「高校無償化」問題について。
(K)さんも数日前のブログに書いていたが、民主党の若手国会議員らが党内で朝鮮学校に対する無償化審査手続き再開反対の署名活動を始めると産経新聞が今月9日、報じた。署名活動は花咲宏基、田村謙治両衆院議員ら5人が進める予定で、11日から始めて今月末までに100人を目標に集め、野田佳彦首相に撤回を申し入れるという内容だ。その11日になって、「当面は水面下で勢力拡大に努めたい」と署名活動を当面見送ることが伝えられたが、「首相が無償化適用を中止するまで活動を展開していく方針を確認」しているので、この愚かしい行為をやめる気はさらさらないようだ。要請文に拉致問題の早期解決を求める内容も盛り込むとか、今後は「地方自治体から朝鮮学校に支出される補助金のあり方を見直すことも求めていく」というのだから、開いた口がふさがらない。
菅直人首相(当時)は8月末、辞任直前に審査手続きの再開を指示したが、その時に沸き起こったのは非難の嵐だった。その圧倒的多数は、理由ならぬ理由をつけて「無償化」適用をさんざん引き伸ばしたあげく、自らの退任時にやっとこさプロセス再開を指示したことに対する非難ではなく、朝鮮学校に対する「無償化」適用それ自体に反対する声だった。
民主党が「高校無償化」の対象に朝鮮学校を含めると言ってから1年半以上が過ぎた。この間、無償化の方針を決めた当の鳩山首相は政権から退き、その後をうけた菅政権も無理筋の理由を持ち出して手続きを凍結した挙句、次の野田政権に丸投げした。その野田政権下では、まがいなりにも前首相だった人間が下した「手続き再開」の決断に対して、その母体である与党内部から公然と反対の動きが出る始末。迷走は続く。誰も真剣に取り組まず、誰も責任を取らない。見下げた人びとだ。
ツイッター上では、今回の署名活動騒ぎを指して、「『私は人権侵害をしたいんです!』という署名だ」との指摘があったが、その通りだと思う。もし民主党執行部に良心が米粒ほどでも残っているなら、件の若手議員らの愚行を即時やめさせるべきだろう。もしこのまま野放しにしておくのなら、それこそ民主党は人権侵害党、レイシスト党と改名したほうがいい。
なぜこんなことがまかり通るのか。結局は社会が容認しているからだと思う。日本社会のマジョリティは在特会をはじめとする「草の根」レイシストたちの恥知らずな言動に対して見て見ぬふりをし、あるいは眉をひそめて嘲笑を投げつけるだけで、結果的に彼らをのさばらせている。最近では片山さつき氏に代表されるように、社会的に大きな影響力を持つ公人である政治家が公然とヘイトスピーチをまき散らしている。
(https://twitter.com/katayama_s/status/117805586627833856)
かくして、ヘイトに対するハードルは下がるだけ下がった。他国では刑事罰に問われることもある歴史修正主義やヘイトスピーチが国家権力によって実質的に保障され、それを消極的であれ容認する雰囲気が社会にあまねく広がるという、世にも珍しいレイシストフレンドリーな国がこの日本だ。
もちろん、虐げられている当の私たちは抗議の声を上げ続ける。いや、上げざるをえないという表現が正確かもしれない。いつまでたっても声を上げ続けなければならない徒労感、不正義のありかを明らかにし、世論を喚起する役目が常にマイノリティの側に課せられているような、ある種の倒錯的な状況をマジョリティの側は理解することができないのかな、と思ったりもしてしまう。
「日本にとって朝鮮は、自らを省みる鏡だ」とはよく言われる話だ。日本はその「鏡」を壊して久しい。マイノリティに対して加えられる不正義や迫害を他人事として傍観する態度は、必ずやブーメランとなって自らに返ってくるだろう。
「このナチズムというやつを、それが自分たちに対して猛威をふるうまでは許容し、免罪し、目をつぶり、正当化してきた。なぜなら、そいつはそれまでは非ヨーロッパ人に対してしか適用されていなかったからだ」(エメ・セゼール)
(相)
(K)さんも数日前のブログに書いていたが、民主党の若手国会議員らが党内で朝鮮学校に対する無償化審査手続き再開反対の署名活動を始めると産経新聞が今月9日、報じた。署名活動は花咲宏基、田村謙治両衆院議員ら5人が進める予定で、11日から始めて今月末までに100人を目標に集め、野田佳彦首相に撤回を申し入れるという内容だ。その11日になって、「当面は水面下で勢力拡大に努めたい」と署名活動を当面見送ることが伝えられたが、「首相が無償化適用を中止するまで活動を展開していく方針を確認」しているので、この愚かしい行為をやめる気はさらさらないようだ。要請文に拉致問題の早期解決を求める内容も盛り込むとか、今後は「地方自治体から朝鮮学校に支出される補助金のあり方を見直すことも求めていく」というのだから、開いた口がふさがらない。
菅直人首相(当時)は8月末、辞任直前に審査手続きの再開を指示したが、その時に沸き起こったのは非難の嵐だった。その圧倒的多数は、理由ならぬ理由をつけて「無償化」適用をさんざん引き伸ばしたあげく、自らの退任時にやっとこさプロセス再開を指示したことに対する非難ではなく、朝鮮学校に対する「無償化」適用それ自体に反対する声だった。
民主党が「高校無償化」の対象に朝鮮学校を含めると言ってから1年半以上が過ぎた。この間、無償化の方針を決めた当の鳩山首相は政権から退き、その後をうけた菅政権も無理筋の理由を持ち出して手続きを凍結した挙句、次の野田政権に丸投げした。その野田政権下では、まがいなりにも前首相だった人間が下した「手続き再開」の決断に対して、その母体である与党内部から公然と反対の動きが出る始末。迷走は続く。誰も真剣に取り組まず、誰も責任を取らない。見下げた人びとだ。
ツイッター上では、今回の署名活動騒ぎを指して、「『私は人権侵害をしたいんです!』という署名だ」との指摘があったが、その通りだと思う。もし民主党執行部に良心が米粒ほどでも残っているなら、件の若手議員らの愚行を即時やめさせるべきだろう。もしこのまま野放しにしておくのなら、それこそ民主党は人権侵害党、レイシスト党と改名したほうがいい。
なぜこんなことがまかり通るのか。結局は社会が容認しているからだと思う。日本社会のマジョリティは在特会をはじめとする「草の根」レイシストたちの恥知らずな言動に対して見て見ぬふりをし、あるいは眉をひそめて嘲笑を投げつけるだけで、結果的に彼らをのさばらせている。最近では片山さつき氏に代表されるように、社会的に大きな影響力を持つ公人である政治家が公然とヘイトスピーチをまき散らしている。
(https://twitter.com/katayama_s/status/117805586627833856)
かくして、ヘイトに対するハードルは下がるだけ下がった。他国では刑事罰に問われることもある歴史修正主義やヘイトスピーチが国家権力によって実質的に保障され、それを消極的であれ容認する雰囲気が社会にあまねく広がるという、世にも珍しいレイシストフレンドリーな国がこの日本だ。
もちろん、虐げられている当の私たちは抗議の声を上げ続ける。いや、上げざるをえないという表現が正確かもしれない。いつまでたっても声を上げ続けなければならない徒労感、不正義のありかを明らかにし、世論を喚起する役目が常にマイノリティの側に課せられているような、ある種の倒錯的な状況をマジョリティの側は理解することができないのかな、と思ったりもしてしまう。
「日本にとって朝鮮は、自らを省みる鏡だ」とはよく言われる話だ。日本はその「鏡」を壊して久しい。マイノリティに対して加えられる不正義や迫害を他人事として傍観する態度は、必ずやブーメランとなって自らに返ってくるだろう。
「このナチズムというやつを、それが自分たちに対して猛威をふるうまでは許容し、免罪し、目をつぶり、正当化してきた。なぜなら、そいつはそれまでは非ヨーロッパ人に対してしか適用されていなかったからだ」(エメ・セゼール)
(相)