今多コンツェルンの会長の女婿で広報室に勤務する杉村三郎。仕事で上司とバスに乗ると、バスジャックに巻き込まれた。犯人は年寄りの男性。しかし凶悪そうには見えない。しかも、事件の後に慰謝料をくれると言う。確かに事件の後に、慰謝料は送られてきたものの解せない。色々調べてみると、出て来た現代の闇とは…
うーん。私が宮部みゆきに求める、社会的な話題、魅力的な登場人物、ミステリとしての謎解きのカタルシス、その全てを満たしてくれる作品ではなかった。特にミステリとしては弱かったと思う。本の末尾に参考図書があげられていて、このタイトルを先に見てしまったので、ネタが分かってしまったというのも大きいはず。そのネタ以上のネタが出て来なかったのが痛かった。末尾は先に読まない方がいいです。
しかし、独特の宮部ワールドはやはり健在で、「人間てわるいもんじゃないよね」という宮部作品の根幹に触れる快感は否めないし、あちこちに思わずメモしてしまう言葉がある。
自分がないか、自分しかない、か。今度どっかで使おう。
もう人生を、やり直せない、終わらせるだけ。うーむ。ミステリ的には弱くても、私はミユキストなので、読み続けることには変わりませぬ。
今日の一曲。
ペテロ。英語読みすれば、ピーター。と言えばこれしかないでしょう。Peter GabrielでSledgehammer
今頃ふと思ったのだけれど、名前がキリストの弟子ペテロで苗字が大天使ガブリエル。この大げさな氏名は、日本的に言えば、徳川卑弥呼みたいなもんだろうか。
では、また。
うーん。私が宮部みゆきに求める、社会的な話題、魅力的な登場人物、ミステリとしての謎解きのカタルシス、その全てを満たしてくれる作品ではなかった。特にミステリとしては弱かったと思う。本の末尾に参考図書があげられていて、このタイトルを先に見てしまったので、ネタが分かってしまったというのも大きいはず。そのネタ以上のネタが出て来なかったのが痛かった。末尾は先に読まない方がいいです。
しかし、独特の宮部ワールドはやはり健在で、「人間てわるいもんじゃないよね」という宮部作品の根幹に触れる快感は否めないし、あちこちに思わずメモしてしまう言葉がある。
極端に閉鎖的な上下関係のなかでは、ちっぽけな権力を握ったちょっとばかり上位の人間が、それにふわさしい能力も資格もないのに、下位の人間の生殺与奪の権を完全に握ってしまうことがある。私はそれが嫌いなんだ。
「真ん中がないんだよ。空っぽか、みっしりか。そうでないと、あんなふうに人を騙すことなんてできないような気がする。言い換えるならそれは<自分がない>か、<自分しかない>ということではないか。
自分がないか、自分しかない、か。今度どっかで使おう。
「あたしぐらいの歳になったら、間違ったと思っても、もう人生をやり直すことなんかできないの。ただ、終わらせることしかできないのよ」
もう人生を、やり直せない、終わらせるだけ。うーむ。ミステリ的には弱くても、私はミユキストなので、読み続けることには変わりませぬ。
今日の一曲。
ペテロ。英語読みすれば、ピーター。と言えばこれしかないでしょう。Peter GabrielでSledgehammer
今頃ふと思ったのだけれど、名前がキリストの弟子ペテロで苗字が大天使ガブリエル。この大げさな氏名は、日本的に言えば、徳川卑弥呼みたいなもんだろうか。
では、また。
あきらめとか自己憐憫とかではなくて、ああそうだな って 思います。
宮部さんは大好きなのですが、本作も含め、このシリーズには今一つ入り込めません。
宮部作品の現代物は、主人公が子ども(未成年)の方がいいのかなと、ふと思いました。
人生を終わらせるということは、その中に微調整を含ませるのも可能なので、必ずしも諦めたりギブアップすることを意味しないのでしょうね。ただ、ある程度(どの程度?)以上の年齢になると、ゼロからやり直すのは難しいのかも知れませんね。
仰る通り、ぼんくらシリーズなど、宮部作品では未成年の描写が際立って読ませますね。初期の傑作は「火車」など大人が主人公が多かったと記憶していたのですが、パラパラめくってみると、「魔術はささやく」「レベル7」は高校生が主人公のようですね。「龍は眠る」は雑誌記者で。再読した「火車」以外はほとんど内容を覚えてません。再読のために積ん読山脈の手前に持ってきました。