牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

恵みは優しく

2017-07-07 18:11:50 | Weblog
主イエスの恵みは 優しく注がれ
憂いも悩みも 消え去り平安
十字架にいのちを ささげ愛して
復活のいのちに 今日も包まれ

心は晴れ晴れ 賛美と感謝...
聖霊注がれ 力にあふれ
主イエスの救いを 伝え続けて
信じる人々 幸せ満ちて

新たな旅立ち 信じる道を
祈りで告白 山さえ動く
主の御名高らか あがめて歌う
ありがとう感謝で 栄える道を
アーメン
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

罪は赦された

2017-07-07 18:07:10 | Weblog
マタイの福音書9:1-7 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。
すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると、彼は起きて家に帰った。
病や問題がなぜ起こるのか。人生の謎?です。原因を追究し?に答えようと、多くの答えが考えられています。しかし、?で問い詰めても正しい答えはありません。
イエス・キリストは、中風の男に、子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。とだけ言われた。彼は、イエス・キリストのことば通りに、起きて家に帰ったのです。
聖書は、心であれ、身体であれ、その問題の本質は罪が原因であると教えています。その罪は具体的な犯罪だけでなく、根本的な原罪です。キリスト教会の礼拝で、あなたは罪人ですという説教を聞くと、怒って教会に来ない人もいます。それは罪人=犯罪者というイメージがあるからだと思います。
三つの罪があります。一つは法律を破ることです。それは法律が裁き、罰則があります。もう一つは、道徳律です。うそや妬み憎しみ、怒りや非難中傷殺意など、法律で裁くことのできない罪です。それを裁くのは良心です。今の時代、良心がマヒした時代の感がします。
もう一つが原罪です。原罪とはいのちの源である真の神から離れていることです。唯一の神を信じていない状態であり、全ての人は罪人です。その終局は死であり、死んだのちに裁かれて地獄行きです。
ところが、唯一の義なる神は愛であり、ひとりも滅びることを望まず、見えない神がひとり子イエス・キリストとして来てくださいました。罪ある人間としてではなく、処女マリヤを母として、原罪のない人間として誕生しました。
そして、33歳で十字架の上に、全人類の罪を背負い贖いとなって死なれました。墓に葬られましたが、3日目の朝に復活し、今も生きておられる救い主であり主なのです。
イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと信じるだけで、すべての罪=原罪も赦されて、義とされ新しい人生へと変えられます。
すばらしいことに?マークの人生が、!マークの人生へ変えられ、全て=病も悩みや試練も、神の愛と信じて感謝できるようになります。
イエス・キリストの救いをアーメンと信じて、輝きに満ちて天国の日々を生きてください。平安と幸せ、輝く笑顔で、人々をキリストのもとへお連れしましょう。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

夫を信頼

2017-07-07 06:16:26 | Weblog
夫を信頼しなさい

昔アブラハムという偉大な男がいた。彼こそがユダヤ人の始祖である。
彼は行く先を知らずに、神からの命を受け、生まれ故郷から旅立って行った。
この旅が宇田野人の歴史の始りとなったのだから、いかに重要であったかが分かる。
彼は、今も多くの人々から信仰の父と尊敬されているが、しかし、その背後には、それを可能にした妻の献身があったのだ。
彼の妻サラは、自分の夫を主と呼び、行き先もわからない旅にも文句を言わずについて行き、彼の波瀾万丈の人生を支えた。
アブラハムから、旅だつことを聞かされたとき、サラが感情的になり夫を避難し、あるいは彼の決定に疑問を呈し、結果として、彼が未知の旅に出て行くことを止めてしまっていたら、ユダヤ人国家は存在しなかった。
先が見えない夫のチャレンジについていくことには、不安が伴うだろう。
それでも、妻が夫を信頼し、彼がしようとしていることに従う姿勢を見せることは、夫が社会において、誇りと自信をもって為すべき仕事をするために、なくてはならない助けなのだ。

ペテロの第一の手紙3:5-6 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。
たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。
その昔、神に望みを託した聖なる婦人たちも、このように装って自分の夫に従いました。
たとえばサラは、アブラハムを主人と呼んで、彼に服従しました。あなたがたも、善を行い、また何事も恐れないなら、サラの娘となるのです。