ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県千代田町、舞木城址です!!

2017-11-06 05:34:30 | 城跡・館跡・陣屋跡
舞木城址は、千代田町役場の西北西約2kmのところ

県道38号足利千代田線の北側住宅地の中の

小さな公園に案内版が建っています

南東側から見た公園です

公園の中央には、藤原秀郷公誕生之地の大きな石碑が建っています

裏側の碑文です
従四位下下野守鎮守府将軍田原藤太藤原秀郷公は、上野国邑楽郡舞木村に
  生まれた英雄である、祖先は左大臣藤原魚名、父は下野国・・・(良く見えないので)

コトバンクでは
  藤原北家魚名の子孫。父は下野大掾村雄。母は下野掾鹿島の娘。延喜 16
  (916) 年罪により一族 18人とともに配流されたが,のち赦免されて
  下野掾,同国押領使となり,六位に叙せられた。天慶の乱が起ると,
  常陸大掾平貞盛とともに,平将門を下総国幸島 (さしま) に攻め,天慶3
  (940) 年2月これを誅した。同年3月軍功により従四位下,次いで
  下野守に任じられた。その子孫は東国に広がり,亘理,武藤,小山,結城,
  下河辺などの諸氏は,いずれも秀郷を祖とする。また西行の祖先で,
  その事跡は『将門記』『今昔物語集』『平家物語』に出るが,鎌倉,室町時代
  にはむかで退治の英雄伝説の主人公として,『太平記』『俵藤太物語』に描か
  れている。



南側道路脇に、舞木城址の説明版が在るだけです
   舞木城址
     所在地 千代田町大字舞木51
    舞木城は、面積およそ3ヘクタール、周囲に土居と溝渠をめぐらせた
   平城で、藤原秀郷が承平年中(931~937)に築城したと伝えられ、
   その後享禄年間(1528~1531)まで秀郷の子孫が居城したとい
   う。
    また館林盛衰記には、享禄のころ赤井照光が大袋城(現在の館林市羽
   附)から舞木城へ年始の道すがら子狐を助け、その狐の導きによって館
   林城(尾曳城)を築いたと記され、舞木と館林のつながりを浮き彫りに
   している。
    この地は明治42年に小学校の敷地となり、昭和44年には、小学校
   移転により「たわら住宅団地」が造成され現在に至っている。
       平成5年3月     千代田町教育員会





藤原秀郷公の誕生地については、諸説あるようです

ウィキペディアで調べてみました

   田原の藤太由来には、相模国淘綾郡田原荘(秦野市)を
   名字の地としていたことによるとする説、
   幼時に山城国近郊の田原に住んでいた伝説に求める説、
   近江国栗太郡田原郷に出自した伝説に求める説など複数
   ある。




では、次へ行きましょう






2017年11月3日仕事で足利まで行く途中で取材させていただきました
コメント
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