牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

100パーセント確実なこと

2017-07-25 18:24:19 | Weblog
マタイの福音書13:47-50 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
13章から海辺の垂訓=教えのたとえ話の7番目です。2番目の毒麦のたとえと同じく、必ず最後には正しい裁きがあり、決着がつきます。
聖書は、罪の支払う報酬は死である。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル9:27)
00パーセント確実なことは、人間は死ぬことです。そして、死後に裁きを受けることも定まっています。それから逃れることはできません。
最後の審判のとき、全てが裁かれます。イエス・キリストは、自分のいのちを十字架に犠牲にして、私たちが受ける裁きを自らに受けました。その事をアーメンと信じるだけで、投げ捨てられる魚のようにはなりません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです(ヨハネ5:24)
最後の審判を恐れることなく、罪の報酬である死からも救われ、永遠のいのちを持ち、さばきにおびえることもなく、死からいのちに移った平安と喜びの毎日です。
のちあり生かされる限り、恵みと愛に満たされ、使命を果たし続ける幸いな一日です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

喜び踊る幸

2017-07-25 18:10:32 | Weblog
ペテロの第一の手紙 4:12-19 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。
どんな試練も驚き怪しむことではない。キリストの苦しみにあずかれる恵みです。すべての試練を喜び踊る経験に。何と前向きなことばでしょう。そのような恵みの経験を与えられ、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、とどまってくださり現役牧師で働いています。もしキリストの名のために非難を受けるなら、幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。
4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。

なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。
義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
神を敬わない者や罪人のために、イエス・キリストは十字架にいのちを捨てて、救いの道を備えてくださいました。そのことをアーメンと信じれば救われます。今週、その十字架の救をアーメンと信じ、教会前の海で洗礼を受けた、種子島の西之表キリスト教会へ。30日の礼拝説教です。夜は種子島新生キリスト教会でも語ります。復活のキリストを信じ信頼し続けての平安い守られる日々です。
ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。
ありがとうございます。今日もまた天国のいちにちです。感謝してます。


人の限界

2017-07-25 05:42:02 | Weblog
人の力の限界を知れ

不条理がまかり通るこの虚しい世界で、心やすく生きる秘訣は、神の業に目を留めることだ。
神がなしたことを、人は修正することができない。
人は神にはなれないのだ。

伝道者の書7:13 神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。
神の御業を見よ。神が曲げたものを、誰が直しえようか。