A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

少年を誑(たぶら)かしたJAZZ三悪人~ラウンジ・リザーズ/J.B.ウルマー/リップ・リグ&パニック

2014年10月17日 00時45分03秒 | 素晴らしき変態音楽


1980年色白の少年が高校のブラスバンドでボロボロのバリトン・サックスで行進曲を練習していた。ぶりぶりバリバリ、低音がマウスピースを銜えた前歯から頬骨を伝って頭蓋骨にジーンと響くのが堪えられなく好きだった。「スターウォーズ」の映画は観たことがなかったが、テーマ曲の雄大な響きに宇宙を夢見た。家へ帰るとパンクのレコードを聴きながら、高校入学祝いで買ったグレコのファイアーバード・モデルを肩から下げて鏡の前でポーズをとったり、ジャンプと風車奏法を練習したりした。パンク以外にレジデンツやキャバレーボルテールなどオルタネイティブも好きだったが、それを聴く時は部屋の電気を消して、正座して瞑想することが多かった。クラブ活動のブラバンと、自分の部屋で聴くロックは関係ない別の世界だった。アイツ等を耳にするまでは。アイツ等のせいで、ボッチにならない為の社交活動だったブラバンと、自分だけの甘い歓びだったロックが、瞬間接着剤の如くくっ付いてしまったのだ。アイツ等め!赦せない!と気付いた時には手遅れ。麻薬を静脈注射されたようにJAZZの虜になっていた。まさにプッシャー。紅顔の少年を誑(たぶら)かして、厚顔無恥なズージャ中毒に陥れた凶悪犯3組をココに晒す。

●ラウンジ・リザーズ The Lounge Lizards
 

ジョン(sax)とエヴァン(kbd)のルーリー兄弟と元DNAのアート・リンゼイ(g)、フィーリーズのアントン・フィア(ds)等により78年ニューヨークで結成されたジャズコンボ。夜の社交界のジゴロを意味するバンド名、胡散臭い伊達男ファッション、50年代ジャズの嘘くさい模倣で、「フェイク・ジャズ」と称された。曲がコンパクト(長くても4分半)で、サックスの適当なアドリブに「オレでも出来る」と勘違いした者は多数居た。チューニングしていないガギグゲギターもパンクでカッコいい。2ndでリンゼイとフィアが抜けた時初めて結構テクニシャンであることを知った。



●ジェイムス・ブラッド・ウルマー James "Blood" Ulmer
 

ポストパンク時代に彗星のように現れた前衛ジャズ黒人ギタリスト。40年生まれだからパンク時代にはアラフォーだった。何といっても当時ポストパンクの最先端レーベル「ラフ・トレード」からアルバムをリリースしたことが衝撃的だった。黒人少年が「アメリカに居て嬉しいかい?」と手書き文字で語るジャケも印象的だった。弦を一本一本指で掻くようなアタックの強いピッキングにパンク魂を感じた。実は70年代初頭に御大オーネット・コールマンの元でしっかり勉強した由書正しいフリージャズ戦士だという事実はのちになって知った。NHK FMで放送された原宿ピテカントロプスでの来日コンサートのエアチェック・カセットは密かにお宝。



●リップ・リグ&パニック Rip Rig & Panic
 

ポストパンクの到来を告げたPOPじゃないのにポップ・グループが80年に分裂して産まれた三つのバンドのうちのひとつ。取っ付き易さはピッグバッグの方が上だったが、玄人筋(マイナー志向)にはリップ・リグがウケた。最も新鮮だったのは、1st,2ndアルバムが45回転2枚組だったこと。似た形態はPILが『メタルボックス』でやったが、缶入は高くて買えなかったので、一般ピーポーにはリップ・リグが初体験のハズ。いちいち回転数を変えるのが面倒だったが音はいいような気がした。バンド名がローランド・カークのアルバムに因むと知って、吉祥寺のジャズ喫茶メグでリクエストしたがシカとされた。さらに本物感があったのが、これまた御大ドン・チェリーの娘ネナ(当時はネネ)・チェリーの参加だった。2ndには御大ドン親父も参加。83年初来日公演を82年に火災で閉鎖したホテルニュージャパンの地下クラブ「ラテンクォーター」で観た。



少年は
ズージャに気触(かぶ)れ
精通した*




*first ejaculation, Spermarche




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