白花盛り

2023-04-30 15:24:48 | 日々思うこと

ようやく雨はやんだものの空は暗い。

部屋の中からガラス越しに庭を

眺めているといろいろな花が咲いている

バラ、名残のチューリップ、

クレマチスなどなど。

なぜか白花が多い。

山吹、紫蘭、むらさきつゆくさなど。

我が家に黄色の山吹はない。

紫蘭はあるけれどまだ咲いていない。

紫のツユクサもない。

「紫色」は好きなのだけれどどうして

こうなったのか記憶にない。

ホトトギスが伸びてきている。

あす晴れたら庭に出てみよう。

*********

明日から5月。

わたくしの誕生月。

また一つ年を重ねる。

例年通り息子から

「何か欲しいものない?」と聞いてきた。

残念ながら何もない。

でもこういうことはある種の決まり事

なので数年前から1万円もらうことに

している。

初めの頃嫁は「いいのでしょうか」と

気にしていたけれど、懸命に考えるのは

お互い面倒なので「今年も同じように」

と返事した。

わたくしが母にしていたように。

母も欲しいものがあれば自分ですぐ買う人

だったので「なにか欲しいものないの?」

って聞いても「何もない」と言ってそれでも

考えて渡すと「本当にもういいから」という。

「くれたがり屋」だったので幾つになっても

逆に買ってもらうことが多かった。

おおらかな気のいいひとだった。

弟がその血を受け継いでいてよく食事に

誘ってくれ、差し入れしてくれる。

義妹もいい人でわたくしは弟夫婦に助けられて

生きている。ありがたい。感謝している。

 

 

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養老軒の大福

2023-04-29 11:10:05 | 日々思うこと

スーダンから退避した方たち48人が

帰国された。

「富士山が見えたとき涙がこぼれそう

でした」と。

こんな状況ではなくても外国から帰国

して窓に富士山が見えると「帰ってきた」

という感情がわく。

ご無事の帰国本当に良かった。

昨日お昼ご飯を済ませて1時予約の

美容院へ行こうと玄関まで出たとき

義妹から電話で「今家にいる?」

「いるけれど、これから美容院に行こう

と玄関まででてきた」と言ったら

「ちょっとだけ待てて」と養老軒の

「イチゴ大福」「フルーツ大福」

「たまごプリン」を届けてくれた。

岐阜県川辺町というところに本店が

あり、いつも行列だと聞いている。

名古屋、岐阜駅などにもお店があり

たまに購入してきたが、久しぶりで

とてもおいしかった。

********

昨日の夕刊が最終となった。

物心ついた時から朝夕刊を購読して

きたので何か寂しい。

ニュースはTV,スマホのほうが早いので

さし触りがあるわけではないけれど

習慣というか癖になっている。

「紙」の文化はだんだんすたれていく。

時代の流れだ。

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今日は寒かった・・・寒暖差

2023-04-26 18:38:54 | 日々思うこと

今日は朝から雨ふりで寒かった。

電気代は気になるけれどエアコンを

つけた。

夕方になってようやくお日様が現れた。

先日3ヶ月予報が出たが今年の夏も

暑いという。困ったことである。

********

晴れてきていつも購入している農家の

方が依頼していたつきたてのお米を

持ってきてくれた。ハツシモ。

このお宅はハツシモとコシヒカリだけ

を作っているので特に指定しなければ

どちらが来るのか分からない。

わたくしの舌は賢くなくこの2種の

味の違いが分からないのでどちらでも

かまわない。

ところがまずいご飯はすぐ舌が感じ、

食堂でも「まずいね」とちょっと口に

しただけで分かる。

お米屋さんに行っていたときは

「青天の霹靂」「魚沼産コシヒカリ」

「ゆめぴりか」「ひとめぼれ」など

いろいろ食べていたけれどちょっと

べたつくかなと思うくらいでほとんど

違いが分からなかった。

3キロで1か月余りある。

********

このつきたてのまだ暖かいお米を

持ってきてくれる方の連れ合いは

7年前の夏畑の中で熱中症で亡くなった。

見つけたのは後から畑に行った

彼女である。

連れ合いのほうと偶然知り合って

持ってきてもらうことになっていた。

亡くなったことを知って購入を

辞めていたけれど続けてほしいと

いうことで彼女に買うことになった。

彼女は息子の1人と父親の残した田畑

を守っている。

「寂しいね」とつぶやいて帰っていった。

 

 

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JR宝塚線事故から18年

2023-04-25 13:11:01 | 日々思うこと

あの日からもう18年なのか。

JR宝塚線の脱線事故を夫の入院している

病院近くの民宿で朝ごはんを食べながら

聞いた。

1か月ほど前の3月末、2泊の予定で来て

いた温泉のホテルで夫が突然倒れ地元の

病院救急車で運ばれていた。

突発性硬膜下血腫と診断されすぐ

手術を受けたけれど意識が戻らない

ままでいた。

息子たちが帰った後、ホテルと病院は

少し離れていたので連日病院近くの

ビジネスホテルや民宿を訪ね歩き

やっと気に入った民宿を見つけ

そこを定宿にして病院に通っていたのだ。

もともと涙もろいわたくしは突然

不幸に見舞われた方たちのことを思って

食事がのどを通らなくなった。

夫はその年の11月初め一度も意識が戻る

ことなくわたくしを残してこの世を去って

しまった。

あれから18年か。

病院に通いながらどこにもぶつけようがない

怒り、悲しみ、苦しさを吐き出す場所として

ブログを始めた。

だからブログをはじめて18年ということ

になる。

彼が亡くなったときいったん閉じた

けれど、なかなか立ち上がれなくて

また書き始めて次第に救われていった。

ブログの場所は変わったけれどわたくしの

心の支えになった。

そして今宝塚線事故の記事を辛い思いで

読んでいる。

悲しみは何年過ぎても消えることはない。

 

 

 

 

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人手不足・・・友人のこと

2023-04-23 14:13:28 | 日々思うこと

今朝から庭の草取りを2人に

してもらっている。

先週畑の草刈りをしてもらって

翌日庭に取り掛かってもらうはず

だったのだけれど雨が降ったりして

今日になった。

その間にさらに草が伸びた。

陽気が良くなりGWも近付いて

人出が増してきているというのに

飛行場も宿泊施設もお店も人手不足

で困っていると昨日TVで報じていた。

それを見ながら遠い昔の友人のことを

思い出した。

昔も大不況の時があった。

久しぶりに実家に帰ったとき、母が

「Tちゃん立派だよ」とわたくしの

小、中、高で同級生だった友人の

ことを話題にした。

彼とはもうその頃付き合いはなかった

けれどずっと仲良しで親のあとを継いで

地元で中小企業の会社の社長になっている

はずだった。

実家の近くの人が彼の会社で働いていて

不況で仕事がないのに解雇されず毎日

定時に会社に行き会社内外の掃除をする。

何人かでするのですぐ終わるけれど

とりとめがないのでまたしばらくすると

みなはたきや箒をもって立ち上がることを

繰り返している。

解雇されたら食べていかれない。

本当にありがたいと言っているそうだ。

Tちゃんは「せっかく技術を覚えた人材

今解雇したら景気が良くなって仕事が

増えたときに集まらないから」という。

かれも苦しかったであろう。

 

彼は高校2年の時結核になって1年留年した。

一緒に卒業できなかったのでその後

少し疎遠になっていた。

ところが大学の春休みだったと思うが

音楽会に行かないかと誘われて電車で

1時間ほどの公会堂まで行ったことがある。

その時、彼は同志社に行っていた。

「実は大学進学を親に猛反対された。

お前は3代目だ。よく3代で会社は

つぶれるという。大学に行かないで実務

おぼえろ」

祖父が会社を興し、父がそれを継ぎ

確か当時市会議員だったと思う。

「だから僕は絶対に会社を潰すことは

できない。守り抜く」

こうして守り抜いて数年前娘婿に4代目を

渡した。

小学校高学年の頃だったと思う。

男子児童が何か悪いことをして

教師に帰りの会で

やったものは手を挙げろ」と

怒られた。しばらくシーンとなった

とき彼が手を挙げた。

「僕です」

彼ではないことをみんな知っていた。

ほかの数人もつられて手を挙げた。

子供心に「へぇ、やるじゃん」と

思った記憶がある。

その彼らとこちらにわたくしが

引っ越してきて月1回食事会をすること

なりコロナで中止するまで118回続いた。

最初の頃はよかったけれど社長を譲った

頃から酒癖が悪くなり、切りなしに

飲みたがり仲間5人も優しくとりなして

いるだけなので「Tちゃん、よしなさい!

いい加減になさい!」と大声を上げたら

黙ってしゅんとなり横になってしまった。

もう昔の彼ではなくなった。

酔っぱらいは手が付けられない。

その頃コロナ感染者が増え始めて

長く続いた食事会は取りやめになっている。

 

 

 

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