蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

徒然なるまま、川柳もどきはいかがでしょうか。

2006-11-30 01:41:20 | 時事所感
11月29日(水)晴れ。暖。

  冬の夜の炉辺で独酌。思わず浮かぶ駄句少々。

 ■ 郵政民営化反対、出戻り議員諸先生に贈る駄句3句。

   かっこつけ 追い出されて知る 大看板
   
   踏み絵踏み 戻ってみれば 針筵
   
   出戻りは 踏み絵を踏んで 口つぐむ

 ■ 談合疑獄知事に贈る駄句3句。

   元気よく 地方に任せて 堕ちる穴
  
   改革の 旗の陰にて 袖の下
 
   拘置所に 入ることとは つい忘れ

 ■ 石原都知事夜郎自大閣下に贈る駄句6句。

   ガラパゴス イグアナ尋ねて 出す尻尾
   
   公金も 知事となっては 吾が財布
 
   可愛いさに 李下に冠 何のこと

   穴あけで 世に出て天下は 吾が物ぞ

   穴あけで 天狗になって 落ちる穴

   不都合は 開き直って 見得を切り


 ■ 安倍総理大臣閣下に贈る駄句5句

   タラップは お手つないで 転ぶまい
   
   美しい 国は何処ぞ フリーター
   
   働けど 美しい国 今何処(イズコ)
  
   言いたいが 言ってしまえば 四面楚歌

   日に日にと 影薄くなる お坊ちゃま

                  ー蛾遊庵 山人ー
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この旬日、耳目に止まりし由無し事ーその3、夕張市の財政破綻に湧く怒り!ー

2006-11-29 00:19:13 | 時事所感
11月28日(火)曇り、一時薄日射す。暖。

 その三つ目は、夕張市の財政破綻である。市長が、住民説明会で、怒号し席を蹴る市民に対しひたすら低姿勢で理解と協力をお願いしている。

 こんな事態になることを市民たちはいつ知らされたのだろうか?
 全くの寝耳に水だったのだろうか?それとも、以前から薄々はなんだか、自分たちの市の財政がおかしなことになりそうだとは感じていなかったのだろうか?

 660億円余とかの借金財政。今後20年かけて、その内の半分を返済していく計画とか。来年度から住民負担は、全国最高!受けるサービスは全国最低水準となるとか!
 総務省はこれでもまだ甘い。まだ絞り込むとのこと。今後の放漫経営の自治体へのみせしめにするのだという。
 
 この頃、世の中、何でもかんでも、今までなんでもなくて見過ごされてきたことが、ある日突然、玩具箱をひっくりかえしたように大騒ぎとなるのは、どうしたことだろうか?

 社会保険庁しかり。裏金問題しかり。談合事件しかり。酒酔い運転取締り強化しかり。児童虐待。学校での苛め問題しかり。そして今、ほんの1年前は刺客英雄時代の寵児ともてはやされ、自民党大幹事長閣下が吾が息子と肩をだいたホリエモン氏は、新年早々、三畳一間の拘置所にほうりこまれ、あおりをくって株価は大暴落。何とか景気といくら囃し立てても、一向に回復する気配もない。

 といったわけで、話の筋がとんだ脱線してしまったが、こうでもあげつらわなければ腹の虫がおさまらないことばかりではないか。

 ところで、夕張市に話を戻せば、そもそもの原因を尋ねれば、炭鉱閉鎖に伴う地域産業基盤の激変にあるのだ。いわば国家の産業政策の犠牲になったともいえるのではのか。
 国は、調子のいいときは散々巧い汁を吸い上げておいて、調子が悪くなったら、自分たちだけで何とかしろと放り投げたのではないのか。

 そして、悪いことに、当時の市の幹部が、リゾートブームに便乗して、安易な箱物行政に先の見通しも十分立てずにつっ走ったということではないか。
 恐らくその過程で、有象無象が蜜に吸い付く蟻のようにたかり、美味しいところを貪りくったのではないか。何でも三セクばやりで、何とか公社、会社をわんさかつくり、市のお役人がわんさと天下って放漫経営に輪をかけたのではないのか。

 ところが今、そんな原因をつくった責任論がちっともでてこないのは何故だろうかと疑問に思った。
 そこでウイキペディア呼び出してみたら、前市長中田鉄治市長は6期24年を勤めてお亡くなりになっていたのである。言わずと知れたワンマン行政と住民の無関心がこの事態を悪化させたのではなかったか。

  夕張市の事例は、決して他人事ではない。市民の無関心とお人よし、無知に付け込んで、お役人様たちとそれに群がる有象無象のお陰で、いつまた私たち自身が同じ憂き目を見ない保障は何もないのである。

  あれほど大銀行のバブル破状には、公的資金の大盤振る舞い、0金利政策をとって、その付けを国民に押し付けながら、夕張市には、丸裸で寒中にほうりだすようなことをするのが、これが国民の生命の安全と福祉の向上を最大の責務とする国家のやることだろうか?

  果たして、私たちは、いつまでこんな国民の暮らしから目をそらして、戦争ごっこがやりたくてたまならそうな自民党政権を選びつづけるのだろうか?
 
  と、いつにも倍して過激な論調となってしまったが、さて皆様はいかがお思いでしょうか? 
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朝の珍客ーミヤマホオジロが、不時着した!ー

2006-11-28 12:43:01 | 田舎暮らし賛歌
11月28日(火)曇りのち晴れ。暖。
 
 朝、新聞を読んでいると居間のガラス戸にコツンと、小石か何か物が当たった音がした。読み終えた新聞を食卓に置いて、ベランダにでてみると、床の上に小鳥が一羽うずくまっていた。

 ピクリとも動かない。姿勢が起きているので死んではいないようである。
 どうやらガラス戸に激突したショックでうずくまっているらしい。こちらが直ぐそばに近寄っても逃げようとしない。
 
 急いでアトリエにデジカメとスケッチブック、鳥類図鑑を取りに行った。

 写真は直ぐ撮れたが、寸法を測ろうとして物差しを近づけたら、あっという間に周囲の雑木林めがけて飛び去った。

■ ミヤマホオジロ (雄) 冬の渡り鳥

   

 図鑑で調べてみたら、ミヤマホオジロの雄らしい。

 図鑑によれば、

 形:体長15.5cm。スズメより少し大きい。背面はスズメに似た色をしているが、頭頂の羽毛がやや長く、冠羽状になっている。この冠羽の下の眉から後頭にかけて幅広い黄色条があり、これで見まちがいはない。雌も黄色い。雄は目先から頬まで黒い太い条紋があり、上胸部に大きい黒紋、そして喉が黄色。またうなじが黒く後ろから見ると後頭の黄色とこの黒紋が映えて目立つ。

 動き:地上性で二足とび、小刻みに移動し、せわしく地上からついばむ。小群、中群で行動することが多い。藪にかくれては、その近くの草地に出てくる。

 分布:ほぼ日本全国に現れるが、本州以南、九州までに越冬しており、特に西南日本に多い。長崎県対馬では繁殖の記録がある。
 季節:冬鳥。11月中旬より翌年4月まで。春先にはコーラスをきくことができる。

 鳴き声:ツッ。ピーウ、チウチチチ、チウチチチチなどとさえずる。

  <引用は、『野鳥の図鑑 陸の鳥①保育社刊P88』による。>
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この旬日、耳目に止まりし由無し事ーその2、愛と憎しみの果てにー

2006-11-28 00:39:59 | 日常雑感
 11月27日(月)雨。気温10度前後。

  二つ目は、11月20日(月)、「スーパーモーニング」を何気に見ていたら、ある18歳の特異な境遇の少年の話題を報じているのが耳にとまった。
 追跡レポート、「愛と憎しみ、葛藤の果てに、母を殺した父が死刑判決を受けた18歳の決断。」というものだった。

 この少年が14歳の時、父親が母親を殺害した。しかもこの父親は、その二年前に義父までも殺害したのだ。父親は、昨年、一審判決で冷酷な犯罪として死刑判決をくだされた。

 この事件をきっかけに少年のごく当たり前の幸福な家族関係は崩壊した。自暴自棄になった少年は、万引、窃盗、施設逃亡、自殺未遂を繰り返した。

 しかし、ある時、アルバイト先で一人の少女と出会った。その少女との出会いが、彼に今一度真剣に生きてみようとの意志を目覚めさせた。少年は、彼女が通う定時制高校へ通い始めた。将来は父親と同じ不動産業をやるため、宅地建物取引主任の資格をとるのだという。

 そして、少年は、父の死刑判決を聞いて、少女から父親に会うよう勧められる。少年は迷う。会いたくない。しかし会ってもみたい。何故母を殺したのか。その理由を知りたい。
 少年は、拘置所の父に手紙を書く。父から返事がくる。少年はついに父に会いにいく。

 その後で、少年は、母の墓にお参りし、母を裏切ったことを謝る。

 今、少年は、父の減刑を願って裁判所に嘆願書を出そうとしている。
父が死刑になることは、今度は死刑囚の子としての人生が待っているのだ。

 一人の少女の少年への愛が、自暴自棄の少年の心を救い、今度はその愛に目覚めた少年の憎しみで硬く冷えた心が、母を殺した父親を許そうというのだ。
 父から少年への手紙には、母が事切れる前、最後に呼んだのは少年の名前だったという。

 私はこれまで、人を殺したら原則、死刑にすべきだと何度か書いてきた。
 しかし、この事件の場合は、素直に少年の気持ちに添いたいと思った。これで、父親まで死刑になったのでは、この少年の運命があまりにも惨いとおもうからである。
 少年の心身の半分は母からのものではないか。その少年が父を許そうというのであれば、それは殺された被害者の母自身が、許したともいえるのではないだろうか。
 今は、殺人鬼であった父親をも、少年の愛が元の人間の心に戻したのである。

 とは言え、死刑制度は無くすべきではないとの考えには、いささかの変わりもない。少年と、父親がぎりぎりのところで、向かい合えたのは、死刑という絶体絶命の断崖を前にして初めて可能となったのではないかと思うからである。

 控訴審では、果たしてどんな結果がでるのだろうか。少年の願いを届かせたいものである。
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この旬日、耳目に止まりし由無し事ーその1、棚田の再生ー

2006-11-27 01:21:30 | 田舎暮らし賛歌
11月26日(日)曇り、夜来雨となる。1~8℃。

 このところ、何かと忙しくあっと気が付いたら、ブログを更新しないまま旬日が過ぎようとしている。そこで、備忘のためこの間、耳目に止まったことをまとめ書きしておこう。

 一つ目は、11月17日(金)夜、NHK総合、『にんげんドキュメント「再起の棚田」―震災復興にかけた人生模様―取り戻せ日本の原風景奮闘500日』である。

 夕食後、うつらうつらしつつ、ひょいとTVの画面に目を向けると、どこかの田圃らしきところで、年齢や風体もてんでんばらばらの男たちが泥まみれになって悪戦苦闘している。
 先年の新潟地震で壊滅的な被害を受けた棚田を少しでも再生しようとのボランティアの奮闘ぶりである。
 リーダーの方は、50歳後半。ハウスメーカーの営業マンとして実績を上げたが上司との意見の相違で会社を退職。暫くは呆然自失。こんなにも一生懸命会社に尽くしてきたのに、自分の人生は何だったのかとの思いに苛まれたという。ぼんやりぐうたらな毎日。そんな有様に奥さんにも愛想をつかされ離婚。自然に触れてみたくなり偶然ここへ来て、棚田の再生に取り組みはじめ、面白くなって今は生活の全てをかけている。

 別の一人は、息子さんが一旦は就職したものの、人間関係が不得意でやめて、自然相手の仕事をやらせてみてはと、親子で参加している。その息子さんは、この地で農業のアルバイト先を見つけたという。

 そこに、現地の人で長年稲作をやってきたが、交通事故で両足が不自由となり、前途に希望を失った中年の男性が顔をだす。
 自分の家の田が少しずつ再生され、そこで稲が育っていくのを見ると、だんだんに自分でも何かできることをやってみようという気が湧いてくるのである。

 いよいよ採り入れの秋がきた。

 一旦は家族に見放された、リーダーの男性のもとへ、娘が孫を連れて一生懸命にこれまでやったこともない棚田の再生に奮闘努力する父の姿を見に、奈良の方から訪ねてきた。

 慣れない刈り取り機の運転を覚え、みんなでの刈り入れである。800キロの収穫があった。籾袋を満載した軽トラが再生された棚田を後にするところでドキュメントは終わった。

 棚田の再生を通じて、様々な人生を歩んできた人たちの心が一つに収斂していく。たよりなげな早苗が、育ち行く過程で心萎えた人々の心に生きる希望を育んでいく。自然の神の恩寵を思わずにはいられない良いドキュメントだった。こちらの胸まで熱くなった。

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何で、世の中、こうも間尺(計算)に合わない輩(ヤカラ)が絶えないの?

2006-11-17 00:28:32 | 時事所感
11月16日(木) 晴れ。日中暖。

  この頃、毎日、いろいろと報じられることを見ていると、世の中にはつくづく間尺の合わない、計算のできない人々が多いものだなと、感心していいのやら、どう嘆けばいいのだろうかと思うことばかりである。

  大きいところでは、福島県、和歌山県といずれもやり手で名高い実力派知事閣下。毎度御馴染みの公共工事に絡む天の声、贈収賄汚職。これまでかち得た地位、名声もあっという間に溝(ドブ)の中である。こそこそびくびく袖の下に入れた金額何ぞ、ちゃんと勤め上げたあとでいただく山家の隠居にとっては目もくらむような高額退職金や、勲何等とかの勲章も棒に振っての拘置所暮らしを、選りによっておえらびになるとは。開いた口がアングリアである。

 そうかと思えば、20年余りも真面目に警察官一家として勤めておきながら、借金火達磨挙句の果ての強盗犯とは。
 公務員はなまじ信用あるばかりに、その気になればいくらでもお金が貸してもらえる蟻地獄と背中合わせの身分であることに気が付かなかったのだろうか。

 こう言う私自身も恥を承知で打ち明ければ、若いときから、貯金して溜まるのを待つよりは目の前の欲しい物につい目がくらみローンばかりで過ごしてきた。
 それでも事故らずに済んだのは、高度成長期と波長を一にしてきたお陰で、今は昔のベースアップの連続に救われてきただけである。
 現在のような経済状況の下でならとても恐ろしくて、できることではない。
 だが、人間は惰性の生き物。そう簡単にはブレーキはきかないのだ。

 さらに、昨日もちょいと耳に入ったのは、高速道路のETC料金所破りである。なんとこちらは東京工業大学の大学院生とか。東京工大とあれば、数学は得意中の得意だろうに、国費、国民の税金使って勉強しておきながら、こんな粗暴でお粗末な関所破りに身をやつすとは、全くもって理解不能だ。

 そして毎朝、スパモニがこれでもかと追っかけ報道する秋田の子殺し事件。一旦は施設に引き取られながら、態々連れ戻してきて、わが子を苛め殺す。こちらは全く救いがない。
鬼子母神も真っ青だろうとこそ思うほか無い地獄絵だ。

 さらに先ほど聞いたニュースでは、高校三年生。あと半年で無事卒業というときに、態々母校に忍び込んで何の恨みか放火して、挙句、母親に付き添われて自首して出るとは…。ライター(という事は、禁じられている喫煙常習者か?)で火をつける瞬間、こんなことをすれば、あとでどうなるか、自分自身の今後の人生は勿論、両親や兄弟だって、どんなに世の謗りを受けることになろうかなんて、考えたこともないのだろうか。「嗚呼!高校三年生!」舟木一夫をも泣くだろう。

 まったくもって、何の因果か、秀才も唯の人も変わることなく計算外れの輩のオンパレード!

 そしてここまで並べて見て、気が付いたことは、これらの輩に共通するのは、「恥」という一文字が欠落していることのようだ。テンカラこんなことをしたら恥ずかしいなという人間本来の心を何処かに置いてきたか、それとも最初からもって生まれてこなかったということだろうか。

 これなら山家の隠居にも理解ができた。「恥」は、頭の良し悪しに関係ないからだ。

 そこで国家百年の明日を憂慮して止まない与党自民・公明両党は、寅さん顔負け啖呵売もどきのサクラまで使っての、世論操作の陰謀までして、何が何でも教育基本法改正案を強行可決に及んだというわけだろうか?

と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
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朝の散歩に湧く憤怒-「明野産業廃棄物最終処分場建設撤回のお願い」ー

2006-11-13 23:41:07 | 田舎暮らし賛歌
11月13日(月)快晴。朝、寒し、日中は暖。
 
 朝、珍しくいつもより早く目覚めた。カーテンを開けると、燦燦と陽がさしこんできた。気持ちがいっぺんに明るくなる。障子を開けて西の方を見ると鳳凰三山の峰が白く輝いている。

 急いで身支度をして表へ出た。ヴェランダの寒暖計をみると丁度0度を示していた。今年初めてである。
 いよいよ冬が来たかの思いが湧く。デジカメをもって軽トラ、ロシナンテを発進させた。

 広域農道の上に出ると、北に八ヶ岳の初冠雪が見えた。左には遠く日本アルプスの山嶺が覗いている。

 だが、この美しい景色を愛でてばかりはいられないのだ。こんなかけがえのない場所に山梨県は産業廃棄物最終処分場を地元住民の10年に及ぶ反対運動を、けっとばすようにして、強行建設にかかっているのだ。

 観光立県を標榜して、遠く全国からお客様を呼ぼうと、東京日本橋に集客、案内広報センターまで新設しておきながら、せっかく遠くから来ていただいたお客様に、産業廃棄物の粉塵を胸一杯お見舞いしようというのである。

 しかも、この場所は、史跡調査をしてみれば、遥か4、5千年の昔、縄文時代人が大きな集落を営んでいたことが判明したのである。
 その縄文人が命を育んだ我が聖なる山、茅ケ岳山腹の貴重な湧き水の出る沢筋をゴミ捨て場にしようというだ。悪戯盛りの悪餓鬼だって、ためらってみるだろうにと思うのだが。

 ところが、この自己撞着というか、神をも恐れない無神経さに山本知事を始め県幹部、白倉北杜市長は、恥ずかしくないのだろうか?
 こんな神経の持ち主が、教育委員会を通じて教育行政まで牛耳っているのだとすれば、山梨県の将来はおしてしるべしではなかろうか。
 山本知事だって、初当選当時はこの現場を見て、ここはどうかと首を傾げたと聞く。
 
 だが、10年前とかに、せっかく一部地元ボスと談合して、合意の判子をもらったものを、それを後で知った多くの地元住民が、怒りに燃えて反対ののろしをあげても、衆寡敵せずと甘く見くびり、また一から出直しでは、たまらないとする県幹部の説得に負けたか、その後は知らぬ顔のハンベイを決め込みながら、厚顔にも再選を勝ち取ろうと躍起の有様。

 そんな憤怒の思いがふつふつと湧いてきて、朝からのいい気分が台無しである。
 
 しかし、この地の風光の明媚さは、そんな憤怒を直ぐに忘れさせるほどである。
 デジカメのシャッターを、たちまちいくつも押しまくった。
 
 だからこそ、こんな場所を選んで、産業廃棄物最終処分場をつくろうなんてことは、白いキャンバスに一滴の消すことのできない墨汁を滴らせられたような悔しさというか、惜しむ気持ちになるのである。

          ■ 初冠雪の八ヶ岳。大根畑のはずれの木立の裏側が最終処分場建設地。
                 
                  

 ■ りんご畑の間からの八ヶ岳。りんごの季節もあっという間に過ぎた。
 
  

                 ■ 藁葺き屋根の向こうの八ヶ岳。こんな民家も今や珍しい点景となってしまった。

                 

   ■ 目を西に向ければ、甲斐駒の雄姿である。右往左往の人間の営みなど知らぬげだ。

  


                  ■ 仰ぐ空に、紅々とした残り柿が綺麗な弧を描いていた。
 
                   

ー追伸ー

 全国の心ある皆様、どうかこのような無謀かつ安易な最終処分場造りに、反対の声を山梨県知事並びに北杜市長宛にお寄せ下さい。
 また、この暴挙を断念させるために良いお知恵がありましたらお聞かせください。

 茅が岳をこよなく愛され、百名山には入れなかった茅が岳に心が残るとされ、1971年(昭和46年)3月21日、わざわざエベレスト行きの直前に、登られた茅が岳山頂付近で急逝された先生です。日本百名山の深田久弥先生がご存命なれば、なんとおしゃるでしょうか。

 私とて、ごみを出さないでは暮らせないことは百も承知です。どこかにつくらなければならないことはよく理解できます。

 しかし、それにはそれに適した場所を、探せば必ずある筈です。この近くにだって何も標高900mの高地を選ばなくとも、もっと標高の低いところで、溺れ谷のような日当たりの悪い、こういうところこそ埋め立てて、上を公園にでもすれば良いと思える場所はいくらでもありそうに見えます。

 行政の力をもってすれば、できない筈はないと思います。しかし、そこに新たに選ばれた周囲の人々は、それなりに新たな理由を言い立てて反対することでしょう。これもその近所に長く暮らしてこられた方々の身になれば、その言い分は理解できます。

 ただ、その際、行政が両者の選定条件を全て明らかに示して、どちらがよりリスクの少ない合理的で、ベターな案であるかを住民が選択できるようにすればいいのではないでしょうか。

 私が見ている限りでは、今の県や市の責任者には、そんな面倒な苦労をする気概と真に公平な住民福祉を考え実践しようという心がないのではと言わざるを得ません。

 個人の家で考えて見た場合でも、どこに客間の庭の美しい築山の脇に、生ごみ捨て場をつくるでしょうか。
それもそのすぐ下流には、飲み水に使っている井戸への水脈があるにもかかわらずです。

 山家の隠居には、老来の耄碌のせいか、住民の公僕でありながら、それは法律の条文の建前として、全く住民の言葉に耳を貸そうとしない県や市のお偉いさん方のお考えかた、なさりかたがとんと理解できません。

 私のブログ、立ち上げてやっと1年たったばかりです。残念ながら読んでいただける方ほんの少しです。
 ここにこんなことを書いてみても負け犬の遠吠えでしかないかも知れません。

 しかし、美しい風土は、この地に住む者のものだけではありません。日本人みんなのものの筈です。

 どうか、お目にとまりましたら、お知り合いにTBするなりなんなりして、この思いを、少しでも多くの方々にお伝え願えればと存じます。

 美しい風土を美しく守っていく心こそが美しい日本を、次世代を担う良い子供たちを育みそだてていくことになるのではないでしょうか。

 なお、本文は、私一個人の主張であり、いかなる党派団体に属する者でないことを明言しておきます。

● 山梨県公聴・広報課:〒400-8501 山梨県甲府市丸の内1-6-1
            ℡055-223-1339 FAX 055-223-1525
            E-Mail:kouho@pref.yamanashi.lg.jp
  山梨県 政策秘書室:℡055-223-1316

● 山梨県北杜市企画部情報政策課:〒408-0188 北杜市須玉町大豆生田961-1
                 ℡0551-42-1111 FAX 0551-42-1122
             E-Mail:info@city.hokuto.yamanashi.jp
                 
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国際警察軍常設は決して今や夢物語ではない!

2006-11-12 00:58:38 | 時事所感
11月11日(土)雨。肌寒き一日。

 アメリカの中間選挙の結果は、民主党が上下院とも過半数を制したと報じられている。ブッシュ政権の夜郎自大帝国主義外交政策の愚かしさに、米国民が異議申し立てをしたということだろうか。
 この時代の風向きの変化をいち早く鋭敏に捉えたブッシュ大統領閣下は、これまでの対イラク強攻策を推進してきたラムズフェルド国務長官をさっさと解任した。

 どこの国民だって、一寸冷静になって考えてみれば、自分たちの生活に直接的な危機を直ちにはもたらしそうもない遠い海の彼方の得体のしれない国の指導者を気に入らないからといって、やっつけるために、愛する夫や可愛い息子を戦火の渦に巻き込ませたくないのは、人間自然の情というものではないか。

 しかし、その一方で、平和裏に暮らしている他国の庶民をいきなり麻袋を被せてひっさらってきて自国のスパイ活動の助成をさせたり、偽造紙幣を大量に作り、使ったり、人民は飢えさせても支配者のみは栄耀栄華の生活をほしいままにするような国家指導者を、何とか始末しなければというのも自然な人間感情ではないか。
 
そのためには、自国民の血は極力流さずして、なおかつこのような暴政指導者を排除するための強力な実効性のある国際警察機構の構築が必要なことは誰もが認めうることではなかろうか。

日本は、このような人間自然の道義感に訴えて、今こそ、全世界に先駆けて、日本国憲法の理念を高らかに宣揚し、非核諸国を糾合しその先頭に立って、国際警察機構の常設に向けて粉骨砕身するべきときではなかろうか。

今、アメリカに明確に異議を唱える南米諸国に、日本が積極的に本気になって懸かる理念を説き、本気になってかかれば、思いのほか賛意が得られるのではなかろうか。

否、アメリカと言わず、世界どこの国の民だって、戦争するよりは平和であることを望んでいる筈である。
どこの国の指導者だって、軍備に費やす人、物、金の虚しさについて、思いを致さないのは、北朝鮮を除いて、世界のどこにもないのではないだろうか?
若し、軍事費の重圧から解放されるならば、国際的に貧しさの克服が可能になるのではないだろうか?

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日野原重明先生の無抵抗平和主義と防衛庁、省昇格論議に思う。

2006-11-11 02:31:13 | 時事所感
 11月10日(金)快晴。暖。

  今、国会は防衛庁の省昇格、核保有論議の可否、教育基本法の改定ですったもんだの有様である。平和憲法のもと、一切の武力放棄を全世界に先駆けて高らかと謳ったのも束の間、今や世界6番目の隠れ軍事大国ともみなされるに至った我が自衛隊の歩みを、ウィキペディアで一瞥すれば、下記のとおりである。

『自衛隊の歴史
1950年の朝鮮戦争勃発時、GHQの指令に基づくポツダム政令により警察予備隊が総理府の機関として組織された。 さらに1952年に海上警備隊が海上保安庁に組織され、同年8月1日に警察予備隊(10月15日に保安隊に改組)と海上警備隊(8月1日に警備隊に改組)を管理運営する総理府外局として保安庁が設置された。 そして1954年7月1日防衛庁設置法と「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(自衛隊法第1条)自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号)が施行され、これらをもとに自衛隊(防衛庁)が成立した。
1954年には陸・海・空三自衛隊の統合運用時のため統合幕僚会議も設置され統合幕僚会議議長がこれを統括したが、2006年にはより広範な権限を持つ統合幕僚監部に組織替えとなり統合幕僚長がこれを統括することとなった。
冷戦期は専守防衛の枠内で日米安全保障条約に従って在日米軍の日本防衛機能を補完する役割を負った。 1990年代からは国際協力の目的で、海外派遣が行われはじめている。』

  そして今や、防衛省昇格論議である。武田鉄矢の歌の文句ではないが、「思えば遠くへ来たもんだ」である。戦争、敗れて60年 思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら …地獄の果てまでゆくのかな…である。

 こんな世の風潮の中で、10月19日の拙ブログで紹介させていただいた人生の大先輩、聖路加病院名誉院長にして文化勲章受章者の日野原大先生は、先日(11月4日付)の朝日新聞コラム「95歳・私の証 あるがまま行く」で、“世界平和の先頭を目指して”と題して、次のように主張されている。

『…私は心から提唱したい。米軍への基地提供を10年後には解消したいと国民の声を通して米国政府に伝え、その後は完全に軍隊なしの独立国家となる宣言をしてほしいのです。…これを実現するには、国民に一時的な犠牲を強いることになるかもしれません。平和国家宣言後に日本が他国の侵入を受けた場合、被る犠牲はあえて耐えるという覚悟が必要です。…平和とは、究極の愛のかたちであり、犠牲を伴うこともあるのです。10年後に完全な平和憲法を実践する国家として、日本が世界の平和の先頭に立っていてほしいのです。』と。

 私も平和を願うこと切なる気持ちはあるが、ここまで徹底した無抵抗平和主義には賛成しかねる。一たび他国の侵略を受ければ、その侵略者が北朝鮮で現に目の前にみせつけられているように、絶対的な独裁暴政を行えば、百年は物言えぬ奴隷とされる恐れがあるからである。

 そのうえさらに、所詮、人智は、短い人生の漂う波間でからんだこの世限りの水藻のような、多少の波長の長短はあれど、寄せては返す磯の波である。
 
 日野原先生のようにあの大戦を潜り抜けられて、よど号ハイジャック、地下鉄サリン事件等々様々な危機を経験されたなかで到達された理想的精神の高みに達しられた方もあれば、60、70過ぎても汚職や臍繰りづくりで晩節を全うしえない見かけの地位だけは高く上り詰めても、その精神は欲呆け・荒廃を極めた輩も多士済々ではないか。
 
 他方では、あどけない童顔が一皮剥けて、人としての諸々を学ぶべき年頃になったところで、仲間を苛めたり、苛めれれている仲間を見殺しにしている者らが、跡を断たない中で、どうしてこのような崇高な理念に多くの賛意が得られようか。

 私は、国際警察軍機構が常備され、それが実効力あるものとなるまでは、無抵抗主義は御免蒙りたい。否!今こそ日本の進むべき道は、“世界平和の先頭を目指して”国際警察軍が常備され、世界中が非武装国家となることを、国際外交の最高目標に据えるべきである。そしてその理想達成のため、狡猾なまで計算し、権謀術数を尽くした世界各国への外交交渉にまい進するなど、現実的な手段を採るべきである。

 このたびの防衛庁の省昇格についても、それが真の意味での国連の手足として活動しやすくするためのものであればのことだ。
 しかし、どうも今のところ、現自民党政権にはそんな高邁な理念など毛ほども無く、唯ただ、言うまま気儘、米国の飼い犬として行動しやすくするためのものでしかないのでは…。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ー追記ー

 私は、日野原先生の高邁な主張に異を唱えた。だが私の先生への敬慕の念はいささかも減じるものでない。
 先生は、恐らく私のような揚げ足取りの出てくることは百もご承知のうえで敢えてなおかつ簡明率直な理念を表明されているのだと拝察する。

 果たされざる理想なくして、どうして儚い存在である人間が、真摯に思索することを持続し得ようぞということである。

 その無駄を承知の思索の中から、一歩でも寸歩でも、前進できれば良いではないか。
 恐らく先生は、後に続く者らに、そう勇気づけられたいのではないだろうか…。

 理想こそは、この世の華である。華無かりせば、いかにこの世は索漠として荒涼たる世界へと変じることだろうか。

 先生は、この理想の華の一茎を、私たちに献じられたのではないだろうか。

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旬を楽しむ!-干し柿に白菜漬け-

2006-11-10 00:15:53 | 田舎暮らし賛歌
11月9日(木)快晴。日中暖、朝夜冷え込み強し。

  昨年、家人が大きな渋柿を10個ほど買ってきて、ヴェランダの軒に一ヶ月ほど吊るし、干し柿にした。それが思いのほかに何とも言えずしっとりと甘く美味しかった。

  それに味をしめて、今年は去年よりも多めに柿を買ってきた。地元のJAの売店に安くて良い品が沢山ならぶ。全て生産者名入りの作物ばかりである。勿論柿だってどこの誰かさんのところで収穫されたかが明確である。これ以上の安心はない。

 家人が皮を剥く。私が、そのT字形に残された蔕(ヘタ)のところへ麻紐をからげて物干し竿に吊るした。ヴァーミリオンの暖かい好い秋色である。
 家人が、今日、地元の知人から聞きこんできた話では、剥いて吊るす前に一旦熱湯に潜らせるとカビがはえないという。だが私はそんなことは知らない。後の祭りである。次回からは必ずそうしてみようと思う。

 ここは、ほとんど車の行き来も少なく、空気はきれいだ。その清涼な大気の流れと、柔らかな陽だまりの中で、まさに天の恵みとして熟成されていくのだ。


                 
                 <※洗濯竿に吊るし柿とは、ちょっと興ざめだろうか?>

 そして、同じくこの時期、JAの売店の土間に所狭しと並ぶ白菜の山、瑞々しく豊かに大きな葉玉である。買わずにはいられない。三日ばかりヴェランダの陽だまりに干しておいたのを、今日、大きなポリ容器の底に利尻こんぶのきれっぱしを敷き、干した柿の皮、鷹の爪、鰹の圧削り節などを入れて、漬け込んだ。どんな味に仕上がるか、楽しみなことである。三日もすれば、美味しい白菜漬けが食べられるのだ。

 吊るし柿を作ったり、白菜を漬け込むなんて、東京の喧騒な暮らしの中では思いも及ばなかったことばかりである。時間と空間のゆとりがあればこそである。

 季節の移り変わりと共に稔るそれぞれの生(ナ)り物を、そのものに即した昔からの智恵に習い暮らしの糧とする。これこそが、旬のある田舎暮らしの醍醐味かとしみじみ有り難く思うのである。

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