蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

午後の散歩、ちょっと一山ミニ登山

2005-10-21 00:46:48 | 田舎暮らし賛歌
 10月20日(木)
 
 快晴。ここのところ鬱陶しい日が続き久しぶりの良い天気。
 こんな日は、自然と心が浮き立ち体が動き出す。

 しかし、いざでかけようと思うとなんだかんだあってぐずぐずしている間にたちまち三時。急いで軽トラを駆って茅が岳に向かう。

 途中、八ヶ岳がとても美しく思わず車を止めて2、3枚撮った。

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 夕陽が美しい。南アルプスのシルエット。
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「国家の自縛」佐藤 優 著 (産経新聞社刊)を読む。

2005-10-19 04:54:45 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
 10月19日(水)

 「国家の自縛」。外務省が切り捨てた異能の外交官佐藤優氏の前著「国家の罠」に続く二冊めである。

 前著、「国家の罠」があまりにも面白くその感想をブログに投稿したところ、記事を読んでいただいた「喜八ブロ」さんが本書の出版を教えてくださったのである。

 田舎暮らしゆえの不便さ、注文した本屋から届いたの電話を受け、軽トラで駆けつけ、買ってきて早速読んだ。
 これがまた面白く一気に読み終えた。

 今度の著書は、産経新聞社の元モスクワ支局長、現在は同社正論調査室長の斉藤勉氏と佐藤優氏との対談形式で書かれておりとても読みやすい。
 
 本書は、「国家の罠」の解説書とも読め、「国家の罠」が書かれた経緯、著者のこれまでの背景が読みとれ余計に興味を深くした。

 本書を読んで、佐藤優氏の人間としての深遠さ、文明批評の確かさに頷かされた。
 若き日に日夜研鑽されたであろう神学、哲学研究に裏打ちされた明確な自己の視点がある。
 佐藤氏が神学科を選んだのは母上がクリスチャンで、その影響を受け自身もクリスチャンになったためとのこと。
 情報の「プロ」と自他ともに認める方がクリスチャンというのは少し意外であった。
 これだけ頭脳明晰な方がクリスチャンになられたというのは、よくよくの思索の結果かと推察される。
 512日間の独房生活、そのなかでの思索と執筆、並みの人ではない。その背景に信仰の強さが有ったのかと感じた。
 おそらく佐藤氏の精神の強靭さをもってすれば時代を遡って、キリシタン棄教の拷問にも耐え切り聖人に列せられたのではないかと想像した。
 そして佐藤氏は神学についてこう語っている。

 「神学というのは裏の学問、虚の学問なんです。法学も哲学も文学も医学も理学も、全部こういうのは実の世界の学問なんです。…
 AとBという考え方がぶつかった場合、表の学問では論理整合性の高いほうが勝って正しいとされる。しかし、神学の場合は大体、正しい理論がまけます。間違えた理論の方が政治を使ったり暴力を使ったりして正しい理論をやっつけるんですね。これが神学の歴史です。
 しかし、よく考えてみると、とてもこれはバランスがとれる。正しい理論が勝っちゃうと、世の中正しい人だらけになっちゃいますよね。そうするとつまんないじゃやないですか。悪い奴が勝っても、…うしろめたさがあるんですね。負けた連中は少数派になっても俺たちは正しかったと考えると、それなりの自分たちの自信がでてくると。その両方があってちょうどバランスがとれるんじゃないかと思うんです。
 ですから、そういうものの考え方っていうのは、普通の大学へ行った人とは違う感じになる。『負けたよー』と言ってもその人が間違えたとは思わないっていう訓練がされているから、あまり偏見にとらわれずに、まずその人と会って、言っていることを聞いてみる。それまでは判断しませんっていう感じの訓練がよくなされるんです。」
 
 今、私たちは日々情報ラッシュの中に立ち往生させられいる。そこでは、つい面白いほうに眼を奪われがちである。マスメディアが今日、報じていることのをどこまで信じていいのか分からない状況に置かれてはいるのではないか?
 
 今、私たちにこそ、佐藤氏の言う「」神学的訓練が必要なのではないかと思った。

 とにかく佐藤氏は、私なんかにはただ混沌としか見えない世界各地での紛争の実態を明快な包丁捌きで図式化し提示してくれる。
 
 そして、最後にこんごのことにつて、
 
 外交官にはまったく未練はないし、われわれ情報やというのは表に浮かび上がったら、その瞬間で終わりですよ。…ただ、情報の関係者だけでなく外交官も学者たちも外国人は、私を通じて日本人というのはどういう生き方をするのかって見ているんですよ。本当に信頼できるのかと。北方領土問題は私が仕事の方便でやっていたのか、それとも日本人として本気で領土を取り返そうとしていたのかと興味を持ってみています。だからみっともない形で外務省を辞めることはできないんです。
 私や鈴木宗男さん、東郷和彦さんの担当した北方領土交渉は、歴代総理の命令に基づいて国策として行っていたのですが、それが時代の転換の中で「犯罪」とされてしまったのだと言う認識を私は最後まで述べ続けていきます。
 しかし、いつか裁判も終わりますから、その後は現実からできるだけ離れたところで、具体的には「日本国家のあり方」、伝統的言葉遣いで言うところの「国体」の問題に取り組みたいですね。
 …日本の国家形成を思想史的に掘り返し、整理して、考える種を提供していく。」

 なんと高邁な姿勢ではないか。
 このような人物を国策捜査で「偽計業務妨害」とは、何と言う不毛な白昼夢をわれわれは見せ付けられているのか。

 まさに「国家の自縛」以外の何ものでもないのではないか。
 
 高裁での無実を信じたい。



 
 

 


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小泉首相の靖国参拝に思う!

2005-10-18 00:04:01 | 時事所感
 10月17日(月)

 今日のTVニュースで、秋の例大祭を前に小泉首相が、「靖国神社」を参拝したことを一斉に報道した。

 TVでの放映は、映し出される映像が、下手なアナウンサーのナレーション以上に語りかけるものが多い。

 例年と違い、背広姿で拝殿に向かい賽銭箱の前で立ち止まった総理は、無造作に右手をズボンのポケットに突っ込み手探りで摘みあげたと思われる小銭(それが10円玉か、100円玉かはたまた500円玉かはしるよしもないが)を賽銭箱に投げ込んだ。

 お賽銭を入れるのに、別にこうでなくてはならないと決まりはないかもしれない。
 しかし、自ずから見苦しくない作法というか仕草があるのではないか。
 私は、毎年鎌倉の八幡様へ初詣にいくのを自分なりの年中行事の一つとしているが、その際、上着の内ポケットから財布を取り出し、しかるべき硬貨を取り出して賽銭箱に投げ入れる。

 それを、小泉氏はポケットのごみでも捨てるような仕草で、いかにも小銭にか何かを投げ入れたのである。
 そして拍手を打ってしばし頭(こうべ)をたれて瞑目し、何事も無かったかのように、さっと振り向き帰途についた。

 その一連の動作について、アナウンサーはなんのコメントをしなかった。

 私は見ていてはらがたった。何と無礼な、無様な参拝の仕方かと。
 首相としてのこれまでの靖国参拝については議論百出である。その可否は別にするとして、従来の参拝にはそれなりの形があり、祭られているものをそれなりに擬制とはいえ敬う心が感じられた。
 しかし今回は、いかにも申し訳にお参りした事実をつくろおうとするだけのものに見えた。
 
 私の父も戦死者である。靖国の一柱に祭られているはずである。だからと言ってはらがたったわけではない。否、私は長年東京で生活しながら、靖国へは一度もお参りしたことは無い。
 それは、靖国神社に親近感というかリアリティというか存在感が湧かないからである。
 
 しかし、正月には鎌倉の八幡宮に初詣に行く。そこは何故か清清しいいい気持ちになれ、頼朝公以来の歴史の息ぶきがかんじられるせいかもしれない。鎌倉の八幡宮もその建立者は源義家ともいわれているがごく自然に人々の祈りの心の積み重ねにより今日に至り、その歴史と伝統の重みが参拝者の心を自ずからうつのではないか。
 日本人の神社へのお参りの仕方というか心持とはそういうものではなかろうか。
 
 それに反して、靖国神社はいかにもその建立の経緯が人為的的打算的とさえ思えるからだ。生命保険ではあるまいし日本国家が行った戦争のために死んだら祭ってやるから安心して戦死しろと明言しているのに等しいからである。

 中国、韓国だって鎌倉八幡宮なら小泉首相が年に何度お参りしょうが問題としないだろう。それが証拠に伊勢神宮への参拝は問題にされたことはないではないか。

 中国や、韓国が反発するのは、靖国が日本人の自然発生的な信仰心の発露としてではなく国策遂行の国家的装置として意図的に設置されたものであるからではないか。しかもそこに彼ら同胞の無数の生命財産を奪った首魁者が祭られているのである。
 私たち日本人が逆の立場だったらどう感じるかは自明ではないか。それが近隣諸国と仲良くしていこうという人間としてのとる態度だろうか。

 貧しくとも穏やかに暮らしていた隣家に、無法に押し入りその家人を殺害し財産を奪っておき、それでも仲介者がいてなんとか、許しを請い仲直りし平穏になったかと思ったのも束の間、ちょっと商売繁盛して小金がたまったとおもったら、何とその悪党(?)の親父を死んだから今はもう神様仏様ですと公然崇め始めたとしたら、殺され奪われした隣家の息子や孫たちはどんな思いがするだろうか。

 私たち日本人の真の良さは、自然の風物四季の移ろいを愛でる繊細さ、他人や隣人を思いやる優しさにあったのではないか?それがいつからこんな傍若無人な人間集団国家となりおおせたのか。深く自問自戒したいものである。
 

 小泉氏は何故、このような不毛な靖国参拝にこだわるのか?だれへの義理立てなのか。大票田(?)の大日本遺族会へなのか?

 しかし、その当の遺族でさえも今回の参拝の仕方をTVでみれば、私が感じたように、その欺瞞性に気付き返って冒涜されたと感じるのではないか。

 今や、民意を察するに天才的との評価さえある小泉大宰相としたことが、「こはいかなることか?」とその真意を量りかねる次第である。

 まして今回は、過日、高裁の「靖国参拝違憲判決」が出たことではあり、これを機に参拝を取り止めれば、遺族会あたりからは少々の異議も出るものの大方は納得するのではなかったか。

 今回選挙の大勝で、さしもの小泉勘ピューターにもいささか狂いが生じたかと危惧するほかはないのだろうか。
 
 
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前原民主党代表にますます失望!

2005-10-16 22:33:13 | 時事所感
 10月16日(日)

 先ほどのNHKのニュースで、民主党内で「公務員給与改革法案」の提出を巡って早速異論が出ているとのこと。
 その対応について問われた前原代表の答えに耳を疑った。
 「松本政策本部長にお願いしてあったのだが、議論が十分でなかったので今後はもっと丁寧にやっていきたい。」との趣旨の発言。

 不手際の責任を早速部下(?)の責任に転嫁して恥とも思わないその無神経さにあきれた。自分だけは少しでもヨイ子に思われたい見栄っ張りが見え見えである。

 これでやっぱり週刊新潮の「父親は裁判官」ウソツキ発言が、見栄っ張りな性格から出た確信犯であることが明確になったのではないか。

 こんな包容力のないひょろひょろアンチャンに、民主党の再生なんて望むべくもないのではないか。

 早晩、自民党も分裂、民主党も分裂してガラガラポンしなきゃあ真の国民政党なんてできっこなさそうである。
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「チャングムの誓い」が面白い!

2005-10-16 01:34:31 | 日常雑感
 10月15日(土)

 夜、NHK総合第一にチャンネルを回したら、韓国歴史ドラマ再放送「チャングムの誓い」第二話を放送していた。

 先日の木曜日にはBS2で第52話を視たばかりである。

 このドラマ途中から見始めたので最初の方はしらない。見始めたら面白くて面白くて毎週楽しみでしょうがなくなった。

 NHKのホームページにも「チャングムの誓い」コーナーがある。そこであらすじを知った。内容がとてもいい。ドラマらしくていい。ヒロインチャングムのひたむきで聡明で清潔感のある美しさがいい。ドラマと解かっていても何度か泣かされる。

 韓国でも視聴率50%以上だったとか。

 このドラマを見て、韓国への見方が変わった。今まで正直あまり関心を持てなかった。

 何かと言えば戦争中の日本への恨みつらみばかり言ってくる国とのイメージだ。それでいて日本の真似ばかりしている国といったふうに。

 しかし、あたりまえの話だが韓国の人の「料理に対する細やかな心遣い、医術に関しても患者への温かさ。」等を知って、その感性が我々日本人と少しも変わらないなということである。

 もう半世紀以前になるが、歴史学者江上波夫氏に著名な「騎馬民族征服王朝説」がある。日本の古代国家の成立は、今の満州地域にいた騎馬民族の一派が朝鮮半島を南下して弥生時代の日本を征服し王朝を開いたのだとする説である。

 今の平成天皇も何かのおりに、皇室の先祖が韓国と深い関係にあるという発言をされたというような報道の記憶がある。

 日本史でよく任那日本府のことを習う。古代日本が朝鮮半島に攻め入って敗退したという広開土王碑文も有名である。

 これは、江上波夫氏の主張するとおり日本の皇室の祖先が朝鮮半島を支配していた時期があり、そこを追われるなかで日本列島(九州)に殖民してきたと見るべきではないかと思う。それゆえ、日本で勢力が回復するに従い自分の故地を回復するため、百済からの支援要請にかこつけて韓半島に攻め入ったのではないだろうか。

 そうでなければ、倭の五王の時代、韓国を含めた地域の支配者としての称号を中国王朝に執拗に求めたりはしなかったのではないか。

 どうみても日本人と韓国人は同じ血を分けた同胞関係にあると思う。

 今の、日本での「ヨン様」ブームはやはりそんな血がよびあうのではないか。

 私も、これからは少し韓国語を勉強してもっと深く韓国のことを知りたくなった。

 何よりも一番近い隣国同士、仲良く行き来し理解しあいたいものである。

 一つのドラマの力にはすごいものがあるなと感じている。 
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「郵政民営化法案可決成立」に思う

2005-10-15 00:33:03 | 時事所感
 10月14日(金)
 
 今日、参院で「134対100」で「郵政3事業民営化6法案」が可決成立した。

 小泉首相は、今まで見せたことのないような穏やかな笑顔で「これは政界の奇跡だね。一度死んだ法案が国民の力で生き還らせてくれたのだから。」と感想を述べた。

 30代の頃から持論であった構想を遂に実現したのだから、その胸中は感無量であろう。

 そして、政府系金融改革も始まった。共済、厚生年金の一元化も2007年度目途に統合されようとしている。

 議員年金の廃止も俎上に上った。民主党も負けじとおっとり刀で党内の異論も風呂敷きに包みこんでの公務員給与削減提案をする様子。

 なんだかんだと言っても、台風一過、悪臭ふんぷんの側溝下水のごみが、いっぺんに流れ去ってスイスイ流れ始めた感は否めないのではないか。

 小泉首相に対する各種メディアでの毀誉褒貶は、はじけたクス球のようである。

 そんな中で、一庶民はただ黙して今後のなりゆきを見守るしかないようだ。

 いつの時代も、当局者からはほど遠い庶民は、されるがままに、マスメディアのお囃子にのっかって、ついつい踊らされるしかないのではないか。

 ことの真価が定まるのは、当事者もその観客も天国か地獄かに消えてしまった遥かな彼方にしかないようだ。
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草の中から?ー夏の忘れ物

2005-10-13 19:05:44 | 田舎暮らし賛歌
 10月13日(木)快晴 
 
 二日続きの好天。赤松の梢遥かに鳳凰三山の山嶺が朝日をいっぱいに受けてやや赤みの混ざった青紫色にかがやいている。もう紅葉がそろそろ始まっているのだろうか。

 こうゆう日には何かいいことがありそうな気分になる。
 そして自然と体まで動かしてみたくなる。

 そうだ、今日こそは前から目障りになっている庭先のささやかな畑で,実をもいだあと立ち枯れになったままのとうもろこしの残骸を片付けようと思った。そのあたりは一面雑草の群れとなっている。

 畑に立ってみると前面の赤松の陰になっているせいか、朝露でびっしょりとぬれている。大鎌を振ってみるが、刃が欠けているのと、野放図にはびこるままにまかせた雑草のしぶとさが拮抗してなかなか思うようにははかどらない。

 すぐにはあはあと息切れし、汗みずくになる。
 刈り取った草を一抱え二抱えするうちに、ごろっと何かが転がって出た。
 立派なかぼちゃである。
 たった二株買ってきて植えておいたかぼちゃは、この夏縦横無尽に蔓を伸ばしそこここに実をつけた。もう7、8個はとったつもりだったがまだ取り残しがあったのだ。
 合計三つもでてきた。

 さらに、取り残したサツマイモの根っこからも大きなサツマイモが2,3個でてきた。

 汗をかいた心地よさと思わぬ収穫で、何か得した気分になる。
 
 朝の予感は確かだったのだ。
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芝刈りを終えて

2005-10-12 18:31:10 | 田舎暮らし賛歌
 今日は久しぶりの良い天気だ。陽のひかりを見ると心が浮き浮きしてくる。

 先日から庭の芝生のだいぶ伸びてきたのが気にかかっていた。このへんで刈っておかないと、このまま枯れさせてしまってはあとでみっともないことになる。これは先年の経験から得た知恵である。

 昼過ぎ、今朝の露が乾いたところで芝刈りにかかる。200㎡弱の芝生は電動芝刈り機を使っても結構刈りでがある。

 30~40分おきに休み休み単純作業を続ける。結構汗が出る。疲れる。

 ようやく刈り終えてところで熊手を持ち出し刈った芝を集めにかかる。

 熊手の先に蟷螂がじっとして動かない。ちょっといたずら気分が湧いてその蟷螂のうえに芝を集めて山にしてみた。

 季節はずれでもう力付き尽きかけているのか蟷螂は草に埋められたままになっている。びくとも草の小山(と言っても30cm四方ぐらいか)は動かない。

 このままにしておいては草の熱気で死んでしまうかと急に自分の仕業の罪深さに気づき急いで草山を崩す。中から蟷螂はノンビリト無事でてきた。よかった。

 秋の陽は釣瓶落としの譬えどおり5時を過ぎると暗くなってきた。

 刈った草の山を集めて片付けたら汗びっしょりである。

 家に入りシャワーを浴びる。暮れなずむベランダに出る。庭先の赤松の梢に半月がかかる。まだ虫が鳴いている。缶からグラスに注いだビールを一気に飲む。
 喉越しが心地よい。今、刈ったばかりの芝生の新鮮な青ぐさい香りがほのかに鼻に沁みて来る。

 田舎暮らしの至福の一時である。
 


 
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前原民主党代表に幻滅する!

2005-10-12 01:15:42 | 時事所感
 今日、本屋の店頭で週間新潮を手にとって見たら、前原代表が「父親が家裁の裁判官だった」といろんな場所(代表選の最終演説の中でも)で発言しているのは真っ赤な嘘だったとの記事が目に飛び込んできた。

 それによると、実際は、地裁の事務官で総務係長だったとのこと。裁判所事務官でも長年成績優秀で勤めれば内部試験で簡裁の裁判官への道はあるもののその試験を受験した形跡もなく、地裁の人事記録にも一切そんな記録はないとのこと。

 むしろ派手好きな性格で周囲の人々に多額の借財で迷惑をかけ、それを苦に鉄道飛び込み自殺をしたとのこと。当時の新聞記事が残っているとのこと。
 当時、前原氏は中学2年生であり、決して父親の地位がどういうものであったか理解できない年齢では無かったはずとある。

 最初は冷やかし記事くらいのつもりで読み始めたが、記事の詳細を読むと決してでっちあげではなさそうである。

 事実と違うのであれば、前原氏は速やかに公党の代表を誹謗中傷するものとして速やかに名誉毀損で週間新潮を告訴すべきである。
 それをしないのであれば、暗黙裡に事実を認めたことではないか。

 ひるがって何故、前原氏はそんなつまらない虚言を弄するのか。「父親は地裁の事務官であった」でいいではないか?。なぜ、なってもいない裁判官なんかにまつりあげなくてはならなかったのか?

 人間の平等性を人一倍説く民主党の代表とは、見掛け倒しで一皮向けば、人間を僅かな地位身分の差で差別視するエリート主義者だったのか?

 先日の代表戦の演説をインターネット中継で視聴していて、氏の演説に感動し、期待しただけに、今、この事実を知るのはなんとも泥水を浴びせられたような不愉快で残念な気持ちで一杯である。

 人間には、誰でも多少の見栄や虚栄心はあるだろう。しかし全国民注目の中での公人としての発言において、虚言は致命傷ではないか。

 それとも政治家と言うのは無知な庶民を口先三寸で篭絡するなんぞは朝飯前の小技と心得ているのだろうか。
 
 とにかく高いところに上ってしまえば後はなんとでもなるということか。

 確かに、伊藤博文も若いころには英国大使館か何かの焼き討ちで人殺しをしているとのこと、今をときめく総理大臣も学生時代に問題起こし、英国へ逃亡留学?したとか。

 まあ、今後、私も一見かっこいい発言にすぐ酔うことの無いようせいぜい、斜に構えて「あんさん、そんなかっこええことおっしゃいますけどほんまかいな?」と
醒めるべく努力しますか。

 本当ならば、先日2回にわたり投稿した「前原代表へのエールと期待へ」のブログ削除したいところですが、今後の自分の眼力の甘さへの教訓として末永く保存しておくこととしました。

 みなさんは、どう思いになりますか?。ご異見聞かせていただければ幸いです。
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薪ストーブ談義

2005-10-10 18:43:29 | 田舎暮らし賛歌
 十月に入って、山里の朝晩は急に冷え込んできた。それに今年の秋は、日照時間日本一のこの地に珍しく、毎日、雲厚く小雨模様の日が続いている。

 こうなると火の気が恋しくなる。薪ストーブさまの出番である。幸い九月末の天気の良い日に屋根に上り、煙突掃除をしておいたからスタンバイOKである。

 今朝、火を入れてみた。半年振りのくぬぎ材の薪からでる煙の匂いが心地よい。先日収穫しておいたサツマイモを銀紙に包んでストーブ内の隅にそっと置く。小一時間もすれば美味しい焼き芋の出来上がりである。

 しかし、この薪ストーブ結構お守りが大変なのである。田舎暮らし向けの住宅雑誌のグラビアページにはよく出てくる定番である。

 かく言う私もそんなグラビアに惹かれて、ここに作業場(アトリエ?)を建てた際、まっ先に、プレファブ造りには少し不似合いかなと自問しながら設置した。

 なるほど火力、雰囲気は申し分ない。しかし、肝心の薪の調達が大変なのである。市販の薪は約30センチ束で5,6百円もする。こんな量では2~3時間で燃え尽きてしまう。とても定年退職者の財布で賄えるものではない。

 そこで薪調達の苦心が始まる。近くの山道を歩いていると、落ちている枯れ木、枯れ枝が宝物に見えてくる。

 しかし、人里近くでは地主さんの目が気になりなかなか気安く拾って持ってこれるものではない。

 そこで機会あるごとにどこかで処分に困っている人はないかと声をかけてみる。
 建築廃材ももらってみたがこれは駄目である。くぎ抜きがたいへんである。塗料が燃える臭いがいやである。

 次に虫喰いで処分された赤松、これは太くて重く、小割りにするのに多大の労力が要る。5キロもあるマサカリを振り上げているとこんなこといつまでできるだろうかと弱気になる。

 最高は、このへんで盛んなしいたけ栽培用のくぬぎ、こなら等の切れ端を譲ってもらうことである。軽トラ一台分で3000円ほどである。しかしこれもストーブにくべられる大きさに切りそろえるには結構な手間がかかる。

 かくして冬の間中は日々薪のことが頭の隅からはなれないことになる。時々通りかかる大きな別荘などでトタン屋根を架けた下に切り口を揃えた豊かな薪束をみると垂涎の思いがする。そしてこの家の主は何と金持ちなのだろうかと想像するのである。

 しかし、こんな思いをしつつも冬の夜、耐熱ガラスの小さな窓越しにチロチロ燃える焔を見ながらオンザロックなどチビチビやっていると、陶然としてなんとも豊かな気分に浸れるのである。いよいよそんな楽しみの季節となった。
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