元さんの日々是好日

日々感じたことを徒然なるままに。

オオジシギ

2023-06-30 18:00:29 | 野鳥
先日、スキーリフトの太い索道のロープの上に点にしか観えない野鳥を発見して、150メートルの距離をだるまさんがころんだ方式で近づいてみた。なんとオオジシギだった。
数年ぶりのご対面で嬉しかったので、少しずつ進んで一定の距離まで詰めたら、「それ以上近づくな!」と、この野鳥独特のだみ声で威嚇し始めた。真下まで行ったが飛び立つ気配はなく、ずっと鳴き続けている。うっかりしていたがどうやら営巣地に入り込んでしまったようで、急いで後ずさりして「御免なさい!」と誤って退散した。私が元の場所に戻ると警戒を解いていた。
オオジシギの直ぐ脇でゲレンデ整備の草刈りをしていたが、まさかオオジシギが営巣するとは考えもしなかった。無事に雛が孵ってオオジシギ特有のディスプレーが観られるのを期待したい。
今日も一日片付けに時間がとられた。今日で6月が終わり、今年も半分が過ぎてしまう。光陰矢の如し・・・か。

見つけた最初の画面

少しずつ近づいて

かなり近づいても飛ばない

真下に行ったら威嚇してきた
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ホシガラス

2023-06-29 20:25:41 | 野鳥
愛嬌があって衣装も奇麗なホシガラス。毎年この場所で会うのを楽しみにしている。
標高はスイスのダヴォスとほぼ同じで、ハイキングでも人気のある場所だ。この日は生憎雨模様で、湿原には歩く人も見当たらず、ハイマツの実を食べにくるホシガラスを独り占めしていた。
 レンズを向けると「ヤァ来たか」と言うように、独特の声で歌ってくれたり、ハイマツの実を咥えて「ホラッ」と見せてくれたり、そばに近づいても逃げようともしなかった。
 カラス科に属するこのホシガラスは、衣装といい顔立ちといい、なかなかのしゃれ者で愛嬌のある野鳥だ。毎年会わないと気になる野鳥で、今年はタイミングよく会えて良かった。
 今日から何年も溜めていた不要な書類の廃棄に取り掛かった。膨大な資料は見ずに捨てることが大事だ。少々腰が痛くなったが、当分は気を抜かずにやらなければならない。

愛想よく迎えてくれたホシガラス

ハイマツの実を咥えて

ホラッと見せてくれた

近くに行っても逃げるそぶりも無し
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中休み

2023-06-28 17:27:22 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨の中休みが続いているので、もう直だろうと見当つけて行ったら、到着すると目の前でノスリの雛の巣立ちが始まった。ぎこちない動きで巣から出ると、近くの枝に飛び移りキョロキョロ下界を見回している。一番目の雛は既に外観も親に似てきて、精悍な顔つきと共に貫禄があった。二番目は危なっかしい足取りで、太い木の幹を歩いて巣立った。ふ化して間もなくは丸い大きな目とふわふわの衣装が人気だったが、いまでは猛禽の貫禄十分である。三番目の子はまだ巣立ちを逡巡しているように見えたが、直ぐに先の兄弟を追うだろう。野鳥たちの巣立ちもなかなか良いものだ。今回は良い休養になった。

一番上の子

二番目の子

末っ子
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マイナスカード

2023-06-24 18:20:16 | 日記・エッセイ・コラム
マイナンバーカードのトラブルが後を絶たない。政府はマイナンバー情報総点検本部を立ち上げたが、その直後から新たなトラブルが出てきて、一体どこまで広がるのか見通しも立たない。カードと個人情報の紐づけがトラブルのもとになっているが、安全が担保されるまでカードの普及を取りやめなければ、ますますカードに対する不信感は募るばかりだ。負けるのが分かっていて太平洋戦争に突入した日本軍になぞらえる人も出てきた。
2兆円もの巨額なエサを蒔いたので、誰も止めることが出来ないのだろう。恐ろしいことだ。いまではマイナスカードと呼ぶ人も出てきた。郁子なるかな。
昨年の今頃 ツミの幼鳥が巣立った 今年はベランダ観察も出来ない
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慰霊の日

2023-06-23 20:35:02 | 日記・エッセイ・コラム
1945年第二次世界大戦の末期、南西諸島に上陸した連合軍と日本軍が繰り広げた最も凄惨を極めた地上戦で、敗れた日本軍の組織的な戦闘が終わった日として設けられた。20万人以上が亡くなった沖縄戦から78年目の今日、県主催の追悼行事が摩文仁の丘で行われた。
沖縄在勤中の3年間、摩文仁の丘には何度も通い、こちらに戻ってからもナハマラソンで行った年には必ず訪ねた。
今沖縄ではアメリカと中国の緊張の高まりを受けて、南西諸島防衛と称して自衛隊のミサイル基地が次々に南西諸島に建設されている。沖縄の友人は「再び本土防衛の捨て石になる」と心配している。先日のニュースでも、いざと言う時の島民避難には1週間もかかると報じられていたが、これではまさに捨て石状態だ。
今日の追悼行事は岸田さんも出席するから、本土の各メディアはそれなりの扱いで報道するが、いま沖縄が置かれている極めて危険な状態に深く刺さった論調は見当たらない。
先日放送メディア研究16の特集で、“沖縄「復帰」50年”―何が伝えられ、何が伝えられなかったか―(NHK放送文化研究所)を読んで感じたが、米軍基地やそれから派生する問題などは、「沖縄の問題」として捉える本土メディアと、「日本の問題」として捉える沖縄のメディアの違いが、本土の人たちの無関心を生んでいるのではないか。
いざ戦が始まったら他人ごとではない。何よりお隣の国とはどんな手段を使っても良いから、まずは話をして手を握りあうことだ。第二の故郷沖縄を再び戦場にしてはいけないと改めて思う。

山形の友人からサクランボが届いた 佐藤錦がぎっしり詰まっていた 感謝!!
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