蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

死刑執行を待つ者(?)の戯言ーその1ー

2013-06-18 06:55:15 | 日常雑感


(その1)―この世で人間ほどバカな者はいないということ―
 

  私、古希を過ぎた今日この頃、自分の残り人生の日々が少なくなっていくことを実感しつつ、死神にこの身を拉致されていく錯覚を覚える…。それは、少し大げさに言えば、死刑執行をされる日を待つ者の思いである。

 すると、私のざっぱくな脳中はにわかに沸騰し、あらぬことごとが銅鑼をならしたように共鳴しはじめる…。
 これまで常識的に信じてきたことがガラガラと音を立てて、高い書棚から崩れ落ちてくるようだ。

 先ずその第一は、この世の生きとし生ける物の中で、人間ほど愚かで馬鹿な生き物はいないということだ。

 昨晩、6月17日(月)、BS103で「ワイルドライフ 密着!ペンギン大冒険、吹雪の後進!岩登り!アシカ包囲網を突破!鳥型カメラで巣に接近」を視た。

 過酷な環境の中で必死に生きて、雌雄協力して子育てしているペンギン達の生き方のすばらしさ。
 雌が生んだたった一個の卵を、お互いの身体を寄せ合い、産んだばかりの卵が極寒の外気に触れて死なないよう慎重に、慎重に、雌から受け取った雄は、大事に自分の股下に包み抱き込む。そして、雄は、出産で体力の衰えた雌が、遠く何百キロも離れた海域へ餌を採りに行き体力を回復して戻ってくるまで極寒の氷の世界にひたすら2ヶ月もの間、その場に立ち尽くして、何も食べず飲まずで、ひたすらその帰りを待つのだ。
 無事、雌が戻ってくると、雄に抱かれていた卵の中から、殻を破って可愛い赤ちゃんペンギンが顔をのぞかせる。すると雌雄の親ペンギンは、さもいとおしげにうまれたばかりその子の毛づくろいをしてやるのだ。
 何と穏やかで美しい生き物としての光景だろうか…。

 これに比べて、われ等人間どもはどうだ。
 TVをつければ、小は、つまらない隣人同士の諍いと憎しみ合いからの、あるいは行きずりでの刺した、刺されたの殺人事件。大は世界あちこちでの民族、宗教、政治的主義主張のいつ終わることのない闘争にもとづく果てしない暴力と戦争の明け暮れだ。

 鳥や獣、人間以外の他の生き物たちは、ただひたすら日々、腹が減ればそれぞれの餌を求めて食み、季節が来れば求愛し、次世代の命を産み育てば、程なく親子は別れ別れになり、親たちはただ静かにどこかに消えていく。幾世代も幾世代も、その単純明快な美しい生命賛歌の繰り返して終わっていく…。

 これに反して、われ等人間。生まれてこの方男女で、求愛し、子を産んで育てて穏やかに平和の日々を楽しみ、この世の生を終えていける者がどれだけいるだろうか…。
 何のために生まれてきたのかなんて一時も考えてみることもなく、日々ただただ働きづめに働いて、病み衰えて死んでいく者。
あるいは、生まれてきたことすらを、荷やっかいにされ、ただの一度も両親の微笑みにつつまれることもなく、さいなまれ苛められ、憎しみと恐れの負の連鎖を背負って生きていかねばならない者…。

 その反対に、幸運や才能に恵まれて、一人では一生つかってもつかえきれないほどの巨富を独り占めにして、得意絶頂然としてほくそ笑む者。
 その傍らには、生まれてくる端から、母親の枯れてしわびた乳首を力なくしゃぶる以外にすべもなく息絶えていく幾十万人の赤子たち…。

 他方では、高価な背広やいかめしい軍服に身を堅く包み、白昼堂々と白亜の殿堂の中で、如何に仮想敵国の人間を大量に効果的に殺戮し、その住処を破壊するかを、国防・平和の大儀名分の下に談合し、策を練り、兵器という凶器の製造の進化競争に血道をあげることを自明のこととして、自分たちのやっていることの愚かしく虚しいことを疑ってみようとしない輩たち…。
 また、それを固く支持し、税金の名の下に当然のごとく自分たちの貴重な労働の報酬のいくばくかを、国家に奉げる従順な僕のような国民としての人々…。

 嗚呼、われ等人間は、何時の日に、雌雄一つがいの鳥や獣のような、穏やかでごく自然の生命のサイクルの輪に加われることができるのだろうか…。

 否、それよりも前に、この地球そのものを、われ等人間が、全ての生命の墓場にかえてしまうのではないだろうか…。

 私は、その日を待たないで、この世から消えていけるのだけが幸いかもしれない…。
 

「八重の桜」―会津戦争に涙する―そして思うことは…

2013-06-16 23:59:08 | 日常雑感
6月16日(日)梅雨晴れなれど雲多き一日。

 今年の大河ドラマ、ここ最近の大河にしては出色のできでは…。今夜も白河藩少年隊、僅か12歳から14、5歳の少年武士がまるで修学旅行に行く気分だったといって、勇み立って戦場に出たものの、官軍の近代装備に比べるべくもなくまるでわら人形がなぎ払われるように戦死していくさま…。その健気さと無残さにおもわず涙が止まらなかった…。

 この会津藩の悲劇、なにか先の世界大戦で、米英に追い込まれていくなかで窮鼠猫を噛む勢いで無謀無計算の戦争に突入し、最後は前途ある若人による特攻隊と原爆投下の犠牲者で幕を閉じたその後の昭和日本の命運を暗示しているような気がしてならなかった。

 終わり近く京都の太政官府内でか、松平春嶽が岩倉具視に向かって、「再三提出している会津助命嘆願を何故取り上げない、その結果、内乱騒ぎとなって無辜の民を殺している…。これが新政府の目指す新しい国づくりか…。これでは最初から間違っている…」と厳しく難詰するところがある。

 明治維新、結果そのとおりとなったのだ。
 薩長藩閥を主柱とする新政府は、自由民権運動の激しい世論におされるかっこうでなんとか、それをなだめるために明治欽定憲法を定めたが、これがとんでもない代物だったのだ。
 国民の生殺与奪の権をはじめ全ての政治権力を天皇の大権として、その実は、時の政府の実力者の自由自在に運用できるようにしたのだ。
 
 会津を始め多くの犠牲者のうえに実現した明治維新の果実を、あまねく日本国民全ての者のためとせず、このような明治憲法による巧妙な仕組みをつくりあげて、維新の成果を簒奪し国家権力を欲しいままにしたその日本史上にも稀な凶悪の首魁こそは、山縣有朋だ。

 このゆがみと歪がその後の日本の歩みを誤らせ、600万にも国民の命を失わせる結果となった。だが、その足取りの誤りは今も十分に検証されることなく、それは今日も、そして明日へと続いていくのだ。

 今、被災の苦しみの中にある国民を小馬鹿にしあざ笑うような物言いで、国民の顰蹙をかっている水野某参事官は、その典型のきれっぱじのようなものではないか。
 しかし、そのもっともっと根源の大物は、現憲法を何とかして、天皇陛下を元首に祭り上げ、自分たちが存分に国政をほしいまにできる昔日の大日本帝国憲法体制に名実共に戻すことに身命を賭さんとのたまわる安倍総理大臣閣下こそではないのか…。

 まさに幕末維新長州(山口県)の大先輩、山縣有朋公爵閣下の夢よ再びとばかりに…。