロドロがあること等、多くの日本人よりよくわかっています。

 

続いてこの記事の中で、元・全米王者であり、氷上の選手たちの攻防をよく知るはずのジョニー・ウィアーさんは、次のように語ったことが書かれていることに注目です。

「『世界トップのメンバーたちと一緒に氷の上で滑らなければならない時は、皆が、自分のための空間や 自分の滑る領域、時間の確保について争っているものさ。 それはスポーツの当然の性質だよ。』 

ウィアーは、TDガーデン(=ボストン世界選手権の会場名)で、木曜日の朝(=事件が起き、男子ショート試合のあった日の翌朝)、報道機関との会議の時に言った。

『 選手たちが、この世界トップレベル集団にいる時は、他のスケーターたちの演技パターンを知っているものだよ。

彼らは互いに、数え切れないほど一緒に滑ってきているんだからね。 

だから気を付けて、互いに気を配らなければならない。 

礼儀正しく、相手を尊重する競技者でいるためには、当然のことだよ。』」

 

ジョニーさんは、デニス・テン選手が意図的だったかどうかの明言は避けているものの、元選手の立場から、相手の演技パターンを知らなかった可能性はあり得ないと指摘し、羽生選手の曲かけ練習中にテン選手がしたことが意図的であるとの認識を匂わせ、トップレベルの競技者としてのテン選手の態度をやんわりと非難し、羽生選手を擁護しています。

 

羽生選手も、「ボーヤン選手の4回転ルッツを研究させてもらっている」と語っていたように、トップ選手たちがライバルの演技を研究しているのは、ごく普通で当たり前のことだし、そこで行われる高難度の技などは、勝敗を左右するのですから、むしろ他の誰よりも真剣に観ていることでしょう。 

逆に言えば、「何の時に何をされたら邪魔になるのか」も、良く分かっているはずなわけです。 

曲かけ練習の途中で、しかもまさに相手のその進路上で「キャメル・スピン」(=ブレードを外側に出して回るので、最もぶつかると危ないスピン、しかもスペースを一番広く使うスピンなので、妨害度も最も高くなる)をわざわざやることの意味が、わからない選手なんていないでしょう。

羽生選手の今シーズンのプログラムは、歴代最高得点を出したほど注目度の高いものであり、また彼のトリプル・アクセルは、「リンクのど真ん中を、複雑で難しいターンを繰り返しながら横切ってきて、助走なしの状態で直ちに跳ぶ」ということは、みんな覚えているだろうし、私にだってしっかりと記憶されていることです。 

なぜなら、そここそが、ソチ五輪の頃から一貫している、羽生選手だけが出来、他の選手たちには出来ない、一番凄いところでもあり、解説者たちを最も驚かせてきた点でもあるのですから。

それがハッキリと分かるからこそ、そしてここでこのように妨害されたら、演技でも致命的なだけでなく、直ちに羽生選手側の怪我につながる可能性さえあることが、選手ならすぐにわかるはずだからこそ、

羽生選手は、相手のこの行為に意図的な、許せないほどの卑怯さを感じて、「いくらなんでも、それはないだろう!」と、激怒したのだろうと私は思います。

(まして、前日にも繰り返されたがゆえに、相手に注意したばかりだったのですから。 

さらに、この時にその場で周囲には言えなくても、実際に怪我を悪化させてしまった可能性は非常に高いですから、その時の怒りと悲しみ、やりきれない思いは想像に難くありません。) 

 

もし、公式曲かけ練習で、スピンをしてさえいれば、曲かけ練習をしている選手の優先権さえもが、後回しになるなどということが許されるようになるのなら、

それこそ、ライバルの曲かけ練習の時に、軌道の真ん中に入り込んで、周りを見ないふりをしてスピンさえしてしまえば、いくらでも相手を妨害できることになってしまいます。  

それを選手たちが互いにやりあったら、どうなるでしょう? 

その程度のことさえもわからない選手など、トップレベルの選手たちにはさすがに誰もいないでしょう。

彼らは遊びやお遊戯で演技をしているのではありません。

トップ選手たちはみんな、その人生のほぼ全てをかけて、その後の人生を大きく変えるかもしれないほどの結果を出すために、真剣に練習してきて、真剣勝負で試合に臨んでいるのです。

 

 

元日本の代表選手だった、佐野稔さん(77年世界選手権・銅メダリスト、76年インスブルック五輪日本代表選手)は、この出来事の翌日に出た、次の記事の中で、こう述べています。→ http://www.sanspo.com/sports/news/20160401/fgr16040105000005-n1.html

「誰であろうとなかろうと、曲をかけての練習で進路を妨害してはいけないのが暗黙のルール。

羽生が怒るのも無理はない。

トリノ五輪金メダルのプルシェンコ(ロシア)が同じような状況に遭遇し、コーチが激怒したシーンを思い出した。」

 

どこかの週刊誌が、ずいぶん後になってから、いい加減なことを書いて印象を操作したようですが、佐野さんは自分のコラムで、直後にこう語っているのです。

「羽生選手が怒るのも無理はない」 そして、「あのプルシェンコ選手も、かつて同じような状況になって、コーチが激怒したことがある」、と、過去の事例まで証言しています。 

つまり、こういうことは、過去にもあったということです。

 

 結果的に妨げたのは事実であり、意図的でなかったのなら、「あ、失礼しました」で直ちに終了させて、その後は気を付けるようにしたはずで、これはたとえ外国でも(アメリカでも)、人々から信頼されるような人物なら、礼儀として当然のことです。

「未必の故意」(そうなっちゃうかもしれないけれども、まあいいや、と、結果が起こり得ることを認識しつつやった過失。)というのは、法律上は「故意」と同じとして扱われます。 (報道関係者なら、そのくらいのことは知っているでしょう。)

よって、「羽生ほどの人ならば、避けられるだろうから問題ないと思った」などという発言がコーチから出てきた段階で、故意と同じ、「未必の故意」があったことを自白したようなものなのです。 避けなければならない位置でスピンをやっている自覚があったことを認めたことになるわけですから。

自分の選手を庇うためにそう言ったのだろうとは思いますが、このセリフは、そのように庇わなければ反論できない状態でスピンしていた事実を証明しています。ですから、たとえ映像を見なくても、相手方のこの発言だけで、実際にはどのような状態だったのかが、簡単に推測できてしまいます。

 

羽生選手は、相手を引きずり下ろすような「汚い」方法で勝ちたいと思う人ではなく、むしろ、相手が優れているなら、自分がさらに優れた演技をしてみせることで、堂々と勝負して勝ちたい人です。

羽生選手が良く言ってきた、「みんながベストな中でも、それでも俺が一番だよ、という状態で勝ちたい」というのは、そういう意味であり、ライバルが怪我で絶不調な時に圧勝したところで、そういう勝ち方では、あまり嬉しそうな表情を見せません。

それは、2013年の全日本選手権の羽生選手の様子を観ていた人なら、それが本心からの言葉だと気づくことだろうと思います。

逆に言うと、汚いと思った行為をされたときは、耐えて悔しかった分だけ、喜びが爆発するのは理解できます。 

 

オーサーコーチはこの記事の中で、羽生選手のことを、「情熱的で非常に集中力が高い、彼のそういうところは、私は大好きなんだ」とも、わざわざ述べています。(羽生選手のそういう性格が、今回の羽生選手の反応に大きく影響したと見ているからでしょう。)

この記事が出たのは現地の31日ですから、羽生選手のショートの翌日、そしてフリーの試合の前日です。 

アメリカ会場で行われている、大事な試合の真っ最中に、有名なアメリカ人コーチともめ事を起こして、色んな点で不利にならないように、オーサー・コーチもジョニーさんも、北米人であり元選手である立場からも、相手を配慮しながらも、責任はデニス・テン選手側にあることを認め、羽生選手を擁護して発言したことがわかります。

またこの記事のライターも、双方の立場にそれぞれ配慮しながら書いていることが、読めばわかります。

(この記事に使われている二人の写真は、この事件の瞬間ではない、全く違う時の写真で、ただのイメージなので、誤解を招くと言えば、その通りかもしれませんが。)

 

 

さて、ここからは、20年以上フィギュアスケートを見てきた人たちなら、「当然に知っているはずの」

過去の有名な、「ライバル選手へ向けた妨害事件」について、2つだけご紹介して、

当時の議論がどのようなものだったか、を見てみたいと思います。

 

まず、曲かけ練習中の妨害事件について、見てみます。

 

実在事例1 : 伊藤みどり選手が、フランスのスルヤ・ボナリー選手にされた行為による、妨害騒動 (1992年アルベール・ビル五輪当時)

  

 女子初のトリプルアクセルを成功させたので有名な、日本の伝説的スケーター「伊藤みどり選手」に対して、練習中に妨害をしたとして有名になり、

 当時も、日本の解説者からのみならず、海外のトップ選手からも非難されていた、フランスのスルヤ・ボナリー選手。

 私の記憶では、彼女のこういった行為は、1度などではなかったと思います。

 それにより、当時の私は、「また妨害スルんヤ・ボナリー」などという、どうしようもないダジャレで覚えてしまったほどです。(苦笑)

 伊藤選手とボナリー選手は、当時どちらも、すごいジャンパーであり、アスリート型選手として有名でした。 

 伊藤みどりさんは、女子史上初のトリプル・アクセルの成功者ですし、ボナリー選手もトリプル・アクセルを跳んだ数少ない女子の一人です。

 さらに彼女は、女子なのにバック・フリップ(キャンデロロさんがやる、氷上の後方宙返り)が出来てしまう、超人的な脚力の持ち主でした。

 

 1992年のアルベール・ビル五輪の、伊藤みどり選手の、公式「曲かけ練習」中、

 伊藤みどり選手が曲に合わせて、トリプルアクセルからのコンビネーション・ジャンプを跳ぼうとしていたその直前に、その目の前で、試合内では禁止されていた高難度危険技「バック・フリップ」を、「バック・フリップ+トリプル・トウ」にして跳んで観客を沸かせました。(この技が出来るということそのものはもちろん、もの凄いのですが。)

 それを観ていた多くの人たちが、伊藤みどりさんの集中を妨げてジャンプの練習を妨害したとみなして、議論となり騒ぎになりました。

 それを伝えるアメリカの番組が、こちらです。

  

 

 問題は、それが伊藤みどり選手の、曲かけ練習の途中(真っ最中)でやられたことでした。

 ピンクの衣装を着ているのが、ボナリー選手で、彼女がジャンプを終えた直後の背後で、黒い練習着でポニー・テールをしながら横切っていく女子選手が、ジャンプの滑走に入るところだった伊藤みどり選手です。

 目の前で跳ばれ、さらに観客の歓声が沸き、まさにジャンプに向かう助走の途中だった「曲かけ練習中の」伊藤みどりさんが、トリプルアクセルを跳ぼうとしていたのに調子が狂い、結果、1回転になってしまった、と動画の中で、アメリカの解説者は指摘しています。

 

このことについて、1984年サラエボ五輪と、1988年のカルガリー五輪の両方で金メダリストとなった、元祖「表現力の女王」と呼ばれた伝説のスケーター、カタリーナ・ビットさんが、

選手間のかけひきや、選手の心情や実態を良く知るトップ選手の立場から、このボナリー選手の行為を、意図的な妨害行為だとして抗議し、伊藤みどり選手に同情の意を表しました。

 

私の知る限り、語り継がれるほどの有名な金メダリストは、おかしいと感じたことには、信念をもってハッキリと注意したり、抗議表明する「強さ」をもっていますね。 

たいてい、利害の対立する関係者から非難されたり、問題を指摘したことに対して、傲慢だの何だのと騒がれたりもするのですが、(例:バンクーバー五輪時のプルシェンコ選手)、何が正しかったかは、時が証明していきます。

 

トップ選手以外に、そのようなおかしなことを堂々と指摘出来る立場になれる人はなかなかいませんから、不正やおかしいことを放置する羽目にならなくて、問題が明るみになった結果、多くの選手たちが助かります。

元世界王者のチャン選手も、最終グループの時の氷の状態があまりにも酷い時に、たびたび苦情を言っていますけど、これは良いことだと、最近私は思うようになりました。

ソチ五輪(会場ロシア)の時も、今回の世界選手権(会場アメリカ)も、男子フリーの最終グループの氷の状態が、とても伝統的フィギュアスケート国の会場だなどとは思えないほど酷い状態で行われましたけど、

どちらのケースも、フリー当日の(トップ争いをする)最終グループの中に、会場となった国の選手が一人もいなかった、そういう時に起きている、という共通点があるのは、なんとも興味深いことでもあり、同時に残念なことです。

 

 

 下のニコニコ動画では、この当時、番組の中でカタリーナ・ビットさんが、ボナリー選手のしたことについて意見を問われ、明確に自分の意見を述べています。

  

 

動画の最初で、カタリーナ・ビットさん(当時の日本での表記・今はヴィットと書かれる)は、このアルベール・ビル五輪(1992年)で金メダリストになったクリスティ・ヤマグチ選手の演技について絶賛して、その後にこう語りました。

 「私はよく、誰かがパーフェクトの演技をした後に滑るのが好きでした。 なぜなら、私はプレッシャーを受けながら滑るのが好きで、”この人に勝つためには、自分が出来る全てをしなければならないわ!”と自分で自分を追い込んで滑るのが好きだったのです!」

…すごいですね。

相手がパーフェクト演技をすると、益々燃えるタイプだったようです。 誰かさんの発言と似ているような…(笑)

カタリーナ・ビットさんが、2度金メダルをとれたのは、このような考え方や性格が、関係しているのかもしれませんね。 

(この部分は上の動画内では訳されていません。)

 

その続きで、質問者がこの問題について話を切り出して、ビットさんに意見を聞いています。

質問者: 「プレッシャーと言えば、今朝、スルヤ・ボナリー選手が、伊藤みどり選手の前でバック・フリップをやったことが物議をかもしていますが、どう思いますか。 ただ滑っている時だったというのではなく、伊藤みどり選手が、自分の曲かけ練習をしている時でしたよね? このような状況下での この倫理的な問題についてどう思われますか?」

 

カタリーナ・ビットさん :

 あれを見た時は、さすがに少しショックを受けました。

なぜなら、これは試合の前で、曲に合わせて練習できる最後のチャンスだったのですから!

自分の曲を聞いて合わせられる最後のチャンスですから、いつも、緊張感がものすごく高まる時なのです。

だから、スルヤ・ボナリー選手は、伊藤みどり選手に対して、全くフェアじゃないことをしたと思いました。

伊藤みどり選手は、まさに3回転のコンビネーション・ジャンプを跳ぼうとしていたところでしたから。

観客が、(ボナリー選手のした)バック・フリップを見て沸いたので、(その歓声で)みどり選手は集中を欠いてしまい、失敗してしまったのです。

ボナリー選手のしたこのバック・フリップというのは、彼女が試合の中でやる技でもないし、そもそも試合では禁止されているもので、ただエキシビションでやるだけの技なのですよ!

だから、私はあんな風にして見せびらかすのは、全くフェアじゃないと思いました。

”なぜ、わざわざ みどりが曲に合わせて滑っている時にやるの?!”って言いたいです。」

 

 その後、ビットさんも、他の選手の曲の時に、即興で振付をつけて曲に合わせて滑ったりしたことを質問者に指摘されています。 

当時、これにより、注目が、魅せるのが上手いビットさんのほうに集まったからです。 

これは当時、「私の方が上よ!」という、女王としての一種の心理的圧力をかけているのではないかと一部から見られていて、日本の解説でもそのように指摘していたと私は記憶しています。 

(私には当時、ビットさんはすぐに音楽に乗るタイプだから、調子に乗ってやりたいように自由にやっているだけにも見えていました。理由は、圧力をかける必要さえ全くないと思われる、彼女のライバルになり得なそうな選手の時でも、曲がかかると即興で踊りだすことがあったからです。でも、それは確かに優越感や余裕があるからこそできる行為だろうし、それさえも、「カモフラージュ」のためだったという可能性までもは排除はできませんし、やられる側からしたら、主役を奪われる感じで、いい気分がしないのは当然だろうとも思うのですが、これは受忍されるレベルの心理かけひきだとみなされていたと思います。)

ビットさんはこの番組内で、その指摘に対し、「そんなんじゃないのよ~」って笑顔でかわして否定し、自己弁護しています。

 

 

 さて、この時、ボナリー選手は、伊藤みどり選手に直接ぶつかったりはしていませんし、もちろん、直接傷つけてもいません。

 ただ、ライバルの跳ぶタイミングに合わせて、近づいていって高難度のジャンプをしてみせただけです。 

 この時に限って言うなら、羽生選手がやられたように、露骨に進路を塞がれたとまでは言えず、また当時は長い助走があるので、助走で避けることはできる状況です。

 だけど、非常に汚い手段に出たと多くの人にみなされて、動画にあるように、大騒ぎになりました。 

 特に、試合なんて百戦錬磨で、2度の五輪金メダリストになった彼女が、このような行為について、上のように発言して「全くフェアじゃないわ!」と怒って抗議して、やられた伊藤みどり選手を、かつての最大のライバルであるにも関わらず、大いにかばっていることに注目です。 

 そのくらい、曲かけ練習が大事であることを、カタリーナ・ビットさんは主張しています。

 この感覚が、選手としては、当たり前だろうと思います。

 

 当時、ボナリーさんがこのようなバック・フリップをわざわざライバルの前で、近づいてやって非難を浴びたのは、私の記憶では、一度ではなかったはずです。

 公式曲かけ練習時に、非常に強い選手が、ライバル選手によって、何らかの妨害的・心理的圧力を受ける…

 強くない選手だったら、このようなことをされることは、もちろんありません。   

 強い選手だからこそ、やられるわけです。やられるのは、そうしなければ勝てないほどの相手だと認知された証拠でもあります。

 (伊藤みどりさんは、この時の、1992年アルベール・ビル五輪で、銀メダリストになりました。 )

 

 しかし、もちろん、故意だろうが過失だろうが、そんな「やられた側がやられ損」なことを繰り返すことが許されていいはずもありません。

 選手たちには、きちんと「曲かけ練習」で、演技についての最後の確認ができるチャンスが、公平に、均等に、きちんと保障されなければ、試合そのものがフェアなものと言えなくなります。

 

 

さて、もう一つ、紹介します。

こちらは、リンク外での出来事です。

   

 実在事例2: 非常に有名な、驚きの「故意の」傷害事件ーーー「ナンシー・ケリガン襲撃事件」(1994年リレハンメル五輪当時)

 

   リレハンメル五輪(1994年)の直前の当時、ナンシー・ケリガン選手(アメリカ)に対する、トーニャ・ハーディング選手(同じくアメリカ)の関係者による襲撃事件というのがありました。

  1994年、リレハンメル五輪を控えた頃、アメリカの代表者を決める全米選手権で、最有力候補だったナンシー・ケリガン選手を何者かが襲ってかなりの怪我をさせ、彼女はそのまま試合に出場できなくなりました。 その後、ライバルのトーニャ・ハーディング選手の関係者(元・夫)が、大会後に逮捕されたという、驚きの事件があります。 

   フィギュアスケートの歴史上、五輪をめぐる権力闘争の世界のドロドロっぷりを世間に印象付けた、信じがたいけど有名な事件です。

   これについてちょっとだけ触れた日本の番組が、以下のものです。

 

   

 

  この事件の被害者となったナンシー・ケリガン選手は、代表選考会であるこの試合に出られなくなり、また、怪我からの回復に時間がかかりましたが、最終的にアメリカ代表として選ばれ、リレハンメル五輪で、銀メダルを獲得して終わります。 ご本人は「この状況でよく頑張った」、と満足されたようです。 

  このリレハンメル五輪で金メダルを獲れたのは、事件と全く関係なかった、ウクライナのオクサナ・バイウル選手でした。

  この時のオクサナ・バイウル選手のEX「白鳥」は、ジョニー・ウィアー選手に感銘を与えて、彼がフィギュアスケートをやるきっかけとなりました。

   

  さて、嫌な話が続きましたので、ちょっと気分を良くするためにも、ここでその有名な、オクサナ・バイウル選手のエキシビション「白鳥」を、どうぞ。

  

 

  選手間で、様々な心理的駆け引きが繰り広げられていることは、以前から有名な話で、かつては解説者も堂々と指摘していたし、特に、五輪が絡んだ時は色々あったようです。

 Webronzaの田村氏の記事(→http://webronza.asahi.com/national/articles/2016042700009.html)に出てきた、サーシャ・コーエンさんの話は有名ですし、私もよく記憶しています。

 当時を知らない人たちは、これを、映像で実際に見てもらいたいと思います。

 こちらの冒頭部分は、トリノ五輪の時の、女子のフリー、最終トップグループ直前の六分間練習の動画です。http://www.dailymotion.com/video/x38t47a_2006-torino-ladies-fs-final-group_sport

(注:曲かけ練習ではありませんので、羽生選手のケースとは事情が全然違います。6分間練習と曲かけ練習は、意味も位置づけも性質も全然違いますので、これらを混合して考えないで下さい。 色々あるのだ、ということの証拠として、参考として、ここに提示するまでです。)

金メダルの期待のかかっていたアメリカのサーシャ・コーエン選手が、いつもとは明らかに違った、異常にプレッシャーがかかったかのようなおかしな雰囲気で、同じところを何度もぐるぐると回り、全く他人に進路を譲らない様子で、当時の日本代表選手である、荒川静香選手を押しのけるようにして激突しそうになった瞬間が映っており、また、解説者が、村主章枝選手ともそうなったことを非常に怪訝そうな声で指摘し、その問題に触れています。 

この時の解説は、佐藤有香さん(1994年世界選手権金メダリスト)ですから、元・選手として色々知っているであろう立場から見ても、納得できない気持ちでいたことが、珍しく怒ったような彼女の声色からも、良く解ります。

これがわざとかどうかは、本人にしかわかりませんが、誰がどう見ても、コーエン選手が「良い精神状態でない」のは明らかです。

誰がぶつかろうとかまわないほどの盲目な姿勢に見え、他選手に配慮する気配は全くありませんし、余裕もない状態です。

私はこれを観ていた時、コーエン選手の優勝はもうないだろうと思って見ていました。 

(この後、フリー本番では冒頭の2度のジャンプで転倒してしまい、精彩を欠いた演技となり、しかしそれでも銀メダルにはなります。)

 

そして、これもまた有名な話ですが、この直後、リンクから引き上げる時に、結果的にはこの時に金メダルとなった荒川静香さんが、「エッジケースを誰かに取られて、なくなっていた」そうで、エッジのカバーをすぐにつけられなかったことを、引退後に日本の番組で、非常に意味深長に語ってくれたことがあるのです。

エッジケースというのは、スケート靴のブレード(刃)のエッジを守るもので、これをつけることなしに普通のところを歩いてしまうと、スケート靴のエッジがダメージを負います。ダメージを負ったら当然、滑りに大きく影響していきます。(普通は、リンク周りは、ゴムのような素材でできた床になっており、スケート靴のまま歩いても良いようになっています。)

結局、荒川さんの証言によれば、アメリカのコーチ(サーシャ・コーエン選手のコーチ)が「サーシャのと似ていたから」という理由で間違って持っていたそうなのですが、「そうか、間違えたんだ」という番組内での素直な相槌に対して、荒川さんは当時、その番組で「いや、でも、似ているなどとは言っても、きちんと色も違っていたんですよ」と主張していて、少なくとも、荒川さんは意図的なものだったと思っているのだな、ということが良く分かる発言内容でした。

自分のだと指摘して、エッジケースはすぐに返してもらったようですし、大事になったわけではないですが、これは五輪の、6分間練習を終えたまさに本番直前なのですから、荒川さんのちょっとした精神的動揺を誘ったであろうことは、想像に難くありません。

このように、裏では色々なことがあるのだということを、番組内で荒川さんはほのめかしていたと、私は記憶しています。

上の動画でも、リンクから上がる時に、荒川さんが、「エッジケース… 取られた」と苦笑いしながら、日本語で話している声が入っています。

 

 でも、そういうことをやられても、既に慣れているのか、分かった上で余裕で対応しているような冷静さが、当時の荒川さんにはありました。(でも、わざわざ番組内で言ったくらいですから、きっと不服だったのでしょうね。)

そもそも、五輪の時だけ都合よく、「ライバルのエッジケースを、コーチが間違って持っている」なんていうことが偶然起こるのかどうか。

相手は、今まさにオリンピックで金メダル争いをしている選手とそのコーチなのですから、疑われてしまっても、仕方がないかと思います。

 

こういうことの意味を、どのようにとらえるのか、人それぞれですけど、

私はこういうことが起きたら、「やった側の負けが確定」だと思って 見ています。

 

結局、トリノ五輪では、この後、荒川さんが優勝して、金メダルとなりました。

 

羽生選手も、本当に色々あるとは思いますけど、正々堂々と、前向きに頑張ってほしいと思います! 

 

なお、選手本人が、国籍・人種差別的「ヘイト発言」をしたことは過去に一度もなく、そういう態度をとったこともないのに、本当にファンかどうかもわからないような怪しい「自称ファン」集団が、勝手にヘイト・コメントを送りつけたとか、勝手に嫌がらせをした、なんて言うことを、選手本人の責任にするほど愚かな人たちは少ないでしょう。 

そんなことになったら、数え切れないほどファンが付く有名選手ほど、いつもどこでも、自分とは関係のない、誰かのために謝罪する羽目になります。

正体不明の人たちが勝手にやったような差別的ヘイト発言行為は、それをやった人たちの人生の問題であり、過去にもそういった発言を一度もしたことがない羽生選手に関係はないのは当然のことです。

それと、今回の妨害の真偽についての問題とを混同させて、論点のすり替えを行って、羽生選手を非難するのは、まさに「論外」です。

 

長年関わっているフィギュアスケート関係者や、長年見てきたようなファンの中で、私が上に書いてきたようなことが、本当に分かっていない人たちは、極めて少数でしょう。 

だから、私はあまり心配していませんし、こういう問題が明らかになったのは、良かったことだとも思っています。

 

様々な事情が複雑に絡む中でも、「羽生選手の現状や将来を思った時に、何がベストになるのか」と、「より真理に忠実に」という視点を、私は個人的には最重視しながら、このブログを書いているつもりです。

 

裁判において、当事者双方に必ず弁護人がつくことで、公平な裁判が成立するように、どちらが正しいかは別として、双方を徹底擁護するような存在がいることは、私は基本的には良いことだと思っています。

ただし、ミスはあり得ても、意図的に「真実」を捻じ曲げていいはずもなく、仮にそれが行われた場合でも、いずれ真実は明るみになるものだとも私は思っています。

また、裁判において、同一人物による「双方代理(弁護)の禁止」というのがあります。

それは、双方が対立して争っている時、一人の弁護人が当事者双方を同時に対等にかばう、ということは事実上不可能で、それを認めるとかえって双方の利益を害するだけになってしまうからこそ、「禁止されている」のです。

 

これに対し、双方の間に立つ「仲裁」や、双方が歩み寄る「和解」というのは、どちらが正しいかを判断するものではなく、とりあえず矛先を納め、トラブルを鎮静化させるためのものです。

どちらが正しかったか、という最終判断が下ったわけではありません。

そこを誤解すると、おかしなことになっていきます。

今回、羽生選手は、どちらが正しいか、真実は何か等は、とりあえず自分のお腹に収めて、「お互い辛い状況にあった」という配慮を相手にも見せて、怒りも収め、自分からにこやかに握手して「和解」という形での、トラブル解決を試合後に選びました。

それは、未来のためでもあるし、立派だったと、私は思っています。

 

しかし、

百聞は一見にしかず、映像はねつ造よりも強し。

知っている人は、知っています。

上に書いてきたように、周囲の人たちが、何もわかっていないなどということは、全くないと私は思っています。

 

一部の羽生ファンの方々が、羽生選手が不利になったと思って、今でもかなり心配されているようなので、なぜ私があまり心配していないのか、なぜ私がそう思うのかの根拠も含めて、詳細に丁寧に書いたつもりです。

参考になれば、幸いです。

 

 

  「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、

  舌を制して、悪を言わず、

  唇を閉じて、偽りを語らず、

  悪から遠ざかり、善を行い、

  平和を願って、これを追い求めよ。

  主の(=神様の)目は正しい者に注がれ、

  主の耳は彼らの祈りに傾けられる。

  主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」

 (ペトロの手紙第一 1章10~12節  新約聖書: 新共同訳より )

 

  「 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。 

  その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。

  誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。

  神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、ご自分でも人を誘惑したりなさらないからです。

  むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、そそのかされて、誘惑に陥るのです。

  そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。

  (中略)

  良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父(=天地創造の神様)から来るのです。

  御父(=天地創造の神様)には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる影もありません。」

    (ヤコブの手紙 1章12節~17節  新約聖書: 新共同訳より)

 

 

「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」

    (ペトロの手紙第一 4章8節  新約聖書  新共同訳より)」

 

 

 


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7 コメント

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やっとスッキリしました。 (こういちまま)
2016-06-05 19:40:56
初めまして。息子の名前を使って「こういちまま」という、なんの捻りもないネーミングでお邪魔致します。ブログへのコメントと言うものに慣れていませんので、もしかしたら不躾なご挨拶になっているかもしれません。

この一件に関しては、私自身が英語を読み取ることが出来ないため、様々な情報に翻弄されモヤモヤとした気持ちで過ごしていました。あるブロガーの方が「あの場に居たオーサーが羽生選手が言った言葉を否定しているのだから、あれは羽生選手に非がある。第一テン選手が故意にそんな事をするとは思えない」という内容でブログを書いているのを読んで、それではオーサーコーチと羽生選手の信頼関係はどうなるの?自分の事を信じてくれない人に、心からの信頼を寄せて師事することなんて出来るの?テン選手のことは信用できて、本来ファンであったはずの羽生選手は信用できないの?という思いが脹らみ、でも自身で正しい情報をきちんと得ることが出来ないためにきちんとした反論もできず、本当にモヤモヤしていました。でも、結局そのブロガーの方も、きちんとした情報を元に判断されているわけではなかったのだと言うことが分かり、ホッとしています。あのとき、感情的になってしまったのだって、我が身に置き換えればもっと早い段階できっと腹をたてていたと思いますし、様々な状況から余裕も無かった筈の羽生選手があそこで声を荒げてしまったのだって仕方のないことです。第一、あの場に居たスケーターの人達が、バンケでも羽生選手と仲良く愉しげに過ごしているのを投稿された動画で見ると、きっと他のスケーターはちゃんと解ってるんだなと素直に思えました。
兎に角、この記事を読んで心がスッキリと晴れましたので、一言お礼を言いたくて、慣れないコメントを入れさせて頂きました。
ありがとうございました。
ありがとうございます! (管理人)
2016-06-08 08:28:15

>こういちまま様

初コメントと、感想を、どうもありがとうございました!
ハンドルネームに、特に捻りはいりませんので、大丈夫です!(笑)

私が書いたことが、お役に立てていましたら、幸いに思います。

今回のように、何か、情報が錯綜したり、複雑で誤解を招きやすい、おかしなことが起こったら、私は、そういう時こそ、周囲の人たち一人一人の本音が見えてくる、良いチャンスだと思っています。
何を信じるのか、誰を信じるのか、何を基準に判断するのか、そこにその人の本音が出てくるからです。

少し長い目で見れば、結果的には、羽生選手にプラスになるだろうと思います。


翻訳については、本当はその人が言ったニュアンスが違っていたとしても、(たとえば、相手がわざと嫌味を言っているような場合)、翻訳者の立場から、それを大きく広めることに躊躇がある場合、無難な言い方の日本語に変えられてしまっていることなども、見ているとチラホラあります。
そうすると、相手が言っていたことの問題の本質が時に見えなくなり、それを知らないファンは、決して嫌味を言わない「いい人」だなどと思い込んでいたりして、かえって言われている側が不利になったり、誤解が生じることなども、しばしばあるように思います。

相手の選手が過去に言ってきたことを全て知っていたり、その人が差別発言をしたことが過去にあるか、誰が何に憎しみをもっていたり嫌味を言っていたりしたことがあるのか等は、知ってさえいれば、明らかだったりしますけど、
それらを知らないで理想化する人や、知っていてもわざとなのか、何かにつけて、すぐに羽生選手をのほうを悪者にしたがる人たちがいるのは事実です。

また、部分的にだけ取り上げて、全体の発言意図をわざと捻じ曲げることも、簡単にできてしまいますし、過去にも、羽生選手は結構それをやられています。

文化的・宗教的背景の常識や発想の基礎を知らない場合も、解釈や受け止め方が変わってしまい、相手が言わんとしていることを勝手に自己解釈して、完全に誤解すること等もよくあります。

あの場にいたスケーターの方たちが、羽生選手と仲良く楽し気に過ごされている、そのことは最も重要なことですし、羽生選手にもきっと心強かったことでしょう。
直後のエキシビションで、羽生選手が浅田真央選手を紹介するときに、親友と表現されて、とても明るい笑顔が出て紹介していましたし、楽しそうにしている映像も沢山あったので、これは私のただの推測ですけど、きっと沢山の経験をお持ちの浅田選手からも、理解してもらい、励ましてもらえたのではないかと、私は感じました。

オーサーコーチやクリケットの関係者からすれば、正直言って、フェルナンデス選手が優勝しても、羽生選手が優勝しても、どちらでも構わないはずです。
どちらも可愛いでしょうから。そして、どちらでも、彼らの手柄になりますから。
でも、当たり前ですが、羽生選手は、自分が勝ちたい。
そのために、今までの人生や、今の生活の全てをかけて努力してきたのですから。


それゆえ、怪我を知られるとライバルを勇気づけることにもつながるのだから、羽生選手は本気だからこそ、時には本当の弱みを見せられないこともあっただろうと思いますし、そういう辛さは当然あったのではないかと思います。
また、羽生選手には、日本側の期待だったり、「経済効果」を狙った、様々な思惑からくる「自由のなさ」もあるように見えます。

そんな板挟みも色々とあろう中で、懸命にそれでも努力して、最高の結果を出そうと限界まで頑張っている羽生選手に、
「自称ファン」が、演技外での表情や言動が自分の理想と違うといって文句を言ったり、羽生選手の切実な言動に対していちいち揚げ足をとってネチネチ言ったり、同じ状況で、完璧な対応を出来もしないはずの人間が、上から目線で裁くことは、どれも羽生選手にとって残酷なことだと私には思えます。

アイスジュエルNO.3 という雑誌で、あの大変だったフリー直後のオーサーコーチのインタビュー内容が載っていますが、それを読むと、羽生選手の本当の怪我の状態の深刻さを正確に把握していたようには、私には感じられません。
でもその辺は、きっと大会後に、きちんと話し合ったのではないかと思います。 

「LOVE フィギュアスケート」という雑誌の最新号に、羽生選手の小学生時代のコーチだった都築コーチが文章を寄せています。
それを読むと、大ベテランの関係者でもあり、羽生選手の良さや凄さを本当に良く分かっているコーチでもある都築コーチが、今回のことを含めて、羽生選手をどのように見ているのかが、よくわかると思います。とても愛のある目線での、確かな内容でしたから、チャンスがあるなら読まれることをお勧めします。

都築コーチも過去にも何度も証言してきたように、羽生選手はとても正義感が強く、たとえ相手が年上でも、おかしいことには堂々と主張することをやめない子供だったようですし、私はこれは羽生選手の長所で、むしろ王者に必要な資質だと思っています。
そんな羽生選手と、もめ事を嫌って、相手に応じて時に玉虫色な対応を見せるオーサーコーチとはかなりタイプが違います。
だから、そもそも、感じ方等も大きく違って当たり前です。

でも、今回のことについて言えば、オーサーコーチは自分の役割に徹して対応しただけで、そこを周囲が心配する必要はあまりないと思います。

過去に似たようなことをされたというプルシェンコ選手のミーシンコーチや、 今回のテン選手のコーチも、選手を徹底的に庇っています。それは、コーチとしては私はとても重要なことだと思います。
ただ、次回の五輪は、韓国開催であり、韓国と経済関係の強い北米が背後で力を持っています。
韓国の事務所に所属し、アメリカ人コーチについている選手ともめて争うことの、将来的な不利益を考えれば、今回は問題をきちんと指摘して明るみにはしてある以上、それ以上の争い事にはせず、丸く収めたのは賢明なことだと私には思えます。
それは、非のあった相手の選手生命をも救うことにつながるからです。
最終的に、愛のある対応をしたのは、明らかに羽生選手の側です。

今は、その悲しみも苦しみも、羽生選手のエキシビションの演技に生かされたことを喜びたいですね。

その苦しさを乗り越えた優れた精神状態が、あの時の素晴らしいエキシビションにも、きちんと表れているからこそ、そして観る側に伝わっているからこそ、会場での人気投票で、羽生選手の演技が一番人気になったのだろうと思います。


心がスッキリ晴れたようでしたら、私もわざわざ書いた甲斐があり、とても嬉しく思います。
コメント、どうもありがとうございました!
ちょっとずれてしまうかもですが・・・ (こういちまま)
2016-06-10 15:22:32
コメントへのお返事ありがとうございます。
またもや丁寧な内容で、恐縮に思います。

アイスジュエル3、読みました。
読んでみて、私の中には別の不安が生じています。
私の勝手な憶測なので、読み流していただいていいのですが、羽生選手が試合が終わるまで怪我を伏せていたことで、オーサーコーチ・ハビエル選手・羽生選手の間に妙な亀裂が入るのではというものです。
2014年の中国杯の一件で、羽生選手はコーチに怪我の事実を伝えると世界選手権出場に難色を示される可能性を考えたのではないかと思いました(お正月のショーのあとには、痛くて歩けないほどの怪我だったわけですから)。
なので、日本に残ってコーチの目の届かないところでだましだまし練習と治療を行い、何とか持ち上げてトロントに渡ったのではないかと。
トロントでの練習風景がUPされたものを注意して見ると、転倒したあと羽生選手が非常に辛そうな(痛そうな)表情をして、一瞬左足のふくらはぎの辺りを押さえますが、直ぐに手を離し表情も戻して何てことないように立ち上がる動画がありました。その後の動きには痛みを感じさせるものはありません。
つまり、オーサーコーチは初めから羽生選手の怪我について知らされておらず、選手の体調をしっかり把握して、その状況に合わせたトレーニングをすることに自信を持っているはずのオーサーコーチの自尊心を、図らずも傷付けてしまったのではという心配です。
また、ハビエル選手が羽生選手の怪我を知ったのも多分EXの後でしょうし、スモールメダルセレモニーの時には相変わらずの仲の良さを伺わせていましたが、その後の雑誌のインタビューを読むと、羽生選手に関するコメントに刺があるように感じます。例えば、これは立ち読みした雑誌のインタビュー記事で、ちょっとショックを受けてしまい雑誌名を忘れてしまったのですが、羽生選手がテン選手に大声を上げた事に対してのコメントを求められ、「ユヅルはこれから自分がカッコよいところを見せようとしていたのを邪魔されて腹がたったんだろう」と返していました。ありえません。また、今まではトロントで自分と羽生選手の二人がいるこのチームこそが最高の環境だということを言ってきていましたが、アイスジュエルでのインタビューでは「ユヅルがいなければ他のスケーターがその役割を果たしていた」という突き放したものでした。
私が思うに、ハビエル選手は優勝が決まってからの会見で、「実は自分は怪我をしていた。でも今までで最高の演技をして優勝できた」と語っていました。ところが蓋を開けてみれば怪我をしていたのは羽生選手も同じで、それどころか実は全治2ヶ月(実際にはそれ以上かかっていますが)の結構な重症。自分の怪我より酷い状態であの試合を滑りきった。加えて羽生選手は怪我を言い訳に使わない。これでは正直カッコつかないし、何より2年続けて本調子ではない羽生選手に勝っての優勝なので、喜びが大きかった分後から知らされて釈然としないものが湧いてきたではないでしょうか。初めから故障を知っているのと知らないのでは、気持ちの持って行き方がきっと違うように思います。
羽生選手は非常に日本人らしい日本人ですが、その中でも特に男気が強いように感じます。でもそれは欧米人にはあまり理解出来ない性格なのではないでしょうか。だからオーサーコーチもGPFのあと、「ユヅルの事はよくわかったつもりで居たが、今になってまた分からないところが出てきた」という内容のコメントを出していたように覚えています。
アイスジュエルの羽生選手・ハビエル選手・オーサーコーチのインタビューを読み比べれば比べるほどに、その温度差を顕著に感じ、このままあと2年、平壌オリンピックまでチーム・ブライアンでやっていけるのだろうかと一人悶々としています。
誰のためのチームなのか (管理人)
2016-06-12 02:28:18
>こういちまま様

私の書き方が悪かったかもしれず、申し訳ないのですが、私は、羽生選手が怪我を完全に隠していた、とまでは全然思っていません。
私の推測では、羽生選手は本当の実態よりも、「過少申告」していたのではないか、と色々見ていて感じたのです。 2月いっぱいトロントに戻らなかった段階で、コーチ陣が怪我を知らないはずはないですが、その後の報告において、過少申告していたのではないかと。

そもそも羽生選手は、阿部コーチの時代から、怪我を隠していて後から怒られた経験がたびたびありましたし、お母様にさえ隠していて、でも結局バレる、と語っていたこともありました。 
大会期間中にうんと怪我が悪化した件については、その「具体的な酷さ」を、コーチに全く知らせていなかった可能性は高いように思います。
オーサーコーチは「軽い怪我」なんて言っていますし、
直後のインタビューでも、「何が起きたかわからない」、「精神的なものが原因だろう」などとのんきに語っていて、羽生選手の最近のインタビューや、城田監督の言葉と、あまりにも違っています。少なくとも、痛み止めが効かないほどだった、などとは、知らなかったことは間違いないでしょう。

オーサーコーチが世界選手権出場に難色を示す、は絶対にないだろうと私には思えます。むしろそこだけは、出させるタイプではないかと。
トップ選手たちの最も大事な試合は世界選手権で、選手の一生を左右する「評価」もここで決まります。
明確なドクターストップがかかっている場合以外は、選手は無理してでも出て結果を残したい大会であり、コーチもそう願うのが世界選手権であって、グランプリシリーズの中国杯とは、位置づけが全く違うからです。
(羽生選手はそのようにはとらず、試合全てに全力、というタイプですし、そういうやり方で来ましたけど、こういう人は珍しいのです。そこが羽生選手の凄いところでもあり、時に弱点にもなり得る部分でもあり。)

世界選手権直後の日本の報道で、羽生選手は1月半ばから、7週間滑れなかった、とありました。 
それが間違いないなら、だましだましの練習どころか、文字通り歩けないほどで、氷上練習は全くできず、陸上でやれることをやっていたのだろうと思われます。
1月半ばから7週間ですから、氷の上での練習再開が出来たのはたぶん、3月の頭頃です。
3月になっても、トウループ禁止令が出てしまい、サルコウで全て代用していたそうですから、それをコーチたちが知らなかったはずはありません。
ただ、そこで「羽生選手は優勝は厳しい」というムードになってしまうと、クリケットではフェルナンデス選手に期待がかかると思うので、その分、羽生選手は、本当の痛みの酷さをますます言えなくなる方向へ向かった可能性は高いような気がします。
(もちろん、これは推測に過ぎませんが。)

お読みになったフェルナンデス選手のインタビューの載った雑誌というのは、「フィギュアスケート Life」の6号ですよね。
あれはちょっと私も、羽生選手に酷いように感じました。
ただ、元の英文がわかりませんので、推測ですが、先に書いたように、「嫌味を、普通の無難な日本語に」翻訳できる一方で、その逆もあり、翻訳者の感覚次第で、「嫌味じゃないのに、やや嫌味に訳す」ことも出来てしまうことはあります。
また、フェルナンデス選手は英語が第一言語の人ではないので、必ずしもいつも正しい英語が使えているとは限らず、文字だけで訳すと、真意と違ってくる場合もあり得ることは、理解しておいた方が良いと思います。

例えば、羽生選手の英語を日本語に訳そうとするときには、表情や、今までの彼の発言や性格その他から、こういうことを言いたいのだろう、こういう意味で使っているのだろう、という推測を交えながら、より真意に近いと思われる日本語を選ぶように、私だったらします。
そうしないと、ただの直訳では、聞いた言葉から受ける印象が変わってしまうことがあるからです。

また、羽生選手の情報については、日本での情報がいつも一番正しくて、海外のものは、多少の誤解・誤訳が混じっていたり、ニュアンスが違って伝わっていることもしばしばあります。
微妙な日本語をどのような英語に変えるかで、ここは大きな影響を受けるからです。
同じことは、フェルナンデス選手にも言えるはずです。

これは私の想像ですが、その同じフェルナンデス選手のセリフを、違った日本語に訳せるとして、
「ユヅルは自分の理想通りに滑って見せようとしていたところ、妨害されたのでかなりイライラしたのだろう」と訳してみると、印象はどうでしょう?(雑誌の訳では、イライラと書かれていたかと思います。)
そこまで悪意には感じられなくなるかと思いますし、恐らく、羽生選手の「真実に」より近づくかと思います。
元の英語と、その時の表情や言い方を見ないと何とも言えませんが、この程度の差は、絶えず生じるものだと思っておいた方が良いでしょう。

ファンタジー・オン・アイス幕張のテレビ放送で、フェルナンデス選手がインタビューで、「グランプリ・ファイナルの初優勝と、ユーロの連覇と、世界選手権の連覇」を来季の目標に上げていましたが、最初、ユーロを言い間違えて、「五輪の連覇」と言ってしまったのです。
すぐに慌てて言い換えましたけど、まあ、アスリートとしては、それらを狙うのは当然だと思うので、ある意味本音が出た部分かと思いますが、羽生選手が聞いたら、これは絶対に笑えないですよね。

でも、その時の言い方と表情、直後の否定の仕方を見ると、五輪連覇の言い間違いについては、とても自分を恥じているようでしたので、特別に大それた気持ちがあるようには見えませんでした。
でも、これを文字だけで読んだら、印象がかなり変わってしまうだろうと思いました。

男性で、負けず嫌いで、特にアスリートの世界でしたらよくあるレベルだと思いますし、まして彼らは世界トップを争っているのですから、周りにどう見えようと、真剣に決まっていて、私はそんなに驚きません。

アイスジュエルでの発言は、正確には、「ユヅでなければ、誰かがその役割をしてくれていただろうと思います」 になっています。
競技では誰かが必ずトップになります。そのトップを目指して争うのは選手としては当たり前で、そのトップが誰であれ、トップの人を目指して頑張ることに変わりはないよ、という意味で言ったのだと思いますし、恐らくは、日本側の、「羽生選手がいなければ、あなたはそのレベルにいなかったのでは?」というようなニュアンスを感じ取って、ちょっとそれに抵抗した思いはあったかもしれません。(私はそう感じました。)

そもそも、4回転サルコウは、羽生選手よりもフェルナンデス選手のほうが先に習得していましたし、羽生選手は彼の技術から学びたい思いもあり、クリケットを希望したような側面がありましたし、後から入ってくる羽生選手受け入れを、拒否しないで喜んで歓迎したのはフェルナンデス選手なので、羽生選手の4回転サルコウについては、フェルナンデス選手の影響は大きいのです。 
また、後半の4回転を跳ぶコツについても、彼からアドバイスがあったと羽生選手は以前語っていましたので、ライバルに惜しみなく教えた、フェルナンデス選手の気前良さの結果が、羽生選手の今日に活かされてもいるのです。

それを考えると、フェルナンデス選手にも、それなりのプライドは当然あっただろうと思います。
羽生選手は、世界選手権直後のインタビューで、それに気が付いていたようで、その点に触れていました。

彼が、羽生選手の類まれな努力の仕方や姿勢、その分析力等、良い点をきちんと「学び」「真似し」た結果が、確かに世界選手権2連覇につながったので、特に今回は、フェルナンデス選手は、相当な自信になったのだろうと思いますし、実際に以前とは比較にならないほど上手くなっていますし、本気に見えます。

アスリートのトップ争いという意味では、これらの羽生選手とフェルナンデス選手のちょっとした挑発の仕合ぐらいは普通で、王者は一人しかなれないのだから、互いに譲る気がないのは当然だろうと思います。

ただ、難しいだろうと思うのは、同じコーチから教わっているという部分ですね。 誰のためのチームなのかが難しくなってしまいます。
今までは、フェルナンデス選手が遠慮気味でしたけど、今後はそうはならないでしょうし、羽生選手はそこが、大変ですよね。 ふつうの選手だったら、きっと絶対に避けたいケースだろうと私は思います。

でも、それをどう感じるのか、どうするのかは羽生選手が決めることです。
羽生選手は、かつてのヤグディン選手とプルシェンコ選手の、バチバチに火花を散らした容赦のない闘い(特にリンク外は凄かった)を見て、心燃やしていた少年なくらいですし、自分で「超のつく負けず嫌い」と公言してきたくらいですし、自分のことをよく冷静に見つめられる人です。
今までも、状況を打開する賢さがずっとありましたから、ファンは、心配せずに「信頼」して、羽生選手がどうしていくのかを見守っていれば良いのでは、と私は思います。

* 続きます

またもや丁寧なお返事ありがとうございます。 (こういちまま)
2016-06-13 09:19:33
こんにちは。
私の勝手な思い込みからくる不安に対して、ご丁寧なお返事を戴いて、本当にありがとうございます。

お返事を読ませて戴いて感じたのは、言葉の壁の何と大きな事かというものです。
原文を読んできちんと理解できるという事が、如何に重要であるかに加え、それが出来ると出来ないのとでは、和訳された文章を読むときの解釈の幅に、これ程までに違いが表れるのだなということを強く感じました。
仰るように、翻訳者の感性でニュアンスはいくらでも変化するでしょうし、和訳された文章の表現に拘ってしまえば、本来その言葉を発した人物の意図するところと食い違ってしまう可能性が大きいのは確かですね。
とは言え、英語を理解出来ない私のような人間は翻訳された文章しか読むことは叶わず、どうしても翻弄されてしまいがちです。
元よりネットや週刊誌で取り沙汰されるものについては意に介してはいませんが、Lifeやアイスジュエルのようなフィギュア専門誌に書かれている内容となると、そのまま鵜呑みにしてしまうところが多分にありました。
そうやって考えると、羽生選手が初めてカナダに渡った頃にはどれだけの苦労があっただろうと思わずにはいられません。
今でも、日常会話はこなせていても、ちょっとしたニュアンスの伝わり具合などに不便さを感じるのか、あれだけ堂々と英語のインタビューに答えられるようになっても「英語の勉強をしないと」と語っていました。
それだけ普段のトレーニング中にも、コーチ陣とのコミュニケーションに苦慮しているのだろうと感じます。


「つづきます」という言葉の次のお返事内容も、電車の中で一度読ませて戴いておりましたが、帰宅してもう一度開いた時には削除されていました。
その文章には一度目を通しただけですので、もし意図されるところと違ってはとも思いましたが、仰ることは多分ある程度理解出来たのではと思っています。
読ませて戴いてやはり思った事は、周囲が色々言ったところで最終的に判断するのは羽生選手自身ですし、ましてファン一人一人が其々の憶測で羽生選手の周囲を不用意に騒がせる事はしてはいけないなと。


ここから先は、私の憶測が作る文章です。
世界選手権のあと日本に戻らず、カナダに残ったのは、恐らく城田監督の進言があったのではと考えています。
オーサーコーチはじめ、カナダのコーチたちと充分にコミュニケーションをとる必要があるでしょうし、スポーツ医学も日本よりあちらの方が進んいる気がしますし、何より静かな環境で、必要以上にまとわりつく日本のマスコミや、無理なアイスショーへの出演依頼からも守られる必要があったのではと勝手に思っています。
羽生選手がもし日本に帰って来ていれば、きっと充分に治癒していなくても、周囲の事を考えて無理をしていた可能性はあったと思います。
どこの事務所にも所属せず(一応ANA所属とはなっていますが、ANAは今まで主に金銭面の支援だったと思います)、スケジュールも自分で調整し(これも復興支援に自由に携わりたいとの思いからではないかと)、東北の復興に役立てるためと考えて何かしら無理をしてしまうのではと考えて、そうならないためには帰国せずカナダで静養するのが一番のように、私は感じています。
そう考えると、ANAが城田さんをフィギュア部(元々羽生選手のために作ったものな気がします)の監督に就任させてくれた事は、これから先の平壌五輪までを名実ともにしっかりサポートしてくれる気満々なのだろうと、それこそ勝手に思っています。
オーサーコーチが、羽生選手は周囲にサポートしてくれる人々が沢山いると言っていました(文章の流れから、ハビエル選手より恵まれていると比較されていたようですが)。
確かにそう思います。そして羽生選手はその事をきちんと理解しているからこそ、無理をしてきたのだろうなと。
でも、人間の体には限界があります。たとえどんなに鍛え上げられた人でも。
怪我を押してまで無理を通す羽生選手には、それをしっかり管理してくれる味方が必要であり、それが城田監督なのかなと、想像しています。

とにかく、五輪まであと2年。
羽生選手は次の夢の実現のため、今はしっかり怪我の治療とリハビリに専念してほしいと思っています。

長々とお付き合い戴いて、ありがとうございます。
これからもブログを読ませて戴き、色々勉強させて戴きたいと思いますので、よろしくお願い致します。
遅くなりましたが、続きです(その1) (管理人)
2016-06-15 18:22:07
>こういちまま様

スミマセン、ちょっと忙しくて続きが遅くなりました。
「続き」文は、ご指摘の通り、一度UPしたのですが、夜中に寝ぼけ気味に書いたせいで、かなり読みにくい文になっていたのと、もう一度雑誌を確認してからと思い、一旦削除しました。

上のコメントでの、こういちままさまの「憶測」は、ほぼ私も同じ感想で、仰る通りだと思っています。羽生選手にかかる期待も凄いけど、羽生選手の頑張りや真面目さと人気、それに付随する経済効果を、「単に己の利益目的で」「利用しようとする」人たちも日本に多いことが、非常に残念です。
今回のアイスショー問題も、まさにそうだと思いました。

言葉の壁は大きいのは確かですが、同時に、きちんと人間対人間で接している時には、その言葉の壁を乗り越えることが出来るのが人間だとも、私は思っています。
ハートがあれば、ある程度のものは通じますし、下手に言語の文法などにこだわるより、そのほうが通じることさえよくあります。

「目は口ほどにものを言う」とも言いますし、「目」や、「行動」が、何よりも雄弁に本音を表している場合も多々あります。

フィギュアスケートは、基本的には体で表現する競技ですので、 羽生選手も含め、選手たちは、そういう「言語外で伝える」のは得意だろうと思われます。(笑)
だから、人間関係においては、羽生選手が普段、相手と接していて、何が伝わってくるのか、何を感じ取っているのかが一番大事であり、重視すべき点になるだろうとは思います。

ただ、細かい説明だの、注意だのなんだのというのは、一番誤解が生じやすいところかな、と思いますし、今回のような複雑なトラブルの時には、言語や文化の問題は大きく関係すると思います。

相手が、嘘をついて騙す目的や、「都合よく利用する」意図がある場合も、より注意が必要です。


それから、またもや誤解を与えそうで申し訳ないのですが、もちろん、例のフェルナンデス選手のインタビューは、その言葉通りだった可能性も、もちろんあります。 

ただ、あまり悪意にとってばかりみても、羽生選手にとって良いことは少ない気がするのです。

キリスト教圏には、「罪を憎んで人を憎まず」という発想がそもそも根底にあり、何かの悪の指摘 が、人の非難というよりも、「罪そのもの」の指摘の意図であることが多々あり、だから、罪を指摘して相手が本当の反省(悔い改め)を見せたら、後はあっさりと、「神の赦し」があるがゆえの「許し」が当たり前のように行われるのが普通で、殆どの人は、それ以上ネチネチとやったりしません。
(※ この「許し」は、その罪に該当する行為を、「やっても問題なし」という意味にとる、という意味ではありません。)

神様が許された(赦された)ものを、人間がいつまでも罪の指摘を続けたり、裁くことは、むしろ高慢であり、愚かなことだと考えられているからです。

日本が、世界トップの自殺率で不動なのは、この「赦し」「許し」がないため、「再出発」「やり直し」があまり認められない社会だからで、責任感が強くて頑張る人ほど、苦しくなっていって悲劇につながりやすくなります。 
そういうことを理解していないと、翻訳一つとっても、その人が言った意味が、時に大きく変わってきてしまいます。


本来は、そこまでひどい翻訳の差が生じたりはしないはずなのですが、ネット上では、アンチと思われる人たちが(おそらくはわざと)、違った意味に解釈したり、ねつ造を加えたりして、正反対の意味にして流したり、非難の材料に使ったりしていることがあり、それを「ファンが」信じてしまうことも多々あるのが厄介です。
元の英語を確認してみると、全然違った、ということが時々あるのです。羽生選手は特に多くやられている気がします。

フィギュア専門 誌の場合、基本的には私も信じるようにはしています。 

だけど、最近のように、人気に乗じてあまりにも沢山の雑誌が「利益目的で」やたらと発行されてくると、その中身の信ぴょう性は個別に判断するしかなく、同じことを取材したはずなのに、編集の方針などで、書いてあることが大きく違っていることがたびたび出てきています。
では、何が本当なのか?という問題に当たってしまうのです。

スケートの場合、以前から、正式なライターのようでありながら、なぜか、誰かを好きなあまり 誰かを悪くみようとして貶めるような文章を平気で書くような倫理観のない人がいたり、雇い主のためにひたすら書いている人たち、あるいは、どこかからお金をもらってそのような行為をしているのかもしれない印象の、疑問に思わざるを 得ないことが度々あります。

今回取り上げた雑誌は二つとも、最近出てきたばかりの雑誌ですので、それぞれの雑誌「全体」から、その編集方針や発行目的を読み取る必要もあります。

今日もう一度、フェルナンデス選手の「Life」のインタビューを確認してみました。
確かにあれはちょっと良い表現で解釈することは難しい内容かな、と思うのですが、恐らくあれは、ショーのために来日した後のインタビューですよね? 
だから、仰るように、世界選手権の頃とは、気持ちが変わってきた可能性もありますけど、他選手のファンの顔色をうかがって無難に収めようという意図があったかもしれないとも思うし、(そもそも、普段の練習と曲かけ練習を混同している段階で、全く話になりませんが)、あるいは確かに本音なのかもしれないし、その辺はわかりません。
もしあれが文字通りの本音だったら、私も彼を非常に残念に思いますね。

ただ、絶対に言えるのは、「他選手のファンも沢山読むよう に作られた雑誌」であり、羽生選手のインタビューはとても少なく、羽生ファン向け、という感じではありませんでしたので、読んで分かる通り、羽生選手に好意的には私には見えませんでした。

何よりも、デニス・テン選手本人のインタビューが載っています。 
つまり、テン選手ファン向けでもあるわけです。 彼を追い詰めることは、書けないでしょう。

(私の見解は、この記事の本文に書いた通りで、「公式曲かけ練習」の話から論点をずらしてあるという点で、ここに載っているフェルナンデス選手の見解は、全く論外です。) 

でも、テン選手のインタビューではその真意を聞くこともなく、この問題に触れてさえいないというのに、あえてフェルナンデス選手にこの質問をぶつけ、それをこのような形でわざわざ掲載していることは、そういう意図があり、羽生選手と羽生ファンをバカにしていると思われても、仕方がありませんね。 

表紙は羽生選手の写真で、羽生ファンに宣伝していたのですから。

そもそも、この雑誌の宣伝の仕方にも、ちょっと非常識で愚かに感じられる点があり、私は最初の段階から疑問を感じていました。 そういう非常識な宣伝が出来る、というところからして、決して賢いとは思えませんし、正しい判断が出来る人たちとも思えないのです。そして、そういうところには案外、その担当者の本音や本性が表れていたりするので。

(疑問を感じるものや、買うほどの価値を感じないものは、無理して買う必要はないでしょう。 当たり前のことです。)

結論を言うと、日本にいる他選手のファンで、猛烈な羽生アンチなどの感情に配慮した内容になっている、と考えるべきだろうと思いました。(あるいは、今回の羽生選手に批判的な思いの人たちも編集内部にいる、ということですね。)

たとえ日本語で答えても、利害関係が絡んだりする と、本当の言葉通りに伝えてくれているのかがわからず、非常に厄介だとわかるのは、今回のアイスショーが良い例かな、と。
出場の可否についても、どう考えても、本当は羽生選手はそれぞれの大会の欠場発表よりも、絶対にもっと前に返事を出していたはずだと私には思えます。

ですので、仰る通り、私も、羽生選手は「カナダで療養中」で正解だったと思っています。

それでないと羽生選手は、その頑張り屋やサービス精神旺盛なところを利用されて、無理させられて、不必要なまでに消耗するばかりにさえなった可能性があります。


スミマセン、(その2)に続きます

遅くなりましたが、続きです(その2) (管理人)
2016-06-15 18:26:30
※どうやら、私の作業ミスなどではなくて、gooブログ全体の不具合によって、投稿できなくなっていただけだったようです。


(ここからは、以前のコメントの続きとして用意していた文です)



男気が強いのを、欧米人が理解しない、などということは全くないですし、北米ではフィギュアスケートより、アイス・ホッケーの方が盛んだったりもします。

日本人でも羽生選手を全然理解できていない人たちも大勢いるし、結局、最終的には、互いに相手を尊重・信頼できるかどうかが一番大事で、国籍や人種より、人間対人間の、相性だろうと思います。

また、英語とスペイン語というのは、英語と日本語と比べると共通性も高くて、言語習得がうんと楽だと聞きますので、
フェルナンデス選手は羽生選手より、意思疎通が楽だろうし、簡単に理解しあえる面はあろうかと思います。

私は、「チーム・ブライアン」というネーミングこそが一番問題で、本来は、「チーム・羽生」と「チーム・フェルナンデス」であるべきだろうと思っています。

チームの後ろに来る名前は、フィギュアスケートなら、選手の名前であるべきです。
コーチやスタッフのために選手がいるのではなく、選手のためにコーチやスタッフがいるべきなのですから。

「チーム・ブライアン」という本は、クリケット関係者による、クリケットのための、宣伝・利益のための本、でしかなかったと私は思っています。

ただ、外から見えているものと、中の選手とコーチの本当の関係・実態というのは、当人同士しかわからないものも多々あると思いますので、もしそこがダメなら、きっと羽生選手本人が決断するでしょう。
(今まで他の日本選手たちも、ある日突然、コーチ変更、などをすることがありました。)

変えないなら、変えない方が良いと思う判断・決断なり、事情があるのだ、ということだろうと思います。

アイスジュエルNo.3のインタビューを読むと、羽生選手のインタビューは、世界選手権からかなり時間が経って、恐らくは5月半ばくらいにとったインタビューと思われ、オーサーコーチのインタビューは、世界選手権の翌日に取られたインタビューだと書かれているので、
その時間差を意識して読む必要があります。

私は、オーサーコーチのインタビューより後に、怪我の実情報告も含めた、本音での話し合いが当然あったのだろうと想像しました。 それを受けての、羽生選手のインタビューの言葉になっているのかな、と。

羽生選手は自分の意思を貫き通すタイプのようですから、コーチがベストと考えるアドバイスと違う意思・判断を貫いた時もそれなりにあったように見えました。

でも、その中で、羽生選手は、ただ与えられたものをこなすだけではない、自分が目指す演技だったり、自分らしい表現や、自分なりの色を見つけた、という大きな収穫があったようですし、マイナスに働いた面も確かに一部はあったとしても、それさえもすべて、今後に活かせることだと思うし、プログラムへの今後の積極性につながっていくだろうし、未来を考えれば、とても良かっただろうと私は思います。

羽生選手の可能性や潜在能力、「どこに限界があるのか」という、「前人未到の世界」は、たとえベテラン・コーチでも、本人ではない「他人」には、なかなか判断できないところでしょう。
自身が、自分の限界を見極め、身体と相談しながら最終決断するしかないからです。

その孤高の作業の中で、何が必要なのか、誰を信用して誰と組むとか、何を目標にするとか、どんな演技を目指す、そういった決断は全て本人がすることですし、その結果を受け止めるのも、本人です。

ファンとしては、羽生選手の判断、潜在能力と可能性を、何よりも「信頼して」応援してあげることが、一番応援になるのでは ないかなと、私は思っています。

私は、本来の使命と関係ないことで身体を酷使されてしまう類の心配を除けば、羽生選手の未来は、全然心配していません。

「心配」より、「信頼」で、応援していけるといいですね!(笑)

私はただ、意図的であろうと間違いであろうと、羽生選手を貶める方向へ、あるいは真実ではない事柄を真実とされて、羽生選手が悲しくなる方向へ「嘘を真実化」するような内容が流布されていると感じる時に、多くのファンがそれに惑わされて、一緒になって羽生選手を非難してしまうような方向へ行かないように、という思いで、色々書いています。

ファンの心配は、的を射ていることも多々あるとは思う し、有り難いこともあると思います。
関係者は絶対に言えないことだからこそ、ファンが言うべきであるようなこともあるでしょうし、アイスショーのように、お金を払う立場のファンだからこそ、言うべきだと思うことも色々あります。

何が羽生選手の応援になるのか、という視点から、私になりに思うこと、感じること、そして、「あり得る」と思われる、色々な可能性に触れてみましたので、そういう参考として使ってもらえれば幸いです。


羽生選手が、少しでも心身ともに、元気になれますように、
そして、あらゆる悪しき思惑から、徹底的に守られますように、心よりお祈りしております!