牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

幸せな生き方&幸せな死に方

2012-11-19 06:39:22 | Weblog
 人間はいつか死ぬ時を迎えます。しかし、多くの人にとって死は恐ろしく。特に愛する者との死別は悲しく辛いものです。
人生が死で終わる者であるならそのとおりです。私たちの教会では毎年、天国聖会を行っています。

11月23日(祭)午後1時30分より、生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。

白方誠彌先生17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の専門医としてもご活躍です。終末医療の現場で多くの死を見つめて来られ、医師としての立場からお話下さいます。

 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話をしてくださいます。

私も今年は交通事故、右脳内出血、小脳梗塞という死から3度もいのちを与えられました。

今も無理は出来ませんが、昨日も礼拝説教、今朝も生駒聖書学院のチャペル説教、午前中の授業での講義と仕えております。

 ムリが出来ませんが、家の周囲や聖書学院内の散歩も数千歩も歩きながらの日々です。

8月の入院中、病院で読んだ目に止った詩です。

今日は死ぬのに とても良い日だ
あらゆる声が私の内で 声をそろえて歌っている
あらゆる生あるものが 私とともに仲良くしている
すべての美しいものがやって来て 私の中で憩っている
すべての悪い考えは 私の中から出て行ってしまった
今日は死ぬのにとても良い日だ
私の土地は 平穏で私を取り巻いている
私の土地は もう最後の鍬が入れ終わった
我が家は 笑い声が満ちている
子どもたちが帰って来た
(タオスのプェプロインディアン老人の詩)

 
ピリピ人への手紙

1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。

1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。

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