蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「組」に入る! (その2)

2006-01-13 22:55:13 | 田舎暮らし賛歌
 「組」に入れていただくに当り、早速組長さんのところに挨拶に行った。「組長」は一年交代の回り持ちとのこと。
 そして新入りは、酒10升を持参するしきたりとのこと。あらかじめ聞いて用意しておいた酒を組長さんのところに届けた。

 元旦の朝、9時に地区内の路傍の広場に集合とのこと。新入りの私たち夫婦は少し早めに、その広場に行った。ドラム缶で焚き火がしてある。既に三々五々近所の人たちが集まっているすぐ2、30人の人の輪ができた。子供連れや犬の綱を引いたひと様々である。

 時間になった。組長さんが「みなさんおめでとうございます」と白い息で大きな声で挨拶した。皆、それに唱和する。それから、デジカメでの記念撮影である。
 人は写真を撮られる時は、老いも若きもなんとなくはしゃいだ気持ちになる。
 気持ちの良い合理的なご近所としての新年の挨拶の仕方だなと感心した。

 こうして済ましてしまえばあとで出会うたびにいちいち挨拶しあう必要はない。
 言わばご近所としての賀詞交換会といったわけだ。

 それが終わると一家の代表一人が組長さんのお宅に上がることとなった。
 田舎の家は人集めに良いような間取りとなっている。玄関を入ったすぐの広間に通された。二間続きで二十畳はありそうである。それを見て、内心自分のところに組長の順番が回ってきたらどうしようかという思いが頭の隅をかすめた。

 そのような事情もありこの組もメンバーが増えすぎこの四月を期に南北二つに分かれることになるという。ああよかったとおもった。10人前後なら我が家でもなんとかなりそうだからである。

 会議は、新入りの紹介にはじまり、議事に入り、結構真面目にかつ民主的に進められた。防犯灯の増設位置をどこにするかとか、地区として市への要望事項のとりまとめとか、新年会の日程をどうするかとかである。
 それを聞いていてやはり「組」に入れてもらってよかったなと思った。雨水の排水ひとつ個人で市の窓口に行ったところでなかなか「はいわかりました」とは聞き入れてもらえないのが実情ではないかと思うからである。

 今や静かな住宅街でも様々な事件が起きる時代である。その一因は、近所付き合いの希薄化にあるのではないかと思う。隣人間の無関心の隙間を犯罪者は抜け目無く突くのである。

 高齢化する中で、私たちは否応無くご近所との賢しこくゆるやかな連携を強めていかなくてはならないのではと思う。

 新年会は近いうちに、日帰りできる近場の温泉へマイクロバスの送迎で行くことに決まった。その日がまた楽しみなことである。
 

今や必読「きっこの日記」

2006-01-13 01:17:35 | 時事所感
 1月12日(木)快晴、暖

 豪雪で難儀な生活をされている方々には、なんとなく申し訳ないような良い天気が続いている。
 これも我が家の北側に高々と屹立してくれている八ヶ岳山塊のお陰かと思う。日本海から押し寄せる雪雲は八ヶ岳山塊に遮られて、溜め込んだ雪を長野県側に残らず降り散らすことになるようである。
 その代償として、水分をなくして冷え切った八ヶ岳下ろしとでもいうべき北風の乾いた寒気は並大抵ではなく感じられる。

 さて、こんな今日この頃正月の酒酔いもいささか醒めたところで、年末から昨日までの「きっこの日記」を溜め読みした。

 一読、これ読まずして、世の中の出来事、まともには考えられないなと改めて思った。

 いのしし社長の野望、着々と実現しつつあるいかがわしさ。裏社会から政界,官界までその網は定置網のごとく伸びていくようだ。

 さしあたっては、きっこさんが予告している17日の証人喚問が見もののようである。

 どんなカメハメハ波が炸裂することか?。

 ところで、私にはこの「きっこ」さんの正体が興味深々である。

 お母さんと二人ともクリスチャンらしい。何故か父親の話はでてこない。俳句についてのご高説からは日本の古典にも造詣が深いようである。

 この点について、「国家の罠」で一躍、論壇のヒーローとなった観のある「佐藤 優」氏と似通うところがあるのはどうしてだろうかと考える。

 氏もまた、母上ともどもクリスチャンだとその著書の中で書かれている。そして、母については言及されても父親については一言もでてこない。

 神皇正統記など古典にも詳しい。情報収集については国際級の第一人者である。
 国内の裏、表の情報に精通していなくては、大国ロシアやイスラエル相手に価値ある情報のやりとりは不可能であろう。

 さらにその生活風景の描写からは、生活の快適さについてあまりこだわりがないようである。今時、都会の真ん中のマンションの一室で吐く息が白く見える中で暮らせるなんてのは、寒がり屋の私なんかからみれば相当のタフさである。
 食べ物にもこだわりがないようである。

 佐藤氏も窓もないコンクリートの独房で500余日も平気で耐えて何百冊もの本を読み60数冊ものノートを付けられたという克己のひとである。

 ただ一点、明確に違うところは、「きっこ」さんは女性であることと、車が運転できることだ。佐藤氏は確か車の免許はもっていないと書いてあったのを記憶している。

 しかし、そんなことは、多少小説家の素質があれば何でもないことだろう。男が女に化けてみる。そこで一寸小道具を使って、状況設定してみる。楽しい作業ではないだろうか。

 話は飛ぶが、これに似た謎は、「写楽」だ。たった一年「大首絵」を描いて忽然と消えてしまった浮世絵師。

 「きっこの日記」をTVドラマにしたら当たるだろうなと空想してみる。「必殺仕掛け任 梅庵」の趣向だ。

 昼間は嫋嫋たる女盛りの髪結い「きっこ」が、夜は一転、江戸の夜を仕切る情報屋兼悪玉退治の「女お頭」に変じ、腕利きの配下を上手に使い、庶民をたぶらかす幕府権力者からご用達や悪党まで、バッタバッタとやっつけてくれる痛快時代劇というのはどうだろう。

 そのうちどこかの週刊誌がその謎の姿に迫ってくれないかと、初夢にみる今日この頃ですが、みなさんいかがおすごしでしょうか?(自笑!)