唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
IMAGES of YOKOSUKA(No.5)
横須賀に行くには、京浜急行の横須賀中央駅で降りるのが一般的だと思うが、当時の郷秋は、JR横須賀線に乗り、横須賀駅で降りて米軍基地の正門の前を通って、あるいは「どぶ板通り」を歩いて横須賀市内に入るのが常であった。昨年秋に久しぶりに横須賀を訪ねた時に、往時の戦場と直接繋がっていると云う緊張感はすっかり失せたその余りの変貌ぶりに驚いたものであったが、それはまた、基地問題を抱えながらも40年近い年月を経て得た平和な日本の街の姿ではあった。
現在の地図を見ながら往時の記憶をたどってみると、上の写真の撮影場所はどうやら馬堀海岸当たりのようである。国鉄(いまのJR)横須賀駅からはかなりの距離があるが、今の郷秋の写真スタイルである「足で撮る」は、そのスタイルはどうやら40年近く近いはるか昔に確立していたものなのかも知れない。この写真を見ると季節は真夏もしくは夏の終わりのように見える。数度にわたる撮影の中でも早い時期に撮ったものと思われる。
『IMAGES of YOKOSUKA』★目次★
コメント ( 3 ) | Trackback ( )
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小気味よい文章、いつも楽しみしております。
名前の通り横須賀育ち・在住であり
シリーズ「IMAGES of YOKOSUKA」懐かしく拝見いたしました。
さて、今日の写真について
小学生の時分にこの防波堤で壁投げをしていたのですが
確かこの防波堤は馬堀海岸までは続いていなかったように記憶しております。
かなり記憶が曖昧ですが
安浦あたりからせいぜい大津あたりまでだったような・・・
また1973年とのことですが
その頃にはすでにこのあたりの埋め立て工事がかなり進められていたと思います。
といったことを考えると
写真の場所は安浦から堀之内あたりで、年代的にはもう少し前ということも考えられるかと思います。
ただ、(No.1)の埋め立ての写真があるところをみるとさらに記憶も曖昧になってしまいますね。
もう遙か昔の話になってしまいました。
この防波堤では随分ボールを海に寄付しました。
まぁボールは海に降りればコールタールだらけのボールが流れ着いているので不自由はしませんでしたが。
お邪魔いたしました。
残りのシリーズも楽しませていただきます。
コメントありがとうございます。
>確かこの防波堤は馬堀海岸までは続いていなかったように記憶しております。
そうでしたか。私も地図を見ながら記憶を手繰り寄せて「馬堀海岸辺り」と書いたもので、確信はまったくありません。撮影年別については、大学1年の時なので1973年の9~10月であることは間違いありません。
>小気味よい文章、いつも楽しみしております。
いつもいつもただ勝手に書き連ねているだけですが、お褒めいただいたと理解してよろしいのでしょうか(^^;
これからもどうぞよろしくお願いいたします。またコメントもお寄せいただけると嬉しいです。
返信ありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
>撮影年別については、大学1年の時なので1973年の9~10月であることは間違いありません。
なるほど、そうなるとこの時点でもまだ防波堤は残っていたんですね。
どうも郷秋<Gauche>様とは同じ年代のようで
私も大学へ通うようになりトレーニングがてら夜 埋立地を馬堀までランニングをする程度で昼間に海岸に行くなどということは滅多に無くなってしまった時期になります。
写真を(も)職業にしていながら、趣味で写真を撮ることが無くなってしまいました。
このような写真は本当に貴重な記録になりますね。心掛けていくようにしたいものです。
ちなみに(No.6)に写っている「ミドリヤ」もすでにありませんが、ここで成人式用のスーツを購入しました。
長々と失礼いたしました。