朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

学生街の喫茶店

2011-05-22 | 食べること、レストランなど
百万遍から北に歩いて10分くらい、叡電元田中駅のすぐ脇に、こんなカフェがあります。



もとはダンスホールだったのでフラットな床、大きい部屋が広がっています。そこにゆったりとテーブルの間隔を取った店。

コーヒーが専門でその種類も多様です。

昼食に行きました。





いづれも、しかりした調理がされていて充分に満足でした。

コーヒーは「エスプレッソ」を注文しました。イタリアの名物コーヒーですね。



その液体分量は驚くほど、少し。ですがその濃度はとても、とても濃い。本物ですね。

ほとんどのお客さんは若い人たち。窓が開け放っていて通過する風が快適な五月の日曜日でした。

学生街の喫茶店」という曲があります。1972年に、GARO(ガロ)が演奏したシングル、発売元は日本コロムビア。



学生街の風俗も40年間で大いに変化しました。

店名:weekenders

蛇足です:前記の「学生街の喫茶店」曲へのリンクを紹介しましたが、そのサイトは"二木紘三のうた物語"です。この著者は、作曲者著作権に関してJASRAC許諾を取ったうえで、ご自分で電子楽器を駆使して演奏した作品を無料で公開しています。インターネット時代の博愛主義のお手本だと思います。

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夢殿

2011-05-21 | 国内各地の風物
法隆寺のつづきです。

西院伽藍を出て東に向かうと、大宝蔵院がありそのなかには、多数の国宝と重要文化財が収納されています。

夢違観音は、つややかな立像で表情が穏やか。通りがかる女子高校生に人気がありました。

その奥に「玉虫厨子」、思ったより大きなものです。もう玉虫の羽の色は失われていますが、展示ケースの一角に玉虫と金の縁取りのレプリカが置いてあります。側面には、飢えた虎に身をささげるために投身して落ちていく僧侶の姿を描いた図柄がかろうじて見えました。

さらに、「百済観音像」が現れます。とても背が高く、やせた体躯に長い顔立ちで気品があります。
何人も生徒や観光客がささと眺めて通り過ぎていきます。時々は人がまったくいなくなる数分間がありわれらはゆっくりと拝見することができました。



さらに東に進むと、「夢殿」にいたります。



八角形の魅力的なお堂です。とても幸いなことに、秘仏救世観音(くせ)の開扉期間であったのでお堂の側面にある扉の外から仏像を見ることができました。聖徳太子の模した等身大の仏像で秘仏であったため金箔がかなり美しく残っています。

明治時代外国人美術研究者フェノロサが夢殿を調査しました。秘仏である救世観音に巻かれた白布をほどくときに立ち会った僧侶は恐れをなして逃げ去ったともいわれています。

外国人、特に白人の「外圧」で秘仏が公的に記録され国による保護につながったといえます。当時から外圧が効果的であったわけです。

その隣にいくと、中宮寺があります。皇室ゆかりの尼寺です。本尊菩薩半跏像(如意輪観音菩薩)があり、「世界三大微笑」のひとつといわれています。さて、あとの二つはなんでしょうか。
半跏スタイルは、ロダンの「考える人」を思い出させました。



イスラム教では、偶像崇拝を禁じています。その宗教的原理は、言葉と経典でのみ伝承されるべきであり、絵画や造形物による実体、あるいは伝道者そのものを崇拝してはいけないと説いています。
優れた仏教美術を見るとき、イスラムの教えは反面教師として合理性を感じました。




元の道を戻って、聖霊院の前の鏡池脇に、こんな巨木がありました。おそらく数百年の歳月を経て、落雷や嵐によって倒されても立ち上げって生き続けています。

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法隆寺

2011-05-20 | 国内各地の風物
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺  正岡子規



法隆寺に行ってきました。



正面の中門にある金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。直接に外気にさらされていて、とてもかわいそうです。劣化が心配ですが、そもそも宗教的シンボルなのでレプリカを置いておくわけにもいかないのでしょう。

まずは左のほうにどんどん歩いて、西円堂へ。友人に教えて頂いていて、ここは静かでよい仏像があると聞きました。確かに、ゆったりとした薬師如来が安置されていてゆっくりと参拝しました。



門前の駐車場には大型バスがいくつか並んでいました。修学旅行のシーズンでしょうか。



もう次々と生徒たちの行列です。



これは国宝の金堂。

聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、その左右には金銅薬師如来座像(飛鳥時代)と金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に立っています。

内部の壁画は昭和24年の解体修理中の火事で焼損したのですが、それ以前に画家の模写が残っていてそれからの絵画にて復元されています。6号壁・阿弥陀浄土図、阿弥陀三尊(阿弥陀、観音、勢至)が特に有名ですばらしい。

でも、修学旅行生徒はガイドの説明にも上の空で、ちらりと視線を投げかける子は半分もいないくらい。ほとんどはどんどんと進んでいきました。



飛鳥時代に建てられた五重塔です。日本最古。耐震にも非常に優れた構造になっていたようです。

避雷針がなかった時代、落雷による火事を避けることができたのは奇跡的です。

生徒は、塔北面の入口の中にある釈尊の入滅(涅槃)に、長い行列をつくって見学を待っていました。



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「古都」

2011-05-19 | 京都の文化(春)
川端康成の小説です。もう若い人たちは知らない作家かもしれません。

現代の国語教科書には、出てくるのかな?

「雪国」の冒頭の文章は、
 ”国境の長いトンネルを抜けると雪国であった...”

関西の方には土地勘がないでしょうが、冬に上越の清水トンネルを鉄道で抜けると、突然現われる越後湯沢という温泉地に出ます。

川端康成は、日本の小説家として希少なノーベル賞作家です。もう一人は大江健三郎。



彼が書いた「古都」は、昭和30年代の京都を舞台にした双子姉妹の物語です。室町のしにせ呉服問屋に育った一人娘には、実は、北山杉の里中川で育った孤児の姉がいました。

京都の四季に沿って風景描写も豊かに物語りが展開していきます。

運命のいたずらで、一方はお姫様、一方は女中(こんな言葉も死語かな)というテーマは、古今東西で格好のストーリーになっています。「とりかえばや物語」など。

この小説は、ご当地小説の走りかもしれません。
二世代くらい古い、よき時代の京都の風物と人情がいっぱい出てきて、なるほど、さもありなんと。

二度、映画化されています。今度、ビデオを借りてこよう・・
 古都(東宝・1980年)市川崑監督
 主演:山口百恵 三浦友和 實川延若 岸惠子 北詰友樹

京都ファンには、お薦めの一冊です。

~~
北山杉にコメントをくださったYousukeさんに刺激されて、Amazonで文庫本を買って一気に読みました。
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飛鳥の石舞台

2011-05-18 | 国内各地の風物
地名としては「奈良県高市郡明日香村大字飛鳥」。奈良県の中央部ですが、奈良市が北に偏っているので、かなり南の奥にあるように感じます。



石舞台古墳です。今は国営飛鳥歴史公園となっています。

桜の季節はさぞかし華やかだろうと思われますが、完全に葉桜で新緑となっていました。見物客も少ない。



ともかく巨大な石が人の手で組み立てられています。かつては、土がかぶせられて古墳であったのですが、年月を経て上部の土盛りが流れてしまい、石室が露出してしまったと説明板に書かれています。

巨石の移動と持ち上げ、組み上げ方法の想像図も掲示されています。土盛り、丸太のコロ、、穴を掘る、人力で引っ張るなどの工夫で、クレーンや建設機械のない時代によくもこんなものを造ったなと感動します。



中にはいって下から見上げることもできます。



千数百年前には、ここで盛大な儀式が執り行われたことでしょう。



可憐な野草がさいていました。

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うなぎ丼

2011-05-17 | 食べること、レストランなど
平日の昼間、町中まで出かける用事があり、ついでに行ってみたいと予てから記憶していた鰻屋に入りました。



正午の少し前でした。とても運が良くて、カウンタの席が空いていてすぐに入ることができました。

ネットのクチコミによれば大変な人気で、土日などはずいぶん行列ができるようです。

人気の秘密は、完全に受注生産方式。つまりお客さんの注文を受けてから、鰻を焼きます。カウンタからガスコンロが見えているので間違いありません。



この時は、単純な「うなぎ丼」を注文しました。1000円。



肝吸いも付きます。この経済性もすばらしい。
皮の部分がパリパリに焼けていて、脂の乗った身のところのバランスが素敵でした。

他のメニューは、「きん糸丼」1200円や「まむし丼」1100円、お茶漬けなど。次回は、もう少し大きな鰻が食べたいので「うな重」2000円にしましょう。

店名:「かね正」京都 祇園縄手通り(入り口を見落とします、特定郵便局の隣)


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葵祭

2011-05-16 | 京都の文化(春)
今年は5月15日が日曜日となり、多く荷人々が参観する開催となりました。

下鴨神社の糺の森に行って、行列が来るのを待ちます。



予定より少し遅れて、正午ごろに馬に乗った神官や勅使などの行列が到着しました。



森の新緑に、白や赤、黄色の衣装がよく映えます。



参道とは小川を挟んだ場所に陣取りました。





売店のテントがいくつか並んでいたので、名物のみたらし団子を買ってきました。







第56代斎王代は同志社大4年の金井志帆さん(23)という女性で、母親も33年前に斎王代を勤めたとか。

いよいよ、初夏が来ます。
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大震災お見舞い、鯉のぼりねぶた

2011-05-15 | 東日本大震災
京都造形芸術大学のロビーに展示されていました。(2011-05-09)(追記: 桜鱗 という作品でした)



最初は、なんだろうと思って近づいて見ると、



赤と白の荷札を、魚の形に切り抜いて、



そこにメッセージが、書き込まれています。

鯉の張子の中には電球が取り付けられているので、内部から照らすことができるようです。この大学では、夏の製作課題で、かなり大きな「ねぶた」を学生が作っています。

その手法を応用して、「鯉のぼりねぶた」のアイディアが生まれたのでしょう。デザイン的にも大変に優れていると思います。

製作者の名前などを控えてくるのを失念しました。ごめんなさい。

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パウル・クレー

2011-05-14 | 油彩水彩画、雑誌の表紙
スイス生まれの画家パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940)の展覧会が、京都国立近代美術館にて、5月15日(日)まで開催しています。その後、他の都市にも行くらしい。



岡崎公園にある平安神宮の巨大な鳥居の横にこの美術館があります。初めて入りました。



クレーの絵は色彩が鮮やかな抽象画だという思い込みがありました。十年以上前にスイスの美術館でも鑑賞した記憶がありますが、今回の展示はとても網羅的で驚きました。

"PAUL KLEE | Art in the Making 1883-1940"

これが展覧会のテーマです。
このブログを書くため誕生と没年を調べると、1879-1940年。とすると上記テーマの1883-1940は、何を意味するのか。

改めて、展覧会公式ウェブで「展覧会趣旨」を読むと、1883年は彼自身が作った作品リストで最初の製作年でした。なんと4歳のとき。

『クレーは1911年から終生、制作した作品のリストを作り続けました。1883年、画家4歳のときの作品を手始めに約9600点もの作品からなるこのリストには、作品のタイトルだけではなく、詳細な制作方法が記載されていることからも、「どうやって作ったか」は、この芸術家にとって極めて重要な関心事だったのです。その「制作プロセス」を、クレーは、アトリエ写真という形で記録に留め、自ら「特別クラス(Sonderklasse)」とカテゴリー分けした作品を模範作品として手元に置くことで、反芻し続けました。』(引用:パウル・クレー展公式web http://klee.exhn.jp/intro/index.html)

スイス人らしい厳密さ。そして、創作技法の創意工夫に大変な努力をしていたこと、記録魔であったことを、知りました。



もっと学術的にこの画家のことを知りたくて、美術館の売店でこの小冊子を購入してしまいました。
「クレー」新潮美術文庫50、新潮社、昭和51年発行


「さえずり器械」(引用:「クレー」新潮美術文庫50、作品8)

独自技法「油彩転写」の作品とその技法を映像化した説明ビデオがありました。驚愕です。鉛筆やインクで描いた素描を、黒い油絵の具を塗った紙の上に置き、描線を針でなぞって転写した後、 水彩絵の具で着彩するという技法です。

上記、新潮美術文庫の表紙のように抽象度の高い作品がある一方で、「星よりの使者」「哀れな天使」などのかわいいイラストレーション風の作品があります。


「忘れっぽい天使」1939年
 引用:日本パウル・クレー協会ミュージアムギャラリーhttp://www.paul-klee-japan.com/


この本の解説(大岡信著)によれば、数多くの天使などの線画は晩年、大変な難病と闘っていた時期に描かれたとあります。最晩年の2年間で1500点もの作品を残しています。

「芸術は眼に見えるものをあらためて提示するのではない。見えないものを見えるようにするのだ」
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赤ちゃんにも、ICT(情報通信技術)!?

2011-05-13 | もろもろの事
おもちゃ売り場、久しぶりにのぞいたら、色々と新しいものが並んでいました。もっとも、30年来そのままのデザインで売られているロングセラーモデルもありましたが。



まずは、ケータイ。

親が家庭でも、いつも触っているでしょうから、赤ちゃんも興味深々。

人気が高いでしょう。


次は、PC。 パソコン。

これも、パパだけでなく、家でいつもキーをたたいている若いママが多いと思われるので子供もPCに触りたい。

でも「アー、あ、触っちゃ!ダメ!」

そこで:



バンバン、叩いてください。好きなだけ。



18年後の「マーク・ザッカーバーグ」を、目指せ!!
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