明治27年(西暦1894年)の今日、3月28日、朝鮮独立の志士金玉均が上海で暗殺されました。
暗殺したのは朝鮮の閔妃が放った刺客です。
閔妃は清朝に事大していて、朝鮮の近代化と独立を唱える金玉均は日本に亡命していましたが、今風にいえば朝鮮の工作員によって上海におびき出されて即暗殺されました。
日本史を勉強した人なら明治27年は日清戦争の開戦の年なのはご存知でしょう。
その日清戦争で朝鮮から清朝が引いたら今度はロシアが入ってきて日露戦争となるわけです。
金玉均の理想がもし朝鮮で実現されて、金玉均の唱えるように日本・朝鮮・中国の協和する体制となっていたならそれは理想でしょう。
ただそうはならなかったし、そもそも朝鮮は開明的な金玉均を暗殺し死体をバラバラにしてさらすような国だった。
しかし日清戦争以後、やむを得ずか善意か知らないが日本は朝鮮と深くかかわるようになった。
そうなってはしまいましたが、この前取り上げた福沢諭吉の言うように、金玉均のような人物を抹殺するのが朝鮮だと分かった時点でアジアの悪友である朝鮮・支那と交わりを謝絶するのも行き方だったのでは。
暗殺したのは朝鮮の閔妃が放った刺客です。
閔妃は清朝に事大していて、朝鮮の近代化と独立を唱える金玉均は日本に亡命していましたが、今風にいえば朝鮮の工作員によって上海におびき出されて即暗殺されました。
日本史を勉強した人なら明治27年は日清戦争の開戦の年なのはご存知でしょう。
その日清戦争で朝鮮から清朝が引いたら今度はロシアが入ってきて日露戦争となるわけです。
金玉均の理想がもし朝鮮で実現されて、金玉均の唱えるように日本・朝鮮・中国の協和する体制となっていたならそれは理想でしょう。
ただそうはならなかったし、そもそも朝鮮は開明的な金玉均を暗殺し死体をバラバラにしてさらすような国だった。
しかし日清戦争以後、やむを得ずか善意か知らないが日本は朝鮮と深くかかわるようになった。
そうなってはしまいましたが、この前取り上げた福沢諭吉の言うように、金玉均のような人物を抹殺するのが朝鮮だと分かった時点でアジアの悪友である朝鮮・支那と交わりを謝絶するのも行き方だったのでは。