蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

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「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」(その5)

2006-05-30 01:20:40 | 時事所感
5月29日(月)うす曇り。気温15度~24度。

“戦争防止グローバルアクションー戦争、集団殺戮、国内武力紛争を止めるための連合構築に向けてープログラム文書 2003 (翻訳:ピースボート)”
 www.globalactionpw.org/prev/GAPW_Japanese.pdf-

すなわち、どうやら、この提言は、
 1999年5月、オランダ、ハーグで開催された「ハーグ世界平和市民会議」
における、アジェンダの「公正な国際秩序のための基本10原則」の第10項、「戦争防止地球行動(Global Action to Prevent War)」の計画が平和な世界秩序の基礎になるべきである、に基づき、米国関係者が中心となって、1998年から、準備され、2003年本文書として策定されたものらしいことが分かった。
 
そのため、日本ではまだ、広く認知されるにいたっていないようである。
  むしろ日本を含む、アジア地域のNGOの間では、2001年、国連のアナン事務総長が報告書の中で「紛争と予防における市民社会の役割が大切だ」と述べ、紛争予防に関するNGOの国際会議をの開催を呼びかけ、これに応じて発足したプロジェクト「GPPAC=武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」が中心課題となっているようだ。

この「GPPAC(ジーパック)」とは、「紛争予防」を目的とした、世界的なNGOプロジェクトであり、戦争や紛争がおこらない世界をつくるために、一般市民が政府や国連と協力し、どのような役割をはたせるかを議論する大規模なプロジェクトであるそうだ。
そしてこちらは、2005年7月、ニューヨーク国連本部において、GPPAC世界提言「武力紛争予防のための世界行動提言」として採択されている。

以上、これらを通して、私が現時点で漠然とながら、理解し得たことは、既に、紛争を予防し、戦争を抑止するにはどうしたらいいのかは、今や、その問題に関心のある人々の間では自明の理であり、ちょっと関心を持って調べれば誰にでも明らかなのだ。

今や問題は、それをどう世界中の人々のコンセンサスを得て実現していくかの、意思と方法論の段階で足踏みしている状況にあるらしい。
  
  そして、どうやら、ここに大きな断層というか、万里の長城のような壁が聳え立っているらしいのである。
  
  私には、その最大のネックは、パクス・アメリカーナ即ち、アメリカ一国支配の世界制覇の野望にあるように思える。
 
  皮肉なことに、冷戦時代のように米ソが世界の二大勢力として合い拮抗していれば、アメリカに己の利益をある程度抑えて妥協する余地があったかもしれない。
  しかし、ソ連が崩壊した現在、アメリカが進んで自国の利益を犠牲にしてまで、世界平和のために何かをするなんことは、到底考えられないのである。

  だが、驕る無かれアメリカよである。未だかって世界史上一国による世界支配が完遂できたためしはないのである。古代ローマ帝国、ジンギスカンのモンゴル帝国、中国の漢王朝、皆然りである。

  アメリカが一国で世界の警察をというのは土台無理なのである。それはアメリカの国力を疲弊し人的資源を消耗するものでしかない。
  そして、その最大の代償は、9.11テロの悪夢の再来であり、アメリカは世界中から自国を窺うテロの恐怖に苛み続けられねばならなくなるのである。

  我々が、世界史をみて知るのは、強大帝国国家は、皮肉なことに己の強大さに自己陶酔し世界制覇に取り掛かる次の瞬間、崩壊の過程をたどるのが宿命のようではないか。
  
  今こそアメリカを除く世界各国は、一致団結協力して、アメリカにこの世界史の教訓を理解させ、説得にあたらねばならないのだ。

  反面、アメリカ以外の各国が、アメリカの暴走を止め、アメリカの頸木から逃れる唯一の方策はそれしか無いのではないか。

  このような大まかなラフデッサンのもとで、ではわが国、日本は何をなすべきか?
次回、このことについて考えてみたい。

  と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?

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誠心誠意の生涯―最後の幕臣・川路聖謨(としあきら)のこと―

2006-05-29 11:33:39 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
5月28日(日)曇りのち夕方薄日差す。朝15度、午後暖し。

  『村人がどんな食事をしているのかと思い、朝夕の食べ物をださせたところ、…そば殻と冷えの粉のなかに、ほんの少し米を混ぜただけのものであった。…豆粒ほど口にいれてみたが、とても呑みこめるものではなかった。…私たち役人の着物、食物(給料)は、全てこのような暮らしの中から絞り集めた民の膏(あぶら)である。そのことを思えば一文たりとも無駄にはできない。』

  これは、幕末、日露和親条約締結の日本側全権(外国奉行)として、ロシア帝国プーチャーチンと困難な交渉を重ねる中で、プーチャーチンからその誠実かつ豊かな人間性と知性を高く評価され、幕府瓦解に際しては、引退して中風の身でありながら、家人に悟られないように用心しつつ、割腹の上、ピストル自殺により劇的な生涯を遂げた、幕臣・川路聖謨(1801~1868)が、若き日、佐渡奉行を命じられ、島内巡検の見聞を、母に書き送った日記「島根のすさみ」(東洋文庫刊)に出てくる一節である。

  彼はまた、こうも書いている。
『十三万石の領内の民百姓の暮らしの良し悪しも、自分の心がけ(施政)にかかっている。たとえ衣類一枚ぬすまれたと訴え出る者があれば、それは自分の日頃の心配りが足りないのだ。そう思うと少しも油断はできず、心を休めている暇はない。』と。

  私は、無責任な政治家や、公務員の腐敗、堕落事件が報じられるたびに、パブロフの条件反射の犬ではないが、誠実無比な幕府官僚であった川路聖謨のことを思うのである。
 どうして、この人物のことを、松下政経塾(?)や特に公務員の研修で必読の書として普及させないのかと、甚だ残念に思う。この人物の言行が頭の隅にほんの少しでもあれば、破廉恥は言わずもがな、無責任なことはできなくなるのではと思うのだが。

  敢えて言えば彼の姿勢が立派すぎて、講師自身が、わが身に比べて恥ずかしくなり、それで敬遠されてしまうのかもしれない。
 私自身にしたって、もし彼の部下だったら、ちゃんとどの辺まで付いていけたかどうか心許ないのが正直なところである。

  彼自身も言っている。自分の心に適う家来はなかなかいないと。今の我々が時代劇なんかで見る侍社会は、上司の命令一つでどうにでもなるように思うが、いつの時代も組織の中の人間関係は面従腹背が幅をきかせていたようである。

  私が、川路聖謨のことを知ったのは、昔、大仏次郎の長大な小説、「天皇の世紀」で、実に魅力的な人物として描かれているのを読んでからだ。そして彼に関する本が他にもないかと探した。この「島根のすさみ」は、その中の一冊である。

  幕末の著名人でも、他人が書いた伝記の類は多いが、本人が自分の手で自分の言葉で書いた著書は甚だ少ない。百年余り前のそれも候文のため、直ぐには少々意味の取りにくいところもあるが、一字一句に著者の息遣いまで伝わってくる。実に当時の時代の雰囲気までもが、リアルにドキュメンタリーとして、こちらに見えてくるのである。

  川路聖謨という人は、多忙にも関らず実に筆まめなひとで、女性的なほど心細やかな人柄であったようだ。
そして、今なら確実に、偉大なブロガーになったのではないかだろうか、なんて想像させられるほどである。

  幕末というと、近頃、近藤勇や土方歳三の新撰組ばかりが取り上げられるが、あんな連中は、時代遅れの、暴れん坊の、ドサクサまぎれの、一旗狙いの、殺戮集団(近藤等は士道にもとるとしては、連合赤軍並みに仲間を処刑しておきながら、自分はおめおめと流山の米屋の土蔵に隠れているところを切腹もできずに、ひっ捕まって千住で打ち首獄門の体たらく)と極言したら、どこからか闇夜の礫が飛んでくるだろうか?。
  こんな人物を美化して大河ドラマに仕立て上げた、NHKや三谷何とかの気が知れないというもんだ。おや、これはとんだ脱線をしてしまった。

  それよりも、この川路聖謨とか、罪無くして謀殺・虐殺されたに等しい気宇壮大な構想力と実行力に富んだ幕末幕府官僚、小栗上野介(1827~1868)のことをもっと多くの人に知ってもらいたい。そして、今の政治家、偉いお役人様にはゴルフなんかしている暇があったら、川路聖謨の著作でも読んでつめの垢でも煎じて飲んでもらいたいものだ。
と、思う今日この頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

 ー追記ー

 川路聖謨著作:他に「長崎日記・下田日記」、「東洋金鴻」いづれも東洋文庫(平凡社)
 小栗上野介:最後の幕臣ー小栗上野介 星亮一著、中公文庫

■ 川路聖謨補遺: 豊後国日田(大分県日田市)の幕府代官所下級吏員、内藤歳由の次男に生まれる(1801年)。12歳のとき江戸に出て、幕府御家人、川路家(小普請組、90俵三人扶持)の養子となる。勉学に励み「日ごとに未明より出で、暮れに帰るがごとく奔走」し、18歳のとき、勘定所の筆算吟味役に合格(財務省、初級試験に匹敵か、今でいうノンキャリアである)、その後は才能を認められてとんとん拍子に出世、最後は幕府閣僚にまでなる。しかし、晩年は将軍継嗣問題で井伊直弼の逆鱗にふれ、蟄居を命ぜられ不遇の内に中風に倒れ、1868.3.15官軍の江戸城総攻撃の報を受け、家人は避難させ自分だけは麹町の屋敷に残り自決したのである。
 私が、彼を尊敬するのは、自らの出身階層を生涯忘れず、彼なりに既成制度の枠の中で庶民(被治者)のこと国家利益を常に頭に置いて公務に生きた人物だからである。
 これに比べ、スケールの違いはあるが、太閤秀吉なんかは、自分の出身階層のことなんか振り返りもせず、むしろ自分の出自を美化し、いかにすれば百姓を押さえ込めるか、自らが良く知る百姓の弱点を逆手にとり(刀狩、太閤検地等)、あまつさえ無知無謀、誇大妄想の朝鮮への海外出兵で、内外の人民を塗炭の淵に追い込んだ暴君でしかなかったのではないか。
 謂わば、自己の出身階層の裏切り者でしかなかった。こんな人物の本質を見ずして、その人生行路の上昇過程だけに目くらまされて、今も拍手喝采する人々の気が知れないと思うのだが。
 そして、今もこの手の成り上がり者が、跋扈跳梁して止まないのは、皆様ご承知のとおりである。
 (5月29日、追記)
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社会保険庁の不祥事―組織の腐敗堕落―は何故起きる?

2006-05-27 02:06:08 | 時事所感
5月26日(金) 曇り。肌寒い一日。

  先日の23日、私のブログにコメントをいただいた「さくら」様から、「社会保険事務所の不祥事もご意見を聞かせていただけたら」という宿題(?)をいただいた。
  私ごとき山家の隠居に「ご意見を…」と言われると、おこがましくて、何だか落ち着かない気分になってしまう。実は、まだこの時、社会保険事務所の不祥事とは何のことか知らなかったのである。

  そこで慌ててニュースを検索してみたら、大阪の社会保険事務所で徴収率を上げるため、納付義務のある未納者のところにせっせと汗水垂らして、説得して納めてもらうようにするのが本来の職務と思ったら、豈はからんや
面倒くさいから、納めなくてもいいことにしちゃえとばかりに、おまけに本人には無断で、せっせこほいさ組織ぐるみで、国民年金の保険料を免除したり納付を猶予したりしていたことが判明した、と云うことだった。

  そして、今朝のスーパーモーニングを見ていたら、これは大阪だけにかぎったことではなく、遠く離れた長崎をはじめ全国各地でだそうな。これは鳥インフルエンザではあるまいし、大阪のウイルスが特別長崎に飛び火したわけではなく、昨年末、鳴り物入りで小泉大宰相閣下の懇望もだしがたく、どこかの損保会社の副社長から天上がりされた村瀬長官様の特別なご指示によるものだそうな。「何が何でも徴収率をアップしろ!と。でないとお前(社会保険庁)らに明日はないぞ!」と、怒鳴り上げたそうな。
  この檄で、局長以下奮起、雀躍の結果が今回の体たらくという仕儀らしい。

  社会保険庁といえば、徴収した保険料のなかから、全国各地に、国民皆のリゾート施設をと絢爛豪華な何とかピアを建てまくり、保険庁OB天下りウハウハ送り込み、バブルはじけりゃ、たちまち閑古鳥が高鳴きの大赤字、今じゃ引き受けてもちょっとやそっとみつからない有様とか。
  かてて加えて、年金未納の個人情報垂れ流し。その結果、一時は社会保険庁の解体論も賑やかだったのに、今朝、聞いてみりゃ看板ちょっと書き直すだけの「チャラチャラ流れるお茶の水」ってことらしい。

  一体全体、これを決める政府与党の自民・公明党は、どこを向いて誰のために高い歳費を懐にして、政治をやってるつもりなんだ?と、無駄と知りつつ聞いてみたくもなる。
  しかし、困ったことに、その与党に気前良く票を貢いだのは我等一人ひとりの国民だったのではないか?。
  と、言ってしまうと、我等庶民は袋小路のどぶの中である。これではちょっと救いがない。

  そこで、一転、視点を変えてみる。
  社会保険庁だって、昔かられっきとした国家機関であり、その職員は国家公務員である。

  公務員は、採用されると、宣誓書に署名捺印をしなければならない。曰く「わたくしは、全体の奉仕者として職務に専念することを誓います。」と。そして新任研修においては、それが具体的にどういうことか、懇切に指導されるのである。もし、このとおり一人ひとりの公務員が、生涯この精神を金科玉条と奉じて職務に専念してくれれば、とっくの昔にこの日本は世界一のユートピアになっているだろう。

  ところがどっこい玉手箱で、現実のあらゆる分野で官僚組織の腐敗堕落振りは、日々枚挙にいとまない。

  これは、国家公務員、あるいは地方公務員(でも自治体によって制度に違いがある)でも採用試験、昇任試験、昇任システムに大きな問題があるからではないか。
  所謂、エリート優遇のキャリアシステムの問題性である。公務員改革が言われるたびに俎上には上るが、その抜本的見直しは、何故かいつの間にか、うやむやにされもとの木阿弥である。

  人は誰でも、最初の一回だけの採用試験で、それが上級・中級・初級職かによって、一度中に入ってしまえば出直して受験しなおさないかぎり、それも年齢制限がある中で、職業人生の生涯が不動のものとして決定されてしまうようなシステムの中で、誠意と熱意と向上心を持続しえるだろうか?。

  即ち、上級職で入った者は、入って数年で、自分の父親ほどの年齢の部下の長となり、ろくに一つの分野に精通することもなく唯ひたすら出世の階段駆け上り、棺おけに足突っ込むまでの身分と報酬が保障される中で、一体幾人が、わざわざ国民公益増進のために日夜、精励勉強につとめるようになるであろうか?。

一方、初級職で入った者は、いくら奮励努力したところで、行き着く先はたかがしれているのである。だから少しばかり狡知に長けたものは、面倒なことは何でも部下任せのキャリアの上司に、ゴマすって裏金づくりの知恵でも磨くほかには、憂さのはらしようのない閉塞職場となってしまうのでないだろうか?。
  社会保険庁の職員は、上級職は一握りと聞く。

  こんなことは、これまでさんざんあちこちで語られつくされてきたことだ。みなさんとっくに承知の助左衛門であるはずだ。だが、いつまでたっても誰も直そうとしない。水槽の水は酸欠でますます腐るばかりである。

  私は、高卒で、国とある大都市自治体の両方の初級試験に合格した。国のほうは大蔵省の面接も受けた。しかし、そのときの大蔵省の三人ほどいた面接官の猫がネズミをもてあそぶような、横柄な人を見下した態度に、心底はらが立ったのを今も忘れない。
  高卒でこんなところに入ったところで、こんな奴らに一生こき使われたのではたまらないと思った。幸か不幸か大蔵省からの採用通知はこなかった。
  国のほうは自治省からは採用通知をもらったが、結局、入ってからの身分差別がなく、内部での昇任試験にさえ合格してしまえば、後は実力次第と聞いた大都市自治体の方を選んだ。

  結果は正解であったと思っている。そこでは、学歴はそれほどものをいう世界ではなかった。何しろ東大出ようがどこを出ようが、先ず主任試験、管理職試験とクリアしていかなければ、係長にも課長にもなれないのだ。
  高卒採用でも、先輩、同期で副知事、局長になったひともあり、採用当時の人事部長だったかが「私は給仕で入ってここまできた。あなた方も勉強次第でどこまででもいける。ここはそういうところだ。希望を持って仕事に励むように」という訓示に嘘はなかった。

  しかし、それでも人間は、くつわを外されると難しいものである。一旦管理職試験に合格してしまうと、昨日までとは仕事への姿勢、仲間への態度等が、がらっと変わってしまうものが結構多いことである。
  昇任試験の面接では、「私が合格いたしましたら、市民のために職員の先頭にたって、セクショナリズムに陥らず、市民の皆様や職員の声に謙虚に耳を傾け、どんな困難な局面にも全力をもって尽くします。」との、決まりセリフを臆面もなく述べて合格したはずなのに、いざ管理職なって三ヶ月もしたら、そんなこと誰がいつ言ったという態度に変貌するのである。懸案事項は後回し、三人寄れば、次の異動ポストの下馬評、願望、嫉妬渦巻く噂話しの花盛りである。

  だからといって在職中は、最後までくつわをはめっぱなしにせよ、というのも酷な話だし。
と、思う今日この頃、さて皆さんはいかがお思いでしょうか?。

ー追記ー

 高校の漢文の時間に論語の「先憂後楽」という言葉を学んだ。政治に携わるものすべからく「民に先んじて、憂い(汗水を流し)、民がおなかを満腹にして満足した後、はじめて自分も楽しませていただく」心構えでなければならないの意だっただろうか。
 昔の人は、随分いいことを言うなと思った記憶がある。

 この言葉、一寸前は政治家でも官僚でも不祥事が報じられる際その姿勢を歎ずることばとして紙上よく見聞きしたが最近はとんと聞かなくなったような気がする。

 公務員の採用試験にせよ、昇任試験にせよ、この覚悟が少しでも多くある者を選考する試験制度は考えられないだろうか?。
 いわゆる知識・知能の一定レベルは必須としても、何よりも肝要なのは、人格、人柄ではないだろうか。人の痛みが想像できる感受性豊かな人間性を把握できる方法である。
 それには、現行の試用期間を1~2年と長くし、評価を多面的に厳しくすることも一考ではないかと愚考するのだが。

  そして、今度こそ、公務員改革の要としてキャリア制度を廃止し、先進的な大都市自治体の採用・昇任制度を見習うべきではなかろうか?
  少なくとも、努力するもが夢を持てる職場とすることである。先行きの希望を断たれている職員に、よき公的サービスを期待するのは、ないものねだりというべきではなかろうか?。

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「麗しの我が山河ーお田植えが終わった!ー」

2006-05-26 01:07:10 | フォート・エッセイ
5月25日(木)晴れ。日中は暖。
 
  何時だろう。カーテンの隙間が明るい。窓を開けると、赤松の梢越しに陽光が燦燦と周囲の雑木の若葉に、見下ろす芝生の上に降り注いでいる。右手遠くの鳳凰三山の高嶺に目をやる。今日は青々と一片の雲もかからずよく見えている。
 こうしちゃあいられない。朝食もそこそこに、慌ててカメラバッグ、スケチッチ道具を、我が愛する軽トラ・ロシナンテに放り込み、飛び乗って出かけた。

 どこを見ても美しい。最初にロシナンテを停めたのがこの場所だ。つい先日までは、茶色い底土がむき出しでカラカラに干上がっていた田んぼが、まるで手品のように今日見れば、水が満々と張られ、5、6cmほどのか細い早苗がきれいに櫛の目条に植えられ、かすかに風にそよいでいる。
 その水面に、鳳凰三山が美しい投影を落とす。山嶺の雪筋もあっというまに切れ切れとなってしまった。

                

  少し行くと今度は、甲斐駒が見えた。この山も、いろいろの視点から何度も描いてみるのだが、いまだに満足な作品にならない。

    

  おなじみの八ヶ岳である。この山は比較的描き易い。しかし、八ヶ岳の投影を見られるのは、この時期の僅かの間だけである。稲の苗が直ぐにすくすくと育つと、たちまち水面が掻き消えてしまうのである。

                  

 北杜市長坂の七里が岩ライン周辺は起伏に富んだ地形である。車を走らせているとくねくねとした道を曲がるつどに、次はどんな風景が目に飛び込んでくるか全く予想がつかない。そこが魅力である。今日も、こっちへ一寸曲がってみるかと、狭い道を抜けたらぱーっと美しい集落の一角に出た。
 集落の、中心に若宮八幡宮という小社(やしろ)があり、境内に入ってみると見事な架かり舞台があった。八ヶ岳と甲斐駒という二大名山が借景なんて能舞台はざらにはないではないか。

      

  神社の境内から、車に戻る途中で、野良仕事のおばあさんと目があった。「こんにちは」と声をかけると、丁寧な挨拶が返ってきた。
  気がついたら、道端にしゃがみこんで小一時間も話し込んでしまった。

  楽しかった。先ほどの舞台では、毎年8月14日の夜、稚児舞の奉納祭りが行われるそうだ。集落の10歳を迎えた女の子が美しい衣装を着て、三番の舞を奉納するという。もう200年も続くという。男の子は、境内の屋根無の土俵で相撲をとるのだそうな。
  子供の成長を地域全体で見守り寿ぐ江戸時代からの日本の美しい習俗が、まだこのへんでは脈々と生きているのだ。

  昨今の子殺し殺人は、このような習俗の廃絶に反比例するようにして増えてきたのではないか?。おばあさんの越し方を聞き、我が当地に越してきた思いを語り、共に、こんなにも美しい所で暮らす幸せを語り合い、8月14日には是非来るようににとの、お誘いの言葉を背に分かれた。

                 

  帰途、我が母なる茅が岳が映る田んぼに出た。いつ見ても優しい表情のいい山だ。

  

  我が家が近くなった。すぐ傍にこんな美しい風景があったのだと改めて気づく。人間て、何で、すぐ傍にある良いものには気づかず、絶えず遠くにあるものばかりを追い求めるのだろうか?。
  この情念のぶつかり合いが、世の中を複雑にし、住み辛くしているのだろうか?。

                

 早苗、このか細い華奢な水草がたちまち大きくなって黄金の米粒をいっぱい着けて、私たちの命をささえてくれるのだ。なんと有り難いことではないか。

    
  
    日本の田園の日暮れである。ミレーの名画「晩鐘」とは、また違う日本人の祈りの気配が漂ってはいないだろうか。
 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

                 

 -追記ー
  この辺りでは、「田植え」なんて無造作な言い方はしない。「お田植え」というのである。一家、親類縁者総出で「お田植え」が終わると、皆して近くの公共温泉へ行き、持ち寄りのご馳走でこころゆくまでくつろぐのだそうな。これも、上記のおばあさんんから聞いた話である。
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「沓掛国家公安委員長」は警察の傀儡か、バンソウ膏か?

2006-05-24 19:57:06 | 時事所感
 5月24日(水)晴れ後曇り。

 今朝、例のとおり「スーパーモーニング」を見ていたら、どうしたわけか画面に沓掛国家公安委員長が、どこかの玄関ホールを歩む姿がアップで写り、秋田県藤里町での畠山彩香ちゃん(9歳)の死亡事件について、「今、県警は事故と事件性の両面で当初から懸命に捜査している」と、コメントしているのを垣間見た。

  そのあと、カメラは彩香ちゃんの祖母のコメントを求める場面を写した。インタビュアーが「今のコメントについてどう思いますか?」と、マイクを向けた。
 
 「私たちは最初から、これはおかしい?、あの子は決して川で死ぬような子じゃあない。もっとよく調べてくださいと、何度もお願いしてきたが少しも聞いちゃくれない。私たちじゃあどうしていいか分からない。それで、とにかくあっちこっちお願いしてビラ貼らしてもらたっりしてきたが、何にも分かりゃしない。今だって警察に電話したって、『まだ何も言われて(上から?か)いない』って言ってた。」と、答えられていた。

 これを見ていて、沓掛国家公安委員長とは一体なんだ!と聞いていてはらがたった。これでは、単なる警察の不作為を糊塗し、粉飾代弁するバンソウコウではないか?。
 一体何故こんな発言をするのかと不審に思い、国家公安委員会のホームページにアクセスしてみた。そこに5月19日開かれた記者会見でのやりとりが、下記のように出ていた。

『(沓掛国家公安委員長発言)…政府におきましても、子供を犯罪から守る対策等を決めまして実施しているところでございますが、なお一層この問題には、本当に国を挙げて積極的に取り組んで行かなければならない、極めて重要な課題だと思っております。
 国民の側から見ても、不安を持って生活を送るということは、政治としてもっとも避けなければならないことでございますので、国民が自分の子供、家族と生命を守れる、そのような社会づくりを国を挙げて対応していかなければならないと思っております。
 もちろん、これを取り締まる警察官、警察等におきましても、この問題には積極的に対策を打ちつつやっていきたいと思っております。

問(記者) 今の質問に関連して、現場では、昨日殺害されているのが見つかった男の子のすぐ近くに住む女の子の事故がありましたが、住民や遺族からは、警察が事故として捜査を打ち切ったのではないかといった疑問の声が一部では出ています。
 秋田県警の捜査に関しまして何か御所見がございますか。

答 テレビやその他で私も今言われたことはよく見ております。秋田県警にどのような状況か更に再質問をして、その状況等を確認させていただいておりますが、秋田県警におきましては、この問題については、事故と事件の両面で継続捜査中であるということでございます。
 この辺りは、能代市の昔は二ツ井村といった所で、米代川の支流であるのですが、静かな寒村的な所でございまして、このような所でこのような事件が相次いで起きるというようなことは、大変重要な問題だと思っております。
 秋田県警としては、この問題が起きてから事故と事件の両面で今もずっと継続捜査中であるということでございます。

問 今の確認ですけれども、事故と事件両面でというのは、先に起こった女の子のケースに関してもということですか。

答 そうです。女の子に関してです。今申し上げた事故、事件両面でというのは、前の亡くなられた女の子のことでございます。

問 女の子の事案が発生してからの対策については、秋田県警に特段不手際があったということではないということでよろしいでしょうか。

答 そうでございます。』

 記者会見での応答はここで終わってる。
 何か、事前に、事務方が用意した答弁書のまま、他人事のような回答ぶりではないか?
 また質問する記者は、一度でも現場へ跳んで行ってきての質問だろうか?。
 先ずそんな手間はかけていまい。
 支局に、ちょいと電話して、そこで聞いた話しか材料がないのだ。だから耐震偽造追求の馬渕議員の質問振りのような迫力のかけらもないのだ。
 これでは、おざなりの国民目くらましの茶番劇、定例のセレモニーでしかないではないか?。
 本来なら、「亡くなった彩香ちゃんの母親や祖母が納得するよう、とことんちゃんとやれ!。お前らやってます、やってますって言うが、誰も納得していないじゃないか?。
 きれいごと言うな!」と、警察庁・秋田県警を一喝するのが、国民の代表として警察機構を監視するのが、あんたの仕事ではないのか?。
(※法のたてまえでは、直接具体的事件について指揮監督することはできない、ことは百も承知の上で、委員長としてどっちをむいているかの姿勢を言っているのだ。)

  ここで話はそれるが、たまたまgoogleで「国家公安委員会」をクリックしていたら、「忍び寄る警察国家の影」として、元国家公安委員長(平成8~9年)を勤められた白川勝彦元議員の実に痛快な水戸黄門漫遊記まがいの話が出ていた。

  白川元議員が2004年11月11日、普段着で渋谷の駅前付近を歩いていたら、いきなり4人の屈強な制服警官に取り囲まれて、ポケットの中を見せろとズボンの上から手でさぐってくるという違法な職質を受けたのだそうだ。
  それに怒りを覚え、署長に抗議すべく渋谷警察署に4人を引きつれ、一件落着に至る経過が詳細にでていた。そして、国民が職質への対応に無知なことをいいことに、違法を承知で行う、警察官の職質を通して垣間見える、警察権力の独善的なありかたに、警告を発している。

 これを読むと現行刑法においてさえ、これだけのことを平気で行う警察に、共謀罪などという玩具をもたせたらと思うと、ぞっとして背筋が寒くなる思いがする。
 
 とにかく、また脱線してしまったが、渋谷署では幸い白川元議員が、国家公安委員長についていたことを直接知っていた副署長が応対に出てきて、穏やかに話が収まるのだが、その際の副署長の前に対応した課長の言葉が、現行の国家公安委員長(公安委員会制度というもの)に対する警察の舐めた姿勢がよく出ていることである。

 それは、「もし、あなたが国家公安委員長をした人ならば警察官をくるしめるようなこんなことはしないはずだ」と平然とのたまうのである。
 おまけにこの何とか課長殿は、白川先生に向かって「国家公安委員長は、どうやって任命されるのですか?。どういう仕事をするんですか?」と、白川先生に口頭試問をしたつもりか、ほんとに無知なのか、臆面も無く質問する始末である。
 
  言い方は悪いが、地方の田舎警察の話ではない。天下の首都の渋谷署のいやしくも課長である。それがこんなことも知らないとは、そんな頭で刑事訴訟法をもてあそばれた日にゃ、主権者たる国民はたまったものではない。
  謂わばこずるい使用人に、お人よしでおめでたい旦那が、いいように小突き回されているようなものではないか?。

  件の沓掛委員長殿、ぶぶりすてら国会議員名鑑で調べたら、ぶぶりすてら点数:47.7で平均以下、さもありなんだ。東大工学部卒、建設官僚、参議院当選4回。76歳とあった。
  建設官僚として、国民と直に触れ合う機会もなく、内部でぬくぬくと長年、計算と線引きやってきたしかないであろう人物に、人権や犯罪被害者の痛みなどわかろうはずもないことぐらい、お天道様が西から出て東に沈むようなものではないか?。
 
  以前に、ろくにまともな国会答弁もできない、法曹とは無関係の世界に生きてきた看護師の大親分上がりを、平気で法務大臣に任命(本人もよくもまあ、大臣と名がつきゃありがたがっての、何でもぱくつく無責任、無知蒙昧のどしがたさだが)して、てんと恥じない小泉大宰相の国民を舐めきった本性をよく示しているではないか。

  まあ、少なくとも、白川先生が時を違えて現内閣の国家公安委員長なら、沓掛時次郎ならぬ沓掛アホ次郎と呼んでみたくなるような、このようなお答えはなさるまいに。
  先生は、委員長のとき、口をすっぱくして国民のための警察をめざして、”はぐれ刑事純情派”の藤田まことのような刑事を大切にして欲しいと、言い続けられたそうな。
  それにしても、この白川先生、改めて調べてみたら、公明党との連立をよくないとして離党されるなど、何事も筋を通される立派な政治家のようである。選挙区新潟の有権者はどうしてこのような真の政治化を選ばずして、まがい者(?)ばかりを買いたがるのか不思議なことではある。

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

    <参考:白川勝彦氏のサイト.www.liberal-shirakawa.net/

ー追記ー

 秋田県にも秋田県公安委員会があります、ここもクリックしてみたら、お三方の立派な経歴をお持ちの委員様が鎮座ましましていられます。
 毎週1回水曜日に、定期会合をもたれているようですが、今回、足元でこれだけ全国の注目を浴びているというのに、うんともすんともおっしゃらないご様子。
 一体これで、水曜日とかの定例会議では、どんなお話をされているのだろうか?。
 伊藤園のペットボトル緑茶”伊衛門”のお茶でものんびり飲んでお茶を濁してでもいられるのでしょうか?。
 それとも、畠山彩香ちゃんのお母さんが、せっかく「警察官の職務執行に対する苦情申し出制度」という立派なものがあるのに、何も言ってこないから、こちらからは、どうすることもできないないのだ。
 とお決まりの逃げセリフを用意して、誰か来てドアをノックするのを、今か今かとビクビクしながらお待ちになっているのだろうかと、
 これは、山家の隠居の下司の勘ぐりでしょうか?。
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弱き者(汝の名は国民)の訴えを無視する警察機関ー主権在民の欺瞞(?)を問う!

2006-05-23 11:20:58 | 時事所感
 5月22日(月)晴れ。気温20~26度か、暑い一日。

  毎晩チェックしている「佐藤立志のマスコミ日記」を開いたら下記の記事が目に飛び込んだ。

『●秋田の幼児殺害事件は逮捕間近!!??
 秋田の幼児殺害については、逮捕が近いとのこと。顔見知り・
3時から4時の間に自由に動ける・近所の土地勘がある。これな
ら自営業か主婦という絞込みができる。
現地の情報では特定されているようです。
 今朝の「朝ズバッ」で元捜査一課長が「家に連れ込まれて後ろ
から殺害された」という推理をしていた。しかも紐を使ったのは、
女ではないかとコメントしていた。
 男児の住んでいた住宅団地はたったの28軒しかないから、当
日のアリバイを押さえれば、絞られてくる。ドンデン返しがある
ようだ。
 ちなみに最初の犠牲者の女児の母親は、テレビで声しかわから
なかったが、こんな映像があった。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060521-00000014-maip-soci.view-000
 不謹慎だけど、すごい刺繍のジーンズ(?)ですねw』

 そして、さらに、上記のURLに跳んだら下記の記事があった。


 『秋田女児水死 「不自然な点…徹底捜査を」母が訴え

  「ショックが大きくて流したい涙も出ないほど、苦しい」。秋田県藤里町立藤里小1年の米山豪憲(ごうけん)君(7)が他殺体で発見される38日前に同小4年の長女彩香ちゃん(9)を失った元遊技店店員、畠山鈴香さん(33)が20日、毎日新聞の単独インタビューに応じた。
 
  県警能代署は誤って川に転落した可能性が高いとみていたが、畠山さんは「彩香の死には不自然なところがある。徹底的に捜査をしてほしい」と訴えている。
 
  畠山さんは彩香ちゃんと2人暮らしだった。自宅は豪憲君の自宅の2軒隣で、彩香ちゃんと豪憲君は仲が良く、よく一緒に遊んでいたという。
 彩香ちゃんは4月9日午後4時ごろ外出したまま行方不明になり、畠山さんは捜索願を出した。翌10日、約7キロ離れた能代市内を流れる藤琴川で彩香ちゃんの遺体が発見された。解剖の結果、死因は水死とされた。自宅近くの河原に石を積んで遊んだ跡と、水辺の石に足を滑らせたような跡があった。
 
  畠山さんは、署の説明に納得がいかず、ビラを手作りして商店などに掲示してもらった。「彩香は普段川に行かなかった。それが私との約束の一つだった」と話す。
 
  豪憲君の事件については「行方不明と聞き、直感的に『川だ』と思った。彩香のことがあったから」と話し、彩香ちゃんの水死とともに徹底捜査するよう要望した。
 
  一方、県警は彩香ちゃんの水死について「当初から事件と事故の両面で捜査している」と説明する。【田村彦志】
 
  畠山さんとの主なやりとりは次の通り。
 --彩香ちゃんが亡くなって今のお気持ちは
 ◆ショックが大きくて流したい涙も出ないほど、苦しい。彩香は豪憲君と仲良しで、私も豪憲君のご両親に優しくしてもらってきた。彩香が亡くなって、私は彩香が座っていた椅子に座って元気だったころの彩香を思い出しています。
 
 --手作りのビラを配ったのはなぜですか
 ◆警察に事故のように言われ、「お母さんだって行動を全部分かっているわけではないでしょ」と言われた。本当に捜査しているのか、捜査が目に見えてこなかったので、親の私が知らない範囲で、外の人が見ているかもしれないと思い、情報収集のつもりでビラを作りました。今回の事件まで情報はなかった。
 
 --能代署の説明についてどう思いますか
 ◆警察からは、「コップ一杯の水も飲んでいない」と説明されたうえで「水死だった」と言われた。親として(捜査状況を)全部知る必要はないかもしれないが、ある程度知りたい。対応に反感を持った。
 
 --彩香さんの遺体に不自然な点は
 ◆解剖の傷以外、目立った傷はなかった。彩香は水が嫌いで、普段川に行かなかった。それは私との約束の一つでした。納得できる捜査、説明がほしいのです。
 
 --豪憲君が遺体で発見され、どう感じましたか
 ◆住宅団地の子供たちは年齢に関係なく仲が良く、みんな団地の公園と道路で追いかけっこをして遊んでいる。豪憲君と彩香も遊ぶことがあった。ショックです。行方不明になったと聞いて、直感的に「川だ」としか思い浮かばなかった。彩香のことがあったから。豪憲君、彩香の死には不自然なところがある。徹底的に捜査してもらいたいです。
            (毎日新聞) - 5月21日17時28分更新  』

◎ この記事を読んで思った。

  全く、このような捜査官たちは、「一人の人間の死」をどう考えているというのかという怒りである。少なくともたった一人の幼い娘を亡くして悲嘆に暮れている若い母親を前にして、自分たち(捜査機関として)の見方は見方として、どうして親身に話を聞いてみようという、人間としての普通の神経、思いやりも持ち合わせていないのだろか?

  こういう職業倫理の有無を問う前に、人間としてのごく自然な同情も持ちえないような集団が、法治国家の建前の下、住民の治安、財産を守るなんて信じられるだろうか?
 
  私は、先日のブログの中で、このような警察不信の場合は所管の「公安委員会」に訴えてみてはと提案したが、今朝、公安員会について、googleで検索して見て自分の無知さ加減に驚き、恥ずかしくなった。

  公安委員会は名誉職みたいなもので、おまけに非常勤とのこと。どこに専属の事務方がいるのかも不明である。いわば、国民の警察不信除けの“神社のおふだ”みたいなものらしいことが、漠然とだが分かった。

  そして何故か、「公安委員会」について、あれこれ書くことは2000年まで、マスコミではアンタッチャブルだったそうだ。

  警察関係者にとって目の上のたんこぶみたいな「公安委員会」の強化、なんて議論を書こうものなら、事件報道の際、そでにされて記事を書くための情報提供やなにやかやに支障をきたすとでも言うのだろうか?

  法治国家の美名の下、国民から実力行使のための武器携行権を取り上げておいて、自分たちだけがその暴力装置を独占しておき、しかもその集団を監視する仕組みがないとすれば、それは誰だってこの世に怖いもの知らずにもなろうというものではないか?
 
  だから、事件といわれても極端な想像をめぐらせば、「え?、子供が死んだ?何だよ、めんどくせえーな!」ということになるのではないか?

  江戸時代の行政(まつりごと)の仕組みには大人の知恵があったように思う。それは、人間は放っておくと必ず悪さをするというか、横着になりがちだという人間性悪説に立った、組織づくりというか仕組みづくりである。

  江戸町奉行所は南北二つ置かれていたそうだ。月番で偶数月は南、奇数月は北というふうにである。訴える方は評判の良いお奉行様のいるほうへ訴えでたそうな。また、必ずお目付役が置かれていて、その仕事振りを不正がないか横にいて監視し、おかしいと見れば、しかるべく上役に上申報告する仕組みである。

  外交交渉でも何でもそうであったらしい。いわば役職複数制である。一人は表向きに職務を行い、それよりも実権的には上席のお目付けがいて、たえず横からその仕事ぶりを黙ってみている。これは凄い知恵ではないか。

  江戸時代は古いなんて片付ける風潮が強いが、とんでもないと思わないだろうか?

  江戸時代の奉行所に比べたら月とスッポンの権力、人員を要する国家権力そのものの観がある現行の警察機構に真の意味での主権者たる国民の目が、声が届かない仕組みというのは、ある意味で官僚独裁国家とさえ言えはしないだろうか?

  このような戯画の下では、今の日本国民が、主権在民なんてのは、今議論沸騰の憲法第9条同様の、もぬけのなんとかで、官僚様にご奉仕申し上げる奴隷にすぎないのではとさえ見えてくるではないか?
  だからこそ、その子供が死んだって生きていようがしっちゃあいないのではないか?とさえ穿ちたくなるのだ。
 
  この戯画を見ていると、わが国が、民主主義国家だなんて幻想は、お笑いゲラゲラ、くらげまがいのタレントひらひらのテレビ画面の中だけではないのか?と思えてくる。
  その陰でにんまり笑う官僚様「国民だか市民だかなんてのは、全く馬鹿でおめでたい奴らで、俺たちにとっちゃあ結構毛だらけ猫はいだらけだ。銭がたりなくなりゃあ、与党議員にちょいとゴマすり陰でおどかしゃ税金ほいほい上げてくれ、小遣い稼ぎの駐車取締り強化改悪ほいほい何でも意のままはらのなかだ。」と嘯いているかに思えてくるのだが?

  私たち国民は、いつになったらこのような欺瞞に気づき怒りをもって、真の意味での主権者になりうるのか?。
  今こそ、少しはテレビのチャンネル切って、静かに自分の頭で、めいめいが考え直してみるべきときではないのか?

  そして、先ず手始めは公安委員会の改革を!

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?

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夏場所千秋楽<蛾遊庵ピックアップ>ー優勝、やっぱり白鳳だったか!

2006-05-22 03:08:25 | フォート・エッセイ
 5月21日(日)晴れ。夏日。

 大相撲夏場所、早くも千秋楽。朝青龍の休場にも関わらず、新入幕・怪力無双の把瑠都、復調著しい昔平成の怪物といわれた雅山の活躍で大いに盛り上がった。

 優勝は、ぎりぎりまで雅山か、あるいはひょとして把瑠都とかと思っていたら、やはり大方の下馬評どおり、三度目の正直で白鳳が初優勝した。

 それにしても、相撲を見ていると、つくづくと、そこもやはり人の世の定めというか、人生の縮図を眼前に見る思いがする。

 というのは、大関までいって、次は横綱と期待される力士のうち、期待通りに綱の取れる力士がいかに希少かということである。

 そして、上がる者は、若いうちに一気呵成に上がりきってしまうということである。

 最近の例でも昨年あたりの魁皇しかり、今場所こそはと期待された栃東が、横綱どころかと序番早々怪我して休場のありさま。

 今日の雅山も、入幕したての頃は平成の怪物と異名をとったというのに、その後怪我に苦しんでいたのが、漸くの先々場所以来復調著しく、今場所こそはと期待したがやはり今一歩に泣いた。

 28歳の雅山と21歳の白鳳。若い勢いには勝てないのだ。

 特にスポーツの世界は肉体が勝負だけに余計体力の如何、若さがものをいうようだ。

 そんなことを思いつつ今日、気に留めた一番を、以下にアップしてみた。

■ 高見盛対露鵬

 いつもいつも、自らに渾身の気合を入れて勝負に向かう姿勢がすばらしい。今日は崖っぷちの勝ち越しをかけての大一番。重い露鵬を何とか寄り切り、地位を守った。

   

■ 琴奨菊対岩木山

 岩木山ももくもくと一生懸命な相撲をとる。だが、先日、把瑠都に一掴みされて土俵の外へ投げ出されたショックがまだ癒えないかのようだ。寄り切りで負け越してしまった。

  
 

■ 稀勢の里対黒海
 
  稀勢の里、19歳。しかし、少しも臆したり遠慮したりの風情はみじんもない。
  少々はらはらしたが、今日勝ち越して、来場所三役はかたいという。

  

■ 玉乃島対安馬

  取り直しの一番。最初、行事軍配は安馬にあがった。が、物言いがついて取り直し。体力のない安馬にもう余力はなかった。惜しかった。安馬は満身創痍にみえる。来場所はもう少し身体をつくってきてほしいものだ。

   

■ 朝赤龍対雅山

 本日の大一番の一つだ。堂々と危なげなく押し出した。これなら、優勝決定戦もいけると思ったのだが…。

   

■ 把瑠都対白鳳

 この一番も、本日期待の大一番だった。把瑠都が怖いもの知らずで一気にいくかと思ったが、さすが大関である。軽く土俵に這わした。

 
  
■ 白鳳対雅山 優勝決定戦
 
 そして、優勝決定戦。固唾を呑んだ。だが、雅山の突き押しが朝赤龍のときのような鋭さがない。スタミナ不足か。ずるずると押されて寄り切られてしまった。残念無念!

 白鵬はまだ若い。雅山には後が無い。ここは雅山にと念じたが通じなかった。
 白鵬はよほど嬉しかったらしい。優勝インタビューを受ける顔のアップに汗とともに光る一粒の涙をみた。

  

    

 そして思ったのは、洋の東西を問わず子を思う親心である。モンゴルから応援に駆け付けているモンゴル相撲大横綱であったというお父さんがこの日も、我が子白鵬の傍に寄り添うように片時も目を離さないのだ。

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?

 
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久しぶりの好天気ーさあ畑が大変だ!

2006-05-21 23:51:08 | 田舎暮らし賛歌
 5月21日(日)晴れ。気温19~26度、日中暑し。

  久しぶりの好天、気になっていた、夏野菜の植え付けにもってこいだ。このところ、薄ら寒い曇天の日が続いていたので、ついうっかりしていて、昨日のこのこ夏野菜の苗を買いに行ったら、もうこれが最後の入荷と驚かされた。もう少しで今年の我が家の畑は丸坊主になるところだった。
 
  もっとも一丁前に夏野菜の植え付けなんていうと、さも大事のように聞こえるかもしれないが、実はこれが、きゅうり苗4本、なす苗4本、桃太郎トマト4本、ミニトマト2本、ピーマン2本というたかがしれたものなのである。

       <写真:左から4本が、きゅうり苗、その先はトマト苗、一段上は、勝手に生えてきたいちごである。一昨年苗を買ってきて植えてみたが、甘みが薄いのでそのままにして置いたら、今年も冬を越して芽を延ばしたのである。)>

                  
 
       <写真:左から4本が、なす苗、その先はピーマンとミニトマト>
 
                  
 
  我が家は、ゆるやかな南面傾斜地のため、そのままにしておくと土がどんどん流れてしまうので、土止め用の石垣が必要になった。
  そこで、近くの河原に軽トラで通い川原石を少々いただいてきて、自分で積んだのである。
  この作業をやってみて、お城の石垣を見るたびに昔のひとはすごいなーと感嘆するのである。

  それにしても、野菜つくりも困ったものである。沢山作っても一度には食べきれず、少ないとこんどは自家野菜を食べられるのはほんの僅かな期間だけとなってしまう。

  しかし、感心なのは、今は泡沫(うたかた)と消えてしまったライブドア株よりも、よほど確実なことである。
  植えたものは、必ず実をつける。決して裏切られることはない。
  まして、いきなり闇夜の鉄砲まがいの国策捜査のとんだとばっちりを、喰らう心配は毛頭ない。 やはり、堅実な労働に勝る利殖は無いことを身をもって教えられる。

  そして、この程度の植え付けでも、事前に小型耕運機で少したがやし、肥料を入れてとやっていると、2~3時間はあっと言う間にたってしまう。
  まして今日は、日差しが強い。たちまち汗みずくである。

  時計を見るともう4時だ。今日は大相撲夏場所千秋楽だ。こうしちゃあいられない。
 
  風呂場に飛び込みシャーワーを一浴び、身体を拭くのもそこそこに、キリン一番しぼりを片手にテレビの前に吹っ飛んだ。

 一汗かいたあとの、大相撲観戦は最高の気分である。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
 
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「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」(その4)

2006-05-21 01:44:34 | 時事所感
 5月20日(土)晴れ時々曇り。気温19度~24度。5月日射、例年の23%、このまま入梅とか。

  前回(その3)で概要を紹介した、
“戦争防止グローバルアクションー戦争、集団殺戮、国内武力紛争を止めるための連合構築に向けてープログラム文書 2003 (翻訳:ピースボート)”
 www.globalactionpw.org/prev/GAPW_Japanese.pdf-
  これが、どのような経過で策定されたのか、またこんな素晴らしい計画が、日本ではどの程度認知され普及しているのかが、今ひとつ分からない。

  上記のアドレスにアクセスしても、ただ本文書が出てくるだけである。巻末の翻訳者:ピースボードの東京本部に電話したが、担当者らしき女性は、これから出かけるので夕方か明朝かけなおしてくれとのこと、そこで翌朝、10時過ぎにかけなおすと、今、別の電話に出ているので、折り返しかけなおしてくれるとのこと。しかし、昼になっても、日が暮れても、未だに何の連絡もない。翻訳者のメールアドレスが記載されていたので、そこに、上記の疑問について、教えてほしい旨メールを送ったが、こちらも未だに無しの礫である。

(※追記:ピースボート翻訳責任者、川崎哲様から5月24日付けで、航海中のピースボード船上からとして、メールでご回答をいただいた。それによると、『現在グローバルアクションに対応する明確な運動は日本には存在しないと思う。ただしグロバルアクションにも関連する運動として、「紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)という国際運動があり、紛争予防のための国際的課題を明らかにする提言活動などを行っています。詳しくは以下のホームページを見るようにとして、http://www.peaceboat.org./info/gppac/』とあった。
 よって、上記、文中「…無しの礫である。に続いて、少々腹立ち紛れにピースボートについて、シニカルに揶揄した文章を記載してありましたが、この部分を削除し、私の軽率さに基づく誤解をお許しいただきたくお詫びします。川崎様にはご多忙な船上からお返事をいただき深く感謝申し上げます。
 ただし、前半の経緯、及びその際に感じた私の不信感はこれも事実ですのでこちらはそのままとさせていただきます。)

  そこで平和問題なら、こちらが一手販売の共産党本部に電話してみた。これでも義理で取ってるとは言え、れっきとした日曜版読者なのである。その旨名乗って、上記の文書・計画が出ていることについて何か知らないかお尋ねしてみた。
  しかし、うっかり、電話したのが午後7時過ぎのせいか、何だか無愛想な中年男性の“こんな時間に変なこときいてきやがって、面倒な…”と言わんばかりの声で、「分からない」旨、端的にお答えいただいた。

  当方が、本文書提言内容のすばらしさについて、一言お伝えしてみたのだが、一向に関心を示される様子は毛ほども無かった。
  察するに、こちらの陳列品も、憲法9条のみの天井天下一品ものしかお扱いになっていないようである。

  さてと、そこで再度プリントアウトした本文書を、すみからすみまで目を通してみた。そして、ためしに「世界平和会議 オランダ・ハーグ」と入れてgoogleで検索してみてあれこれ勘案してみたら大体以下の経過が見えてきた。

  すなわち、どうやら、この提言は、
 1999年5月、オランダ、ハーグで開催された「ハーグ世界平和市民会議」
『1899年の第一回ハーグ国際平和会議百周年を記念するハーグ平和アピール1999(HAP)が5月11日から15日まで、ハーグのオランダ会議センターで開催されました。この会議には約100カ国から1万人の市民社会および政府代表が集まり、400を超すパネルやワークショップで戦争の廃絶と平和の文化の創造について討議がなされました。会議では「21世紀への平和と正義のための課題」(ハーグアジェンダ)を採択し、1999年9月の国連総会に提出されました。
日本からは約400人が参加し、13日と14日には「ジャパンデー」を開催。アジェンダの「公正な国際秩序のための基本10原則」第一項に「日本国憲法の世界化」が盛り込まれました。』(朝日新聞1999年5月16日)

における、アジェンダの「公正な国際秩序のための基本10原則」の第10項、「戦争防止地球行動(Global Action to Prevent War)」の計画が平和な世界秩序の基礎になるべきである、に基づき、米国関係者が中心となって、1998年から、準備され、2003年本文書として策定されたものらしいことが分かった。


 そして、2003年から2007年の間は、この計画の普及・PRに努めることとなっているらしい。
 しかし、本文書の日本語版窓口であるピースボートの職員ですら、一市民からの問い合わせに何一つまともにお答えなれない今日状況であることを、改めて知った。

  平和問題に熱心な大朝日新聞様も、上記の平和会議の模様だけを、それも十項目の一番目に「日本の憲法9条を見習い、各国議会は自国政府に戦争をさせないための決議をすべきだ」との文言を盛り込んだことを報じただけで、その後の動きは、われ関せずの尻抜け報道ということらしい。

  平和、平和となんかの時だけ、声高に大騒ぎするが一時過ぎればそんなこといつ言ったという感じである。

  平和がいつまでも実現しないのは、案外こんなところに真相があるのではないか?

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

ー追記ー
 私は、本文書の趣旨を笑い話にしようというのでは毛頭ない。否、その優れた内容ゆえにこれがどうして多くの方々の知るところとなっていないのか、そこを問題にしたいのである。(以下、次回に続く。)
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秋田県藤里町、連続、小学生殺害事件。犯人を速やかに逮捕し、死刑に処すべし!

2006-05-20 19:45:55 | 時事所感
 5月19日(金)終日、雨。気温、15~18度。

  NHK、9時のニュース。またまた、小学生、米山豪憲君(7歳)殺害事件の報である。

 首を絞められて、普段は人通りの少ない道路わきに仰向けに転がされていたという。
 しかも、去る4月10日には、豪憲君の一軒置いた隣の畠山彩香ちゃん(9歳)も行方不明になったところを、今回、豪憲君が発見された、2キロほど離れた川原で溺死体として発見されたという。

 所轄警察は、未だに頑強にも、彩香ちゃんは足を滑らせて溺死し流されたものだとの事故死説を変更しようとしないらしい。

 彩香ちゃんが亡くなった日、気温は7度だったという。しかも川や水遊びが嫌いだったという。足を滑らせてという、川岸はめったに人の近づかない場所という。
 そんな状況でありながら、何故、所轄警察は安易に事故死と断定してさっさと片付けてしまったのか。秋田県の藤里町あたりは、平和な田舎町でめったに殺人事件なんか起きたことがなく、どこかの経済大国同様平和ボケで、目立った外傷もない少女の遺体を前にして、「これってもしかして殺人事件か?」なんて想像もできなっかたということか?。

 だとすれば捜査機関として何と鈍感なんだ!。これだけあちこちで日常茶飯事のように子供が殺される事件が相次ぎ、わがコソ泥さえめったに出もしない、山家の隠居の回りでさえ、小学生から中学生まで親が付き添っての集団登下校している昨今、春まだ浅く水の冷たい川での水死を禄に調べもせずあっさり水死と片付ける想像力のなさは、捜査機関としての能力如何を、先ず問いたい。

 このとき、事件性を頭において、聞き込みその他をただちにやっていれば、今回の豪憲君の事件はまだ起きていなかったかもしれないのである。

 所轄警察の対応に納得のいかなかったらしい彩香ちゃんのお母さまは、彩香ちゃんの可愛い笑顔いりの手作りのポスターを作って、其処此処に貼って歩かれ、何か手がかりがないかと探されているという。

 一体、これで警察は何のために国民の税金でのうのうと飯をくわせてもらっているのか?と声を大にして言いたい。

 NHKも警察様にご遠慮してか連続殺人事件とは、口が裂けても言おうとしない。警察が言わないことに対して疑問のコメントもしようとしない。そんな頭で、天下のNHKの入局試験によくも合格できたものだ。

 だが、まともにものを考える人間がみたら、一軒隣り同士の子供が僅か一ヶ月一寸の間に二人も死んで、その内の一人が絞殺されたことが明らかになれば、二人の死が無関係と誰が考えるだろうか?

 私は、今日の豪憲君が絞殺と判明した時点で、所轄警察署長は直ちに、彩香ちゃんの死を事故死と認定したことを一旦、取り下げ、改めて殺人事件として、豪憲君殺人事件と一体として捜査すると、率直に発表しないのか、その不誠実さ、無神経さにハラワタが煮えくり返るような怒りを覚える。

 同時に、これは先ごろ報道された栃木県の少年3人だかによるなぶり殺し事件の際にも思ったことだが、事件の被害者家族が所轄署に事件性を訴え捜査を懇願しても、何だかんだと言って捜査を受け付けようとしない場合、公安委員会へ申し出ることはできないのだろうか?

 警察のお目付け役、建前は市民の代表であるはずの公安委員様がこういうときこそ、迅速に動いてくれるのでなければ何のために高給を食んで鎮座ましましているのだ?
 不勉強なマスコミもちっともそのへんをつつこうとしないのは何故なんだ?

 とにかく、私は、これは連続殺人犯の仕業だと確信する。そして、警察がとっくに地べたにおっこちている面子に固執しいまだにモタモタしているようなら、間違いなく第三番目の被害者が出ると見る。

 犯人は、これまたきっと被害者の近く住んでいて、今頃、ニュースTVをみてニタリニタリとほくそえんでいるに違いない。
 「どうだ!俺様ってすごいじゃないか?世間の馬鹿親どもこれだけふるえあがらせてやったぜ!」と。
 全くすごい光景である。小学校の前は、我が子を迎えに来た保護者の車でいっぱいである。
 こんなことがいつまで続くのか?。ここはイラクではないはずだ。
 子供が白昼堂々と、一人でも安心して登下校できないような国が、文明国で法治国家といえるのか?

 政府自民党は、こんな事件は馬耳東風で、何のために誰のためになるかも判らない「共謀罪」とかの成立に躍起になって強行採決にうつつをぬかしているありさま。

 そんなことより、何度でも言う。「刑法改正が、現下の急務ではないのか?、殺意をもって人を殺したら、一人だろうと何人だろうと、即、原則死刑!に処する。」と。
 
 先日もTVの朝スパで、長野の馬鹿親子が、インターネットで自分の父親・祖父を殺してほしいと記載したのを、茨城の低脳男が見て、「あいよ、いくらくれる?、200万円。OK」とばかりに、茨城くんだりから、のこのこ車ででかけて、縁もゆかりもない寝たきり老人を、持参のハンマーで叩き殺して、首尾よく金受け取って、帰宅して、女房相手にご機嫌でビール飲んで平然としていた殺人犯の話をしていたが、世間の皆様は、これだけ毎日、毎日殺人事件を視聴していて、なんともおもわれないのでしょうか?

 全てこれ、先ず第一に刑が軽いためではないでしょうか?。3人以上殺さないと確実に死刑にならないなんて、全く冗談やめてくれだ!。私の命がいくら、もうこの世に用なしの山家の隠居とはいえ、殺人犯の三分の一だなんて!。「そりゃあんまりな。」と言うものだ。

 社会が悪い、教育が悪い、親の育て方が悪い、マスコミが悪い…そんなことをことごとく良くしてからなんてのは「百年河清を待つ」ようなものではないだろうか?
 それより、何より先ず「刑法改正!」これをやってみてからではないのか?

 私には、目の中に入れても痛くない可愛い孫が二人いる。その子達がこんな目に遭わされたらと思うと、いてもたってもいられないのである。ご遺族の気持ちを思うとたまらのである。

 所轄署の署長や捜査官には、子も孫も一人も居ないのだろうか。それとも我が子、我が孫は別で、他人様の子や孫など、生きていようが殺されようが。「あっしらにゃあ、関係ござんせんことで!」と嘯いて、木枯門次郎もどきに銜え楊枝でも吹き飛ばそうってのかい?

と、思うこの頃、さて皆様はいかが思いでしょうか ?

ー追記ー

 5月20日、能代署は、4月に水死した同小4年、畠山彩香ちゃん(9歳)の死因についても、豪憲君殺害事件との関連を視野に再捜査に乗り出した。(読売新聞、5月20日03時14分更新)と、報じられた。

 私が、今暁、1時58分、上記の記事をUPした時点では、このニュースを知らなかった。ゆえに、現時点で読み直して見ると、少々言い過ぎた面もあると感じている。しかし、捜査機関としては、遺族が警察の断定した事故死という死因に納得していなかった以上、事件性の有無について慎重な取り組みをすべきだったと言う点については、厳しい見方を変えるつもりはない。

 今朝のサタデイモーニングのコメンテイタターの一人が、藤里町と同じ郡の出身とかで、同地を良く知っているが、とても長閑なところで、あんなところでもこのような事件が起きるとは、驚いたと話していた。

 能代署の捜査官にも、同様な思い込みというか、感覚があったことは否めないのではないか?

 そうは言っても、捜査機関は素人集団ではない。専門家集団なのである。ゆえにどのような事件に対しても、謙虚に、先入観を持たず、関係者の言い分や見方にも、丁寧に耳を貸して、今後の捜査に当たってもらいたいと願う次第である。
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