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月刊イオがおくる日刊編集後記

戦勝61周年の朝鮮からガザ大虐殺を見る

2014-07-30 09:00:00 | (淑)のブログ
 7月8日に始まったイスラエル軍によるガザ攻撃は、開始から1ヵ月が経とうとしている。双方の停戦合意により一時的に沈静化したのもつかの間、攻撃は再開され、停戦への道筋は依然として立っていない。イスラエルのネタニヤフ首相は、国際社会の非難にもかかわらず、ガザ攻撃の継続を改めて強調。この原稿を書いている最中にも、ガザ市内の難民キャンプの運動場が攻撃され、子ども7人が死亡したと報じられた。パレスチナ側の犠牲者は1050人を上回っている。
 おびただしい数の死者を出し、一層の泥沼化に向かうパレスチナの事態を報道で眺めながら、漠然と「何か言わなければ」と思っていたものの、考えがまとまらず先延ばしにしていた。この大それたタイトルに見合う内容とは程遠いが、このほど戦勝61周年を迎え、しかしながら未だ戦時下の朝鮮で、思うことを書きたいと思う。

  
 まず、日本の報道を見ていると、事態の発端はパレスチナによるイスラエル人少年3人の殺害であるとか、ハマスが停戦を受け入れないことが事態の悪化を招いているかのような印象を受ける。主要メディアが報じる内容は情報量が少なく、しかも表面的なため事態を正確に把握しづらい。これまでもイスラエル・パレスチナ問題に関して日本の大手新聞などは、「やられたからやり返す」といった、型にはまった報復合戦のように報じ、「殺す側」と「殺される側」という明確な権力構図を伝えようとしない。客観的な両論併記のつもりだろうが、今回のように、その発端としての責任はつねにパレスチナ側に課せられている。報道がイスラエルに肩入れしていることは明白だ。

  
 朝鮮ではイスラエル軍による大量虐殺について新聞各紙が報じ、糾弾している。朝鮮中央テレビでもイスラエル軍の爆撃を受けるガザの町、パレスチナの民衆の姿が放映された。
 朝鮮外務省のスポークスマンはイスラエルによるガザ侵攻と関連して15日、イスラエルによるパレスチナ人虐殺は「許されない反人倫的犯罪であり、われわれは強くこれを糾弾する」とした上で、「米国の庇護の下に意気軒高のイスラエルが国際舞台で強権と専横に明け暮れる米国をそのまままねて分別のない軍事攻撃で抗争勢力を制圧し、パレスチナ民族統一政府の活動に難関をもたらそうとしているが、それは妄想にすぎない」と指摘した。朝鮮中央通信が報じている。

  
 一方で、英紙デーリー・テレグラフは26日、治安当局筋の話として、ハマスが朝鮮との間でロケット弾や通信装備購入の契約を進めており、既に前金を支払ったと報道。これに対し米国務省は28日の記者会見で、朝鮮による武器拡散の脅威について、米国はかねて強調してきたとし、事実上記事の内容を認める姿勢を示した。
 朝鮮外務省スポークスマンは28日、「米国がわれわれに対する国際的孤立を追求してでっち上げた全く根拠のない荒唐無稽な詭弁」「イスラエルを庇護している自らの犯罪行為を正当化してみようとする不純な企図」「国際社会の非難の焦点をわれわれに向けようと画策している」と強調している。

  
 この間、朝鮮戦争の停戦協定締結(1953年7月27日)から61周年を迎えた朝鮮では、中央報告大会(26日)、金正恩第1書記の指導のもとでの決意大会(27日)など、各種記念行事が行われた。
 27日、平壌市内のいたるところで青年たちによる舞踏会や少年団の大合唱などが開かれ、夜は平壌の夜空を華やかに彩る祝砲で締めくくられた。







 金日成広場を埋め尽くした観衆は、手に手に携帯電話やビデオカメラ、デジカメを持って撮影に興じ、祝砲が打ち上がるたびに歓声をあげた。子どもたちは肩車の上で手を叩いて喜んでいた。
 撮影をしようと人混みをかき分けて進み、周囲に「すみません」と一言告げると、「とんでもない」と、若い男性の明るい返事が返ってきた。その一言のおかげで気兼ねなく撮影に集中することができ、ありがたかった。隣りにいた女の子は、私が液晶モニターで写真を確認するたびに、一緒に覗きこんでは、「わぁ、かっこいい」と言ってくれた。
 打ち上げられる祝砲を見ながらある市民は、「7.27を迎え、朝鮮が歩んできた道が正しかったということを再度実感している」と話していた。大国による脅威の中、自国の自主性と人間としての尊厳を守るためには、戦争も辞さないという覚悟の上に築かれ、保たれ発展してきたこんにちの朝鮮の姿、人々の暮らしを垣間見るようだった。
  

 「人間らしく生きる権利を、人間としての尊厳を認めよ」と抵抗を続けるパレスチナの民衆の悲痛な叫び、殺りくが繰り返されるパレスチナの惨劇から、そして戦勝の祝砲が放つまばゆい光を眺める平壌の人々から、私たちが真に学び取るべきものとは何なのか。今一度考えさせられた。(淑)
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1 コメント

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無題 (ブラウ)
2014-07-30 10:30:57
写真の平壌市民の姿を見ると、ある種の感慨を覚えます。何かというと、見ためがもう在日と全然変わらない。特に女性に著しいですね。
最近よく「日本で在日を撮ったのか?」みたいな写真を見かけるので、ほんとビックリします。

もちろん職種や年齢層にもよるんでしょうけど(さらに「平壌市民」であることも)、それを差し引いても、2010年代のこうしたスナップは「ウリナラもついにここまで来たか」と思わせるに十分なものがあります。

かたや、中東ガザ地区で今起きている惨劇。
イスラエル軍は今回地上部隊も投入していますが、巨大なイスラエル戦車の目の前で5~6歳くらいの少年がたった一人で投石している外信の写真を見ました(しかも戦車砲はきっちり少年に向けられているという、恐るべき絵ヅラ)。

この写真にからめた誰かの評で、「巨人ゴリアテに立ち向かうユダヤの王ダビデを彷彿とさせる」とあったような…。「イスラエルからすれば、これ以上無いくらいキツい皮肉だな~」と思いました。

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