蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

梅雨の晴れ間に…日本棚田百選、白馬村・青鬼集落を往く。

2007-06-25 01:14:48 | フォート・エッセイ
 6月24日(日)曇り後雨。梅雨冷の一日。

 昨日の土曜。朝、目覚めたら真夏のような晴天だった。そうだ、今日は、青鬼(アオニ)に行ってみようと思った。
 ここのところ、7月9日からの東京でのグループ展に向けての100号の私にしては大作の製作で、毎日、同じ絵に向かっていて、少々鬱々としていた。

 青鬼は、白馬の傍の山村で日本棚田百選に選ばれた場所なのである。去年も、行ったのだが、集落への入り口が分かりずらく、行過ぎて日本海にでてしまったのだ。
 
 今回は、地図でよく確認してから出かけた。
 白馬の先の信濃森上駅への道を間違いなく右折した。それでもその先、何の標識も出てこない。不安になり、途中、路傍の畑で作業しているご老人(私同様?)に道を尋ねた。
 親切に教えていただいた。お陰で、こんな狭く急坂の先に人の住む集落があるのかとの不安に打ち勝ち、無事青鬼の集落に着けた。

■ 青鬼集落への途中から 
  
  前方の山は、左から、鹿島槍、五龍岳、唐松岳とのこと。こんなによく見える日は、この時期には珍しいとのことだった。(写真になると、遠景が小さくなり、山の特徴が捉えられず残念)
  山麓に点在する街路は白馬村。早速、路傍に座って、ラフスケッチをした。

                  

■ 青鬼の棚田と集落

  この景色を見て、久しぶりに好い景色に出会った興奮を覚えた。この写真でも、遠景の鹿島槍、五龍、唐松岳が小さくなってしまって、その良さが十分に伝えられないのが残念。やや、逆光気味の中、ところどころに屹立する杉木立が気持ちよいアクセントなって風景を引き締めている。茅ぶきの屋根を包んだトタンの錆色も、周囲の緑に映えて、絵描きにはありがたい。

  
 
■ 田の神様
  
  棚田の中を絵にする構図を求めて歩き回るなか、ふと路肩を見上げたら、この石仏が目に止まった。明治15年と刻まれていた。恐らくは、この石垣を組直した時に、石垣がいつまでも崩れないように、そしてできた田んぼでの豊作への願いを込めてのものではないだろうか。

                    

■ 青鬼の民家

  この集落に今、残っている民家は、14、5軒とか。見て驚くのは、家の形がどの家もほとんど同じで、規模も同様なことだ。
  ここには、大きな貧富の差がないということではないだろうか。これまで多くの山村を見てきた中で珍しく感じた。まるで昔の団地かと思うぐらい、整然と仲良く、隣とくっつくように並んで建っていた。
  格差社会論議がやかましい今、何かほのぼのとした気持ちにさせらる。

  だが、現実は厳しい。玄関先の流しに「ご自由にお飲み下さい。ただし、水は止めないで流しっぱなしにしてください。」と札が下げてある家の主は、今年、81歳とか。
  ほとんどの若い人は皆、下へ降りて、ここに残っているのは、自分のような年寄りばかりとか。

  「あの家のは、婆さん亡くして、自分も倒れて今は娘さんのとこで世話になっていて空き家だ。」「あの家は、親が亡くなって、子どもたちは東京へでてしまい、夏だけ、墓参りに帰ってくるだけだ。」と、諦め顔で説明してくれた。

 

■ 民家の内部

  そんな空き家の一つが、昔のままに復元されて公開されていた。誰も番する人も居ない。「開けた後は、戸を閉めてください」とのみ小さな、張り紙がしてあった。馬も土間の片隅に居場所がある、おおらかな間取りである。

                 

  この集落、今、貴重な山村集落として、文化庁の指定を受けて、昔風への復元事業がゆっくりと進められているそうだ。トタンを剥がし、元の茅葺屋根にし、壁もしたみ板張りにしていくとか。ところが、1年に1軒づつのため、昔の景観に戻るには、これから十数年はかかりそうである。
  その頃には、田の作り手がいるだろうかと心配になる。

  昔の人は、どうしてこのような狭隘な山の谷間に集落をつくったのだろうか。先ほどの主殿(アルジドノ)の答えはこうだった。

  昔は、白馬の村があるあたりは、春の雪解けには、姫川が氾濫して、一面水浸しになったという。そのため、こうした水はけのよい高いところに住み始めたのではないかと。毎年繰返される、洪水から暮らしを守る知恵なのだ。

  それにしても、日々、西に立派な山なみを眺めて、清清しい気分で暮らせる場所を、片っ端から捨てつつある、今の私たちの暮らしのあり方とは、一体何なんだろうかと考えさせられる。
  まことに勿体無いことではないだろうか。

  都会の小学生の4、5年生を連れてきて、2年間ほどこのような集落の空き家に合宿させるような山村留学制度を推進できないものだろうか。
  そうして、この山村に、また元気な子どもたちの喚声が木霊するならば、あの田の神様も、どんなに喜ぶことだろうかと…。
  そんなことを頭に浮かべつつ、久しぶりにスケッチに集中した。
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ブログ「蛾遊庵徒然草」、おかげさまで1年がたちました。

2006-09-18 00:48:40 | フォート・エッセイ
9月17日(日)晴れのち曇り。

 久しぶりに、その辺を一走りしてみたくなった。朝のうちはいい天気だったので、これは予報が外れたかなと思っていたら、午後になったら西の空からどんどん雲がひろがってきた。やはり、予報どおり台風が接近してくる気配だ。

■ そして、季節は、コスモス、薄と、確実に秋そのものである。
 
             

■ 台風を前に、田んぼでは稲刈りが始まっていた。たわわに稔った稲穂。私たちの命の糧だ。お百姓さんのご苦労を思う。そこには、若い人の姿は、見当たらない。この先、どうなっていくのだろうか?豊かな稲穂の間に休耕田が、荒れた顔を覗かせる。

 

 ◆◆◆◆

 そして、今日、気がついてみたら、このブログをアップして、丁度1年が経っていた。気が変わり易い私としては、よく続いた。
 独りで居るのが好きで、移り住んだ山里だが、さすがに知人とも久しくあうことも無い生活が続くと、人恋しくなった。
 日々の生活で、主としてはTV、新聞、雑誌で世の動きを知れば、やはり、脳細胞が刺激されて、思わず「何だ!これは?」と漏らしたくなる。
 そして、その思いに誰かの相槌なり、「そうじゃあないよ」との木霊(コダマ)が欲しくなった。
 最初は、まったくいただけなかった、コメントがこの頃はボチボチといただけるようになった。コメントをクリックするときは、胸がドキドキする。
 賛意、共感の内容だと正直嬉しくなる。反対に、思いもよらないあさっての方からの冷や水だったりすると、シュンとなって落ち込んだ気分になる。
 朝一番、PCを立ち上げて、最初に見るのは、アクセス解析である。昨日は、何件ぐらいアクセスがあったか、どの記事がよく読んでいただけたか、ドキドキである。
 こんなことが励みになって、あっという間に1年が過ぎた。

 お目に止めていただいて、アクセスしてくださる方々に、改めて心からお礼申します。

 それにしても、この1年の、何と早く慌ただしく、変化に満ちたことだったか。
 私の、去年の今日の記事は、民主党、前原新代表が、たった2票差で菅候補を破ったことに、感動して大いなるエールを送った。
 
 その、前原前代表が半年たつか経たないかであっというまに若き偶像の座から、転がり落ちた。同時に、時代の寵児ともてはやされた、ホリエモン氏は、ヒルズの豪邸から引きづり降ろされて、小菅行き。

 その手をとって、高々と、「我が同士よ、兄弟よ」と聴衆の面前で上げて見せた、竹中、小泉大参謀大臣閣下も、殿に殉じて辞職、政界引退とか。

 源平の昔、平家と源氏の交代、今見る心地するのは私だけだろうか?
 はてさて、次期宰相の名も高い、安倍お坊ちゃまは、さて来年の今頃は、どこでどうしていられるか?

 と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
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清水港に次郎長を尋ねて!

2006-08-26 22:57:37 | フォート・エッセイ
 8月26日(土)曇り、一時薄日射す。涼。

 日頃、時事ネタが多くなってしまい、つい肩に力が入ったお話ばかりになので、今日は、軽くフォートエッセイとしてみました。

 先日の23日(水)は朝から良く晴れた良い天気であった。家人が久しぶりの二連休がとれたというので、ちょっと車でひとっ走りしてみることにした。
 どこにしようか?夏、やはり海が見たい。この間は日本海をみてきたので今度は太平洋にしようと大きくきめた。家人は別にどこでもいいのである。
 我が家からの最短距離の海岸は国道52号線(富士川街道)を下った興津海岸、清水港あたりとなる。

 そうだ、清水港へ行って清水の次郎長旧跡でも尋ねてみようと思った。先日、破壊王子様のブログ記事
hakaiouji.cocolog-nifty.com/koya/2006/08/post_28de.htmlで、次郎長が賊軍(幕府軍)の戦死者を、官軍のお達しで放置しておくように命じられていたのを、無視して手厚く壮士の墓として弔った事跡を紹介されていたのが頭のすみにあった。

 8時過ぎに家を出て左に富士川の流れを楽しみつつ、走ること2時間余り、清水市に入った。駅周辺は、街路整備が進みなかなか綺麗である。30年前に通りかかった印象とは大違いである。そこを走り抜けて清水港に出た。

 車を清水エスパレスの駐車場に置いて歩き始めた。一帯は横浜のベイエリアを縮小した感じで様々な大きな遊戯施設や何やかやが建っていて賑やかである。

 だが、めざす次郎長旧跡関係の案内標識がどこにも見当たらない。前日インターネットで調べておいた案内図を車の中においてきたのだ。ままよとうろ覚えの頭の中の図を頼りに歩きはじめた。 

■ 清水港の一部(次郎長の頃は海?)          ■次郎長生家傍の橋から
   

■ 次郎長商店街(次郎長の生家はこの一角にある)  ■次郎長の生家、間口二間半と案外狭い
     

■居間、6畳ぐらいか床の間に大小が飾ってあった。  ■次郎長一家の集合写真 
   

■晩年、次郎長が営業していた船宿(復元)
             

ー 写真コメントー
■次郎長生家傍の橋:この橋の向こうに見える水面は往時のままらしい。この河岸          に沿った右側50mぐらいのところに次郎長商店街がある。
          橋を左に渡った左側に、下の船宿がある。さらに、まっすぐいくと最初の清水港の風景となる。

■ 次郎長商店街:水曜日のためか、どの商店もシャッターがおりている。

■ 次郎長の生家:海道一の大親分の生家としては、間口二間半と案外狭いのに驚いた。この家は、ほとんど当時のままという。井戸があった。しかしここは海岸から僅か50m近くしか離れていない。井戸水が塩っぱくなかったか気にかかった。

■ 居間、6畳:手前、写真の女性は、次郎長の恋女房お蝶さん。床の間に大小が飾ってあった。掛けかたが逆さまではないだろうか。

■ 次郎長一家の集合写真:左から三人目が次郎長、麻生外務大臣に似た感じ、口元がへの字にひんまがっている。声も麻生大臣に似たしわがれ声ではなかったかと想像してみると何だか可笑しかった。広沢虎三ならそっくりだったかもしれない。

■ 晩年、次郎長が営業していた船宿(復元):現在は、次郎長記念館になっている。なかで、遺品、関係資料が展示されている。二階で英語塾を遣っていたというのが面白い。この、船宿へは、晩年の徳川慶喜が時々写真を撮りに来たときなど休憩したように聞いた覚えがあるのだが…。

 結局、侠客稼業は明治維新前の若い頃のことで、後半生はその頃の人脈を利用しての港湾警備、船宿等を正業として案外手堅く、人情に厚く人望があったようである。虚像と実像、実像はやはりじみなものであることを実感した。

 思うのは、現在の裏社会の強大さである。何々団、何々一家と呼ばれる大親分の邸宅は皆、要塞のようだと聞く。それに比べれば、江戸時代の大親分の財力なんてのは、高の知れたもののようである。案外、江戸時代は裏社会の存在を許さない、現代にない何かがあったのであろうか。

 それにしても暑かった。夏の真昼の街ち歩きは、もうこりごりだと思った。
 太平洋岸は、一面海岸が護岸や、巨大な建物の連続で白砂青松の海岸なんて夢幻のごとくどこかへ消えてなくなってしまったようである。
 そんなわけで、壮士の墓は河ごしの護岸の向こうにそれらしい松の木立の一郭を望見しただけで、清水港を後にした。
 
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安曇野散歩ー一寸ひとっ走りのつもりが日本海へ出てしまった!-

2006-06-07 02:51:14 | フォート・エッセイ
 6月6日(火)晴れ後曇り、15時頃から雨。16~24度。
  
  ここのところ、嫌なニュースばかり続いた。気晴らしに出かけて撮ってきた写真のアップが一週間も遅れてしまった。

  先週の5月30日(月)に、早苗が伸びて田の水面が隠れてしまわないうちにと、急いで家を出て安曇野に向かった。気になる空模様は、薄日さすまあまあである。
 中央高速・長野道豊科で下りると、もうそこは安曇野の真っ只中である。思ったとおり北アルプス連峰をバックにした水田のある風景は、実に瑞々しく抜群である。

■ 少し、走ると早速こんな風景が目に飛び込んできた。車を下りてシャッターを切った。 
 この地域独特の、しかし今どんどん消えていく民家である。


                

■  少し走ると、こんな風景もあった。白壁が何と美しいことか。いい絵になりそうだ。

  

■  今時、めったに見なくなった珍しいレンゲ畑を見つけた。レンゲが本名と思っていたら、ゲンゲというのが本当らしい。知らなかった。

                

■  どんどん無くなっていくばかりかと思っていたら、ちゃんとご先祖さまからの地域の伝統の民家造りを大切にしようとなさる方も居らっしゃる。嬉しくなる。ご主人の顔が見たくなった。

  

■  路傍で、安曇野特有の道祖神を見つけた。仲の好いことである。わが身に比べて羨ましい限りである。この辺のお宅のご夫婦は、皆さんみんなこんなだろうかと思ってみる。
                
                

■  途中で大きな川に出会った。穂高川というらしい。北アルプスの雪解け水を集め、安曇野を豊かに潤して流れている。この清冽な流水で、特産の香り高い山葵も育つのだ。

  

■  安曇野のシンボル、有明山に別れを告げ、もっと遠くまで走りたくなった。

                

■  安曇野を抜けて、北国街道を下ると、いつの間にか白馬を過ぎていた。残雪の山と川が印象的だった。残念ながら山には雲がかかりすっきりとみえない。

  


■  日本の棚田百選の青鬼の棚田へいくつもりが、入り口をどこで間違えたのか、いつの間にか県境の小谷村まで来てしまった。ヒスイの原石で有名な姫川の上流部である。
  対岸の小高い山の山腹にこれ以上ない絵のような集落が点在する風景に出会った。
  原田太一さんなら実に楽しい絵にするだろうなと思った。

                

■  そして、県境の長いトンネルを幾つか越えると、もうそこは日本海だった。久しぶりの海だ。山国で暮らしていると、やはり海のある風景は実に新鮮だ。思い切り深呼吸した。向こうに潮煙で霞んで見えるところが、難所・親知不、子知不である。
  そこで、知り合った人から近くに安くて美味しい魚を売っているという店を教えられた。時期外れか、種類は少なかったが、立派な鯖があった。山国ではお目にかかれない逸品である。土産に買った。塩焼きにしようか、それとも味噌煮にしようかと考え、思わず舌なめずりした。

  

■  足元に潮風にそよいで、ハマヒルガオが咲いていた。少し離れて、ハマナスの赤い花も。

                

■   久しぶりの海景に少し興奮気味で、遠景の若いお二人に、幸運を祈りながら、日暮れの日本海を後にした。潮風が鳴っていた。

  

  家に着いたら、この日の走行距離400k余り。日帰りでは勿体無いような、欲張りな行程だったが、高速道路のお陰である。
  そして、気分は、すっきりした。

  
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「麗しの我が山河ーお田植えが終わった!ー」

2006-05-26 01:07:10 | フォート・エッセイ
5月25日(木)晴れ。日中は暖。
 
  何時だろう。カーテンの隙間が明るい。窓を開けると、赤松の梢越しに陽光が燦燦と周囲の雑木の若葉に、見下ろす芝生の上に降り注いでいる。右手遠くの鳳凰三山の高嶺に目をやる。今日は青々と一片の雲もかからずよく見えている。
 こうしちゃあいられない。朝食もそこそこに、慌ててカメラバッグ、スケチッチ道具を、我が愛する軽トラ・ロシナンテに放り込み、飛び乗って出かけた。

 どこを見ても美しい。最初にロシナンテを停めたのがこの場所だ。つい先日までは、茶色い底土がむき出しでカラカラに干上がっていた田んぼが、まるで手品のように今日見れば、水が満々と張られ、5、6cmほどのか細い早苗がきれいに櫛の目条に植えられ、かすかに風にそよいでいる。
 その水面に、鳳凰三山が美しい投影を落とす。山嶺の雪筋もあっというまに切れ切れとなってしまった。

                

  少し行くと今度は、甲斐駒が見えた。この山も、いろいろの視点から何度も描いてみるのだが、いまだに満足な作品にならない。

    

  おなじみの八ヶ岳である。この山は比較的描き易い。しかし、八ヶ岳の投影を見られるのは、この時期の僅かの間だけである。稲の苗が直ぐにすくすくと育つと、たちまち水面が掻き消えてしまうのである。

                  

 北杜市長坂の七里が岩ライン周辺は起伏に富んだ地形である。車を走らせているとくねくねとした道を曲がるつどに、次はどんな風景が目に飛び込んでくるか全く予想がつかない。そこが魅力である。今日も、こっちへ一寸曲がってみるかと、狭い道を抜けたらぱーっと美しい集落の一角に出た。
 集落の、中心に若宮八幡宮という小社(やしろ)があり、境内に入ってみると見事な架かり舞台があった。八ヶ岳と甲斐駒という二大名山が借景なんて能舞台はざらにはないではないか。

      

  神社の境内から、車に戻る途中で、野良仕事のおばあさんと目があった。「こんにちは」と声をかけると、丁寧な挨拶が返ってきた。
  気がついたら、道端にしゃがみこんで小一時間も話し込んでしまった。

  楽しかった。先ほどの舞台では、毎年8月14日の夜、稚児舞の奉納祭りが行われるそうだ。集落の10歳を迎えた女の子が美しい衣装を着て、三番の舞を奉納するという。もう200年も続くという。男の子は、境内の屋根無の土俵で相撲をとるのだそうな。
  子供の成長を地域全体で見守り寿ぐ江戸時代からの日本の美しい習俗が、まだこのへんでは脈々と生きているのだ。

  昨今の子殺し殺人は、このような習俗の廃絶に反比例するようにして増えてきたのではないか?。おばあさんの越し方を聞き、我が当地に越してきた思いを語り、共に、こんなにも美しい所で暮らす幸せを語り合い、8月14日には是非来るようににとの、お誘いの言葉を背に分かれた。

                 

  帰途、我が母なる茅が岳が映る田んぼに出た。いつ見ても優しい表情のいい山だ。

  

  我が家が近くなった。すぐ傍にこんな美しい風景があったのだと改めて気づく。人間て、何で、すぐ傍にある良いものには気づかず、絶えず遠くにあるものばかりを追い求めるのだろうか?。
  この情念のぶつかり合いが、世の中を複雑にし、住み辛くしているのだろうか?。

                

 早苗、このか細い華奢な水草がたちまち大きくなって黄金の米粒をいっぱい着けて、私たちの命をささえてくれるのだ。なんと有り難いことではないか。

    
  
    日本の田園の日暮れである。ミレーの名画「晩鐘」とは、また違う日本人の祈りの気配が漂ってはいないだろうか。
 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

                 

 -追記ー
  この辺りでは、「田植え」なんて無造作な言い方はしない。「お田植え」というのである。一家、親類縁者総出で「お田植え」が終わると、皆して近くの公共温泉へ行き、持ち寄りのご馳走でこころゆくまでくつろぐのだそうな。これも、上記のおばあさんんから聞いた話である。
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夏場所千秋楽<蛾遊庵ピックアップ>ー優勝、やっぱり白鳳だったか!

2006-05-22 03:08:25 | フォート・エッセイ
 5月21日(日)晴れ。夏日。

 大相撲夏場所、早くも千秋楽。朝青龍の休場にも関わらず、新入幕・怪力無双の把瑠都、復調著しい昔平成の怪物といわれた雅山の活躍で大いに盛り上がった。

 優勝は、ぎりぎりまで雅山か、あるいはひょとして把瑠都とかと思っていたら、やはり大方の下馬評どおり、三度目の正直で白鳳が初優勝した。

 それにしても、相撲を見ていると、つくづくと、そこもやはり人の世の定めというか、人生の縮図を眼前に見る思いがする。

 というのは、大関までいって、次は横綱と期待される力士のうち、期待通りに綱の取れる力士がいかに希少かということである。

 そして、上がる者は、若いうちに一気呵成に上がりきってしまうということである。

 最近の例でも昨年あたりの魁皇しかり、今場所こそはと期待された栃東が、横綱どころかと序番早々怪我して休場のありさま。

 今日の雅山も、入幕したての頃は平成の怪物と異名をとったというのに、その後怪我に苦しんでいたのが、漸くの先々場所以来復調著しく、今場所こそはと期待したがやはり今一歩に泣いた。

 28歳の雅山と21歳の白鳳。若い勢いには勝てないのだ。

 特にスポーツの世界は肉体が勝負だけに余計体力の如何、若さがものをいうようだ。

 そんなことを思いつつ今日、気に留めた一番を、以下にアップしてみた。

■ 高見盛対露鵬

 いつもいつも、自らに渾身の気合を入れて勝負に向かう姿勢がすばらしい。今日は崖っぷちの勝ち越しをかけての大一番。重い露鵬を何とか寄り切り、地位を守った。

   

■ 琴奨菊対岩木山

 岩木山ももくもくと一生懸命な相撲をとる。だが、先日、把瑠都に一掴みされて土俵の外へ投げ出されたショックがまだ癒えないかのようだ。寄り切りで負け越してしまった。

  
 

■ 稀勢の里対黒海
 
  稀勢の里、19歳。しかし、少しも臆したり遠慮したりの風情はみじんもない。
  少々はらはらしたが、今日勝ち越して、来場所三役はかたいという。

  

■ 玉乃島対安馬

  取り直しの一番。最初、行事軍配は安馬にあがった。が、物言いがついて取り直し。体力のない安馬にもう余力はなかった。惜しかった。安馬は満身創痍にみえる。来場所はもう少し身体をつくってきてほしいものだ。

   

■ 朝赤龍対雅山

 本日の大一番の一つだ。堂々と危なげなく押し出した。これなら、優勝決定戦もいけると思ったのだが…。

   

■ 把瑠都対白鳳

 この一番も、本日期待の大一番だった。把瑠都が怖いもの知らずで一気にいくかと思ったが、さすが大関である。軽く土俵に這わした。

 
  
■ 白鳳対雅山 優勝決定戦
 
 そして、優勝決定戦。固唾を呑んだ。だが、雅山の突き押しが朝赤龍のときのような鋭さがない。スタミナ不足か。ずるずると押されて寄り切られてしまった。残念無念!

 白鵬はまだ若い。雅山には後が無い。ここは雅山にと念じたが通じなかった。
 白鵬はよほど嬉しかったらしい。優勝インタビューを受ける顔のアップに汗とともに光る一粒の涙をみた。

  

    

 そして思ったのは、洋の東西を問わず子を思う親心である。モンゴルから応援に駆け付けているモンゴル相撲大横綱であったというお父さんがこの日も、我が子白鵬の傍に寄り添うように片時も目を離さないのだ。

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?

 
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夏場所中日八日目<蛾遊庵ピックアップ>ー把瑠都恐るべし!-

2006-05-15 01:19:31 | フォート・エッセイ
 5月14日(日)曇り後晴れ。日中暖、12~23度。

■ 夏場所中日八日目、把瑠都対嘉風。
 新入幕、把瑠都がまたまた凄い相撲をとった。立会い、嘉風を鎧袖一触(がいしゅういっしょく)弾き飛ばしてしまった。一昨日は白露山を吊り気味に寄り切った。この先、恐るべし!

     

■ 高見盛対栃の花。今日はどうか?。高見盛、毎日、人気力士、高見盛に懸かる懸賞目当てに相手は全力でぶつかってくるとのこと。これじゃ身も心ももたないとか。
 しかし、今日は、危うく、土俵際、逆転送り出して勝った。懸賞も無事手にした。天を仰いで意気揚々と花道を引き上げていった。
 よかった、よかった。一生懸命なのが勝つのは見ているほうも嬉しくなる。

            

■ 稀勢の里対雅山、 茨城県出身同士の対決。新鋭、19歳、稀勢の里、恐いもの知らずの面構えが好い。今日も巨漢(182k)、元大関に臆することなくぶつかっていったが、惜しくも寄り切られた。しかし、雅山も今場所は好調そのもだ。

              

■ 琴欧州対安美錦、今日は大丈夫だろうと安心して見られた。早く膝が治るといいのだが。心なしか腹の筋肉が、少し落ちたような気がする。
              

■ 白鵬対垣添、垣添、昨日は小兵ながら憎らしいくらいの巧さで、琴欧州を料理してくれた。しかし、その巧さを警戒した白鳳が突き放した。

      

■ 魁皇対若の里、魁皇が見違えるように蘇ってきた。面白くなるぞ!

               

■ 千代大海対朝赤龍、本日、結び一番。何と懸賞が20本以上も懸かった。これじゃあ、朝赤龍も力が入るわけだ。案の定、巧く千代大海の突きを交わして堂々の寄り切りに破った。土俵上に珍しく座布団が舞った。

       

 そして、今日の結果、一敗が3人、二敗が4人と、これからの後半戦が俄然目が離せなくなった。

                

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
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大相撲夏場所4日目ー混戦、はたまた白鳳の独走か?-

2006-05-11 01:06:43 | フォート・エッセイ
 5月10日(水)曇り。16~24度。

 大相撲4日目、今日の我がお目当て、把瑠都対北桜戦、34歳最古参に対する新鋭19歳、結果は?
        

 「お若いの、まだ、まだだ!そう簡単にいかせやしねえぜ!」と、言ったところか。寄り切って、北桜の勝。よくやった!

        

 取り組み進んで、新小結、安馬対千代大海。安馬は痩身、小兵ながら果敢に何者も恐れずにかかっていく。往年の貴乃花を髣髴とさせないか?。今日も突きの本家の千代大海に向かって突きで立ち向かい、敢え無く玉砕した。

        

 膝を痛めて低迷する大器、琴欧州。対するは旭天鵬。今日は危なげなく勝った。

         
 
 昨日、連敗してまた振り出しに戻ってしまったかの栃東、今日の相手は今場所好調の若の里だ。何を考えているのだろうか?可愛いゴリラ君。お母さんに「何故、横綱、横綱って言うの?大関を維持するだけで大変なの知っているでしょう」と言ったとか。これじゃとても勝負師にも、横綱にもなれそうにないなあ…と思ってしまうのだが。
       
 それでも、今日は、気を取り直しての一番、何とかはたきこんで勝利した。       
       
  勝って、ほっと一息のゴリラ君である。
              

 今場所、絶好調の白鳳。出を待つ姿も泰然自若、もう横綱の貫禄さえ漂いはしないか?

         

 今日の対戦相手は、気鋭の稀勢里(19歳)闘志満々での仕切りだ。
         
 稀勢里、立会い鋭く白鳳を俵に詰め寄せたが?

          
 やはり、敵は一枚も二枚も上だった。見事に逆転、下手投げをくってしまった。

           

  そして、きょうの打ち止めは、今や満身創痍の土俵際大関、魁皇対垣添。今日は簡単に仕留めた。
         

 締めくくりは新十両皇牙の弓取り。関取の弓取りは珍しいとか。見事である。

            

 それにしても、朝青竜は2日の若の里戦で、土俵下へ転落し右ひじを痛めての欠場。
 何か、泡の消えたビールの味け無さ、臍のない饅頭を見るような寂しさを感じる。
 これで、今場所は、このまま白鳳が独走するか?意外に途中調子くるわせたところを、好調の雅山、若手の把瑠都、稀勢里あたりがからんでくるか、それなりに楽しみなことである。
 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

 (※ 上の写真は、テレビ画面をデジカメで撮影してアップしてみました。写真が横に空いたスペースに収まるといいのですが、うまくいきません。それでも、テレビ画面をこうすれば結構、取り込めることができたのは収穫でした。)
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春、雪解け、そしてまた田植えが始まる!

2006-05-06 02:59:47 | フォート・エッセイ
 5月5日(金)快晴。暖。

 目が覚める。障子を開ける。雑木の新緑に朝日が細波ののように煌く。空は真っ青な五月晴れだ。

 もう身体がじっとしていない。食事もそこそこにスケッチ道具とデジカメを手に、我が愛する軽トラ・ロシナンテに飛び乗る。

 そして、甲斐駒山麓に向かった。

 前方に残雪の甲斐駒を背にした、白い土蔵。そして鯉のぼり。申し分ない構図である。早速、路肩に駐車してラフスケッチを一枚。
 矢車がカラカラと小気味いい音を立てて回っている。
 この家の坊やは、家族の皆に愛されて幸せいっぱいにすくすくと育っているのだ。

       

 五月晴れの空を、新緑の香り豊かな大気を腹いっぱいに吸って、伸びやかに泳ぐ鯉。
 人間社会のウザッタさなど、それこそどこ吹く風の吹流しだ!

       

 まさに山里の春の景。

        

 もうこのような家も少なくなりつつある。日本全国津々浦々を席巻しつつある新建材のハウスメーカーの家が、ここらあたりにもどんどん増えていく。
 こうして、日本の伝統的な里山の美しく懐かしい風景はあっけなく消滅していくのだ。

 私たちの先祖がつちかってきた美意識など、○○食らえで、古雑巾のように捨て去ってしまう。
 バタくさい西洋館もどきの映画の安セットのような家に住めば、何だか最先端の文化的生活者になったような気がするのだろうか?。
 あこがれの欧米人になったような気分になるのだろうか?。
 この種の価値観の方々にとっては、頭髪は簡単に金髪にできても、肌の色だけはどうしようもないのが、何といっても悔しくてしょうがないというところだろうか?。


 田に甲斐駒の雪解け水がなみなみと張られた。今年の田植えも間近だ。ここでできる武川米は実に美味しい。新潟のこしひかりにだってちっとも負けはしない旨さだ。
(注:後方、霞んで見える山は八ヶ岳。八ヶ岳との間を釜無川がながれている。)

        

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?。
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高遠城址の桜哀感

2006-05-01 08:13:09 | フォート・エッセイ
4月30日(日) 晴れ。日中20度。

 あっという間に4月も終わった。四月といえば桜の花に入園・入学・入社式。その桜の花もぱっと咲いたと思ったら、今はもう葉桜だ。

 今年は、いつになく桜をよく見に出かけた。塩山市郊外の慈雲寺の大糸桜、小淵沢の神田の大糸桜(これは少し早くてまだ蕾しかみられなかった)、そして高遠の桜と。

 塩山と小淵沢の桜は、一木の大きさと古さが見ものといったところだが、高遠は違う。

 桜の花そのもが小彼岸桜という種類。花の色が淡い。花が一杯で空がみれないほどである。
 そして何よりも城址ということ。しかも織田信長に攻め滅ぼされているのだ。武田勝頼の弟、仁科五郎信盛、勇敢に戦ったが衆寡敵せず敢え無く討ち死にしている。

 そして、もう一つの哀話は、時代は下って江戸時代、大奥女性の政争に負けて配流されこの城址の直ぐ側で三十年間も幽閉されたまま亡くなった大奥女中絵島の悲劇だ。

 これについては、偶然、NHKの「その時歴史が動いた」で6代将軍家宣の正室天英院が8代将軍吉宗を指名し、側室月光院との苛烈な政争に勝った経過が語られていた。絵島はその月光院の寵愛を受け妬まれ失脚したのである。

 今は、城址公園の一部に移設復元されている絵島囲い屋敷というのを見ると、そそぞろに哀れを誘われる。たかが、少しばかりはめを外したからといって、今ならどうということもないゴシップで終わる話が関係者1500人を巻き込んだ、大事件だったとか。
 それなのに女性の身で終身禁固刑とは、あまりにも酷過ぎる話ではないか。

 いつの時代も同じことをやっても背景次第で罪になったりならなかったり、人の運なんてものはまさに花のように儚いものかと…思わせられる。

 高遠の桜は、そんな人間ドラマに纏わるゆえか一際哀切である。人出が多いだけに余計往時の寂しく厳しい情景がオオバーラップするからである。

     

     

 花の下では、人が多くとても飲み食いできる雰囲気ではない。そこで城址を出た少し離れたところに小さな蕎麦屋さんを見つけて入った。とてもよかった。
 盛り付けが涼しげで楽しい。店主夫人の工夫とか。味もよかった。

      

 ー追記ー
 懐は隙間風が吹いているというのに、こんなに暢気に桜見物に出かけられたのも、ライブドアショックの余慶かと思う。
 今、ささやかな持ち株の含み損で嫌気がさして休止状態だからだ。
 とはいえ、果報は寝て待てとか…、いや、いくら待っても来るのは督促状ぐらいでしょうか?
 さて、来年はどんな花見となることやら…

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
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