4月17日(火)雨。寒の戻りか寒い一日。
一昨日だったか、男女5人が車の中でレンタン火鉢で集団自殺したというニュースを耳にした。
そのうちの一人の遺書らしきものに「…ありがとうございました」とあったという。しかし、このニュース何故か続報が無い。
やっと下記のような引用記事が見つかった。
『12日午前11時15分ごろ、三重県四日市市水沢町の駐車場に止めてあった乗用車内に、男女計5人の遺体があるのをパトロール中の四日市西署員が発見した。車内にしちりん4個と練炭の燃えかすがあり、同署は集団自殺とみて調べている。
調べでは、5人は男性2人と女性3人でいずれも成人。』と。
NHKのニュースでは、「女性の一人は学生証を持っていた…」と聞いた。
日本の自殺者は、毎年3万人以上、人口10万人当たりの自殺率では、先進国中最高であるという。
それも、結構、上記のような若い人が多いようだ。
何故なんだろうか。
私のような山家の隠居が、おこがましくも平知盛ではないが、「見るべきほどのものは見つ」とばかりに観念して死にたくなるのは、自分の心のことだからよく理解できる。 が、人生これからという若い人たちが、簡単に自殺する心理は、当然ながら理解しがたい。
それほど、今の日本で、いや世界を見渡した時、もっとより良く生きて見たい、何かをやってみたいという気持ちにならないのだろうか。
このように人が死に急ぐ国家とは、どんな国なのだろうか。外国へ行ったことのある人々はみんな異口同音に、「日本ほど住み易く良い国は無い」と聞くが…。
若者に生きる希望を持たせられない国家、それはすでに日本戦後文明の衰退を表象しているのではないだろうか。
しかし、その一方で、43歳の女性が、心臓手術のために支援者の協力により6千万円の募金が集まり渡米できることとなったというニュースも聞いた。
また、80歳の寝たきりの老人が、介護する妻に、「まだ生きていたい」との希望を口にするのも視た。
人々の生死への願望の岐路は、文明云々なんてものではなく、あくまで個々人の心的要因にのみ帰すべきものなのだろうか。
今、我が家の周りの雑木林は、新緑にきらめいている。その若葉の瑞々しさを目にすると、私の「もう苦しい思いをしないですむのなら、いつ死んでもいいなあー」というような罰当たりの曖昧な願望は、一瞬にして雲散霧消してくれるのである。
あの5人の若者たちも、内向きに自分の内面の暗い淵ばかりに目を向けず、近くの春の山野へ出かけたなら、きっと新しく生きる希望が、沸々と湧いてきたのではないだろうかと、思ってみるのだが…。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
ー新緑の散歩道ー
一昨日だったか、男女5人が車の中でレンタン火鉢で集団自殺したというニュースを耳にした。
そのうちの一人の遺書らしきものに「…ありがとうございました」とあったという。しかし、このニュース何故か続報が無い。
やっと下記のような引用記事が見つかった。
『12日午前11時15分ごろ、三重県四日市市水沢町の駐車場に止めてあった乗用車内に、男女計5人の遺体があるのをパトロール中の四日市西署員が発見した。車内にしちりん4個と練炭の燃えかすがあり、同署は集団自殺とみて調べている。
調べでは、5人は男性2人と女性3人でいずれも成人。』と。
NHKのニュースでは、「女性の一人は学生証を持っていた…」と聞いた。
日本の自殺者は、毎年3万人以上、人口10万人当たりの自殺率では、先進国中最高であるという。
それも、結構、上記のような若い人が多いようだ。
何故なんだろうか。
私のような山家の隠居が、おこがましくも平知盛ではないが、「見るべきほどのものは見つ」とばかりに観念して死にたくなるのは、自分の心のことだからよく理解できる。 が、人生これからという若い人たちが、簡単に自殺する心理は、当然ながら理解しがたい。
それほど、今の日本で、いや世界を見渡した時、もっとより良く生きて見たい、何かをやってみたいという気持ちにならないのだろうか。
このように人が死に急ぐ国家とは、どんな国なのだろうか。外国へ行ったことのある人々はみんな異口同音に、「日本ほど住み易く良い国は無い」と聞くが…。
若者に生きる希望を持たせられない国家、それはすでに日本戦後文明の衰退を表象しているのではないだろうか。
しかし、その一方で、43歳の女性が、心臓手術のために支援者の協力により6千万円の募金が集まり渡米できることとなったというニュースも聞いた。
また、80歳の寝たきりの老人が、介護する妻に、「まだ生きていたい」との希望を口にするのも視た。
人々の生死への願望の岐路は、文明云々なんてものではなく、あくまで個々人の心的要因にのみ帰すべきものなのだろうか。
今、我が家の周りの雑木林は、新緑にきらめいている。その若葉の瑞々しさを目にすると、私の「もう苦しい思いをしないですむのなら、いつ死んでもいいなあー」というような罰当たりの曖昧な願望は、一瞬にして雲散霧消してくれるのである。
あの5人の若者たちも、内向きに自分の内面の暗い淵ばかりに目を向けず、近くの春の山野へ出かけたなら、きっと新しく生きる希望が、沸々と湧いてきたのではないだろうかと、思ってみるのだが…。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
ー新緑の散歩道ー
理想や希望をもって生きている人達がある日突然命を絶たれる。
命とは何と儚いものでしょう。
長崎市長は昨晩のこの時間は遊説を終えられた頃でしょう。
若い人達の集団自殺、それも練炭で・・・。
悲しいことですね。
生きたくても叶わぬ人がいるのを忘れないで欲しいと思いました。
理想や希望をもって生きている人達がある日突然命を絶たれる。命とは何と儚いものでしょう。>全く同感です。
それにしても、伊藤長崎市長、本当に無念ですね。地元の警察は、犯人について相当の情報を持っていたはず。しかも本山前市長の例もあることであれば、もっとマークしていていい筈です。
このような事件を事前に防げなかった警察、いかがなものなのでしょうか。
アメリカでの韓国人による無差別射殺事件、大学生でありながらどのような思考回路のにんげんなのか、人間性の闇の深さを思わずにはいられません。
若い命をむざむざと捨てる人の心も闇ですね。
悲しいことです。
恐らく集団自殺をする人達には、自分の違う生き方が想像できず、孤独な死ではなく、共に屍となってくれる人がいることで、未練をごまかして死ぬんだと思うんです。どうか一人でも多くの人が、自分の生き方は杓子定規ではなく、危うい均衡の上に張られた網の結び目をたどっていることに気がついて欲しいものです。
長々と失礼いたしました。
<私も一応受験の疲れからの逃避に死を思ったことがあります。ですがその時私はとりあえず生きてみて、ダメなら何か違う生き方をしてみて、そうやって生きて天寿としか思えないような死に方をするまでは、まず生きてみたいと思い、今に至っています。>とのこと。
その通りだと思います。誰だって、ちょっとした拍子で死にたいと思うことはあります。私のような歳になると、老人性うつ病という奴でしょうか、どんよりと曇った日には直ぐそんな気になってしまいます。
しかし、そんな時、パソコンいじって他の方のブログ読んだり、惰性で絵の具いじったりして気分転換して何とかやりすごすわけです。
そうして今もこのブログのコメントのお返事が書けるわけなのです。
死に急ぐ方たちも、死にたいと思ったときには、ちょっとわき見をして、手近な何かをしてみるなり、おしゃべりをしてみるなりしてみてはと思うのですが、それもできなくなるということでしょうか…。
なんかあまりお答えにならないようなお答えになってしまいました。
嫌で疲れ果てた受験戦争の後に、就職難、終身雇用崩壊、不安定な非正規雇用、超高齢化社会による年金崩壊、モラルの崩壊等
こんな時代の社会の中で、若者に希望がもてるんですか!?
自殺したくなりますよ
この国の政治の貧困がこのような事態をもたらした
北欧諸国とはこの国は正反対!!
これからも自殺や犯罪は多発するのだろうな
<日本社会は孤立した閉鎖社会>とのこと。
今朝の、朝日新聞でも、自殺者の8割は誰にも相談しなかったとありました。
そして自殺者の9割が初めて自殺を実行したとも…。
もっとも難しいところで、人に何かを相談する気力が残っていたら自殺なんかしなにのではないでしょうか。
ここが自殺者に対して、何か手立てをとおもっても一番難しいところではないでしょうか。
ところで、<こんな時代の社会の中で、若者に希望がもてるんですか!?自殺したくなりますよ
この国の政治の貧困がこのような事態をもたらした
北欧諸国とはこの国は正反対!!>とありますが、それはどうでしょうか。
私は、戦後、これまでの社会が福祉増進一点張りで、大多数の国民に、国家社会に過大な期待感を持たせすぎ、その当然の結果として、財政破たんを来たし、今度は片っ端から与えていたものを取り上げる。
そこに大きな問題があるように思います。
私たちのひと世代前の”おしん”の時代には、国民の多くはお上なんかあてにしないでたくましく生き抜いたのではないでしょうか。
私の義父母は「お上なんかあてにならないよ。お上の世話になんかならないよ」これが、無学にして貧乏ながら働き者で、10人近い子供たちを育て上げた人間の生涯の信念でした。
いわば高度成長期の一番良い時代(?)を生きさせていただいてきた私など隠居に、こんなことを言う資格はないのかも知りませんが、人は誰でもまず何かを頼ろうとするのではなく、己の手足で踏ん張ってみることからはじめるべきではないでしょうか。
そうすれば、自ずから死にたいなんて弱気はどこかへ吹っ飛んでしまうのではないでしょうか。
こんなお返事お気に召さないかもしれませんが、私の意のあるところをお汲み取り戴いて、ご容赦ください。