(K)さんが偶然遭遇した留学同京都の学生たちの姿に20代の頃の取材の記憶がよみがえりました。
私がまだ朝鮮高校に通っていた1980年代、朝鮮高校卒業生に認められる大学受験資格は一部の公私立大学のみで、大学を受験するための資格である大検入学資格検定(現在の高等学校卒業程度認定試験)すらありませんでした。とくに、国立大学はすべて門戸を閉ざしており、文部省(当時)の朝鮮学校差別をそのまま体現した牙城のような存在でした。
「これはおかしい!」と留学同京都の学生たちが、足元にある京都大学が受験資格を認めるよう運動を始めたのが1994年12月のこと。京都大学で同胞学生を中心に始まった受験資格獲得運動は、日本で歴史を重ねてきた外国人学校の存在、そこで行われている教育に目を向けることになります。
そして、1999年に京都大学大学院が文部省(当時)の指導に反して朝鮮大学校卒業生の受験資格を認めたことがきっかけとなり、99年に文部省が外国人学校卒業生に対する大学院への入学資格を認めるに至ります。同時に文部省は外国人学校の中学卒業生に対する大検の受検資格を認める方針を発表し、省令を改正。さらに、2003年には外国人学校の大学受験資格が認められ、日本の1条校と同等の扱いに一歩近づく、という前進が生まれました。もちろん、この時に数ある外国人学校の中で一番大学受験者が多い朝鮮高校卒業生の受験資格だけが「学校資格」で認められないという問題が残り、高校無償化もいまだ外されている「差別温存」の現実がありますが、声をあげたことで状況は少しずつ好転していることは確かです。10数年前に京大で運動を始めた学生たちの中には、朝鮮高校の保護者となっている人もいます。第一歩を踏み出したあの頃の学生の清々しい表情が思い出されます。
解決が引き延ばされている無償化問題もそうですが、今とりかかっている11月号の特集「心の病」を取材しながらも、朝鮮学校出身者の底力を感じています。今回の特集では、臨床心理士、精神保健福祉士、社会福祉士さんなど、各地の同胞専門家にたくさん助けられていますが、ウリハッキョ出身者や過去に教員として保護者として朝鮮学校に関わった人たちが多いのです。
協力いただいた3方のうち、お2人は朝鮮学校の教員経験者。朝鮮学校における「心の病」の問題にも真摯に取り組まれている方もいらっしゃいます。人生中盤で福祉関係を志すようになったきっかけは、朝鮮学校で同様の問題にぶちあたった時、自身が感じた無力感だったといいます。専門性を身につけてこそ目の前の子ども、家族を救えるのではないか、という思いを胸に大学に通われ、深刻な問題を抱えた家族の話を聞くため、日本各地に出向いておられます。
「思春期の心と体」をテーマに原稿を書いてくださった30代の女性もその一人。兵庫県にある二つの朝鮮学校の保健室で日々、子どもたちの相談に乗っています。朝鮮学校にはほぼ保健室はありますが、部屋があるだけで、常勤の保健師や養護教諭を置けない学校がほとんどです。それは財政問題が厳しいゆえですが、無償化問題の解決がなされず、追い討ちをかけるように各地で補助金カットが続くなか、人員を配置するメドは立ちません。ある精神保健福祉士は、「朝鮮学校にもスクールカウンセラーを」と胸に秘めた思いを伝えてくれましたが、朝鮮学校をめぐる財政状況が厳しい中でのこの発言に、ハッキョを支える「人材バング!」とその存在を心強く感じたものです。11月号に専門家の具体的なお話が載ります。ご興味のある方はぜひ読んでみてくださいね。(瑛)