蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

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弔問外交は死語か?ー故エリツィン前大統領国葬葬儀、駐ロ大使参列で済ますの愚ー

2007-04-28 23:44:00 | 時事所感
4月28日(土)雨後曇り、一時薄日射す。肌寒い一日。
  
  25日、前ロシア大統領エリツィン氏の国葬がモスクワで営まれた。冷戦時代の最強のライバルであったアメリカからは、クリントン、父ブッシュ両元大統領、イギリスはメージャー元首相、ドイツはケラー大統領等各国からは国家元首クラスが参列した中で、日本は行く飛行機便が間に合わないとかの理由で、齋藤駐ロシア大使が参列しただけという。

  エリツィン氏は、1991年8月の旧ソ連保守派によるゴルバチョフ・ソ連大統領に対するクーデターを打倒し一時は国民的喝采を浴び英雄となった。だが、その治世下、経済政策の失敗から、国家財政を破綻の淵に落とし、自身の体調不良とあいまって急速に人気を失い、1999年12月、自ら指名したプーチンにその座を譲って過去の人となった。

  だが、わが国との関係では、橋本政権下、来日し、懸案であった北方領土解決に向けて、2000年を目標にお互いに努力しようとの歩み寄りが見られた。

  しかし、その後のプーチン政権下では、この動きが著しく後退し、先年には、ロシア警備艇からわが国漁船が問答無用の銃撃を浴びせられ、一人死亡という事態にまでなったままである。

  しかも、この間、日露外交、分けても北方領土問題に深くコミットしていた鈴木宗男議員はじめ、その手足として類稀な有能な役割を果たした外務省のラスプーチンこと佐藤優氏は、国策捜査の罠に落とされて失墜の憂き目をみた。

  このような、状況下で、安倍政権は、今更、弔問のために特使を立てたところで、どれほどの意味があろうかと考えたのだろうか。

  それとも、自身のアメリカ、ブッシュ大統領への参勤交代を前にして頭が一杯で、とてもそこまで目配りがいかなかったというわけだろうか。

  何しろ、先日の某週刊誌の広告では、家賃月1千万円とかの公邸にお住まいの超大物大使であれば、今や国民の過半数から見捨てられた故人の弔問など、それで十分。大使は、現地での一国の代表者なのだからとの、とおり一偏の建前論ですましたというところだろうか。

  しかし、我々庶民の間でさえ、借りのある相手には一目置いて、普段はどんなに嫌な奴だと心の中では思いながらも、相手の身内に不幸があったときには、ここぞとばかり相応の弔問をするというのが、生活の知恵というもではなかろうか。

  まして、今回の相手は、こちらが喉から手を出さんばかり返してくれと主張している北方領土という玉を握っている以上は、かかるときこそ、いつもいの一番におやりのように、米英に倣ってふるまうべきではないのだろうか。
  少なくとも、有利なポジションを占めて居る相手に向かって、当の相手が「我が大国を、軽く見やがって…。よーし、今に見ていろ」何て思わせるだけでも、愚の骨頂ではないだろうか。

  故エリツィン大統領は、来日時の挨拶で始めて終戦時の我が父兄のシベリア抑留に、遺憾の意を表明するなど誠意を示してくれた相手なのだ。

  今の、政府には外交の一つの柱とも聞く弔問外交という言葉は、死語となっているのだろうか。

  それとも、美しい国日本再生を念願とされる安倍内閣。国民投票制度を整備して、憲法改正。核武装した暁には、北朝鮮にならって日本製テポドンミサイルを開発配備。北方領土返還要求、強腰外交決裂したそのとき時には、ドンと一発刺し違えてやろうなどと怖い長期戦略構想でもお持ちなのだろうか。

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

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クマ捕殺4679頭―何と残酷で可愛そうなことだろうか!―

2007-04-27 09:45:21 | 日常雑感
4月26日(木)晴れ。風強くやや冷たし。

  一昨日(24日付け)、朝日新聞の37面の片隅に小さな囲み記事で『クマ捕獲 最高5185頭 昨年度、前年比4.4倍』とあった。
  
  記事には、『環境省は23日、06年度のクマの全国での捕獲数が前年比4.4倍の5185頭に上ったとする集計を明らかにした。1923年の統計開始以来、最も多かった。昨秋はドングリ類が実らず、クマが食べ物を求めて人里に下りてきたことに加え、中山間地の人口減少と高齢化で、クマを人里に近づけない対応力が落ちたことが記録的な大量捕獲につながった理由とみている。同省によると、捕獲数の内訳は北海道のヒグマが339頭、ツキノワグマが4846頭。人がけがするなどの事故は144件あり、長野県や富山県、北海道では計5人がクマに襲われて死亡した。…捕獲数の約9割の4679頭が捕殺された。』とある。

  一瞬、何と可愛そうに!と心の中でつぶやいた。
 
  何故か。不幸にして亡くなられた方5人は、確かにお気の毒である。が、しかし、それでも怪我したりした事故は僅かの144件ではないか。
  人を殺したクマを殺すの当然である。しかし、だからといってその他ほぼ全部を見つけ次第殺すというでは、あまりに過剰反応であり過剰防衛ではなかろうか。

  これが人間だったらどうだろう。大事件である。だが、クマだということで、人は、ああそんなものかと、横っ飛びに目を次の記事に滑らせて終わりではないか。

  地球の視点というか神の視点で見れば、人間一人とクマ1頭にどれだけの価値の違いがあるだろうか。そんなもの比べものになるかいというのは、人間だけの勝手な価値観でしかないのではないか。

  この地上に存在するあらゆる生命の間に、どちらが貴重でどちらが生き延びて、どちらが絶滅して好いなんて価値基準は本来どこにもあるわけがないのである。

 であるならば、せめて、我々人類が生き延びていく上で、他の生命を犠牲にせざるをえないのであるならば、我々はもう少しその犠牲を最小限に止め、謙虚であるべきではなかろうか。

  それがどうだろうか、この記事を読む限り、山の木の実が少なくてやむなく里に迷い出てきたクマを、人間は何の権利があってか、誰はばかることなく、見つけ次第情け容赦なく追廻し捕獲して射殺してしまうのだ。

  クマにだって親もあれば、子もあり妻も夫もあるだろう。クマの家族は餌を探しにいったまま帰ってこない兄弟や父母をどう案じて待っているのだろうか。

  捕まえるのは仕方が無い。しかし殺さなくたって、お尻か背中の十も棍棒で叩いて思い切り人間がいかに獰猛で怖いかを思い知らせて、奥山に連れていって還してやればいいではないか。

  環境庁は、どうしてこのような迷い熊の処分に一定の方針を示して、指導しないのだろうか。
  少数者の存在を無視する多数者の横暴と思い上がりは、必ずやその内、何らかの形で我が身に還ってくることを覚悟すべきではないだろうか。

  20世紀初頭、日本の各地でそれまで山神さまと崇められてきた日本狼は、絶滅した。
  そして今、アイヌの人たちが神の使いと敬ってきたクマ達も、九州、四国ではほぼ絶滅したと見做されている。残る本州でも、こんな調子で見つけ次第、人間に害をなすからとの不確かな理由で捕殺を続けるなら、今世紀末を待たずして、絶滅してしまうに違いないのである。
 
  クマの居ない山、何と寂しいことだろうか。どこかに居ないかなと恐れつつ用心しつつ、それでも山の自然の変化の美しさに惹かれて、山歩きするところに、真の自然との触れ合いの喜びがあるのではなかろうか。即ち多様な生命と共存していく喜びである。

  このクマのことについて、Googleで検索したら、日本クマネットワーク(JBN)という団体があった。こちらでは、今年2月に「人里に出歿したクマをどうするのか? 人里にクマを出没させないためにの方策は?」というテーマで緊急クマシンポジウムを開かれていた。

  メディアは、偶々クマに襲われた事故ばかりを大きく報道するのではなく、こうした自然保護のための地道な活動をも、もう少し熱心に取り上げていくべきではないだろうか。

  それにしても、ペットブームが云われるとき、人間と距離を置き容易にコミュニケーションが成りたたず、むしろ運悪く遭遇すれば、害をなす生き物に対しては、殲滅するか無関心でいるというのは、人間の性(サガ)としてしょうがないことなのだろうか。
   同じ人間同士でさえ、肌の色や、信仰の違いで差別をし、相手の存在を認めたがらず、争いをやめない人々が、まだまだあとを立たないのだから…。


 
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行政広報マン出身、田上富久長崎市新市長さん頑張ってください!

2007-04-25 01:52:48 | 時事所感
 4月24日(火)曇り。暖。

  長崎市の新市長に市の課長職を投げ打って立候補した田上氏(50)が当選した。私は22日の開票速報を見ていて、開票率3%の時点で伊藤前市長の女婿の横尾候補に倍ぐらいの差をつけられていたので、ああ、これは同情票が集まって横尾候補の勝ちだなと思ってスイッチを切った。

  ところが翌日のニュースで田上候補が僅差で勝ったと知って少し驚いた。良かった。

  課長から一躍、世界的に被爆や蝶々夫人で有名な人口45万、予算規模一般会計だけで約2千億円、職員数約4500人の市のトップに就任されるのである。

  同氏は、市に入って以来、26年半あまりを広報、観光畑を歩いてこられたとのこと。そして、前職が企画部統計課長とか。
  この経歴から、お役人としての出世度を見ると、失礼ながらエリートコースを歩まれた方ではなかったようにお見受けする。

  私の同じ地方公務員としての貧しい経験からすると、エリートさんは広報や観光畑を20数年も決してお歩きにはならないのだ。
  総務部、秘書、文書、人事、財務といったところばかりをひたすら、寡黙に上司の意向を賢く忖度して歩いて登りつめるのが常道である。
  役所では、何事にも自分の意見を主張してみないと気がすまなかったり、好奇心旺盛で新し物好き屋で、市民本意になんてむきになったりする輩は、体よく汗水かかなければ実績の稼げないような部署を、たらい回ししてこき使われて終わるのが定めのようである。

  田上氏も僭越ながら、これまでの歩んでこられた経験が一番生かされるポストは、秘書課長といったところではなかったか。
  それが統計課長とは、どうみてもこれまでの経歴からみて、とても適材適所の人事配置とは、受け取れない。ここで誤解のないように付言すれば、統計も行政にとっては、もっとも基本となる重要な業務であることはいうまでもない。
  唯、人には向き不向きというものがある。これまで様々なアイデアを出して、外で活躍してきた方を、統計という内向きの仕事に閉じ込めるというのはいかがなものだったのだろうかということである。
  その意味で、氏としては、内心じくじたるものがあったのではないかと僭越ながら想像してみたのである。

  云わば、組織としては傍流をひたすら歩まれてきた方が、トップになるということは、その組織にとってどういうことになるだろうか。

  ここでちょっと思い出したのが、以前、日経新聞の”私の履歴書”で面白いなと読んだ、武田製薬の中興の祖といわれる武田国男会長のことである。

  彼も、大製薬会社の社長の三男坊に生まれながら、長男を偏愛する父に疎んぜられて、親の会社に入っても冷や飯食いの窓際ポストばかりを歩かされたという。  ところが後継者の長兄の急死にあって、急遽その後釜にすわることになった。

  それを聞いた社員は、あんな馬鹿殿が社長になったのでは、この会社もいよいよ終わりかと思ったという。

  ところがどっこい、この馬鹿殿様、窓際に居たお陰で、同様に窓際に吹き寄せられてきた社員と仲良くなる内に、自社の悪いところ、幹部の裏表、みんなインプットするところとなった。

  そして、社長に就任するや否や、それまでのお追従幹部をなで斬りにして、仕事の仕組みを一新し、ついに世人をあっといわせる優良会社に再生させたのだという。

  思えば、田上氏と何と共通項のあることだろうか。

  長崎市もご他聞に漏れず、裏金問題を抱えているという。田上氏自身が文書訓告を受けていると言う。
  前市長は、平和問題では立派な実績を挙げられたが、公共工事絡みの利権問題では、反対勢力との間で、今回の銃撃事件の背景とも噂されるいきさつがあったらしい。

  そして、今回、地元連合は、自分たちの仲間出身である田上氏を応援せず、伊藤市長の後継を唱えた横尾氏を応援したという。

  これは、田上氏が存分に市政の改革を図ろうとするときに、労組の足かせを気にせず、存分に腕を振るえることとなるのではないだろうか。

  武田会長も、その著書で、経営には、「変えなければ成らないもの、変えてはいけないものがある」と言っている。

  田上氏も言っている。「伊藤市長の長崎への愛情などいい部分は継承したい。」一方、公金意識の低さからの裏金を溜め込んだ市役所の風土や、政策立案能力が年々落ちていく市職員の体質は改革を目指すと。

  私の貧しい経験からも、広報を経験すると、自分の組織の欠点やいたらなさが嫌と言うほど分かるのである。
  だがその問題点をいくら内部に問題提起しても、ひたすら内向きしかしらないエリートさんたちは耳も貸してくれないのである。

  あらゆる、行政機関に広報公聴部門は建前としては、大事な部署として置かれている。だがその内実は、行政組織トップへの、執拗な苦情の防波堤であり、市民への免罪符代わりにしか意識していないところが何と多いことだろうか。

  だからこそ、多くの行政機関は、市民の要望や苦情など、馬耳東風で一向にその体質は変わらないということである。

  広報・公聴部門が行政マンのエリートコースの必須とならない限り、市民・国民のための行政なんて絵空事だと私は固く信じている。

  それは、お客様の声を大事にしないような会社が、繁盛するどころか不祥事で転落していくのを見れば一目瞭然ではないだろうか。

  田上氏が、どこまで多年行政の広報マンとして日頃感じてきた市民の声を、今度こそ自分のものとして、市民のために活かしていかれるのか見守らせてもらいたい。
  田上氏の言葉で私が、感服したのは「自分はいつも市長だったどうするかという視点で、物を考え、浮かんだアイデアはメモしてポケットに入れている」という。その数が常時100件はあるとか。

  大した人物ではないだろうか。50歳にもなって、磨り減ることなくこんな純な気持ちで自分の仕事に取り組んでいる行政マンが、休まず遅れず仕事せず,それでいて給料だけは皆同じのお役人の世界で、幾人いるだろうか。云うは易く、行うは難しである。

  そして、名馬は恒にあれど、伯楽(ハクラク・馬を御する人)は恒には在らずとか。
長崎市民の皆さんは、名伯楽にして、災い変じて福となす選択をしたのではなかったか。

  今日の報道によれば、部下がトップに、戸惑う上司とあったが、なーにこんな上司遠慮することなんかありはしない。民間ならあたりまえのこと。歴史を見ても秀吉なんか、あんな家柄重視の時代にとんとん拍子の出世の階段駆け上り見事、天下の権をとったではないか。

  仕事は、地位とそれに伴う権力がするのである。上司だなんていったって、その大半はヒラメで出世してきた方々が大部分。グズグズ云ったら、人事異動希望調書を提出させれればいいのである。
  私の後には、7万8千人の支持者が居ると思えば恐いものなしではないか。
  蛮勇を奮って、ポケットに温めてある100のアイデアを、次から次へ、長崎の皐月(サツキ)の空に大輪の花を咲かせてもらいたいものである。

  それにしても、僅差で敗れた伊藤市長の長女氏は、夫である横尾氏の敗戦に対して、「こんな仕打ちをされるとは思いませんでした」と語ったと報じられている。
  その通りの発言があったとすれば、選挙をなんと思っていられるのだろうか。  これほど長崎市民を侮辱した言葉はないのではないか。
開票を待つ横尾選対事務所内が、一瞬、放映されているのをみたが、殺風景な事務所内に人影のないパイプ椅子だけが、妙に目だっていた。
  そこには一生懸命当選させようという雰囲気が、少しも感じられなかったのが印象的だった。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

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―真実はどこにある?!―宮崎学推薦 「官僚とメディア」魚住昭著を読む。

2007-04-24 01:47:46 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
4月23日(月) 曇り。暖。
  
宮崎学氏のブログで、こんな推薦記事を見た。

『2007/04/20 01:01:52 宮崎学公式ウェブサイト
宮崎学推薦 「官僚とメディア」魚住昭著
「官僚とメディア」 魚住 昭 著
角川書店 720円
メディアと官僚の癒着は、ここまで進んでいる!耐震偽装事件に見る国交省とメディアの癒着、最高裁・電通・共同通信社が仕組 』

このところ、メディアのあり方について何かと気になっていた。そこへこの本の紹介である。今日、買い物のついでに買ってきた。新書版、211ページ、一気に読み終えた。
  その感想となると、書き出せばきりがなくなりそうだ。

  先ず、感じたのは、我々が日々見聞するメディアから報じられることが、いかに盾の一面しか見せられていなかったかということであった。

  この書によれば、一大疑獄になるかと思われた耐震偽装事件も、直接の犯人は姉歯元一級建築士だけであり、あれほど悪徳商法の権化のようなヒューザーの小嶋社長も、木村建設の篠塚支店長も総研の  氏も皆被害者であったということになっている。
  諸悪の根源は、一言で言えば、アメリカの要求に従って、安易に建築確認申請業務を民間にまかせてしまった国交省の無責任さにあるという。
  国交省は、被害者からの責任追及の矛先をそらすために、メディアを巻き込んで、コスト削減で利益をあげるためにはなんでもやりかねない悪徳不動産業者、建設会社がグルという図式をつくり上げたまでのことだとのこと。
  そして、その世論操作は、結果的に見て、今、見事に成功しているのだ。

  その官僚の中でも、国民の目をひきそうなことに一番熱心なのが検察官僚だとか。村上ファンド事件,ライブドア事件はその際たるものだという。
  今までの経済事犯では、ほとんど問題にならなかったようなものが、検察官僚の思いあがりであたかも一大疑獄事件に発展するかのように、よそわれたのだという。

  何故、そんなことになったのか。

  著者は、そのきっかけは、92年の佐川急便事件で、政界のドン、金丸信・自民党副総裁に5億円ものヤミ献金が明らかになったにも係わらず、検察は事情聴取もせずに、政治資金規正法違反の略式起訴で罰金20万円で、ちょんにしたことにあるという。
  その結果、検察は国民からの猛パッシングを受けた。

  『ところが、翌年3月、特捜部が金丸氏を巨額脱税容疑で逮捕すると、状況は一変した。検察不信の声は拍手喝采に変った。事件の衝撃で38年に及ぶ自民党一党支配が終わり、ロッキード事件以来、検察に重くのしかかってきた旧田中派の重圧も消えた。やがて検察OBが政府機関のトップに次々起用されるようになった。…検察は我が世の春を迎え、国家秩序を支える司法官僚としての自負心がやがて驕りに変った。組織の安泰のためにやらなければならないことはただ一つ、時代の「象徴的な事件を作り出し、それを断罪する」作業を繰返すことである。…』

  さらに、今回この本を一読して、収穫だったのは、2009年5月までに始まる予定の裁判員制度のことである。
  私は、これまで保守的とされて一切の司法改革に積極的とは見えなかった最高裁が、何故、ここに来て国民の裁判への参加なんてことを、言い出しさっさと制度化を進めるのが、不思議でならなかった。

  これについても、この書によると、『…99年7月に司法制度改革審議会が設置された。中間報告では刑事裁判の迅速化と効率化だけが強調され、企業法務に携わる弁護士を大量に増やす意図が明確だった。早い話しが小泉政権時代に進められた規制緩和・構造改革路線の司法版である。そのためか、被告が無罪を主張すると1年でも2年でも身柄を拘束され続ける「人質司法」や、冤罪の温床とされる代用監獄をなくそうとする姿勢はまったく見られなかった。…』とあった。
 なるほど、そういうことだったのだ。

  しかも、最高裁は、この国民に戸惑いと評判の悪い制度を何とか、国民に納得させようと、なれない広報活動にやっきとなったあげく、そのノウハウに不案内なため、27億円もの巨費が電通などの広告業界に不透明に流されているともある。
  その仕切役というか、橋渡しの影には、著者の古巣、メディアニュースの卸し元である共同通信社が深くかかわっているという。

  何故、官とメディアがこのように癒着するのか。
  そこには、官からの情報に取材元の7、8割を頼らざるを得ない客観報道主義というものがあるという。官からの情報提供により、記事を書く限り誤報や名誉毀損、損害賠償なんてありえない。官から良い情報を少しでも早く得ようとするときに、官と記者との間に濃密な人間関係ができないとだめだという。そこで初めて情報の取引関係と一体感が醸成されるのだという。

  これは、戦後、今始まったことではなく、戦前の陸軍参謀部と当時の記者との間にも同様の関係があったという。軍部が弱腰になると新聞はそれを叩いたという。
 
  こうして見ると、メディアが報じるある一面だけをみて、もっともらしいコメントを書き散らしてきた我が身を省みるとき、なんともこの身が恥ずかしく、滑稽な道化に思えてくる。

  しかしそれは、この山家の隠居のみならず、一時は議事堂の英雄とさえ見えたお方さえ、その同じ道化の一人であったのかというのは、これもまたたまたま本書を読んだだけにすぎないはやとちりということであろうか。

   だがしかし、これでも長年、歳の功とかで人を眺めてきた目から見れば、耐震偽装問題で議会に証人喚問された面々、どうみてもただのお人好しの被害者とは、信じがたいのだが…。

  そしていつの世も、世の中なんてものの真実の姿が、多くの人の目に明らかにされるなんてことはありえないのではなかろうか。
  
  いつの世も、誤解と、憶測、嫉妬、やっかみの坩堝の中で物事は、うやむやに強い力の方へ方へと吹き流されていくだけでないのだろうか…。 

  しかし、そうは思いつつも、やはり事の真実を知りたいと思うのが、これまた人間の本性というものでもあろうか…。 

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。
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何と言う判決だろうか!―“納税ミス加算税「2900万円支払え」東京高裁、当時の県課長に”―

2007-04-22 00:59:04 | 日常雑感
4月21日(土)晴れ。暖。

  昨日(20付け)の朝日新聞34面の小さな囲み記事に『納税ミス加算税「2900万円支払え」東京高裁、当時の県課長に 部下の怠慢、課長の過失』なる記事を見つけた。

  読んで驚いた。

  同記事によれば、『静岡県教委の財務課副主任が01年3月で退職した教職員全員の退職金の源泉所得税を期限までに納めず、不納付加算税を支払うなどの損害を県に与えたとして、県オンブズマンネットワークの代表幹事らが石川嘉延県知事と当時の財務課長を相手取り約2900万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が19日、東京高裁であった。浜野(シズカ)裁判長は「原因は副主任の職務怠慢にあり、副主任の重大な過失は課長の過失と同一視できる」として、課長に全額の支払いを命じる逆転判決を言い渡した.判決によると、01年5月、副主任のメール確認ミスなどにより、教職員の退職金の源泉所得税約5億7420万円の納付が5日遅れ、県は延滞税約35万円と不納付加算税約2871万円を支払った。公務員の職務上のミスによる損害を誰が賠償するかが争点だったが、浜野裁判長は地方自治法に基づき、賠償責任は副主任ではなく、県の規則で専決権を与えられた課長にあると判断した。石川知事への請求は棄却した。』とあった。

  ここで初めて知った“不納付加算税”とは何だろうか。
Googleで調べたら、「天引きした所得税は、原則として、翌月の10日までに国に納めなければならない。
 この源泉所得税の納付が遅れてしまった場合、罰則の意味で加算税が徴収される。税額は、納付額の10%」とあった。納付日に正当な理由なくして1日でも遅れると課税されるという。怖い罰則である。

 さて、この判決、何と単純な理屈をもって、いくら職務怠慢からのミスとは言え、情け容赦もなく見事一刀両断ではないか。しかも、ミスした本人は、無罪放免で、上司の課長一人が全責任を負うべしとはどういうことだろうか。

 まあ、現実的には、最近の官公庁の管理職は、近年の住民からの損害賠償請求の頻発に備えて、保険に入っているのが、常識なので保険で支払ってもらえば実害は蒙らないですむかもしれない。
 裁判官はその辺の事情を知って、こんな情け容赦の無い機械的な判決を出したのだろうか。
 しかし、この元課長さんが保険に加入していなかったら悲惨である。退職金はおろか、家屋敷まで売り払わなくては、支払えないのではないか。
 反対に、そんなリスクにみあうほどの権限と待遇を受けていたというのだろうか。
 
 もし、公務員に法律や条令ではなく、知事の専決処分で規定された課長の職務権限の有無ぐらいで、こんな責任を転嫁され、損害賠償責任を負わされるのであれば、最近、頻発する警察官僚による冤罪事件の被害者からの損害賠償責任は誰が負うべきなのだろうか。
 
 そちらの方こそ、無実の被害者の人生や名誉をメチャメチャにしておいても、誰も明確な責任を問われず、ただ一言、本部長なんかが「真に済みませんでした。二度とこのようなことがないように真摯に取り調べに慎重を期していきます…」ぐらいで、ちょんではないか。

 もっといえば、夕張市の財政破たん、各地の何とかピアの膨大な赤字の発生。それらについて、誰かの責任が問われ、巨額の損害賠償請求をされたなんて事は聞いたこともない。

 私が、この判決を見て驚いたのは、そのあまりにも事の持つ意味合いの世の中での釣り合いの不均衡さ加減にである。

 一体この裁判官、日頃,どんな思考回路のお方なのか。他の事案ではどのような判決をおくだしになってきたのか、知りたいものである。
 だが、これはGoogle で調べても一向に出てこないのである。

 ところで、本件の不納付加算税の課税処分については、その経緯について、不審なところがある。
  というのは、この不納付加算税の事務取り扱いについては、
 ①その法定納期限の翌日から起算して1ヶ月以内に納付していること、
 ②その直前1年分の納付について遅れたことがないこと、
 ③新たに源泉徴収義務者になった場合の初回の納期に係るものであること、
に該当する場合には、課税されないと、されているのである。
 
 にも拘らず、納付したということは、過去にも納期限までに納付しないということがあったのだろうか。
 
 県と国税庁との間で、十分なやりとりもなくこんな処分が下されること事態、何か別のいきさつがあったのかとさえ想像させられるのだが…。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
 
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怖―い予測!。―30年以内に震度6弱以上 07年度版予測地図公表―

2007-04-21 01:21:35 | 日常雑感
4月20日(金) 晴れ。暖。
  
  毎日の購読新聞(朝日)。これまでは、面白そうな所だけを拾い読みして、その後は資源ごみにまとめて出していた。
しかし、最近、このブログを書き始めてからしばらくして、これはと思う記事(資料としての意味で)は、切り抜いてそばのダンボール箱に投げ込んでおくことにした。
  こうしておくと、そうだ、あんな資料があったなと思うときは、ゴソゴソ引っ掻き回すわけである。

ところで、この作業、毎日、やらないで少しでも溜めてしまうと大仕事になる。
  今日も、慌てて昨日の新聞の切抜きを始めた。
  
  そこで、ひょいと目に付いたのが、18日、政府の地震調査研究推進本部が、全国各地で、どれほどの確率で地震が発生する恐れがあるかを発表したとの冒頭の記事である。
  
  能登半島の地震もまだ記憶に生々しい。今朝もまた奄美大島での地震が報じられた。そして我が家のあたりは大丈夫なのだろうか。

  ところがこの記事を見て、びっくり仰天。我が住む甲府盆地は、最高の静岡の86.5%(以下、数値呼称同じ)に次ぐ82の確率とランクされているではないか。

  私は、てっきり関東大震災以来、地下エネルギーが溜まりにたまっているに違いない東京こそが一番と思っていた。
  それへの恐れもあって、この山里への移住を決めたのだが。

  それが、何と、東京は、11.4とはるかに確率が低いのだ。
  これでは、石原三選傲慢閣下が、日本中の地方の貧乏振りを尻目に、非正規雇用で巻き上げた法人事業税増収ジャブジャブで暢気にオリンピック招致なんてうつつがぬかせるわけである。

  そして他に目に付いた所では、津が61、高知が52、徳島44、名古屋37.1、和歌山34.1、横浜32.7、千葉27、大阪22.5、…大分15、…となっている。
  ちなみに一番低いのは、福島の0.1とあった。

  そして、この記事の末尾に確率がどういう意味合いか、面白い事例が紹介してあった。

  即ち、30年以内に個人が災難に遭遇する確率の例として、大雨災害0.5%、すり0.58%、強盗0.16%とあった。
  しかし、「地震の確率は1%以下でも決して低くない。能登半島地震も比較的確率が低い地域で起きており、日本はどこでも地震に対する警戒が必要」とのことだ。

  なーんだ!、人騒がせな。これでは、数字が大きいからといって、あまりびくついてみてもしょうがないということだろうか。
  だがしかし、ある日、突然、足元から、どかんと一発くれば、わが人生、ご破算で願いましてはの恐怖に、変りはないということだろうか…。

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

 参考:地図、同本部ホームページ、(http://jishin.go.jp/

   ちなみに皆様のお住まいの所の確率を、確認されておいてはいかがでしょうか。
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EUは世界の未来の雛形となりうるか?―そして、目下の「国民投票法案」とは!―

2007-04-20 00:49:53 | 時事所感
4月19日(木)晴れ。4~10度、肌寒い一日。

  4月17日付けの朝日新聞社説に『EU50年 熟年欧州の進化は続く』とあった。

この社説の中で『「血塗られた戦いと苦悩の歴史を教訓として、欧州統合は実現した。かって一度も手にしたことのない共存をいま、我々は達成した」 先にドイツで開かれた欧州連合(EU)特別首脳会議の宣言は、成果を高らかにうたいあげた。 …今から振り返れば、欧州統合は歴史の必然だったように見える。だが50年まえ、第二次世界大戦直後の欧州では、まだ「夢物語」の一つにすぎなかった。2度の世界大戦の舞台となった教訓から、なんとかして「不戦共同体」をつくり上げたい。その強い思いが出発点だ。  …だが、かって何度も敵として戦った相手と和解し、手を結ぶのは簡単なことではない。…各国なりの世論や利害のぶつかり合いの中から、今のEUが形成されていった。最初から高邁な理想のもとに結集したと見るのは単純にすぎる。時間をかけて各国の国益を調整し、最後は政策の共通化にむすびつけていく。これがEUの歩みを通じて欧州の人々があみだした知恵だろう。…』と紹介している。 

  翻って、わがアジアはどうだろうか。今、アジアでもそれへ向けての歩みは、ほんの少し始まっては、いるようだ。
だが、現状の日韓、日中、わけても北朝鮮との関係をみれば、それはまさに夢物語であり、むしろ一触即発の危機と隣り合わせていると言った方が、より現実的というべきであろうか。
  産業革命以来、アジアはいつまで欧州の後を追っていかなければならないのだろうか。

  そして、今、世界で一番のガキ大将とも言うべき、アメリカは自らの力と論理で、この世界をねじ伏せられると内心思っているのではないだろうか。
  アメリカは、世界の大国の中でその建国の時のいきさつは別として、自国を他国の侵略で蹂躙された苦しみをしらないのだ。
  個人にしろ国家という集団にしろ、自らの身に直接的な苦痛を感じない限り、真に目覚めることはないのではないだろうか。

  このように考えて見ると、EUの統合の姿を、世界の明日の姿と見ることは、まだまだ先の夢物語なのだろうか。
  
  それにしても、我々人類は、今や、地球環境の問題、先進国に蔓延する経済のグローバル化に伴う格差社会の拡大、社会の安全弁としての中間層の崩壊、これら差し迫った問題をどうやって解決しようというのだろうか。

  これらの問題解決には、地球規模での秩序の確立と合理的行動への合意がなければ、果たすことは出来ず、人類の未来は無いと思うのだが。

  そして、今、問題の憲法改正への前提としての国民投票法案は、果たして、このような世界統合への歩みに資するものとなりうるのか、それとも前世紀の概念である国民国家主義への逆行への歩みとなるのであろうか。

  山家の隠居は、所詮、残り僅かと知れた命のほどで、わが身のことは、どうということはないが、可愛いわが子や孫の行く末を思えば、腕を組んで考え込むばかりである。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
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何故、そんなに死に急ぐのか?-三重県・男女5人集団自殺!-

2007-04-18 11:12:51 | 日常雑感
4月17日(火)雨。寒の戻りか寒い一日。

一昨日だったか、男女5人が車の中でレンタン火鉢で集団自殺したというニュースを耳にした。
  そのうちの一人の遺書らしきものに「…ありがとうございました」とあったという。しかし、このニュース何故か続報が無い。

  やっと下記のような引用記事が見つかった。

『12日午前11時15分ごろ、三重県四日市市水沢町の駐車場に止めてあった乗用車内に、男女計5人の遺体があるのをパトロール中の四日市西署員が発見した。車内にしちりん4個と練炭の燃えかすがあり、同署は集団自殺とみて調べている。
調べでは、5人は男性2人と女性3人でいずれも成人。』と。
NHKのニュースでは、「女性の一人は学生証を持っていた…」と聞いた。

日本の自殺者は、毎年3万人以上、人口10万人当たりの自殺率では、先進国中最高であるという。
それも、結構、上記のような若い人が多いようだ。

 何故なんだろうか。

 私のような山家の隠居が、おこがましくも平知盛ではないが、「見るべきほどのものは見つ」とばかりに観念して死にたくなるのは、自分の心のことだからよく理解できる。  が、人生これからという若い人たちが、簡単に自殺する心理は、当然ながら理解しがたい。

  それほど、今の日本で、いや世界を見渡した時、もっとより良く生きて見たい、何かをやってみたいという気持ちにならないのだろうか。

  このように人が死に急ぐ国家とは、どんな国なのだろうか。外国へ行ったことのある人々はみんな異口同音に、「日本ほど住み易く良い国は無い」と聞くが…。

  若者に生きる希望を持たせられない国家、それはすでに日本戦後文明の衰退を表象しているのではないだろうか。

  しかし、その一方で、43歳の女性が、心臓手術のために支援者の協力により6千万円の募金が集まり渡米できることとなったというニュースも聞いた。
  また、80歳の寝たきりの老人が、介護する妻に、「まだ生きていたい」との希望を口にするのも視た。

  人々の生死への願望の岐路は、文明云々なんてものではなく、あくまで個々人の心的要因にのみ帰すべきものなのだろうか。

  今、我が家の周りの雑木林は、新緑にきらめいている。その若葉の瑞々しさを目にすると、私の「もう苦しい思いをしないですむのなら、いつ死んでもいいなあー」というような罰当たりの曖昧な願望は、一瞬にして雲散霧消してくれるのである。

  あの5人の若者たちも、内向きに自分の内面の暗い淵ばかりに目を向けず、近くの春の山野へ出かけたなら、きっと新しく生きる希望が、沸々と湧いてきたのではないだろうかと、思ってみるのだが…。

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

                          
                             ー新緑の散歩道ー
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著名人の表・裏―<所得隠し>林家正蔵さん申告漏れ1億2千万―に思う由無し。

2007-04-17 12:33:44 | 日常雑感
 4月16日(月)雨。冬に舞い戻ったような肌寒い一日。

  こんな吝嗇(ケチ)な記事が、目についた。
 
 『4月16日12時56分配信 毎日新聞
 人気落語家の林家正蔵さん(44)=本名、海老名泰孝=が東京国税局の税務調査を受け、襲名披露時の祝儀約2200万円を申告していなかったことが分かった。この所得隠しを含め、申告漏れの総額は05年までの3年間で約1億2000万円に上り、追徴税額は重加算税を含め約4500万円とみられる。
 関係者によると、正蔵さんは05年3月、林家こぶ平から現在の名前を襲名したが、その際に後援者などから受け取った祝儀袋が自宅の地下から見つかり、所得隠しが発覚した。
 こぶ平時代にはテレビのバラエティー番組などで活躍していたが、正蔵襲名後は古典落語にも積極的に取り組み、最近の落語ブームをけん引。襲名時に行われた東京・上野から浅草までのパレードには約14万5000人が詰め掛け、襲名披露公演は全国約60カ所で行われたという。父は故・林家三平さん。【高島博之】 』
 
  林家正蔵、故林家三平の長男。人のよさそうな顔して、あちこちのTV画面でよくお目にかかる。一度、そのTVで彼の落語を聞いたことがあるが、あまりうまいとも思えなかった。何かのコメントを聞いても、なるほどなーともうならせてくれるほどのもはない。何で、あんな程度で、あれほどTVでもてるのかといつも不思議でしょうがなかった。

  そこへ、この記事である。やっぱりそんな程度のおひとだったのか…と、思った。
  
  人間、誰しも表・裏があってあたりまえではないか。だが、せめて世間様の表舞台に出ている間ぐらいは、品よくお行儀よくしていていただけないものなのだろうか。

  こうした著名人の表・裏。世間知らずの私が、今は昔の現役の頃、直に経験したことで一番腹がたったのは、落語界の天才とかもてはやされている○○師匠氏のことである。

  彼も何かでコメントを求められると、ぼさぼさ頭に鉢巻(?)締めて、酔っ払いがしゃべっているようなべらめー口調でもっともらしいことをおっしゃる。
  それまでは、小気味好いことをおっしゃると時には感心もした。

  この師匠を、ある時、私が所属した組織の管理職研修講座で講師にお迎えすることになった。
  貴重な午後の半日、一、二時間をかけて各職場から、200人前後の組織の幹部があげて、多忙な仕事の調整をして会場に集まった。
  今日は、どんな面白いお話が聞けるのかと私は、期待に胸を弾ませて師匠のご出座を待った。だが、定刻を過ぎても、30分待ってもいくら待っても、当の師匠はお出ましにならない。
 
  会の担当者の当惑振りは目もあてられなかった。
  たまりかねた担当者が、ご自宅に約束外のお迎えにあがったところ、天才師匠は、在宅ながら、たった一言、「今日は、調子が悪いからいけねいや」とのことだったとか。
  事前に何回か打ち合わせての結果がこれである。溝鼠(ドブネズミ)ルックの名も無い木っ端役人の研修など、眼中にないのである。

  一体、この○○師匠は、何様のつもりなのだろうか。多数の他人の二度と還らない貴重な時間をなんと思っているのだろうか。
  こんな人間としての最低の約束も守れず、まともな挨拶もできないような男が、庶民の人情話を語って天才なんておこがましいにもほどがあるってものではなかろうか。
  要は、カメラやマイクの向こうに多数の視聴者というお得意様に向かっては、人並みの対応をなさっても、何の発信力もないサービス官庁なんか人間相手にしなくても痛くも痒くもないということか。

  また、これもその頃のこと、屋根にぺんぺん草かなんかを植え込んだおうちを建てて、物好きな審査員のお目にとまって、なんとか建築賞をおとりになったとか、はたまた建築○○とかで著名なT大教授閣下。
  あるイベントの委員をお願いしての会議であった。事前に秘書の方にも連絡を取り出席の確認を得ていたにも拘らず、定刻になり他の委員先生方がお集まりになっても、この大先生はとうとう最後まで姿をおみせくださらなかった。
  そして、先方からは、当のご本尊はもとより秘書の方からも一言の弁明も挨拶も無いじまいであった。

  それからというもの、この先生が、TVに出てさも庶民のお友達ぶった語り口でにこやかにコメントされるのを見聞きしても、なにをこいつ人前では、ええかっこしてと見てとれ、虫唾がはしって急いでチャンネルを切るしだいとなった。

  そしてまだある。これは文化勲章まで授与された作家先生の叙勲前のことだ。ある短文をお願いしたら、何か資料になるようなものをとのお求めで、こちらで下原稿を用意して、お持ちして、後日、これをと有り難く頂戴してみれば、何と、下原稿にそのままご自分の署名が加わっているだけではないか。それでいて、薄謝はきっちりお納めになった。

  ご自分の著作が他人に無断で引用されたら、そら著作権の盗用と直ぐにお騒ぎになるだろうに、これも地方自治体の下っ端小役人の書いたものなど、何のあいさつがいるものかということらしかった。

  これでは、先生のお作も小説家志望の編集者が下書きしたものに、ちょいと署名をされた代物かと、勘繰ってもみたくなるというものではないだろうか。

  それにしても、この世の中、一度、名前を得てしまった御仁に対しては、何と渡る世間の評価の甘いことだろうか。小説家然り、絵描き然り、政治家然り、評論家然り…
  それでも、立場を心得て品よくお振る舞いになっていれば、こちらとしては、何の文句のつけようもありはしない。

  だが、よくよく、いささかの天分に恵まれて世に名を成された方々の何人様にお一人かの割合で、人と人との最低の仁義もお忘れになる方々がなんと少なくないことだろうか。
  そして影響力大きいメディアには、こびへつらっても、無力無名の輩には傍若無人に振舞っていることには、とんとお気づきにならない。

  こうしたお歴々様が庶民の味方顔して、何かあれば、いっぱしのもっともらしいコメントをお吐きになる。
  スーダラ節を借りて言うなら「これじゃ世の中いいわきゃないよ!」ではないか。

  こうしてみると、この世で何よりも有り難く、尊いお銭(アシ)を、いつまでいただけるかは、人気次第とあってみれば、戴ける時にたっぷり戴いたご祝儀を、地下室深くお蔵いになっておくなど、その名の正蔵に恥じないお振る舞いというべきか。
  さて、故三平師匠は、この愛息の様を見て、文字通り地下の泉下で何とおつぶやきになっていることだろうか。

 「まったくもう、しょうぞうだからってしょうがないんだからもう…どうしょうぞう!」ってとこだろうか。

  これをしも、才無く名も無き負け犬の遠吠えと、ご憫笑くださるだろうか。嗚呼!やんぬるかな!やんぬるかな!

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
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わが山里の花巡り

2007-04-14 08:51:04 | 田舎暮らし賛歌
4月13日(金)晴れ後曇り。暖。

  今、わが山里は桜に桃の花盛りである。土日は勿論、平日にもマイカーで、観光バスで、そして電車でと花見客で賑わっている。
  私も、こうなると、少し天気が良いとじっとしていられない。桜の花は直ぐに散る。例年少し遅れて咲く桃の花も満開を待ち構えて、桃栽培農家の人たちは待っていたように、受粉のために花芽を摘み取る。摘み取られた後はまたもとの三分咲き程度の眺めに戻ってしまう。
  そんな瞬時を縫って、スケッチに写真撮りにこちらも忙しい。

■ 長坂、清光寺の大糸桜 我が家から車で20分。大河ドラマ風林火山、武田信玄の祖、甲斐源氏発祥の地。

   

■ 小淵沢の大糸桜 背景の山は名峰、八ヶ岳。前面には甲斐駒が聳えている。

  

■ 長坂、清春芸術村 ここは、元長坂小学校の跡地であったのを銀座の画廊主が買い取り、画家のアトリエ村とした。レンガの建物は、フランスのラ・ルーシュを模倣して建てたもので、中はどの部屋からも絵が描けるようになっている。白樺派の作品を中心とした、美術館も併設されている。
  
  

■ 旧武川村の山高神代桜 「新日本名木百選」にも選ばれた、このあたりでは、一番、古くから有名な桜ではあるが、その名のとおり、さすがに推定樹齢2千年とかの老いには勝てづか、樹勢が弱ってしまったようだ。天然記念物のエドヒガン桜、根回り13m、樹高9.1m。日本武尊が植えたとの伝説がある。(注:真ん中の黒く太い幹が神代桜である)
 

                 

■ 新府城跡からの新府桃源郷の眺め。前方に霞んで見えるのは八ヶ岳。織田信長も凱旋軍を率いてその方角から、この地に駒を進めて来た。
  武田信玄の子、勝頼が起死回生を賭けて、信長の甲信侵略を防がんとして1581年(天正9年)築城するも、時既に遅く、入城して僅か3ヶ月、翌年3月3日には、自焼して退去し、旬日を経ずして、甲府盆地の東の出口、田野の地に息子信勝、19歳の妻とともにに滅んだ。
 が、その信長も僅かその3ヶ月後には本能寺で焼死する運命とは、よもや思いもしなかったであろう。その時めにしたであろう甲斐の山桜が、信長一生の花の見納めではなかったか。
 その後のどさくさ紛れに北条氏が甲斐に侵攻したのを、徳川家康が、ここ新府に陣を構えて撃退したのだという。
 その故事を想いつつ、眺める一面の花の色の鮮やかさは、また格別のものがある。

  

■ 新府桃源郷から東、茅ヶ岳を望む。7月には、桃の実がたわわに実り、その完熟した美味しさは、えも言われない。今から、その時が楽しみなことであるが、朝、早起きしなければ完売となる。

                  
      
       ー春愁ー
 
       年年歳歳  花新しくして 
       
       年年歳歳  人事茫茫
       
       花粉留魂  天に紛らう
       
       春光燦燦  恩讐を滅す

               ー 蛾遊庵 山人 ー
    
 
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