牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

聖書の中にロックハンマー!自由の地に立つ

2012-06-19 08:13:05 | Weblog
卒業生のブログ・ブルーバード(渡邊恵姉)より転写します。

 ゼカリヤ書5章の6節にはこう書かれています。「私が、それは何ですか」と尋ねると彼は言った。「これは出て行くエパますだ。」そして言った。「これは全地にある彼らの罪だ。」

 この説の罪という言葉がずっと頭に残って離れませんでした。西洋の文化は罪の文化で日本の文化は恥の文化だといった人類学者がいます。

 キリスト教が長年続いた西洋は罪に対する意識がとても高いようです。キリスト教の教えでは行動で移された罪をはじめ心の中の罪まで問われるので、そのハドルは厳しいものです。

 マタイの福音書5章27節から28節にはこう書かれています。「姦淫してはならない」と言われたのをあなた方は聞いています。しかし、私はあなた方に言います。誰でも情欲を抱いて女を見るものは、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」

 また同じ5章の22節には、「しかし、私はあなた方に言います。兄弟に向かって腹を立てるものは、誰でもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって能無しというような者は最高議会に引き渡されます。またばか者というような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」

 聖書に書かれている罪から人間誰一人逃れることはできないと思います。そのため神様は私たちにイエスキリストを送ってくださいました。

 すべての罪を背負って十字架に掛かったイエスキリストによって私たちはその罪から開放されました。

 今日、私はその罪から解放されたある人の話をします。キャリーというホラ小説で有名になったスディーブンキングというアメリカの作家がいます。

 私は彼の本が好きで数冊も読みました。彼の本は"キャリー"を始め、"シャイーニング"、"デットゾーン"、"スタンドバイ ミ"、"グリンーマイル"まで多く映画になりました。

 彼の作品の中にはキリスト教の色が濃く現れています。その中に"刑務所のリタヘイワーズ"という中篇小説があります。

 この小説も映画化され日本では"ショーシャンクの空に"と言う題名で上映されました。

 "ショーシャンクの空に"には無実の罪で刑務所に入った一人の男が、自由を得るまでの過程が描かれています。

 エリート銀行員のアンディは妻とその愛人を射殺した罪で刑務所に入ってきました。しかし、それは冤罪でした。

 彼は妻とその愛人を殺そうとしたのですが行動まではいたりませんでした。20年近く刑務所で過ごしたある日、真犯人を知っているという一人の囚人が現れます。しかし、彼の釈放を望まない刑務所長により自由の門は閉ざされます。

 けれども嵐の晩、主人公のアンディは19年に及ぶ長い期間掘り続けた刑務所の壁を通し自由の地に旅立ちます。

 脱獄に成功し、降り注ぐ大粒の雨の中で両手を広げて喜ぶ彼の姿は忘れられない場面です。

 残された聖書の中には磨り減ったロックハンマーを収めるために穴が開いていました。

まさに道は聖書の中にありました。

 私はこの映画を見ながら聖書とその中に隠しておいたロックハンマーの意味を、聖書と十字架に置き換えてみました。

 殺人までは至らなかったけれど心の中ではもう既に殺人を犯した彼は、刑務所の日々の中でその罪の意識で苦しみます。しかし、彼はいつか必ず自由になることを信じていました。

 19年間刑務所の壁を掘り続けていく彼の姿を思い浮かべながら、私は罪の奴隷になっている人間を解放させるために十字架に掛かった、イエス様の姿を思い浮かべました。

 この映画の主人公アンディは聖書の中に隠しておいたロックハンマーで自由を得ました。今もこの世には罪の奴隷になり自由を求めている多くの人々がいます。

その人々は罪から来る心の葛藤や苦しみから逃れようと色々な道を探します。

 宗教に走る人、麻薬に走る人、色々な趣味で慰めを得ようとしている人、答えが見つからず自殺をする人がいます。

 しかし、道は聖書にあります。罪から開放するものは十字架しかありません。私たちのすべての罪を背負いイエスキリストは十字架に掛かりました。イエスキリストを信じるとき、あなたの罪は雪より白くなるのです。

 すべての罪の束縛から解放されるのです。自由のみになります。道は聖書にあり、答えはイエスにあります。


ペテロの第一の手紙

2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。


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