私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オジャラン(1)

2015-08-19 22:18:49 | 日記・エッセイ・コラム
アブドゥッラー・オジャラン(Abdullah Öcalan)は1948年生まれのクルド人で、総人口三千万人といわれるクルド人たちに大きな思想的影響力を持っています。オジャランの、あるいはオジャラン的、思想が回転軸となって、中東情勢が、そして世界情勢が具体的に大きく変わることを私は夢見ています。私の夢を紡いでくれている論考や記事の幾つかを、今後しばらく、翻訳し続けるつもりです。
 前回のブログの終わりに紹介した『クルド人抵抗運動を鼓舞した哲学(The Philosophy that inspired the Kurdish Resistance)』と題する論考の翻訳から始めます。

https://libya360.wordpress.com/2015/08/10/the-philosophy-that-inspired-the-kurdish-resistance/

著者はJoris Leverink、初出はROAR Magazine です。

http://roarmag.org/2015/08/bookchin-kurdish-struggle-ocalan-rojava/

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『クルド人抵抗運動を鼓舞した哲学』

ブクチンの地方自治体主義者的概念は、かつて共産主義者によっても無政府主義者によっても同じように拒絶されたが、今やクルド人の民主的自治に対する希求を奮い立たせている。

ジョリス・レベリンク

新著『来るべき革命:人民議会と直接民主主義の有望性(The Next Revolution: Popular Assemblies and the Promise of Direct Democracy)』の序論に、マレイ•ブクチンは―― ロシアからのユダヤ人移民の子として1921年ニューヨーク生まれ―― 9歳の時に「若い先駆者」という青年共産主義者組織に参加して急進的政治の洗礼を受けたと述べられている。これが彼の‘左翼人生’の始まりであり、第二次世界大戦に至るまではスターリン主義からトロツキー主義への道を辿り、その後は1950年代末までアナーキストと自称、そして、ソーシャル・エコロジーの概念を世に紹介した後は、結局、‘共同体自治主義者’あるいは‘リバタリアン地方自治主義者’を名乗ることになった。

ブクチンは――第二次世界大戦の直後ラジオ技術の講義を幾つか受講したのを除けば――専門学校さえも行ったことがなかったが、数十冊の本を書き、数百の学問的論文を発表し、その上、幾つかの雑誌を発刊し、1974年には、ソーシャル・エコロジー学会を設立した。おそらく彼の急進的政治への最も重要な寄与は、エコロジーの観念を政治思想の場に(再)導入したことである。

ブクチンは、環境保護者たちは資本主義の単なる“小手先の修正”を唱えているだけだと非難して、新しく勃興しつつあった環境保護運動の概念と実践に反対し、その組織的問題の根本的原因に立ち向かうエコロジカルな方途を対抗的に提唱した。彼の見方によれば、資本主義の致命的な欠陥は、マルクス主義者たちが信じているように、労働階級の搾取ということの中にあるのではなく、むしろ、資本主義が自然環境と対立衝突することにある、つまり、資本主義は、反対もされずに発展する儘にすれば、必然的に人民の非人間化と自然の破壊をもたらすことにある。

『来るべき革命』にはブクチンの1992年のエッセー「エコロジカルな危機と社会を改造する必要」が含まれている。その中でブクチンは“ソーシャル・エコロジーが提起するもっとも基本的なメッセージは、自然を支配するというその考えそのものが人間の人間による支配から由来しているということだ”と論じている。環境を大切にする社会が育つためには、まず、人間の間での支配関係を根本的に無くさなければならない。ブクチンによれば、“資本主義とその分身である‘国家社会主義’は支配という歴史的問題のすべてを土壇場に追い込み”、そして、市場経済は、もし制止されなければ、“成長か死か”イデオロギーの結果として、自然環境の破壊に成功するであろう。

長年の間、ブクチンは、彼の考えであるリバタリアン地方共同体主義、彼自身の言葉で言えば、“議会主義と、民意の表現の手段としての‘政党’メカニズムの神秘化、という荒涼たる循環から決別して、真の市民権の行使の為の公的な場を取り戻すことを目指す”リバタリアン地方共同体主義こそが、アナーキズムを政治的にも社会的にも再び重要性のあるものにする鍵であると、米国のアナーキストたちに確信させようとしてきた。

リバタリアン地方共同体主義は、政治の実践を職業的な、出世第一の政治家から“盗み取って”、それを市民の手に戻すために、直接お互いに面と向かって議論する集会の使用を奨励する。国家を“完全に異質の構成物”であり、“人間性発展を邪魔する棘”として描出して、ブクチンはリバタリアン地方共同体主義を“徹底して民主的であり、構造的に非階級的”であり、また、“合理的で環境を大切にする社会を達成する闘争を前提とする”ものとして提唱した。

ブクチンにとって甚だガッカリだったのは、多くのアナーキストたちが、政治的に重要なままに止まって真の革命を起こすことが出来るためには、地方的な政府に参加しなければならない、というブクチンのアイディアを受け入れることを拒絶したことであった。マルクス主義者、労働組合主義者、アナーキスたちと共々に政治的に成熟を遂げたブクチンであったが、彼はやがてこれらの思潮のすべてについて根本的な批判を展開し維持したので、単にソーシャル・エコロジーという彼独特の概念の展開に至っただけではなく、左翼の多数の批判者たちと袂を分かつこととなった。

クルド人抵抗運動

1970年代後期、米国でブクチンがソーシャル・エコロジーという彼の理論の価値と重要性を認めてもらうように苦闘を続けていた頃、それとは全く別の闘争が地球の反対側で頭をもたげつつあった。トルコの南東部の、クルド人が圧倒的に多い山岳地域で、一つの組織体が創設されたが、それが、やがては、ブクチンのソーシャル・エコロジーの考えを受け入れ、それに適応するようになったのだ。

その組織体はクルド人労働者党、あるいは、クルド語での頭文字をとって、PKK と自称することになった。そして、1984年に、トルコ国家に対して最初の攻撃を仕掛けたのだ。この最初の軍事作戦に続いて他の作戦も展開され、結局、30年間に及ぶ武力闘争に発展し、未だに解消されていない。

PKKはマルクス・レーニン思想に鼓舞され、社会主義諸原理に基づいた独立のクルド人国家建設のために闘った。伝統的なクルド人母国は現在のトルコ、イラン、イラク、シリアに跨るのだが、20世紀始めにフランスと英国の間で、中東の以前のオットマン-トルコの領土の分割に関する取引が成された際に切り分けられた。トルコ、シリア、イラクの国境は1916年の悪名高いサイクス-ピコ協定によって決定された。

いつの日か別々のクルド人居住地域の一体化に立ち会うというユートピア的希求にも関わらず、PKKの闘争は、もっぱら、トルコ国によって占領されている北部クルディスタン――またはバクール――の解放に焦点を絞っていた。しかしながら、1990年代に、PKKはゆるやかに一個の独立したクルド人國を建国する希求から離れ始め、それ以外の可能性を探り始めた。

1999年、PKKの創始者で指導者のアブドゥッラー・オジャランは、トルコとシリアの間の外交的大揉めごとに巻き込まれた。20年ほど前、彼がトルコから追い出されてから後は、彼はシリアからPKKの作戦を指揮していたのだが、もうシリアは反乱指導者を受け入れて保護することを拒否したため、オジャランは別の避難場所を求めてシリアを去る以外に選択の余地がほとんど無くなった。それから暫くして、彼はケニヤで捕らえられ、トルコに連れ帰られて、死刑の宣告を受けた――その刑罰は後ほど無期懲役に変更された。

オジャランの逮捕はPKKの独立闘争にとっての限界点であった。その直ぐ後、PKKは独立国の要求を取り下げて、地方レベルでの自治の増進を要求するようになった。監獄内で、オジャランはブクチンの著作に親しみ始め、社会の変換に関するブクチンの論考がオジャランに影響を与えて、独立国家の理想を断念し、むしろ、オジャランが‘民主的連邦主義(Democratic Confederalism )と名付けた別の道筋を追求することになったのだ。
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まだ途中ですが、今日はここまで。

藤永 茂 (2015年8月19日)
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2 コメント

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翻訳”オジャラン”の催促 (sugiyama,hideko)
2015-08-24 08:33:06
オジャランの続きを
毎日、鶴首しています。

ただ何か健康上の問題がある場合は催促
の失礼を許してください!!
「安倍媚べ犬アッチ池ー(笑)」 (通りがけ)
2015-08-25 21:28:54
ラターシュに魅せられてさんところへ書き込みました。
http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-719.html


安倍がNHKを支配していると皆さん勘違いなさっておられますが(笑)

安倍晋三は親晋太郎の政治力と金の悪用でようやく小学校を裏口卒業(笑)できたほどの出来んぼだったのです。

かたやNHKはバリバリの東大卒です。

常識で考えればどっちが支配する側かどっちが操られてるのか小学生でもすぐ判りますね(笑)

そう、安倍晋三だけではない戦後世界中から三流政治一流経済と呼ばれたユダヤ人フリーメーソン日本国占領3S政治を先頭に立ってひっぱってるのは、開局最初の放送が米ユダヤ人フリーメーソン大統領アイゼンハワーの就任式であるという根っから生まれついてのユダヤ人フリーメーソンGHQ放送局NHKなのです。GHQがアメリカへ帰国してからはアメリカの親玉イスラエルが日本に大使館を置いて日米地位協定に替わる外交官治外法権ですべてのNHK放送コンテンツと受信料収入年数兆円以上を完全支配しています。

NHKには高学歴者を集めているから、安倍晋三に限らず戦後吉田茂内閣以降の日本三流泥棒官僚政治日本病政治をイスラエルの戦争犯罪偏執狂一神教悪魔カルト王フリーメーソンユダヤ人の思うままに政治家を金と暴力で傀儡にして大和魂武士道日本人に対する弾圧苛酷政治をしいてきました。

まっそのー、イスラエル悪魔の全力をあげた邪悪なコントロールが唯一人全く効かなかったのが人類史上空前絶後の武士道大君子偉大な大和魂田中角栄総理でしたが。

あの御巣鷹山JAL123便撃墜事件でも,一報を聞いて腰が抜けたほど腹が据わっていなかった中曽根があのように完璧な報道統制隠蔽指揮が執れる訳がありません。あの隠蔽を主犯となってやり遂げたのがNHKそのものなのです。NHKがJAL123撃墜の主犯だからこそ予定外の高浜機長の名操縦にも即応できてすべての情報を隠蔽できイスラエルフリーメーソン戦争犯罪の真実を闇に葬るインサイダー隠蔽報道が出来るのです。NHKが主犯でなければ、他の誰が事件発生直後からあのような完全にrealtime隠蔽統制報道が出来るでしょうか。中曽根ではなく、NHKこそが123便撃墜の動機も機会も手段も完備した主犯真犯人です。

参照:れんだいこのブログ
2015年8月11日 (火)
1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件考その2
http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/

2010.8.16日
【「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」についてのれんだいこ見解その1】
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/zikenzikoco/kokuzikoco/osutakayamazikenco/rendaiconojikenco.html


つまり、現在安倍バッシングが激しいのは,本当はNHKが安倍を支配しておつむの弱い可哀相なしんちゃんに売国総理をやらせたのに,それを国民に対してばれないように隠すためにフェイクで安倍晋三がNHKを支配したと見せかけるマルチスピンディスインフォメーション報道を統一電通にも命令していっせいにやらかしてるだけです。日本人から受信料を詐取しながらね。

ほんものの宇宙最悪の悪党地球の悪魔戦争犯罪偏執狂は、NHKです。

くれぐれも、日本人の皆さんお間違えの無いように(笑)

もちろん、311でスピーディ情報を隠した主犯も、毎年数兆円の受信料を詐取している皆様のNHKです。

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