蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

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韓国ドラマ「空くらい、地くらい」から考える家族と国家とは?

2010-11-02 14:49:23 | 日常雑感

11月2日(月)晴れ、暖かい一日。
 
 私にとって今や韓ドラは麻薬のようだ。うっかり視たら動けなくなる。先日もそうだ。雨の土曜日。することがない。土曜日のTV、何故か視たいような番組は一つも無い。そこで家人が友達から借りて来た韓ドラのDVDを視ようということになった。

 「空くらい地くらい」この題名からは、一体どんなドラマが展開されるのか想像もつかない。視はじめた。面白い。やめられない。坐ったままだから腹も減らない。昼食も夕食も忘れて、僅かにビールを飲みながらひたすら視た。家人はいつのまにか途中で姿を消した。もう一枚、もう一枚と追っているまに夜が明けた。家人はいつのまにか一人朝食をすませ仕事に出かけて行った。行く当ての無い私は、それでもひたすら視続けた。結局、30時間近く視てしまった。

 途中で、一体このドラマ何処まで続くのか気がかりになった。PCで検索してみたら何と163話とか。最初は30分のホームドラマで120話で完結する予定が視聴率が30%ちかくとかで、43話がおまけになったとか。
 話の大筋は、先妻が、夫の暴力や愛情の無さに耐えかねて、幼い2人の子を置いて家出してしまいそのまま行方知れずとなる。その後妻が残された二人の子と新たに自分と夫の間に生まれた子の三人を分け隔てなく可愛がって育てる。

 そして、今や貧しいながらも結婚した無口で優しい働き者の長女とその無類のお人好しの婿、女房に子ども連れでアメリカに逃げられてやけを起こしてふてくされ気味の怠け者の長男。そしてただ一人の実子である出来のいいキャリアーウマンの二女。おまけに、長女夫婦は実の長男の他に、頼まれて預かった男の子が、いつまでもその実母が現れず、とうとう養子にしてしまって実の子同様に可愛がって育てて居る。一つの家にこれだけの入り組んだ大家族が、その中で引き起こす人間関係のもつれ。

 お互いがお互いを思いやりながら、その思いが食い違って起きるトラブル。
 そんな大家族のなかにふと紛れ込んで住み着いてしまう貧しげな身寄りの無い老婆。ところがこの老婆が後半、実は二人の子を置いて姿を消した先妻だったのだ。彼女はその後、事業に成功して今や大財産家になっていたのだ。
 この老婆が、一家の誰かが、真底困ると分らないように自分が置き去りにした二人の子を育てて貰った恩返しに経済的に援助する。

 まあ、とても長い話なので粗筋を紹介するだけでも大変なのでこの程度にしておこう。
 とにかく、視ていて、今の韓国の庶民のものの考え方が、すんなりと入ってくる。そこから視えてくるのは、今や日本ではほとんど見られないであろう家族愛の強さであり、誰もが前向きに一生懸命よりよい明日を目指して、それぞれが懸命に働き勉強している人間として極めて健全な一途な生き方に心打たれるのだ。

 家族としての絆の証として、お盆とお正月には、自宅に祭壇を作ってお供えを飾り、正装して長幼の順に礼拝して、賑やかな食膳を囲む。家族同士でも、その際には、お互いの健康と幸運を願って、両手を前にひざまずいて深々と敬ってお辞儀する姿。
 我国では、最早見られない光景であろう。

 そして、ドラマとしては、一つ一つの会話に人間としての生きる智恵が詰まっている。思いやる優しさにみちた会話。今の日本のドラマでは滅多に聞かれなくなったなるほどと思わせられる会話。
 視ていて、こんな健全な国民の国が、今から一世紀近く前、我が日本の韓国併合により、自らの国家としての自立を失い、第二次大戦では、漸く大日本帝国の頸木から逃れたと思ったら今度は、南北二分の有様。そしてその後の独裁政治。それを脱して、いまや民主主義国家として、我国を凌ぐ隆盛期にある大韓民国。

 それに反して、我国の現状はどうだろうか。韓国では、19歳になれば、当然として徴兵検査を受け、二年間の兵役につくことを、身体健全な男子の誇りとしている。
 それに反して、日米安保条約をいいことに、国防、兵役の義務なんて考えた事も無い日本男児。今や、留学の希望者も世界一少ないとか。商社マンですら外国には赴任したがらないという。パラサイト、ニート、ひきこもり。

 一家族の歴史においても盛衰があるよに、国家にもそれぞれの盛衰があるのだ。当時の韓国李氏朝鮮王国は、支配層の党派争いの明け暮れの中で国力の充実を怠り、世界の形勢に疎く、国家を滅ぼしてしまったのだ。
 云わば、今の韓国は、祖父の失敗を猛烈に反省して失地回復を遂げ、国家・民族としての盛運を向かえているのだ。

 これに反して、我国は、祖父や父の成功体験に奢り、自ら更なる高みを目指す理想を見失い日常の瑣末に埋没している惰眠国家・国民になりさっがってしまっているのではないか。

 そして、このままでは、遠からず、我国は韓国か中国に併合される運命にあるのではないかとさえ思われてくる。

 かって日本が元気だった頃、ドラマもまた面白かった。次々と傑作が放映された。なかでも「おしん」は素晴らしかった。
 歌謡曲でさえ、いつまでも心に残る名曲が次々と出た。

 それが、今はどうだろうか。日本のドラマで次回がまちどおしいようなドラマは皆無だ。NHKが大枚はたいて放映している大河ドラマ、「竜馬伝」。NHKとしては今こそ、竜馬のような元気の好い破天荒な人物よ、現われよと言いたいのかもしれない。

 だがその気持ちばかりが上滑りして、単なる虚しい昔のスローガンを文字通り鳴り物入りで怒鳴り散らし大騒ぎしているようにしか見えない。
 最後は暗殺されてしまうと分かりきっているところに、どこにドラマがあるのだ。今の日本には、新しく視聴者をワクワクさせるようなドラマすら作る力を失っているのではなかろうか。

 それにしても、ドラマの力とは凄いものだ。
 韓国ドラマと知りつつ視ながら、それが韓国であることをついつい忘れさせてしまうのだ。視ている自分がいつかそのドラマの片隅に入り込んでしまっているような一体感がする。異民族などと言う違和感は少しも無い。
 むしろ、こんなにも立ち居振る舞い、ものの感じ方まで一緒だなーと思われる人たちと、韓国だ日本だなどと別れていることの方が不自然に思われてくる。

 そして、思うのは、韓国ドラマに限らず、家族と言う視点でドラマが作られそれを視たら、恐らく世界中のどの国のドラマを視ても、人間感じること、思うことは同じだなーということではないか。
 それぞれの家族の視点に立つならば、国家同士で、その家族同士がお互いに戦場に引っ張り出されて殺しあうなどということがどうして必要であろうか。
 真に不思議ではないか。

 人間は家族と言う単位ならば、平和に共存できるものが、一度、その各々が、国家という頸木に括られる、尖閣だ、何だとい言って、殺し合いを決意するまでになるのであろうか。
 国家と言う怪物は、いかにして人間を殺人兵器に変換する化学方程式を有するのだろうか。人間はいかにして、いつになったらこの化学方程式から逸脱することができるのだろうか。

 韓ドラは、麻薬。そこでこの麻薬から逃れるため私流に韓ドラの見方を考えた。
 今回も、1話から49話では連続してみた。その次に飛ばして、20枚目を視た。ここには95話から99話まで。そして、飛ばして33枚目の最終話を視た。これで大幅に時間を節約できた。間は視なくても想像がついた。
 それにしても、韓国は今、俳優陣が豊富だなーと思う。視る度にそれぞれに個性的で魅力的な女優陣にはまってしまう。今回は、特に様々な表情をみせてくれた次女役のユン・へヨンが好かった。
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