「この日の思い出」羅平・石林

2022-02-28 15:34:32 | 日々思うこと

[この日の思い出」は2011年の「この日」中国雲南省

昆明.

中国へは15回ほど訪れたがまだ初めのころ母と桂林漓江くだり

をした時、石林にも行く予定だった。

だが、当時よくあることであったけれど飛行機が飛ばない

ということで2,3日桂林市内で待ったけれど諦めて紹興酒を

お詫びだともらって帰国した。

それで諦めきれず石林行きのツアーに1人参加した。

東京都に匹敵する大きさの黄色に埋め尽くされたカーペットは

素晴らしいと聞いて2月に石林行きを決めたのだった。

 

今はもう中国には行く気持ちになれない。

いい時に行ってきたと思う。

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新潟・津南町

2022-02-24 14:57:56 | 日々思うこと

このところ新潟・津南町の積雪が16年ぶりに4mを

超えたと報じられている。

津南町ーかねてから行きたいと思っている町。

義妹と吹き割の滝に行ったとき、老神温泉に

泊まった。伍楼閣。

沼田駅から車で沼田市内を通って滝に向かう。

街は駅から見上げるような高いところにあった。

河岸段丘の街。

小さな河岸段丘は気づかないまま歩いているけれど

沼田は「これぞ河岸段丘」という姿で目の前に

拡がっていた。驚いた。

ところが日本最大の規模は魚沼産コシヒカリの

産地である津南町の河岸段丘であると知って

行きたくなった。

それに柱状節理が連なる「石落し」があるという。

柱状節理は規模の小さいものは各地で見てきたが

東尋坊、兵庫の玄武洞、高千穂峡、日御碕灯台も

すばらしかった。

ことに玄武洞はお店の人に解説してもらったので

よく分かりすぐに弟夫妻を誘ってまた行ったほど

感動した。

高校の時、地学は選択だったので取らなかったし、

その後そういう関係の書籍も読んでいないので

恥ずかしいけれど知識は全くない。

旅は無知の人間にもいろいろな知識や感動を

与えてくれる。醍醐味と言えよう。

 

 

 

 

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野麦峠の館 21年度限りで閉館

2022-02-23 15:11:27 | 日々思うこと

スマホをなにげなく見ていたら長野、岐阜の県境に

ある野麦峠の「野麦峠の館」が21年度限りで閉館

との記事があった。コロナ禍で野麦峠祭りは2年連続

中止。その上土砂崩れで通行止めになっているらしい。

以前野麦峠について書いたことがある。

白骨温泉に行った帰り、立ち寄ったのだ。

6人で観光バスを借りきっての1泊旅行の旅だったが

わたくしがここへ寄ることを強く希望した。

そのときも書いたと思うけれど高校時代先輩の友人に

ああ野麦峠」(山本茂美)を読んだ?と聞かれて

読んでいなかったけれど「読みたくない」と

答えていた。

大体のあらすじは知っていてこういう辛い話は

読みたくなかった。

逃げていたのだ。

ところが、後年夫と飛騨古川に行ったとき、「八ッ三」

いう古い旅館に泊まった。

その旅館こそ飛騨の若い女性たちが長野岡谷の紡績工場に

連れていかれるとき最後に泊まった宿であった。

宿の展示物を観てぜひ野麦峠に行きたいと思った。

後に富岡製糸場にも行ったが、集まった女工たちは

全く条件が違っている。

コロナはこういうところにも影響を及ぼしている。

いろいろな施設がコロナ禍に悲鳴をあげていることであろう。

 

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新聞購読者と固定電話の衰退

2022-02-19 13:02:44 | 日々思うこと

昨日の午後美容院に行ってきた。

そこで今の若い人は新聞を取らないし、固定電話

を持たないと話題になった。

我が家は夕刊も取っているけれど、夕刊購入者は

ご近所でもほとんどいないようだ。

固定電話を持たないのは若者だけではない。

同級生から耳が聞こえなくなったので携帯だけに

したと連絡が来たことがある。

わたくしは固定電話は常時留守電にしていて登録して

ある電話しか出ないことにしている。

ところが一昨日の夜たまたま電話の前に立って

いたときベルが鳴ったので取り上げてしまった。

珍しく古い友人からの電話だった。

まだわたくしが20代の中頃、彼は新卒で赴任してきて

同僚になった。どちらが先だったか記憶にないが

異動になって別の職場になった。

特別な用があるわけではなさそうで、昔話や近況を

ひとしきり話して「長々と申し訳ない」と切れた。

わたくしが引っ越したせいもあり、20年近く前に

会ったきりである。

コロナ禍で巣ごもり生活が続いていると人恋しく

なるのだろうか。

 

コロナ感染者の増加は尋常ではない。

蔓延防止等重点措置がとられているけれど

どうも複数の老人施設でクラスターが起きている

らしく感染者は病院に入院できないどころか、

市内の感染者用ホテルにも入れず、よその市の

ホテルまで運ばれるそうだ。

オミクロン株の感染力が強い、検査困難の派生ウイルス

BA・2(ステルスオミクロン)もじわじわ近づいてくる

ようで油断ならない。

春なのに・・・春だから・・・コロナ菌よ、

どうか花粉にくるまれて力尽きてくれ!

 

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2月の「この日の思い出」

2022-02-17 14:27:01 | 日々思うこと

2月に入っても「この日の思い出」がいくつか届いて

いたけれどバタバタしていて開いていなかった。

コロナ禍で家籠り生活しているうえに寒いせいもあって

敷地外に出ることすらない。

「この日の思い出」を開いてみると結構出かけているのに

寒さの中を出かけたという記憶がないので今年の春は

特別寒さが厳しいのだろうか?

 

河津へ2度(最初の時は伊東で2泊)(2度目は義妹と

袋田の滝を観ての帰り熱海で下車宿泊)

天草、平戸、伊万里、長崎。

中国石林,羅平

伊豆半島横断 など。

河津の2度目と伊豆半島横断以外はすべて1人旅。

2013年2月13日14日に毎月食事会をしている仲間7人で

観光バス会社の 豪華21人乗りを借りて(運転手付き)

富士山巡りをした。

新東名から白糸の滝に立ち寄り忍野八海へ。

宿泊は鐘山苑。   

白糸の滝で工事していた人たちも今日のような見事な

富士山は見たことがないというほど素晴らしい富士山を

一日中眺めながらのドライブだった。

鐘山苑はお庭も素敵な旅館で少なくともゆっくり2泊はしたかったが

仲間と一緒の旅でバス代、ドライバーの費用もあり1泊。

お風呂の湯船のふちに丸太風のものが設えてあり湯船に

浸かってそこに頭を置くと大きな窓ガラス越しに富士山が

見える。

帰りは山梨・川口湖畔から清里へ。

諏訪湖SAから恵那峡SAに南下して帰宅した。

2日目もよく晴れて富士山に見送られての旅だった。

 

2015年2月6日堺市。

弟と大阪に出かける用があって大阪で1泊。

翌6日、堺に足を延ばした。

以前、エジプトへ行ったとき関空出発だったので大阪で前泊した。

その時行ったことがなかった堺まで「行かない?」と夫を

誘ったけれど「明日から長旅になるのでゆっくりしよう」と

断られてその後も行きそびれていたのだ。

市役所の展望ロビーに上がって360度の景色を眺めた。

案内の人が「あれが野茂のいた新日鉄堺です」と説明された。

野茂選手は堺の自慢の人だなあと改めて思った。

そこを降りて駅前でタクシーと3時間の観光を交渉し、いろいろ

名所を案内してもらった。

親切で地元の名所を解説付きで案内。

中でも一番心に残っているのが妙国寺である。

本能寺の変

家康は当時ここに宿泊。妙国寺の僧の助けを得て難を逃れた。

堺事件

慶応4年2月15日、フランス軍艦より水兵100人が上陸。

市内を闊歩し傍若無人の振る舞いに堺警備隊の土佐藩士が

対応したが言葉が通じないため両者銃撃応酬の末、

フランス兵11名の死者を出し、国際問題となった。

フランスに賠償金を払うとともに土佐藩士20名に切腹が命じられた。

2月23日妙国寺で日仏立会人の面前で堂々割腹自刃。

11名が切腹を遂げ12人目にかかろうとしたとき、

仏の立ち合い検視人もその様を見るに忍び難く切腹は急遽

中止され残りの9名は土佐へ流刑となったという。

小堀遠州作の蘇鉄で構成された回遊式枯山水の庭園も

見事であったが、この土佐藩士の話は初耳でとても

感慨深かった。

誰でもご存じの事件なのだろうけれど「生麦事件」と違って

教科書で読んだ記憶がなく「知らないことばかりだ」と

改めて自分の無知と旅の面白さを思った。

 

 

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