頭の中は魑魅魍魎

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みなが言う。昔は良かったと

2010-01-26 | days

最近まで右の膝・足首・脹脛が痛かった。しかしいつの間にか痛みが消えていた。先週くらいから左の脹脛が痛くなった。痛みもただどこかに移動するだけの現象なのだろうか。昨日コンタクトの度数を変えてもらった。変えて貰わなくてもいいんだけど、買ってから1年以内ならいつでも度数変更できるのと、たんぱくの除去するのが面倒だから新品になればいいだろうという魂胆。人としてとてもダメな気がするよ。私って奴は。

さて、誰もかれもが言う。20歳の人も30歳も40歳も65歳も75歳も小学生も、「昔の方が良かったよなー」と。その理由は様々だろうけど。私も、それって正しいと思う。歳喰ってから特に正しいと思う。昔は良かったよ。

ふむ。だとすると、われわれは一生懸命に生活を人生を、悪くなるようにちょっとずつちょっとずつ変化させながら日々過ごしているということになる。だよね?

全てを機械文明にせいにしてもいけないんでしょうよ。産業革命が悪いとばかりただ言っても仕方ないんでしょうよ。ヨーロッパとアジアの交易が少しずつ盛んになっていったことも、長い眼で見てみると我々に必ずしも良いモノをもたらさなかったのでは、などと歴史学者でもないのに語っても良いものは書けないに違いないんでしょうよ。

しかししかし昔は良かった。

だから、若返りたいとこれっぽっちも思わない。(今2010年に15歳になるという意味での若返りのことね) 若者や子供たちが幸せじゃないから。そして幸せそうに見えないからね。その原因を作ったのは我々大人であるという反省は忘れてはいけないんだろうけども。

ゲームのようなエンターテイメント系の機械は人間の孤立化を深めると橋本治は言う。その通りだと思う。同じゲームをする者通しの交流が生まれると知り合いのゲーマーは言うけれど、それはゲームに固有の交流ではないだろう。(not unique to video gamesだよ) つまり他のことでは得られない交流がゲームによって得られるってわけじゃあるまい。

PC、インターネット、メール、mixi、Twitterを使用するようになって、便利にはなった。しかし便利=幸福では決してない。



しかしどうすればいいのか。


人間は生まれながらにして、不幸な方向へとひたすらに加速してゆく生き物なのだろうか。ただ座してそれを受け入れることしか出来ない悲しい生き物なのだろうか。




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