私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アルンダティ・ロイ

2014-11-19 21:14:11 | 日記・エッセイ・コラム
 遠くに住む親しい人から「読んでなければ是非」というコメントだけ付けて、二冊の本が送られてきました。著者はインド人女性作家アルンダティ・ロイ(Arundhati Roy):
(1) WALKING WITH THE COMRADES (2011, Penguin Book USA, 2012)
(2) CAPITALISM A GHOST STORY (Haymarket Books, 2014)
これまで一般のマスメディアが与えるインドのイメージしか持ち合わせていなかった私にとって、これは正に衝撃的な読書経験でした。英語で言えば、I am devastated となりましょうか、二重三重の意味で。まず、インドという国、インド人と呼ばれる人々についての私自身の絶望的なほど無知と謬見、次に、インド中央部の大森林地帯で進行している戦闘行為の極端な残酷さとそれを生み出している人間の巨大な欲望システムの認識、更に、これまで500年間世界を制圧支配してきた欧米の帝国主義的勢力に代わるべき新興勢力の一部としてのインド自体が過去と同じ欲望システムの下に作動しているという事実が与える何ともやりきれなく暗い未来の予感が重なります。
 この二冊の本から私が受けた衝撃とアルンダティ・ロイという稀有の作家の存在が与える感銘を、筋を立てて語る余裕を今の私はまだ持ち合わせていません。アルンダティ・ロイの名と容貌は知っていましたが、本格的に読んだことはありませんでした。日本では岩波書店を中心に既に広く紹介されているようですが、私のように無知の状態にある人々も多いのではないかと考え、そうした方々に「ぜひアルンダティ・ロイをお読みなさい」と、兎にも角にもお薦めしたく思います。
 単行本(1)の翻訳は『ゲリラと森を行く』(粟飯原 文子 訳、以文社、2013/5/23)。単行本(2)の第1章は、本橋哲也訳編のアルンダティ・ロイ『民主主義のあとに生き残るものは』(岩波書店、2012/8/30)の中で「III 資本主義-ある幽霊の話」として訳出されています。単行本(2)には、この他にも読み応えのあるエッセーの数々が含まれています。一方、岩波書店出版の『民主主義のあとに生き残るものは』にも、「II 民主主義のあとに生き残るものは(Is There Life After Democracy?)」と「V インタヴュー 運動、世界、言語」という必見すべき読み物があります。
 アルンダティ・ロイは、民主主義のあとに何が生き残るか、あるいは、何が生き残るべきだと考えているのでしょうか? その答えの中核は岩波本のp41にあります。:
「ここインドでは、すさまじい暴力と貪欲のさなかでも、大いなる希望がある。誰かにできることなら、私たちにだってできる。ここには、消費の夢によってまだ完全には植民地化されていない人たちがいる。・・・・・
 いちばん大事なことは、インドには一億人ものアディヴァシの人たちがいまだに生存しているということだ。彼ら彼女らは持続可能な生き方の秘密をいまだに知っている。もしこの人びとが消滅してしまえば、その秘密も消えうせる。「緑の捕獲」作戦のような戦争は、彼女たちを消滅させてしまうだろう。だからこうした戦争の実行者に勝利がもたらされることがあれば、それは、自分たちの破滅の種を蒔くことであり、アディヴァシだけではなく、いずれ人類全体の破滅につながる。だからこそ中央インドの闘いが重要なのだ。・・・・・」
 以上の文章に対応する英語原文は、上掲の単行本(1)のp212からp213にあります。
「Here in India, even in the midst of all the violence and greed, there is still hope. If anyone can do it, we can. We still have a population that has not yet been completely colonized by that consumerist dream. ・・・・・
Most important of all, India has a surviving adivasi population of almost 100 million. They are the ones who still know the secrets of sustainable living. If they disappear, they will take those secrets with them. Wars like Operation Green Hunt will make them disappear. So victory for the prosecutors of these wars will contain within itself the seeds of destruction, not just for adivasis but, eventually, for the human race. That’s why the war in central India is so important. ・・・・・」
ここでアディヴァシと呼ばれているのはインド中央部の広大な森林丘陵地帯に主に住んでいる先住民的な人々で、単一の民族の呼称ではないようです。人口一億といっても、インドの総人口は12億ありますから、約8%です。単行本(1)にはこの人たちとアルンダティ・ロイとの美しい出会いが描かれています。運悪く、アディヴァシたちが住む僻遠の地の地下にはボーキサイトをはじめとする鉱物資源が豊かに埋蔵されていて、その自由な採掘のために、インドの中央政府と企業は、出来れば、邪魔になるアディヴァシたちを排除抹殺してしまいたいのです。アメリカ合州国は建国以来一貫して、いわゆる北米インディアンたちの絶滅作戦を進めました。インドが「グリーン・ハント」作戦という忌まわしい軍事行動の目的としているのは、アメリカ合州国がやってきたことと同じです。そこで示される人間の嫌悪すべき残酷さ残忍性も同じです。人生の終結点に近づいている私としては、この事実を「人間とは何か」という一般的な設問として受け取らざるを得ません。
 本橋哲也さんによるアルンダティ・ロイさんのインタヴューも是非是非読んでください。珠玉の言葉で満たされています。例えば:
#(本橋)抑圧された者たちの側につこうとする知識人の声が周縁化されているとき、どのようなかたちでより多くの聴衆を得ようとする努力がなされるべきでしょうか?
(ロイ)芸術がその役割を担うべきだと思います―――音楽や文学や映画やさまざまな芸能。私は正しい考えを持っている、と言うだけでは不十分で、自分自身の範囲を超えて人びとに届けること、それを人びとの心に触れるアートにしあげることが必要です。・・・・・#
 私自身はロイさんの小説『The God of Small Things』(1997)を読み始めるところです。本のはじめに、これも私が尊敬する文学者John Bergerの
「Never again will a single story be told as though it’s the only one.」という言葉が掲げてあります。
 本書の邦訳は『小さきものたちの神』(工藤惺文訳、1998)。バージャーの言葉は「あるひとつの物語であるのに、それが唯一の物語であるかのように語られるということは、こののちもうないだろう。」と訳されています。

藤永 茂 (2014年11月19日)

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