蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

なでしこジャパンの快挙!―太平洋戦争の敵(かたき)をとった!?―

2011-07-20 18:08:13 | 日常雑感

7月19日(火)台風接近、雨時々強く降る。

 今朝、なでしこジャパンが凱旋帰国した。TVで成田空港での帰国出迎え風景を視た。大きな手荷物のカートを自ら押して運ぶ一行の淡々とした姿からは、昨日の俊敏溌剌たる勇姿が嘘のようだ。
 それにしても、昨日のアメリカとの決勝戦、一次リーグ最後の英国戦で惨敗した同じチームとはとても思えない戦いぶりだった。

 私は、英国戦を見ていて2点目を入れられた時点でTVのスイッチを切って寝てしまった。その後の、ドイツ戦、スエーデン戦は視そこなってしまった。
 しかし、昨日の決勝戦と聞いては、何が何でもこれは視たくなった。いつもは夜更かしが常のところを10時に床に入り3時半に目覚ましをかけて起きた。
 TVの画面ではセレモニーが始まっていた。なかなかの見ものだった。並列して進んできた日米の大国旗が左右に分かれる。君が代が奏される。そしてアメリカ国歌が…

 試合が始まった。
 ダイナミックなアメリカ選手の豪快なシュートがバシバシと打ち込まれる。なでしこジャパンは、その前でなす術がないありさま…。
 ああ、こりゃー駄目か…。身体が違う。大人と子供のようだ。
 しかし、それでもアメリカ側の力任せかと思わせられる荒っぽい精度を欠いた攻撃によく耐えて何とか、0対0で前半を終えた。

 そして後半、24分、アメリカのモーガンが鋭いシュートを決めた。
 後、残り時間は20分少々。先制点を挙げたチームがほとんど勝利を収めるという。
 これは無理か。1対0で終わりか。
 しかし、解説者が佐々木監督が「先制点を取られてもいかに短時間で点を奪えるかが勝負だ」と云っているとのこと。
 そんなことがこの強者に通用するのかとの思いで見守る。
 と、何んと36分、なでしこがこぼれ球をサッとゴールを決めた。同点、振り出しに戻った。これを機に、元気付くなでしこジャパン。

 そして、15分、15分の延長戦。
 ところが、前半14分だったか。アメリカがまたも1点を先制。もはやこれまでか…。
 休む間もなく延長戦の後半が始まる。
 開始、12分。今度は日本側のコーナーキックのボールを沢がひっくり返りながらゴールに押し込んだ。またも同点。何んと言う粘り強さだ。

 アメリカ勢の表情から余裕が消え、何だこれはという疑念と苛立ちに変る。
 そして奇跡のPK戦。
 笑顔の日本勢。あせりで顔の強張るアメリカ。
 アメリカはことごとく失敗する。横っ跳びに倒れこみながら右足で敵の球を弾きとばすキーパーの小ぶりの灰色熊のような海堀。そして強敵アメリカとは対照的に、まるで相手と楽しく遊んでいるかのような日本勢のシュート。
 表彰式。金色の紙片が雪のように舞う。

 素晴らしい試合だった。こんなドラマを誰が書けるだろうか。久しぶりに心から感動した。あの3月11日以来の暗い話ばかりの続く日本。
 これはそんな日本に神が贈ってくれた励ましというのは大げさだろうか。
 聞けば、なでしこジャパンのメンバーの殆どは、昼間は様々なアルバイトをして夜の九時から練習してきたと聴く。
 その恵まれない環境の中からの奮闘努力の結果だという。

 そしてふと思う。
 大人の男どもが70年前、後先の見境も無く無謀にも挑んだアメリカ相手の戦争。そして未曾有の大敗北。
 しかも今、その敗北の原因を徹底的に究明せず、戦後の東西冷戦のなかでの朝鮮戦争特需の僥倖の波にのったまま昭和バブルのうっ頂点。
 それが一転、今日の低迷、政治の衰弱。7百に国会議員は、足の引っ張り合いの鳥獣戯画だ。

 だが、今日、若い日本の小さな娘たちが、祖父母が味わった苦い敗戦の想いをいささかなりとも晴らしてくれたのでは、というのは山家の半隠居の見当違いの妄念だろうか…。
 なでしこジャパンの皆様ありがとう!




“菅”総理大臣閣下叩きは、いいかげんにしては…!

2011-07-12 01:48:40 | 時事所感
7月11日(月)快晴、暑い一日。

 今朝の「朝スパ」でどこかの大学の学長さんが、「菅総理は、人間としても能力的に普通以下だ…」と酷評したとかで、舞台回しのミノなんとかも、その余りの過激な発言に茫然自失、なすすべもなくオロオロするなかでCMの陰に隠れたとかの記事を目にした。」
 この頃、メディアというメディアが口を開けば、紙面をめくれば菅総理大臣の悪口のオンパレードだ。
 
  斯く言う私自身もこのブログで身のほども弁えず、菅総理大臣閣下を揶揄したこともある。
だが、この頃の世間中があけてもくれても馬鹿の一つ覚えか、夕方の電線で群れ並ぶ烏がカアカア啼くが如くに「カンカンバカバカ…」と耳を聾するかしましさにあえば、根がへそ曲りか天邪鬼の私は、いい加減うんざりした挙句に、「それって一体誰が総理大臣になんかしたんだっけ!」と一言ほざいてみたくなった。

  こんな中で見直したのは、当の民主党の石井副代表だ。彼一人が「何と言っても自分たちが選んだ代表だ。内輪の中では何と言おうとも外に向っては、皆で支えていかなくては…」と単細胞の私には真に耳にすんなりと入ってくる。
今の我々日本人は、自分では何一つ積極的にやろうともせず、泥も被ろうともせず、汗もかこうともしないで、いつも高みの見物をきめこんで、それがまるでお利巧さんであたかも格好好いかに勘違いして、人の足を引っ張ることばかりに明け暮れしている輩が何と多いことだろうか。斯く言う私も間違いなくその一人かもしれない。

  例えば、現在百家争鳴の観ある総理大臣糾弾についても、選んではみたものの、これは駄目だと多く国民が思ったとき、速やかにリコールできる仕組みを何故つくろうとしないのか。
日本は、北朝鮮のような独裁国家ではないはずだ。
だが、衆参合わせて約700人からの国会議員が居ながらそれについての具体的な方策は微塵も出てきはしないのだ。

  そして今、我々は口を開ければ、政府は、国は、何をしてくれるんだ、何をしているんだとばかりの人頼みの怒鳴り声ばかりがかしましい…。
66年前、あの大戦争で焦土と化した時、我々の父母や祖父母はどうだっただろうか。焼け跡にトタンや残材を拾い集めてバラックを建て、雨露を凌ぎ、寸土の荒地を耕して、芋や野菜を植えて飢えを凌ぐ中から、今日の日本を再建してきたのではなかったか。

  今の日本、総理大臣を白昼堂々メディアで自分のことは棚に上げて馬鹿呼ばわりしても、警察にしょっぴかれるわけでもなく身になんの心配もない。言いたい放題の無作法な自由が蔓延している。○棒の方々にさえ生活保護の暖かい手がさしのべられるとか。病気になっても健康保険がある。額の大小はあれ年金が支給される。
  若者は、縁もゆかりも無い地球の反対側の国に自由、人権擁護の美名のもとに人殺しに命をかけてでかけさせられることもない。
こんな有り難いおめでたい好い国が今の世界にいくつあるというのだろうか。
 
 “菅”総理大臣閣下を、“カンカン”喧しく敲くのは、自分の頭を叩いているようなものであることにすら気づかないほど、今の我々はメルトダウンしているということだろうか。