1月29日(日)晴れ ー5度~10度
昨日に変わって風の無い穏やかな日曜日。新聞、TV(日曜討論)等を見終え、何となくじっとしていられない気分だ。
吾が愛する軽トラ(ロシナンテ)に乗り込む。
目指すは、前から行って見たいと思っていた近くの古城址である。我が家から車で10分ほどのその山城は、信州峠に向かう旧街道の谷あいの南側の山稜へ少し入ったところにあるらしい。
街道沿いの小さな案内標識に従って車を右折すると、程なく欅の巨樹が二本、天然の門をなすといった感じの古びた神社の前に出た。
其処に「獅子吼城址」への道案内板があった。車を道路わきに止め、今見た「図」を頭に入れて歩き始めた。道は直ぐに急坂となった。何しろ標高788mとかの山頂のこと。
日頃の運動不足の身は、直ぐに息が上がる。
九十九折の道を3、40分も登っただろうか。道路工事中でうっかりすると見落としそうな道路脇に、アルミ板に「獅子吼城」の故事来歴が記されていた。そこから幅30センチ程の山径が奥の林へと続いている。右下は結構深い谷間だ。
足元を気にしながら小径を5分も行き急な斜面を20mほど登りきると急に視界の開けた平場に出た。そこが狼煙台のある主郭あとだった。東隅に小さな石の祠があり、5円玉が三つばかり散らばっていた。
また、説明板が立っていた。今度はゆっくり読む気になった。この山城は、1300年代に土地の豪族によって作られたとか。城主親子は武田の祖と戦い破れ討ち死にしたとのこと。その武田家も天正10年(1582年)3月、勝頼の代に織田信長に攻められて亡びている。
さらに、信長も僅か3ヵ月後の6月、本能寺で敢え無い最後を遂げている。
その後、この城は小田原北条氏のものとなり、徳川家康の手勢に夜襲を掛けられ亡んだとか。
私は往時を想った。この狭いポケットパークのような山頂で、水場もろくに無いようなこの場所で、一体何人の戦士たちが立てこもっていたのだろうかと。きっと日頃はふもとの田畑で百姓仕事をしながら、一度、敵方迫るとの報に鐘、太鼓で集められ、無理やり持たされた槍や刀を振り回し敢え無い最後を遂げたのかと。
そして残された妻や子等は、それからどうやって暮らしをたてたのかと。
昔も今も変わらない。私の父も先の大戦で南の海に散ったのだ。たった一人の弟は父の顔さえ知らないのだ。それから始まる母の苦労は汗と涙の縞模様。その哀しみが癒えるのにどれだけの時間がかかったろうか。
想えば何故、こんな遠い山里まで押しかけてきて、人は争い戦うのか?。
攻めるも守るも、いつの世も人間の欲は、なぜにこうも果てしないのだ。
見渡せば眼下遠く甲斐駒、鳳凰三山の山並みが蒼く霞む。
冬の陽は早い。風が急に冷たくなった。今、登ってきた徑を恐る恐るゆっくりとおりてきた。
昨日に変わって風の無い穏やかな日曜日。新聞、TV(日曜討論)等を見終え、何となくじっとしていられない気分だ。
吾が愛する軽トラ(ロシナンテ)に乗り込む。
目指すは、前から行って見たいと思っていた近くの古城址である。我が家から車で10分ほどのその山城は、信州峠に向かう旧街道の谷あいの南側の山稜へ少し入ったところにあるらしい。
街道沿いの小さな案内標識に従って車を右折すると、程なく欅の巨樹が二本、天然の門をなすといった感じの古びた神社の前に出た。
其処に「獅子吼城址」への道案内板があった。車を道路わきに止め、今見た「図」を頭に入れて歩き始めた。道は直ぐに急坂となった。何しろ標高788mとかの山頂のこと。
日頃の運動不足の身は、直ぐに息が上がる。
九十九折の道を3、40分も登っただろうか。道路工事中でうっかりすると見落としそうな道路脇に、アルミ板に「獅子吼城」の故事来歴が記されていた。そこから幅30センチ程の山径が奥の林へと続いている。右下は結構深い谷間だ。
足元を気にしながら小径を5分も行き急な斜面を20mほど登りきると急に視界の開けた平場に出た。そこが狼煙台のある主郭あとだった。東隅に小さな石の祠があり、5円玉が三つばかり散らばっていた。
また、説明板が立っていた。今度はゆっくり読む気になった。この山城は、1300年代に土地の豪族によって作られたとか。城主親子は武田の祖と戦い破れ討ち死にしたとのこと。その武田家も天正10年(1582年)3月、勝頼の代に織田信長に攻められて亡びている。
さらに、信長も僅か3ヵ月後の6月、本能寺で敢え無い最後を遂げている。
その後、この城は小田原北条氏のものとなり、徳川家康の手勢に夜襲を掛けられ亡んだとか。
私は往時を想った。この狭いポケットパークのような山頂で、水場もろくに無いようなこの場所で、一体何人の戦士たちが立てこもっていたのだろうかと。きっと日頃はふもとの田畑で百姓仕事をしながら、一度、敵方迫るとの報に鐘、太鼓で集められ、無理やり持たされた槍や刀を振り回し敢え無い最後を遂げたのかと。
そして残された妻や子等は、それからどうやって暮らしをたてたのかと。
昔も今も変わらない。私の父も先の大戦で南の海に散ったのだ。たった一人の弟は父の顔さえ知らないのだ。それから始まる母の苦労は汗と涙の縞模様。その哀しみが癒えるのにどれだけの時間がかかったろうか。
想えば何故、こんな遠い山里まで押しかけてきて、人は争い戦うのか?。
攻めるも守るも、いつの世も人間の欲は、なぜにこうも果てしないのだ。
見渡せば眼下遠く甲斐駒、鳳凰三山の山並みが蒼く霞む。
冬の陽は早い。風が急に冷たくなった。今、登ってきた徑を恐る恐るゆっくりとおりてきた。